炊事
「スーちゃん?」
「マス……マーちゃん!」
溺れてから数日後、心配しながら待っていた日が遂にやって来た。
眠り続けていたマスターが目を覚ましたのだ。
俺の心はテンションマックスだったが、浮かれてばかりもいられない。
「ここ、どこ?」
と、マスターが上半身を起こし、問い掛けてきた。
分身の上に寝ている格好だが、分身の体はベッド状になっている。
ずっとマスターの体を包むようにしていたが、今度は熱くなったのか汗を掻いていたので、体温調節を兼ねての形状だ。
どうにか無事に残っていたタオルをマスターに掛けている。
「闘技場からの事、覚えてるかい?」
心肺が停止し、脳に酸素が送られないと組織が損傷してしまい、記憶障害や機能障害が生じる場合がある。
障害を受けても回復する事もあるらしいが、何事もないのに越した事はない。
「えーとね、お空を飛んでた」
魔王が使った魔法で俺達はここまで飛ばされた訳だが、マスターはその道中、多くを寝ていたので覚えてはいないだろう。
「それから?」
問題はそこからだ。
飛翔魔法なのかは知らないが、移動が止まったと思ったら海に落下した。
聞いていた話では安全な場所に送られる筈だったが、一体どういう事なのだろう。
「うーんとね、お花がいっぱい、いいっぱい咲いてるお庭を歩いてた」
もしかして、溺れた事は覚えていない?
それならそれで不幸中の幸いと言える。
苦しかった筈なので、その記憶がないのならそれでも良い。
それはそうと、お花畑の中を歩いているというのは、俗に言うアレではなかろうか?
「三途の川を渡る風景と同じだよな……」
この世とあの世の境界線だ。
「さんずのかわ?」
「いや、何でもないよ!」
慌てて誤魔化した。
幼いマスターは知らなくて良い事だ。
「でね、スーちゃんがマーちゃんをよぶ声がしたから、帰らなきゃって」
「え?」
「大きな声でよんでいたよ?」
「あ、ああ!」
俺の必死な呼び掛けが届き、マスターを救う事が出来たのだろうか?
そうであるのなら使い魔冥利に尽きる。
頑張った事でもう一度マスターの笑顔を見る事が出来たのだから、喜びもひとしおだ。
「お腹すいちゃった……」
数日は何も食べていないのだから当然だろう。
ベッドから降りようとする。
「まだ起きない方がいいよ」
無理をして体調を崩しては元も子もない。
「大急ぎで用意するからベッドに寝てて!」
「うん」
ここは大事をとってもらう。
俺は大急ぎで焚火の準備をした。
三角形に置いた石の周辺に薪を敷き詰め、細く小さな枝と乾いた草を真ん中に集める。
火つけ用の乾いた綿に火打石で火花を落とす。
燻り始めたら空気を送り、火へと変える。
それを真ん中の草に落とし、火を移した。
連続して空気を送り続け、薪へと燃え移らせる。
火が安定したのを見届け、俺は食材を獲りに磯へと飛んだ。
「ムール貝は消化に良いのだろうか?」
今更疑問が湧く。
長い間何も食べていないお腹に、タンパク質は合っているのだろうかと思った。
しかし温めた牛乳とパン、お粥などは望めない。
手に入るモノで我慢するしかなかった。
「少しづつなら問題ないよな……」
そう思うしかない。
俺は岩にくっついたムール貝に手を伸ばし、しっかりと掴んで捻り加え、岩からブチっと引き離した。
それを続けて3個ほど集める。
この世界のムール貝は巨大で、一つでマスターの食事分には十分過ぎた。
残りは俺と分身の分である。
これくらいなら飛ぶのに問題はないので、俺はまた一息に飛んで帰った。
「今から料理するからね」
「わーい」
大人しくベッドで待っていたマスターが期待に目を輝かせる。
