1話 『入学式』
『天羽蓮』
『―――』
『―――――――――』
『――――』
『――』
『―――』
人生とは、クラ〇ドである。あっ、間違……コホン。人生とは、自分が主人公の物語である。
自分の頭で考え、自分の手足で行動し、自分の眼で見極め、自分の意思で決断し、未来を選択する。
物語に色をつけるのは誰でもない、自分なのだから。
人生という名の、この物語におけるクレジット順。二番手つまりメインヒロインは……
――ピーピーピーピーピーピー。
一定間隔で刻まれる、耳障りの良くない音。
自分でセットしておいてなんだが、うるせー。ちゃんと聞こえている。それでも今はまだいい。
あと数秒間放置しようものならば、その音は激しい嵐へと豹変する。
――ビビビビビビビビビィィィ!
「んー……」
ほらね。案の定、嵐が吹き荒れた。
頭上に置いてある目覚まし時計に手を伸ばし、スイッチをオフに切り替える。
4月8日、6:30。
ねむ……。男性特有の謎のあまり寝ていない自慢ではないが、あまり寝ていない。
さっきのは……
「……夢か? ん~」
目一杯伸びをし、まだ眠気の残る体を覚ます。
それにしても俺が夢を見るとはな……
「夢じゃないわよ」
「――うぉっ、起きてたのかよ。 ……夢じゃないって?」
「人生とは――――」
「お前が言ってたのかよ。てことは、最初間違えたのはお前か。俺はエア〇派だ」
人生とは自分が主人公の物語、とかなんとか言ってたな。なんだよ、その恥ずかしい厨二臭い台詞は。
「クレジット順。二番手つまりメインヒロインは天羽哀である。これで以上よ」
「何が以上よ、だ。お前の思考が異常よ、だ」
布団を首までしっかり掛けて隣で寝ているコイツは、二つ下の妹の天羽哀。
基本あまり表情を変えることなく、涼しい顔をしてやがる。兄としては、もう少し愛嬌がある妹の方が世渡りする上で見ていて安心なのだが。
「蓮はもう起きるの? 私と寝ないのかしら?」
「誤解を招く言い方をするな。今日は早めに学校行かないといけない」
「新しいクラスに早く行ったとしても、ぼっちに友達は出来ないわよ」
「そんな悲しいことしねーよ。しかも何故俺がぼっちだと知っている?」
「蓮が人生でぼっちでなかったことなどあったかしら?」
「あるわ。ちょーあるわ。100人のっても大丈夫だわ」
「……それは友達100人の歌のことを言いたいのかしら? そういえば、あの歌って何気におかしいわよね? 友達100人いるはずなのに富士山の上でおにぎりを100人で食べたいな、ってなっているのよ。本当は本人含め101人いないといけないというのに……。ということは、本人の代わりにハブられた子が……」
「朝からホラー話をしてくるな。鳥肌出てきたわ」
「そのハブられた子が蓮だった、というまでがオチよ」
「それはヒドくね? 涙出てきたわ」
「実話なのだから仕方がないわね」
「俺にそんな過去は……」
「zzz」
「話終えたからって気持ちよく寝るな」
本日、俺が通う私立皇来学園の入学式である。そして入学生が只今隣で寝ている哀である。
何故哀が隣に寝ているのかというと、妹がお兄ちゃんの部屋に夜中忍び込んできたみたいな可愛らしいラブコメな理由は用意されていない。
ただただ、アパートが狭いのだ。五人家族で、兄妹個別に分けて使えるほど部屋数はない。しかも一部屋六畳ほどなので、必然的に隣に妹が寝ている偽ラブコメ状態が完成するというわけだ。部屋をこれ以上狭くしないため、ベットではなく互いの布団を並べて使用している。
だから、隣というより横という表現の方が正しいかもしれない。
「俺はもう起きて出るけど、哀はどうする?」
「私を置いて先に行きなさい……後で必ず追いつーzzz」
「なんで勇者風なんだよ。てか、もう寝てんじゃねーか。まぁいいけどよ」
自分の布団を半分に折り畳み、すばやく支度を済ませることとする。
カッターシャツにネクタイ、そしてブレザーの順に羽織っていく。ズボンを履き、右手首に腕時計をつけながら、洗面台に移動する。左指をプルプルさせながらコンタクトを装着し、最後に歯磨きをする。これでよしっ……とはいかないみたいだ。
我の漆黒に染まった黒髪が言うことを聞いてくれない。霧吹き型の寝癖直しウォーターを何度振りかけても全然直らねー。
そういえば、あれ? 昨日まで寝癖直しウォーター、残り少なかったような……。でも今、中身は並々ある。ラベルの剥がれ具合を見ても、新品ではなさそうだ。
まぁ、多少寝癖がついているが自然と直るだろう。
たいがい起きてから十分以内には家を出る。それが俺流である。
「じゃあ行ってくる」
「んっ……」
哀の頭を軽く握った左手で優しくこずき、先に出て行くことを伝える。少し反応はしたようが、また眠りの中に戻っていった。
「おはよう、天羽くん」
学生が登校するにはまだ早い時間にも関わらず声をかけてきたのは、栗花落恵さんだ。
