試練はサバイバル
前話を一部修正し、試練の開始を三日後にしました。
闘技場から外へと通じる道を進む。
因みに俺は依然としてマスターの腕の中だ。
使い魔が抱っこされているとは我ながら図々しいとは思うが、スライムの歩く速度はとてつもなく遅く、見かねたマスターが再び拾ってくれた。
一人で歩こうと思ったのだが、かえって迷惑を掛けてしまったようだ。
他の候補者が俺に浴びせてきた視線は氷のように冷たく、マスターを見る目にも何の感情も籠っていない。
中には露骨な憐みを寄越してきた者もいたが、声を掛けるでもなく、無言で通り過ぎていっただけだった。
幼児であるマスターの歩く速度は他の候補者に比べて遅い。
出口に着いた頃には他の候補者も、それを待っていた者達の姿もなかった。
残っていたのはサキュバス族だけだ。
「マーちゃん!」
「おかあさま!」
母親なのだろう、マスターが出口から出た途端、一目散に駆け寄って来た。
マスターは笑顔になり、その小さな足をフル回転させ、駆ける。
ひざまずいて愛娘を迎え、俺が腕の中にいるのも構わず、力一杯抱きしめた。
ひとしきり娘に愛情を注ぎ、腕から離して怖い顔をし、苦言を述べる。
「強い者を選びなさいってあれ程言ったのに! もう、この子は!」
「スライムなんて論外だ!」
母親の後ろに控えていた女も同調した。
帯剣している所を見ると、護衛の騎士の類だろうか。
母親の方がマスターに似て可愛い系だとしたら、この女はキリッとした才女系と言える。
側近とか知恵袋とか、そういうヤツかもしれない。
その側近が論外と切って捨てたのが、何を隠そうこの俺だ。
「でも、スーちゃんはお話しできるんだよ?」
マスターが俺を擁護する。
人語を解するモンスターは強力だと騙したからだが、今になって心が痛んだ。
「スーちゃんって、もしかして?」
「そのスライムなのか?」
二人は驚いた顔をした。
その反応に気を良くしたのか、マスターはひどくご満悦だ。
「そうだよ、すごいでしょ!」
と言いつつ、キュートで平らな胸を反らした。
自己紹介をするなら今が最適だろう。
「初めまして母君。私は敬愛なるマスター、マーちゃんの忠実なる使い魔、スーちゃんです」
周りをじっくりと観察して、ここが異世界だという事は既に理解していた。
異世界転生という例のアレだ。
転生先は雑魚モンスターの代表格、スライムだが。
強敵に描かれるパターンもあるみたいだが、俺を見てあからさまに笑っている周りの反応を見ると、弱い方でまず間違いなかろう。
なんせ論外だそうだから。
しかし、母親の方は俺が喋ってビックリ仰天していた。
「マリーちゃんやるじゃない! レア物なんて!」
「えっへん!」
我が子の上げた大金星に大喜びである。
そんな親馬鹿にツッコミが入った。
「落ち着け! スライムが喋った所でそれが何だというのか!」
「そ、そうだったわね! 大切なのはマリーが無事に帰って来れるかどうかだったわ!」
言葉を話せるスライムは、可愛い我が子のお守りにも大活躍!
