試練の開始
再びの闘技場である。
前回と同じように観客席は全て埋まり、興奮した各種族がそれぞれの候補者に声援を送っている。
マスターを含めた候補者の恰好は様々で、荷物の多い者から身軽な者まで、その姿は十人十色であった。
一番軽装なのはオーガであり、ほぼ身一つで首に巻いた蛇が見える。
それはサバイバルを甘く考えているというよりは、余裕さの表れに思えた。
どんな環境に送られようが対応出来るとの、確固たる自信に裏打ちされた確かな信念である。
次に荷物が少ないのはサキュバスであるマスターで、天使の後ろ姿と見紛うような小さな背中に子供用のリュクを背負い、その隣に控えた俺が持つ荷物だけだ。
併せても大した量はない。
理由は簡単で、大きな荷物は背負えなかったという単純な事実だ。
初めは相当な量が用意されていたのだが、どちらもそこまでは担げないという事が判明し、大急ぎで減らされた。
俺は自分の体の上に載せているのだが、潰れてしまうかと思いきや意外と平気で、マスターよりは多くの荷物を持っている。
包丁や鍋など、代わりが効かないようなモノばかりだ。
ただ、動きは以前よりも大幅に遅くなっている。
正直、亀と競争して一生勝てないレベルであろう。
余りに遅いので姉が荷物を運んでくれたくらいだ。
後は使い魔が大きい者達であり、沢山の荷物が見えた。
ドワーフは何故か鍛冶道具までもサラマンダーに持たせているようだった。
観客席から珍しい鉱物を探して武器を作れと、冗談なのか本気なのか分からない
応援をされている。
本人は満更でもない顔をしている所を見ると、彼らにとっては鍛冶こそ人生なのかもしれない。
ゴブリンは常識的な荷物で、仲間二人と共に長旅にも耐えられる準備をしているように見えた。
予想外に一番の大荷物は獣人で、フェンリルの背に山と見紛うばかりの荷物を載せている。
「もっと服を持ってきたかったニャー」と、とてもこれからサバイバルの旅に出掛けるとは思えない、優雅な服装をした猫が優雅に嘆いていた。
自前の毛皮があるから服は必要ないだろうにと思うのだが……
それはそうと、それぞれの候補者は魔大陸に住む各種族を代表しているのだが、種族の仲が悪い訳ではないそうだ。
大昔はそれぞれで戦争を起こしていた程に険悪だったのだが、初代魔王によって魔大陸を統一され、以後は大きな戦争を起こす事もなく過ごしているとの事。
時折大型の魔獣が海から地峡から襲ってくるそうだが、協力しあって撃退しているらしい。
なので候補者同士で話をしている者達もいる。
本選に進めばライバルだが、その前に帰って来れないと意味がない。
今は生きて帰って来るという、共通の目標を持った仲間という事か。
しかし、マスターだけが常に独りぼっちだった。
誰もマスターに声を掛ける者はおらず、遠巻きにして目線さえも合わせようとはしない。
マスターと視線が合えば露骨に顔を背けるくらいだ。
むかっ腹が立ったがそれも仕方ない事らしい。
力のあるサキュバスは、幼くとも十分な脅威になりうると。
寧ろ、幼ければ庇護欲を掻き立てられ、我が身を顧みずに滅私奉公する事になってしまうそうだ。
候補者もそれを恐れ、マスターと顔を合わせないように努めているらしい。
「試練の儀式を始めるぞ」
威厳のある魔王の声が響いた。
観客席は一段と盛り上がる。
300年に一度の儀式がついに始まるのだ。
もっとも、始まったと思ったら直ぐに儀式は閉会し、次は遅くて10年後となる。
「吸血鬼だけが揃っていないが、前例通りに棄権したモノとする」
魔大陸における種族の残りは吸血鬼であるが、族長が遥か昔に試練に出て、今も帰ってきていないらしい。
不老不死なので死んではいないと推測されているが、どこにいるかは全く分かっていないそうだ。
その族長は吸血鬼の始祖でもあるそうで、強大な魔力、強力な魔法を駆使し、不死人を使役する、歴代の魔王にも匹敵する実力者だそうだが、その姿を知る者は最早誰もいないとの事だった。
