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避難行動

 「ヤバい!」


 熊に出会ったら死んだ振りをしろという。

 生きた獲物しか食べないと思われていたからだが、実際の熊は死肉も漁るので無意味だ。

 そして、熊が砂浜に現れたのは岸に打ち上げられた魚などを探しに、つまり食事に来たのだと考えられる。

 そんな熊の前に、砂浜に横たわっている、とても可愛らしい少女。 


 「マスターの命がヤバい!」


 熊は獲物を探しているのか、あちこちに顔を向けながら歩いている。

 このまま歩いてくればマスターを発見するのは確実に思えた。


 「どうする?!」


 熊と視線がぶつかったら後ろを振り向いて走り出す事はせず、睨み合ったまま後ずされという。

 後ろを振り向いてしまうと本能的に追いかけられるからだそうだ。

 気づかれていない今、静かに退散するのが正しい。

 俺はマスターの体の下に潜り込み、持ち上げた。

 このまま逃げようと思ったからだ。


 「遅ぇぇぇ!」


 体は大きくなったがその歩みは相変わらず遅い。

 これではとてもではないが、熊に気づかれる事なく逃げられる筈がないだろう。


 「逃げられないなら隠れるまでだ!」


 俺は戦略を変更し、隠れて熊をやり過ごす事にした。

 再びマスターの体の上にへばりつき、全身を覆う。


 「これで砂を掛ければカモフラージュの完成だ!」


 手で砂をすくい、体の上に満遍なく振りかける。

 傍目には小さな砂山にしか見えないだろう。

 熊の目は余り良くないそうなので、至近距離まで近寄られなければ大丈夫な筈だ。

 嗅覚の鋭い熊だが、俺が全身を覆っているのでマスターの匂いもしない筈。

 水の中にいると砂が流れるので、覆いかぶさったままマスターの体を移動させる。

 横たわるマスターを抱きかかえるようにして持ち上げ、ノロノロと砂浜を移動した。

 マスターの呼吸を妨げないよう、顔の部分だけは空間を確保してある。


 「遅いから逆に気づかれにくいだろう」


 急な動きは目立ってしまう。

 俺の足の遅さが幸いした。

 カタツムリが進むような速さで熊から遠ざかる方向、岩の多い方へと逃げた。

 着替えが入っている荷物は後で回収するしかあるまい。

 今はマスターの安全こそが最優先だ。


 「って熊が早ぇぇぇ!」


 どこまで離れたかと思い、そっと後ろを確認した所、すぐそこまで熊が迫っていた。

 その息遣いまでもはっきり聞こえる距離だ。

 それは俺達が見つかったからというよりは、普通に歩いているのに追いついただけに見える。

 俺の足が遅いのか、熊の足が速いのかは判断がつかない。


 「ここで動くと不味い。じっとしてやり過ごそう」


 熊の目の前で動き、興味を持たれたら宜しくない。

 俺は動くのを止め、熊が歩き去るのを待った。


 「どうか気づきませんように……」


 心の中で必死に祈る。

 しかし現実は無情だった。

 熊は何かに気づいたのか、その鼻をヒクヒクさせ始めた。

 マスターの匂いを隠しきれなかったかのかもしれない。

 熊の特殊能力といったモノが、何かあるのかもしれない。

 不味い状況だった。


 熊は地面の臭いを熱心に嗅いでいる。

 その場所は俺が歩いて出来た跡だった。

 そして当然、臭いを嗅ぎながら俺に向かって近寄って来る。

 非常に、非常に不味い。

 

 一瞬、戦う事を考えた。

 マスターから離れ、熊の顔にへばりついてその息を止めてしまえばいいと思った。

 しかしすぐにその案を否定する。

 息が出来なくなって苦しくて暴れ、万が一にもマスターに危害が及んでは取り返しがつかない。

 離れていれば大丈夫かもしれないが、この至近距離では何が起こるか分からないだろう。


 「大声でビックリさせればいい!」


 妙案を思いついた。

 静かな砂浜で突然、耳元で絶叫されれば誰でもギョッとする筈だ。

 本能的に逃げ出すかもしれないと考えた。


 「しかし、息を吸えるのか?」


 海水を大量に吸い込んだので、空気を取り込む余裕があるのかと心配した。

 吐き出せばいいのかもしれないが、体の大きさを保つ為にも水を捨てる訳にはいかない。

 元の大きさに戻ればマスターを隠す事が出来なくなるからだ。

 とはいえ何事もやってみないと始まらない。

 試しに空気を吸い込んでみる。


 「余裕だな」


 呆気なく空気を吸い込めた。


 「と言うか、水を吸収しちゃってる?」


 腹の中には空気しか入っていないように思われた。

 あれ程入っていた水が残っていないのだ。

 