という宣伝文句を考えたが、深刻そうな顔の二人に自重した。
何より、その内容が気になる。
「無事に帰って来れるかどうかとは、一体どういう事なのです?」
一応は元社会人として、節度あるスライムでありたいと思う。
そんな俺に母親は言った。
「いい事? これは次の魔王を決める儀式なの!」
「魔王を決める儀式?」
「そうよ。まず候補者は、この魔大陸から遠く離れた場所にランダムで飛ばされるの」
「え?」
思っていたのと違う展開である。
あの闘技場にいた者達で戦うなりして、勝者を決めるモノと思い込んでいた。
「そこから10年以内に帰って来て、初めて本選に進む資格が得られるのよ」
「10年?!」
何とも長い日程だ。
「飛ばされるって、どのくらい遠くなのですか?」
「世界の各地よ。10年でも帰って来れない者はいるわ!」
「何ですって?!」
ちょっとあり得ないように感じる。
「移動魔法はあるのですか?」
「何それ?」
キョトンとしていた。
詳しく説明する。
「瞬時に遠く離れた場所に移動するとか、そんな魔法です」
「ある訳ないでしょ、そんな便利な魔法!」
あれば10年もかかる筈がないか……
「では、馬車とか?」
「町なんてある筈がないでしょ! この魔大陸以外は強力な魔獣が溢れる危険な場所で、人なんてほとんど住んでいないわ!」
つまり徒歩しかないという事か。
しかし、聞き捨てならない言葉だ。
「そんな危ない場所にマスターを行かせるなんて、一体どういう事なのです!」
この母親が心からマスターを愛している事は分かる。
それならなおの事、危険な場所に行かせる意図が分からない。
「私だって反対よ! でも、この子がどうしてもって言うから!」
そう叫んで我が子を見つめた。
母親と俺に見つめられ、マスターは高らかに宣言する。
「マーちゃん、まおうさまになりたいんだもん!」
その目は真っ直ぐで、強い意志を感じた。
幼いマスターの心意気に、俺はいたく感動する。
しかし、そうは言っても幼過ぎるだろう。
「もう少しマスターが大きくなってから挑戦を許可するというのは、余計なアドバイスですか?」
母親に尋ねる。
「アナタ知らないの? 魔王を決める儀式は300年ごとなのよ。サキュバスの寿命はそこまで持たないから、魔王になりたければ今しかないわ」
「そ、そうなのですか……」
そうであれば参加するしかないのだろうが、それにしてもと思う。
「そうは言ってもマスターは幼過ぎませんか?」
「全ては神様のお決めになった事だわ。この子が生まれたのも、この年で試練の時が巡ってきたのも、全てがこの子の運命」
神妙な顔をしている。
他のサキュバスは感銘を受けたようで、尊敬の眼差しを向けている。
そんな周りの反応に、上手い事を言えたわと得意げに見えた。
イラっとしたので指摘しておく。
「しかし、儀式がある事は分かっていた筈ですから、子供を作る時期を選べたのでは? もう少し早く生んであげていれば良かったのでは?」
「あ、い、いや、そ、それはね、違うのよ!」
突然に慌て始める。
図星だったようだ。
どうせ何も考えていなかったというオチであろう。
そんな俺の内心を読んだ訳ではないのだろうが、その理由を明かした。
「本当はこの子の姉が候補者だったのよ!」
「え? もしかして亡くなられたのですか?」
申し訳ない事を思い出させてしまったと悔やむ。
「へ? 違うわよ? ここにいるわよ?」
「え?」
「私がマーちゃんの姉だ!」
そう言ってマスターを抱きしめる。
「アンタが姉なのかよ!」
ついツッコミを入れてしまった。
側近だとばかり思っていた女は、何の事はない、二人の家族なだけだった。
これまでのやり取りは、平和な家族の団らんだったという訳だ。
しかし、見た限りでは立派な候補者がいるのに、マスターに替わった理由とは一体なんだろう?
