修行
俺は物置で一人考える。
スライムは単細胞生物と呼んで差し支えないだろう。
体の中に核っぽいのが一つ、見えている。
単細胞生物にしてはやけにでかいが、それは異世界という事で納得するしかない。
そんなスライムが、どうやったらあの姉に勝てるのか?
ああは言ったが、正直に言って勝つ自信は全くない。
もしも洞窟のような暗い環境下であれば隠れて近づき、不意に天井から落下して顔に張り付き、スライムの恐ろしさを最大限に活かした窒息攻撃を狙う事が出来るだろう。
しかし、二日後に行われる戦いは今日と同じ中庭で、隠れる場所などありはしない。
正面から向き合えば、みすみす同じ結果となるだろう。
俺は、俺に何が出来るのかを考えた。
今、出来る事は何なのかを、一つ一つチェックするのだ。
「まず第一に、こうやって考える事が出来る。思考を巡らす事が可能だ」
それが俺がただのスライムではない、唯一の理由と言える。
考える事こそ俺のアイデンティティーという訳だ。
そして思考を巡らせる事で、人類は地球の支配者となった。
分析し、推測し、実践して結果を評価し、次につなげていく。
それを繰り返してきた結果、高度な文明を築くに至った。
今はスライムになったとはいえ、元人間としての誇りを失う訳にはいかない。
徹底的に自身を分析し、取りうる策を考えるのだ。
「口から空気を吸い、腹に溜め、吐く事が出来る。空気を吐く時に口の形を変え、口笛を吹き、喋る事が出来る」
発声の習得には時間が必要だった。
言葉という複雑なコミュニケーション手段もまた、文明を築く事が出来た大きな要因の一つだろう。
文化の伝達というヤツだ。
「ってこれだけ?!」
余りの少なさに愕然とする。
戦いに勝つ方法とは関係がなかった。
「いや、物を食べ、消化する事が出来る。目で物を見る事が出来、耳で音を聞く事が可能だ」
差し入れられた食事は既に済ませた。
体ごと食器の上に移動し、口を大きく開けて丸ごと飲み込む感じだ。
堅く焼かれた粉っぽいパンと水だけの質素な食事であったが、空腹を満たすには十分だった。
味の方は正直良く分からないので、味覚はないのかもしれない。
「そして体を伸ばして移動する事が出来る。手と足を生やす事が出来るが、腕のようには使えないし、歩く事も出来ない」
アメーバのように体を伸縮させ、這って移動する事が可能である。
しかし速度はお粗末で、幼いマスターの歩みにも全く追い付けないレベルだ。
体の形はある程度思い通りになり、手や足を形作れる。
手は小さな物なら握る事が可能だが、腕を伸ばしたら自重を支える事が出来ない。
垂直に伸ばしていけばいけるのだが、角度が少しでも付くと支えきれずに垂れ下がってしまう。
足も同じで、体の下側に作って下から支えようとすると、体にめり込んでしまって全く動けなかった。
スライムの体が筋肉そのものだとしたら、外骨格でもいいが、骨に相当する機能を持った何かが必要なのだろう。
「これだけか?」
他に何かあっただろうかと、暗黒空間からの事を思い出す。
「……これだけかよ!」
手持ちの駒は余りに少ない。
「どうする? 何をすればいい?」
この中で組み合わせ、策とするしかなさそうだ。
「とはいえ、手と足の機能は全く役に立たん」
ハッタリには使えるかもしれないが、直ぐに見破られてしまうだろう。
「手足を使う事は諦めるとして、何が残っている?」
となれば後は声を出す事と、スライムである事を活かした作戦しかないように思えた。
「やはり窒息を狙うしかないよなぁ」
それ以外にはなさそうだ。
「しかし、その為には早く動けないと始まらない……」
のそのそと動くだけでは永遠に無理だろう。
どうしたらいいのかと考えても、皆目見当がつかなかった。
「クヨクヨしても時間の無駄だ! 次を考えよう!」
アイデアが思いつかない時は次に移るのも手だ。
思わぬ所に解決のヒントが隠されているかもしれないのだから。
「そう言えば、声はどこまで出せるんだろう?」
頭をよぎったのは、とある漫画で見たシーンだ。
体の自由を奪われた男が、大声だけで相手の鼓膜と脳を破壊していた。
「あそこまでとは言わないが、唐突に叫べばギョッとさせる事は出来るかもしれない」
そこでどれくらいの大声が出せるのか確かめる為、大きく息を吸い込んでみた。
お腹が膨らみ、体全体が膨張する。
しかし、まだ余裕がある気がした。
呼吸をしている訳ではないので、息を吸い続ける事が可能なのだろう。
息を吸う。
更に吸う。
まだまだ吸う。
もっと吸う。
その結果、驚く事が起きた。
「丸くなっちまったじゃねぇか!」
それは大きく膨らんだ風船のようだった。
そして、驚いて出した声によって体が動く事に気づく。
それはまるで、膨らませた風船から空気を逃がした時のようだった。
入れた空気を勢いよく噴出し、あちらこちらへと飛んでいく風船だ。
「つまり飛べるって事か!」
光明が見えた。
吸い込んだ息を勢いよく吐き出し、飛んでいって顔に張り付けばよいという事だ。
「これで勝てるかも!」
確実なモノとする為、何度も何度も練習する。
そのうちコツが掴めてきた。
大きく大きく息を吸い込み、膨らんだ体にギュッと力を込め、圧力を加えれば空気の噴出が桁違いに強くなる。
体に加える力が強ければ強い程、飛ぶ速さも飛距離も伸びた。
「丸いままだとそのまま転げる事も可能だな」
もう一つ気づいた事だった。
丸い球のままだと、息を吐かなくてもそのまま転がって移動出来るのだ。
肉壁の一部を厚くする事によって重心を移動させ、コロコロと転がる事で物置内を移動出来た。
アメーバの体であった頃からは想像も出来ない、移動スピードの大幅な向上である。
傍から見れば、ひとりでに動き出すボールに見えるだろう。
「本番を想定し、外で練習しよう!」
物置小屋は狭いし風もない。
本番を想定しておかないと思わぬ所で失敗しかねない。
「何だ、夜になってたのか」
外はすっかりと日が暮れ、何も見えなかった。
「暗い方が助かるな。何をしているのか誰かに知られてはマズイ」
やろうとしている事がバレては、色々と対策を練られてしまうだろう。
一番簡単なのは、部屋で行うようにすれば事足りる。
それだけで俺は詰みだ。
「よし! 早速練習だ!」
大きく大きく息を吸い込み、ギュッと体に力を込めて引き絞り、空気を吐き出して俺は空へと飛んだ。
数メートルは飛んだだろうか、周り全てが闇となったように感じた。
あの暗闇に戻ったのかと錯覚したが、暫くして地面へと落ち、目に入った屋敷の灯りでホッとする。
あの灯りの下でマスターもぐっすり眠っているのだろうと思うと、何とも言えない心の温かさを感じた。
「この幸せは絶対に逃さねぇぜ!」
決意も新たに修行を続けた。