始まり
まったり進行です。
宜しくお願いします。
「あんのクソがぁぁぁ!」
怒りに任せて俺は吼えた。
残業をして設備の調整をしていたのだが、土壇場になって余計なヤツがしゃしゃり出て、全てが無駄になってしまったのだ。
大して知りもしないのに自信満々な顔で手を挙げ、俺が止めるのも聞かずに安易に動かし、案の定オシャカにしてくれた。
謝るかと思えば散々に言い訳を繰り返し、挙句の果てに止めようとした俺が悪いと言い出し、予定があるからと逃げ出すように帰る始末。
俺は呆然として怒るのも忘れ、ヤツの背中を見送る事しか出来なかった。
ハッと我に返った時にはもう遅い。
明日までにはやっておかねばならない為、一からやり直す羽目となってしまった。
深夜までかかり、どうにか終える事が出来た。
体は疲れていたが腹の虫は治まらない。
余計な事をしやがってという怒りが頭の中を駆け巡っていた。
そんな風にカッカとして冷静ではいなかったからだろう。
アッと思った時には階段から足を踏み外し、体のバランスを崩して歩道橋の上から転げ落ちた。
投げ出されたように歩道に這いつくばり、襲ってきた激痛に顔をしかめる。
俺は声にならない悲鳴を上げた。
時刻が時刻なので通行人はいない。
心配して誰かが駆け寄ってくれる訳でも、スマホで救急車に通報してくれるでもなかった。
仰向けに寝転がり、ウンウンと呻く。
大声を出せば近隣の住民が気付いてくれるだろうか。
しかし、そんな余裕はなく、体中の骨を折られたような痛みに打ち震えていた。
どれくらいの間、そうやって悶えていただろう。
俺は意を決し、救急車を呼ぶために電話を取ろうと右腕を動かした。
その途端に痛みがぶり返す。
唇を噛みしめて耐え、決死の思いで上着のポケットに手をやった。
いつもそこに入れてあるのだ。
しかし、どれだけポケットをまさぐっても見つからない。
「クソ……。落ちた、のか?」
転がった拍子にポケットから飛び出したのかもしれない。
息をするだけでも痛みが襲ってくるようだったが、我慢して首を傾げ、スマホを探した。
左、右と視線を動かす。
「あった……」
右目の端にスマホを見つけた。
しかし手を伸ばして届く距離ではない。
覚悟を決めて深呼吸をし、息を止めてソロソロと上体を起こした。
「ぐおっ?!」
想像以上の激痛が襲い、立ち上がろうとする意志が砕けそうになる。
「ふざけんなぁぁぁ!」
こんな事になった発端を思い出し、怒りで弱気を抑え込み、僅かに残った体力を振り絞ってどうにか立つ。
左腕は痺れ、力が全く入らないので、骨が折れているのかもしれない。
左足も酷く痛む。
足を引きずるようにし、スマホを拾おうと進んだ。
しかし、痛みで頭が朦朧としていたのだろう。
スマホが落ちているのが車道の上だとは気づきもしなかった。
よろけるように道路に飛び出した俺を、ハイビームの光が明るく照らしている事など思いもよらない。
急ブレーキの音が響き、衝撃が体を駆け抜け、俺は意識を失った。
気づいた時には闇の中にいた。
新月の夜に山で一夜を過ごした事があるが、そんなモノとは比較にならない暗さである。
余りに暗すぎて、自分の体の状態も、寝ているのか起きているのかすら分からない程だった。
体を動かそうにも身動きが取れない。
(寒い…)
幸いな事に、全身を貫く燃えるような激しい痛みは感じなかったが、凍えるような寒さと頭の芯に響く鈍い痛みがあった。
(ここはどこだ?)
まるで想像がつかない。
(誰かいないのか!)
思い切り叫んだが返事はない。
病院かと思い、ナースコールを押そうとボタンを探す。
しかし、腕すらも動かなかった。
というより、動く動かないの段階ではない。
(腕の感覚がねぇよ!)
いくら骨が折れていたとしても、指すらも動かせない事があろうか。
それに右腕は問題なかった筈だが、左手同様、指までもなくなってしまったように何も感じない。
何か恐ろしい事が俺の身に降りかかったような気がした。
(足も同じだし!)
足にも感覚が一切なかった。
(もしかして脊椎を損傷したのか?)
背骨が折れ、全身が不随となってしまったのだろうか?
命には換えられないが、どうしようもない絶望感が広がった。
(頼むから誰か教えてくれよ!)
何より孤独感があった。
この世界に自分一人しか存在しない、そんな感覚があった。
(誰か!)
俺は叫んでいた。
(誰も来ねぇ……)
どれだけ待っても同じだった。
誰一人訪れる事はなく、いつまでも闇のままだった。
試しに羊の数を数えてみたが、兆の桁まで行った所で恐ろしくなって止めた。
(何でなんだよ……)
どうして誰もいないのか、それが分からない。
眠気すら感じる事なく、延々と数を数えられるのも不思議だった。
永遠とも思える時間の中、皮肉にも鈍痛だけが生きている証に思えた。
更に時間が経ち、俺は大変な事に気づいてしまった。
(俺って息してる?)
それはふとした拍子に分かった事だった。
考え事をしていたのだが、静寂の中にいれば耳に入ってくる吐息が全くしない。
深呼吸も出来ないのだ。
(というか、心臓も動いてなくね?)
耳をすませば感じる筈の鼓動もない。
(声も出てなくね?)
呼吸をしていないのだから、声も出せないのだろう。
(俺って生きているのか?)
それが疑問だった。