 「つまり水を吸ったら大きくなるという事か……」


 思わぬ事実が判明した。

 もしかしたらこれまでも、食事の度にその分だけ大きくなっていたのかもしれない。

 活動してエネルギーと水分を消費し、元に戻っていただけだったのだろう。


 「そんな事よりも今は熊だ!」


 俺はめい一杯空気を吸い込んだ。

 これまでの比ではないくらいに体が膨張する。

 そしてありったけの思いを込めて叫んだ。


 「消えろよぉぉぉ!」


 耳元で突然に大絶叫が響き、熊はビクッと飛び上がって驚いた。

 一目散に来た方向へと逃げていく。


 「良かった……」


 作戦が成功して俺はホッとした。

 しかし、この場所が依然として危険な事に変わりはない。

 安全な場所を求めて移動を再開した。


 歩き続けるうちに岩が増え始め、完全な岩場へと変わる。

 岩場ならば熊も歩きにくいから、敢えて近寄っては来ないだろう。

 磯はマスターの食べ物を考えても都合がいい。

 調達出来る物は多い筈だ。

 波が打ち寄せず、雨風を防げる場所がベストだが、比較的平らになった場所に具合の良い岩の陰を見つけた。

 

 「ここにしよう」


 俺はそこを基地と定め、足を止めた。

 足を止めた事でようやく気づく。


 「マスターが震えてる?!」


 熱を出した時のように全身をブルブルと震わせていた。


 「体が冷え切ってるじゃねぇか!」

 

 海に浸かり、冷たい俺の体に長い間包まれていたからだろう。

 氷のように体が冷え切っていた。 


 「早く火をおこさないと!」


 服を乾燥させる為にも必要だ。

 

 「ってまきも火打石もねぇし!」


 燃やす木も、火を点ける為の道具もない。

 海岸に行けば流木は見つかるだろうし、海に沈んだ荷物の中に火打石はある。

 

 「ってそんな時間はねぇだろ!」


 事態は緊急を要する。

 早く何とかしないといけなかった。


 「俺の体は冷たいから息を吹きかけても仕方がないし……」


 寒い冬の朝、かじかんだ手にハァ~っと白い息を吹きかけて温める、小学生の制服を着たマスターの姿が思い浮かんだ。

 しかしそれは、人間の体温が36度くらいあるから出来る事だ。

 俺の体はそうではないので、息を吹きかけてマスターを温める事は出来ない。

 記憶の中に、かじかんだ手を温める方法がもう一つあった。


 「手をこすり合わせて摩擦熱を生じさせればいい!」


 俺はマスターを慎重に岩の上に横たえた。

 次に俺の体に両手を生やし、それぞれをピッタリと密着させてこすり始める。

 

 「温かいぞ!」


 こすり合わせると確かに熱を感じた。

 これでマスターを温められる。


 「駄目だ! すぐに冷えちまう!」


 圧力を加えてこすれば熱いくらいだし、その手でマスターを触れば一瞬は温められるのだが、いかんせんそれでは効率が悪すぎた。

 手を離した途端に冷えていくし、なにより両手だけでは少な過ぎる。

 マスターの全身を温めるには全く足りなかった。


 「手では無駄が多い! 体中に小さなひだを作るイメージで、その襞同士がこすれあって熱を発生させる感じだ!」


 指パッチンでも熱を持つ。

 体中から指が生え、全てが指パッチンをし続けていると思えば分かり易いかもしれない。

 

 「良し! 体全体が温かくなった!」


 目論見は成功し、全身が熱い。

 電気毛布のようにマスターを包んだ。

 

 「良し! マスターの震えが止まったぞ!」


 暫くして体の震えは治まった。

 これで一安心だ。


 「おみず……」


 消え入るようなマスターの声がした。


 「マスター?!」


 意識が戻ったのかと嬉しくなり、尋ねた。

 しかしそうではなく、寝言を言っただけのようだった。

 喉が渇いて無意識に言ったのだろう。


 「水をどうする?」


 飲み水の入った革の袋は、砂浜に置いてきたリュックと共にある。

 それを取りに戻れば水は手に入るが、ここにマスターを一人で置いていく訳にはいかない。

 

 「と言って、一緒に戻るのもナシだ!」


 先ほどの熊に出会うかもしれないし、別のヤバい生き物が現れるかもしれない。

 敢えてマスターを危険に晒す事は出来なかった。


 「どうする?」


 良い方法が思いつかない。

 忍者漫画によくある、分身の術が使えれば助かるのだが。


 「俺がもう一人いれば……」


 そう強く思った。

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