「どうしてマスターが選ばれたのですか?」
考えても仕方ないので素直に聞く。
聞かれて嬉しかったのか、共に大喜びで語り始めた。
「だって、サキュバスの強さは可愛さなんだもの!」
「そういう事だ。マーちゃんが一番可愛いから、サキュバスの最強はマーちゃんなのだ!」
「そ、そうですか……」
両方からマスターを抱きしめ、笑みを浮かべて頬ずりしている二人に、色々と残念な人達なのだなと思った。
他の者達もウンウンと頷いている所を見ると、そういう種族なのかもしれない。
「それはそうとサキュバスって強いのですか?」
それは重要だ。
幼いマスターでも強ければ何の問題もない。
例え俺が全くの役立たずであったとしても。
しかし、そんな俺の期待はあっさりと砕け散った。
「サキュバスには体の力も、強い魔法力もないわ!」
「体力では魔法使いに勝つ程度で、魔法攻撃力は獣人に勝てるくらいだ!」
自信満々に言われても困る訳だが……
「でも、可愛さが相手に通れば無敵よ! 魅惑された者は何でも言う事を聞くから!」
「そういう事だ。強い使い魔を魅惑し、契約さえ出来れば、マーちゃんでもどうにかなると思ったのだ!」
そういう事かと理解した。
「もしも強い使い魔じゃなかったら、試練を棄権させるつもりだったわ!」
「それがこうだ!」
それまでの表情とは一変、厳しい顔で二人は俺を凝視した。
望んでいた結果ではないとはっきり顔に書いている。
「俺では駄目ですか?」
悲しみに浸りながら俺は言った。
自分で言うのも何だが、満足に身動き一つ取れないこの身では、マスターを助ける事が難しい気がする。
粉骨砕身で励む覚悟はあるのだが、良く考えれば俺には骨がない!
「アナタは確かにレアだわ。でも、必要なのは外の世界でマーちゃんを守りながら、無事に帰って来れる強さなのよ!」
「お前にそれがあるのか!」
二人に強くそう言われ、俺は何も言い返せなかった。
否定するだけの材料を持っていない。
思いだけでは叶わない事が多いのだ。
元気のないマスターを言葉で励ます事は出来るが、流す涙を拭きとってあげられる、物理的な手もないのだから。
俺は我が身を顧みる。
手も足もない、ドロドロとしたスライムの体が目に入った。
どうして手さえもないのか、それを恨む。
こうしてマスターの腕の中にいるのに、間近にあるその顔にさえ触れられない。
甚だ僭越ながら、その頭をなでなでしたいのに!
どうして手がないんだ!
どうして!
そう強く思った瞬間、体がグニャリと動くのを感じた。
何だと思って見ると、俺の体から指みたいな物がチョコンと生えている。
動かそうと意識すれば、まるで手の平のように握って開く動作が出来た。
これを伸ばせれば腕になるんじゃないのか?
そう思って腕を伸ばそうと意識する。
グググと伸びる感覚があった。
手首まで生えている。
更に伸ばそうと思った時、天上で奏でられる音楽と比喩されるべき、耳に心地よいマスターの声が響いた。
「マーちゃん、スーちゃんだから行くんだよ」
「マーちゃん?」
「マスター?」
驚き、俺達はマスターを見る。
「スーちゃんはつよいんだもんねぇ」
そう言って、その可憐な笑顔を俺に向けた。
俺はその言葉だけで、嬉しさの余り天にも舞い上がりそうだった。
焦ったのは母親と姉の方である。
「ちょ、ちょっとマーちゃん!」
「す、スライムの強さなどたかが知れている!」
慌てたように言った。
敬愛するマスターに期待され、応えねば男が、いや、使い魔が廃るだろう。
「俺がマスタ、マーちゃんを魔王にするよ!」
「ほんとう?」
「約束する!」
俺の決意にマスターは喜んでくれた。
必ず果たすとその笑顔に誓った。
そんな俺達を母と姉が邪魔する。
「そんな事、許す筈がないでしょう!」
「強いというのなら、その証拠を見せてみろ!」
二人がマスターの身を心から心配している事は理解している。
そんな二人を安心させてあげる事も、使い魔たる俺の大事な役目だろう。
「だったら俺を試してくれ!」
「試す?」
何が言いたいのだと、親子は不思議な顔をした。
「俺にマスターを守る事が出来るのか、試験をして確かめてくれ!」
という訳で、俺の能力を確かめる事が決まった。
三日後には試練が始まってしまう。
時間はない。