「飛ばす順番は使い魔の契約から帰ってきた順だ」
先日の儀式が今回に繋がっているようだ。
つまりマスターは最後という訳である。
先陣を切るのはオーガであった。
「心の準備が出来次第、魔法陣の中に入れ」
闘技場に並ぶ候補者達の前に、大きな魔法陣が描かれていた。
何を書いているのかはさっぱり分からないが、模様のような文字のようなモノがびっしりと書かれた、ファンタジーでよくあるヤツだ。
思いやりに溢れた魔王の言葉に対し、オーガは即座に魔法陣へと足を踏み入れる。
魔王が手をかざすとオーガの体が宙に浮き、魔法陣が光ると共に彼方へと消えていった。
一瞬にして見えなくなる。
「瞬間移動の魔法があるじゃねぇか!」
つい叫んでしまった。
「魔王様しか使えないのだから意味がないぞ」
観客席から姉が指摘する。
確かにそれなら真似は出来ない。
やはり地道に帰るしかないのだろう。
そして次々に候補者が消えていく。
ついにマスターを残すだけとなった。
観客席のサキュバスたちが総立ちになる。
「マーちゃん、しっかりね!」
「必ず帰ってくるのだぞ!」
心配げな母と姉が声を掛けた。
マスターは二人に手を振り、俺を見る。
「スーちゃん、いい?」
「もちろんだ!」
マスターが魔法陣の中へと足を踏み入れた。
それに従い、俺も進もうとする。
「って遅ぇぇぇ!」
まるで前へ進まない俺の歩みだった。
マスターが心配げに見ているが、どうする事も出来ない。
俺が持つ荷物をマスターは持てないし、追い付く為に荷物を放り出す訳にもいかない。
アタフタしている俺達を見て魔王が言った。
「誰か手伝ってやれ」
その声に姉が観客席から飛び降り、駆け付けた。
「全く、何をやっているんだ!」
「お手数を掛け、誠に申し訳ない……」
恐縮する事しか出来ない。
荷物を持ってもらい、俺はマスターの横へと飛んでいった。
再び荷物を上に乗せてもらう。
「マーちゃん、元気でな」
「おねえさまもげんきでね」
姉はマスターに最後の言葉を掛ける。
名残惜しそうに振り向き振り向きしつつ、席へと戻っていった。
「では、これで最後だ」
魔王が手を動かした途端、俺達の周りから重力がなくなった。
息を吐き出して飛ぶ感覚とは違い、フワッとしている。
そして魔法陣が光り始め、見えない力の放射を感じた。
優しい光の粒が俺達を包むと共に、物凄いスピードで闘技場から遠ざかっている事に気づく。
あっという間に魔王城も通り過ぎた。
飛行機よりも早い気がしたが圧迫感はない。
ゆったりとした中、眼下の景色だけが目まぐるしく変わっていった。
どのくらいそうやって空を飛んだ事だろう。
まったりとした空気に包まれていたので、俺はすっかりと油断していた。
いつの間にやら移動が終わり、降下している事に全く気付かなかった。
似たような景色の連続に、注意力が散漫になっていたのかもしれない。
光が消え、再び重力を感じた。
そこでハッとし、横のマスターを見る。
居心地の良さに立ったまま眠っているらしかった。
「ま」
マーちゃんと声を掛けようとした時だった。
言い終わる事が出来ずに声を飲み込む。
あった筈の地面が消え失せ、今度は居心地の悪い浮遊感があった。
冷や汗が出るような嫌な感覚だった。
それもその筈、俺達は地面に降りる事なく水の中へと落ちてしまった。
「マーちゃん!」
咄嗟に叫び、マスターも目を覚ましたが時既に遅し。
突然の事に対処しきれず、気が動転したのか手足をバシャバシャさせて溺れている。
背中のリュックが邪魔で上手く泳げないらしい。
俺はリュックを外そうと頑張ったが、もがくマスターにどうする事も出来ない。
持っていた荷物は水中に沈んで自由の身だが、手も足も出なかった。
「マーちゃん!」
再び叫んだがどうにもならない。
「早く助けないと!」
俺は自分に何が出来るのか必死に考えた。