幕間:剣鬼2
「さあ、どちらが速いか勝負だ」
居合に対する、居合返し。
対手が剣を抜いてから、己を斬り付けるまで。
その一瞬間の分だけ、長く闘気を溜め込み――斬り返す。
合理的な対応ではあるが――対手の剣を見切り損なえば、ただ斬られて終わる諸刃の剣。
だが、スマイリーには自信があった。見切れる、切り返せると。
事実、そう自負するだけの実力と、眼力が、彼女にはあった。
見る間に昂ぶるスマイリーの闘気を前に、ケンカクは――笑みを返した。
緊張を隠し切れない、張り詰めた――しかし勝利への確信が滲む、笑みを。
居合は、確かに実力者が用いれば必勝の戦術となる。
だが――同時に、既に世に広く知れ渡っている技術だ。
剣士の超高等技術ではあっても、奥義と呼ばれるようなものではない。
つまり――ケンカクの奥義は、通常の居合よりも、更に一つ上の次元にある。
「いざ、参る――」
剣士としての己を高める修行の日々。
ある日を境に、ケンカクは夢を見るようになった。
全身が影に覆われた剣士が、己を訪ねてくる夢だ。
影の剣士は恐ろしく強かった。初めの内は為す術もなく斬られていた。
己が最も得意とする居合でさえ、それを上回る剣速で斬り伏せられた。
だがケンカクは屈しなかった。
もっと速く抜かなくては。もっと速く斬らなくては。
どうすれば、もっと速く斬れる。
その一心でひたすら修行を積んだ――そして、奥義を得たのだ。
「――見切れるか、『紫電一閃』」
ケンカクが刀を抜く。
瞬間、その鞘の内から青白い光が溢れた。
迸るのは青白い、雷光と爆炎――その正体は、魔術。
抜刀の瞬間、鞘の内側で炎と雷を炸裂させたのだ。
高めた闘気による抜刀術に、加わる魔術の推力――生み出されるのは、神速の斬撃。
蒼い閃きが、空を奔る。
刹那、スマイリーも剣を抜いた。
ケンカクが牙を剥くように、一際大きく笑った。
遅い、今更抜いても間に合わん、と。
そして――――ケンカクは、光を見た。
青白い、雷光と爆炎を。
「なっ――――」
気付けば、振り抜いた右腕の、肘から先がなかった。
振り抜く途中で斬って落とされたのだと、一瞬遅れて理解した。
鮮血が飛び散る。闘気の操作による止血を図る事も、ケンカクは出来なかった。
たった一つの言葉が、彼の思考を支配していた。
「……何故だ」
大量の失血により急激に意識が薄れていく。
そうして眩む視界の端に、何か、揺れる黒いものが映った。
見てみれば、スマイリーの背中から――蝙蝠のそれによく似た、翼が広がっていた。
「……悪、魔?」
「ん? ……ああ、見えちゃった? だけど、悪魔じゃない――私は、夢魔なんだ」
蝙蝠の翼。淡い紫色の、腰まで伸びた髪。真紅の瞳。
ケンカクの目にはスマイリーが、今までとまるで違う姿に映っていた。
彼の精神が、死の淵、意識の失われる間際――現と夢の瀬戸際にあるが故に。
「夢魔……そうか……吸引か……! 盗んだな……我が、奥義を……!」
ケンカクの表情が憎悪に染まる。
咄嗟に脇差を抜こうとして、しかしすぐに右手を斬り落とされた事を思い出し、歯噛みする。
一方でスマイリーは、そんなケンカクを見てくすくすと笑った。
「盗んだだなんて……人聞きが悪いな。あの技は――君と私で、一緒に編み出したんじゃないか」
「……まさか」
ケンカクがスマイリーの笑みを凝視する。
見覚えのある、何度も夢で見た――己を斬り伏せた後に、影の剣士が浮かべていた笑みだった。
「本当は、あの技をもっと磨き上げて来てくれる事を、期待してたんだけど……また気が向いたら、稽古を付けてあげるよ。夢の中でね」
「……剣、鬼……か。確かに……貴殿は、鬼……悪魔……だ……」
ケンカクはそう言ったきり、どうと倒れ込んだ。
「……だから、夢魔なんだってば」
スマイリーは唇を尖らせて、不満げにそう呟いた。
それから――剣を鞘に収めて、自分の左腕を撫でた。
「あーあ、終わっちゃった……早く実らないかなぁ、彼」