喜んでもらえるだろうかと若干不安に思いながら、俺はムール貝を火の中へとくべた。
この貝は大きく殻も厚いので、直火で調理しても大丈夫な事は事前に確かめてある。
暫くして殻がパカっと開き、中の汁がグツグツといい始めた。
「出来たよ」
「やったー!」
枝を器用に使って貝を挟んで取り出し、中身だけを木製のまな板の上に乗せる。
「熱いから少し冷ますね」
「うん」
大きく息を吹きかけて粗熱を取った。
包丁を使って小さく切り分ける。
中まで十分に火が通っていたようで、切った途端に湯気が立ち昇った。
これも少し冷ます。
「お待たせ」
「お腹ペコペコ」
皿に移し、ベッドの上のマスターの手元に持っていく。
テーブルはないので仕方ない。
マスターは手渡したフォークを使い、ムール貝に突き刺した。
一口食べて頬を緩める。
「おいしい!」
「よかったぁ」
その一言にどっと安堵した。
俺は味が分からないので不安だったのだ。
もしも不味い物でもお出ししたなら面目が立たない。
地球のムール貝の味なら知っているが、それに準拠しているようで助かった。
しかし、もしも俺が知らない物だとどうしようもない。
不味いだけならいいが、毒でもあろうものなら取り返しが付かないし、一体どうしたものか?
「スーちゃんは食べないの?」
考え事をしている俺にマスターが尋ねた。
「俺は後でいいよ」
「えー? いっしょに食べよう?」
使い魔が主人と同じ席で食事をするなど言語道断だと姉に教わったが、折角のマスターのお誘いなので素直に受ける事にした。
一人で食べるより一緒に食べた方が断然に美味いからな。
「じゃあ遠慮なく」
「うん! おいしいよ!」
笑顔で貝を頬張るマスターを優しい気持ちで眺め、俺は自分の分を食べた。
「ね? おいしいでしょ?」
「うん、美味しい」
「ね!」
笑いかけるマスターに心は果てしなく満たされ、足りない物はないと感じる。
どこまでも幸せで、この時間が永遠に続けと思った。
「きゃっ!」
「マーちゃん?!」
突然にマスターの叫び声が上がる。
俺は何事かと焦った。
「ベッドがうごいたの!」
「あ」
分身が体をくねらせ、ムール貝を求めていた。
俺の分身なのでマスターと一緒に食べたいという事だろう。
仕事中に勝手に動く事などあってはならないのだが、俺だけズルいと睨んでいた。
マスターの皿がこぼれないよう、器用に支えている。
その辺りの気配りには感心した。
流石に俺の分身だと思った。
「スーちゃんが二人?!」
マスターが驚いている。
大きさは違うが見た目は全く同じだろう。
これも改善すべき事案の一つである。
マスターが識別しやすいよう、見た目の違いを出したい所だ。
「実はマーちゃんが寝ている間に子分が出来たんだ」
「こぶん?」
「仲間っていうか、友達かな?」
「おともだちが増えたの? やったぁ!」
喜んでもらえて何より。
「ただ、話す事が出来ないんだ」
「ふーん」
自我はあっても知能はないらしい。
その辺りも克服出来れば使い勝手が上がるのだが、どうやったらいいのだろう?
「お名前どうしよう?」
当然そうなる。
「すの次だからセーちゃんはどうかな?」
「セーちゃん?」
安易であったがマスターは喜んでくれた。
「セーちゃん、マーちゃんだよ」
と言って貝をあげている。
分身は体をくねらせてそれをもらい、喜びに打ち震えていた。
もっとも、体自体はオリジナルがあっちで、俺は分身の方に意識を移している。
色で個体を固定するとその辺りが無茶苦茶になるのか?
7色に光るLEDのように出来れば、俺の意識がある個体は赤にするとか、便利な使い分けが出来るのだな。
植物の色素を取り入れるとか、そういう方面から考えてみよう。




