2話 『入学式は?』
「似合ってるぅ。可愛いよ~。ひっく、うぃ~」
俺の言葉ではない。
さっきと言葉変わってるじゃねーか、という正しいツッコミは甘んじて受け入れよう。
発言元の正体は、背後から歩み寄ってきた酒の匂いを漂わせたLV.50(歳)くらいのおっさんだ。おっさんはそのまま俺たちを追い抜き、前に立ちはだかった。
はぁ、溜め息も出るってもんだ。新学期初日からロクでもないヤツに絡まれた……栗花落さんが、ね。
通常の登校時間帯ならばこんな輩に遭遇することもないのだろうが、まだ七時前だ。頭にネクタイを巻いたモンスターが出現してもおかしくはない……実際巻いてはいないが。
とりあえず、栗花落さんを俺の後ろに移動させる。
「おねぇちゃん、かわいいねぇ。おじさんといいことしない?」
「俺とですか?」
「おまえじゃねぇよ!! にいちゃんはお家に帰りな。ハァハァ」
「いやむしろ、今から行くとこなんですけど?」
「ゴチャゴチャうるせーなぁ!! ハァハァ」
大丈夫ですか? 呼吸荒いですよ。
「ゴチャゴチャってまだ二言しかしゃべってねーよ」
「なんだぁとぉぉぉ、コラァ!!!」
両手で胸ぐらを掴まれ、おっさんの鼻息をダイレクトにくらう。
ヤベ。どうしたものかな? と考えていたら、心の声と放つ台詞が逆になってしまうベタベタなことをしてしまった。
……でも、おかげでいいこと思い出した。ピンチになると頭って冴えるもんだな。
「――だっ、大丈夫? 天羽くん!」
「大丈夫。俺を置いて先に行け。後で必ず追いつくから」
……決まった。ついでに、決め顔もしておこう。
まさか朝聞いた台詞が……。ありがとう、哀。
「えっ……あっ! わかった!」
栗花落さんはためらうこともなく、一目散に逃げて行った。こちらを振り返ることもなく、全速力で走っていった。おっさんが抑止の声を上げる暇もなく、去っていった。
「……」
「……」
……静寂。
胸ぐらを掴まれた男子高校生と、胸ぐらを掴むおっさんが見つめ合う姿がそこにはあった。
「……おうおう、振る舞いもカッコいいねー。にいちゃんよぉー!!」
沈黙に気まずさを覚えたのか、おっさんが声を張り上げる。
栗花落さんがいなくなった今、このおっさん目的見失っているだろ……。
「あっれ~? こういう場面って初体験なんだけど、『あなたを置いてなんていけない』『いや……行けぇ!!』って展開になるんじゃないの? ねぇおじさん、どう思います?」
「なっ、何がだよ?」
「今の展開おかしくないですか?」
「……うっ、うん。確かにもうちょっと押し問答あってもよかったかも……そんなこと今はいいんだよぉ!」
「ですよね~」
再び、静寂。
そろそろ放してくれないかい、おっさん。
……。
……。
……。
……。
「『ですよね~』じゃない! 何なごんでるの!?」
「あっ、もう帰ってきたんだ」
振り返ると、何人か大人の男性を引き連れた栗花落さんがカムバックしていた。
お早いお帰りで。
「そやつをひっ捕らえなさい!」
「天羽くん何様なの、もう……。久しぶりにこんなに走ったよ……」
栗花落さんは膝に手をつき、肩で息をしている。
道路の角を曲がったところに結構人がいて、すぐに連れてくることが出来たそうだ。
「俺はホントに何もしてない! まだ何もしてない! 離せぇ! 離せぇ!!」
「君たち、コイツを警察に突き出すかい?」
「離せぇ! 離せぇ!!」
おっさんが栗花落さんの連れてきたおっさんたちに押さえつけられている。テレビではこんなシーンも見たことはあったが、リアルに拝む日がくるとは。
おっさんの抵抗を数人のおっさんが征し、おっさんの腕を後ろにし、そしてもう一人のおっさんが……おっさんばっかじゃねーか。
それに、このおっさん……
「警察に引き渡しといてもらっていいですか? この人、痴漢です。胸を触ったので」
「そんなことしてねぇだろぉぉぉ!! 汚ねーぞ! にいちゃん!!」
汚ねーのはテメェだ、ゴミクズが。いい年して朝から女子高生に話しかけてんじゃねー。それはもう犯罪だ。俺の中では痴漢だ、今日決めた。
……でも確かに触っただろ、俺の胸ぐらを。
「えっわたしどこも触ら――」