折れたまま、余韻を楽しむ為にあえて治さなずにおいた、左腕を。
そうして――ケンカクは敗れた。スマイリーが勝利した。
その後、検分役が決着を宣言すると、十を超える神官が戦場へと駆け込んでくる。
蘇生術は死亡から時間が経つほど成功率が落ちる。
四肢欠損の修復も同様だ。
敗者への蘇生措置が迅速に始められる。
やがてケンカクは意識を取り戻さぬまでも、息を吹き返し――それを見届けると、スマイリーは戦場を去った。
ケンカクも、そのまま神官達に担架で運び出されていった。
闘技場に勤める魔術師達の仕事は、それから始まる。
主となる業務は、戦闘の余波によって破壊された戦場外壁部の修繕だ。
特等級の闘士達の戦いは、本来ならば一般市民が観戦出来るようなものではない。
踏み込みに耐えられず地面は砕け、空振った打撃の風圧が岩を砕く。
その災害の如き戦闘の余波を、戦場内に押し留める為の結界が張られているのだ。
しかし――
「おいおい、これ見ろよ。画数三桁の立体魔法陣を彫り込んだ金剛壁が一刀両断だ。あり得ねえ」
「剣鬼が最後に立ってたのは……あの辺だろ。壁まで大体20メトロン……剣士の間合いじゃねえだろ」
軽口を叩き合う魔術師達は、いずれもこの王都闘技場の安全を委ねられた、才英だ。
その彼らが才知を凝らして築いた結界も、一戦持つか持たないか。
「大斂武祭なんかするまでもなく、あいつが最強でいいんじゃねーの?」
思わずそんな言葉が口をついて出るのも、仕方のない事だった。
「……ふん。情けない事を言わないで下さいよ。20メトロン、確かに大した間合いです。“剣士にしては”ですが」
だが、魔術師の内の一人が、鼻を鳴らしてそう嘯いた。
「剣士……いえ、闘士なんかが、今の魔術師に勝てる訳がない。そりゃ百年前は、彼らの方が強かったのかもしれません。ですが僕ら魔術師の水準は、当時とは比べ物にならないほど高くなっているんです。闘士なんて、100メトロン上空から爆撃すれば、それで終わりじゃないですか」
「あー……そうか。お前はまだ知らないのか。まぁ、闘技場に魔術師が出る事って少ないしな」
「……何の話ですか?」
「いいか、よく聞け……闘士ってのはな、それなりに腕が立つ連中なら、空気を蹴って空を跳べるんだ」
「……なんですって? 何を馬鹿な……どれほど身体能力を増強しようと、空気には粘性というものがあるんです。人間が足場に出来る訳が……」
「俺もそう思って、一度聞いてみたんだ。どうやって蹴ってるのかって――気合だって、言われたよ。小難しい話されると感覚狂うからやめてくれとも」
「……闘士に関する認識を改める必要があるのは、分かりました。ですが……それでも魔術師が彼らに劣るとは思いません」
「まぁ……飛行術に結界術やら追尾魔術を組み合わせれば、上手くやれんじゃねえかって妄想は俺達もするけどよ。所詮、妄想よ。実戦でそこまで上手くやれるかどうか」
「そもそも、闘士の中で剣士が最強かも分からんけどな。噂じゃ昔、第一王女殿下の戯れで剣鬼と近衛騎士長が戦った時にゃ、剣鬼は一太刀も浴びせられなかったそうだぜ」
「御前試合だろ? 血を見せたら無作法の誹りを受けるんだ。参考にゃならん――」
「――おい、いつまで無駄話してんだ! さっさと仕事しろ!」
「っと、悪い悪い。ほら行くぞ新入り君。続きは仕事が終わってからだ」
にわかに始まった最強議論は、そうして幕を閉じた。
話を中断させた男は、非常に賢明な判断をしたと言える。
どれほど議論を重ねたところで、どうせ答えが出る事はなかったのだから。
今までに何度も、同じ議論が繰り返されてきた。
時には市井の道端で――彼らと同じく、何気ない世間話の一環として。
或いは王国の貴族院で――国家の戦力増強の、最適解を導き出す議論として。
それでも――史上初めて、単独の人物によって魔王が倒され、百年が経った今も、異世界最強のジョブは決まっていない。
答えを得るには、実際に試してみる他ないのだ。