「――この子怯えているので、あとは任せてもよろしいでしょうか? 世間的なこともあるので、被害者の個人情報は明かさない方向でお願いいたします」
「分かった。痴漢被害があったことだけ警察に伝えておく。君たちはもう行きなさい」
「ありがとうございます」
「えっ、えっ、天羽くん――」
おどおどしている栗花落さんの腕を取り、小走りでその場を離れる。
おっさんの「覚えとけぇ!」といかにもゴミクズが言いそうな叫びを背中に受けながら、そそくさと学校へと向かった。
…………もう学校の近くまで来ていた。
新学期初日にいきなり面倒事に巻き込まれるとか……主人公か。
「ほんとにあれでよかったの?」
栗花落さんは心配そうに尋ねてくる。
「ん~、大丈夫だろ……」
気がかりといえば、制服を着ていたことだ。おっさんの前では栗花落さんの名前を呼ばないなど、個人情報を極力出さないよう気をつけてはいたが、制服はどうしようもない。
後々何も無ければいいが……
あとついでに、おっさん冤罪ごめんね(笑)
「ありがとね、天羽くん」
「俺何もしてないけど?」
「守ってくれたじゃない?」
「どういたしまして。栗花落さんもお疲れ様」
「どういたしまして。……へへっ、でもまさかあんな会話がこんなところで役に立つとは世の中分からないもんだね~」
「ホントだよ……」
ピコピコピコピコ。
勇者「俺を置いて先に行け。後で必ず追いつくから」
ヒロイン「あなたを置いてなんていけない」
勇者「いや……行けぇ!!」
「もぉ~天羽くん、ここでゲームしたらだめだよ!」
「勇者が言う『俺を置いて先に行け。後で必ず追いつくから』って本音は、『俺を置いて先に行け(そのかわり助けを連れてきてね。絶対だよ。ホント頼むよ)。後で必ず追いつくから(もし助け呼んでこなかったら、死んだ後で君に憑りつくからね)』だと思わない?」
「勇者そんなひねくれていないと思うけど……」
「いや、勇者もこの台詞言った後決め顔してる風だけど、実際は言った意味伝わってるよね? ね? って何回か後ろチラ見してるからね」
「してないよ! 多分それ、もう勇者じゃないと思う」
「俺が勇者だったら、チラ見どころか横に行ってガン見するね」
「……それもう、助け呼んできてね? でよくない?」
「いや、勇者もカッコいいから言ってみたいんだよ。もしかしたらこの台詞、昨日の晩に徹夜で考えた渾身の一言かもしれないよ? ハチマキを頭に巻いて机に向かって必死に考えたんだよ」
「勇者は、昨日の晩はタオルを頭に巻いて剣の素振りしてると思う」
「俺がこの台詞言ったら栗花落さん、助けてね?」
「いつ使うことあるの、それ?」
「もしかして登校中に変なおっさんに絡まれるかもしれないよ? ……栗花落さんが、ね」
「わっ、わたし!?」
「俺が襲われる可能性より栗花落さんの方が現実的に高いでしょ? そのときに使用する」
「はいはい。助けを呼んであげるね」
「そして俺は助かった後に、『俺何もしてないけど?』と言います」
「なんの宣言?」
「めちゃめちゃ頑張ったのに澄ました顔でこの台詞を言うまでが、勇者セット」
「製作者側もそんなセット販売したつもりないと思うけど……」
思い出す、去年の忘却していた記憶。
朝の台詞がなかったら、こんないつしたかも分からないどうでもいい会話に結びつけることは決して出来なかっただろう。ありがとう、哀。お前のおかげで思い出したよ。
でも、備えあれば憂いなし。今、すごい身に染みる。
「あっ!」
「――どした? いきなり」
栗花落さんがいきなり声を上げる。何事かと思ったが、その視線の先を見て納得した。
ここまでくると、案外ミラクルなんじゃね?
「この人、さっきの!」
そこには、電柱に貼られた薄汚れたポスターがあった。容疑者が三人描かれている中に、先ほどのおっさんの顔がある。市内で女子高生に痴漢行為を複数回、この顔にピンときたら110番。
いつもなら気にも留めない手配書も、今なら自然と目に入る。
フハハハ、やっぱりな。これなら叩けばほこりが出るだろう、ゴミクズ。「まだ何もしてない」は失言だったな。
今日の俺は、本当に勇者だったのかもしれない。