「春休み終わっちゃったね。もうお互い高校三年生だよ。クラス替えだよ」
「あぁ、そうだね」
「なんか眠そうだね」
「そうだね……」
「今度は天羽くんと一緒のクラスになれればいいね」
「……そうだね」
栗花落さんは明るくて優しいので、男女共に人気が高い。特に男子はこういう何気ない台詞で、もしかしてオレのこと好きかもと勘違いするのだろう。
それに……というか、単純に容姿が良いから人気があると言った方が正しいのか。
決して派手な顔立ちではないが、個人的にぷっくりとした涙袋と、瞳が茶色がかっているのがポイント高い原因なのだと勝手に思っている。
人はそれを全て、優しいから好きという都合のいい言葉で誤魔化すのだろう。内面を重視しただけ、と言わんとばかりに。
こんな俺の思考は間違っているのだろうか? おかしいのだろうか……
「……天羽くん、頭おかしいよ?」
「朝っぱらからいきなりヒドくね? 優しさどこいった?」
「ん? 何を言ってるの? 寝癖、ついてるよ」
「あぁ……そゆことね」
俺の左側を歩く栗花落さんの手が自然にスッと俺の頭に伸びてくる。その手で撫でるよう、寝癖を直してくれる。
……近い。
寝癖を直すために体を寄せてきたので、栗花落さんの匂いがダイレクトに伝わってくる。栗花落さんの匂いというか、ただのシャンプーの匂いだろうけど。レモンっぽい柑橘系の香りがする……。
クンカクンカ……。
「なかなか直んないね……って天羽くん、なんか匂い嗅いでない?」
「栗花落さんの体臭を味わってただけ」
「えっ!? わたし臭う?」
栗花落さんは自分の腕を鼻に近づけて、自身の匂いをチェックしている。
普通の女子ならキモいんですけどって言うところだと思うが、栗花落さん大丈夫か……? 心配になってくるよ。
でも、他人の非じゃなくまず自分の非を疑うところに好感が持てる。こういうところを人は優しさと呼ぶのだろう。
「天羽くん、キモいんですけど……」
うん、それは言うのね……。栗花落さんも女子高生だもんね……。
「他の子にそんなこと言っちゃだめだよ、も~う」
栗花落さんは軽く頬にえくぼを浮かべながら、注意してくる。
「はいはい」
助言を淡々と受け流したが、俺に話しかける女子生徒など栗花落さんしかいないのが悲しいところである。
笑うと頬に見えるえくぼも、栗花落さんの魅力の一端なのかもしれない。髪形も誰かさんと違い、流行を捉えたりしているのだろう。
「どうしたの? わたしの顔じっと見て? えっ、もしかして気づいた!?」
栗花落さんは嬉しそうにそう問いかけてくる。
一通り頭から足の先まで見たが、俺には何も変わっていないように見える。人間たった二週間程度の春休みで変われるはずもないだろうに。
こういう時は、髪切った? が無難か。いやもしかして、ひっかけの変化球で……
「何も変わっていないとか?」
「……ねぇ天羽くん、それなら聞く意味あると思う?」
「そりゃそうだね。わっ、分かった分かった。真剣に考えます」
このように機嫌を損ねる可能性があるので、女子のこの手の質問には注意が必要だ……と偉そうに言ってみたいが、俺に話しかける女子生徒など栗花落さんしかいないのが悲しいところであるパート2。
「髪切った?」
「切っていないよ。前からショートボブ」
「メイク変えた?」
「メイクしてないよ。校則違反だよ」
「服いい感じだね」
「制服だよ!」
「スカート丈短いね」
「これで短いなら学校にヤンキーしかいないよ!」
「目、二重に整形した?」
「してないよ! もともと二重だよ!!」
膝を隠したスカートを翻し、クリクリお目目の栗花落さんに背中をはたかれる。
ふぅ~……。無難な答えは使い切ってしまった。ホントに無難か? という疑問はこの際置いておこう。
もしかして外見的特徴ではないのか? いや、一つ見~っけ。緑から濃厚な青、濃紺に変わっている。歩くごとにかすかに揺れるその、
「ネクタイ変えた?」
「そら進級したからね。そういうことじゃなくて!」
え? 違うの?
やはり外見的特徴ではないのか? ならば……
「彼氏出来たとか?」
「いないよ!!!」
そんな全力で否定しなくても……。
本当は最初からこれが正解かと睨んでいたが、俺の予想は外れだったか。
「女子高生はひと夏でガラッと変わるって聞いたことあったんだけどな……」
「今、めちゃめちゃ春だけどね」
そういや、遊歩道の脇に凛と立つ桜の木にはもう、桃色の花が爛漫と咲き誇っている。下に落ちている花びら一枚一枚さえもが、幻想的なこの空間を作り出す歯車となっている……。
なんて、俺はそんなロマンチストではない。風情などに一ミクロンも魅了されないタイプの人間だ。
花びらを靴底に張り付けて歩みを進める。
寝癖と眠気がこびりつく頭の範囲内で、あと何個か栗花落さんの変わったであろうところとやらを提示したが、全て的外れのようだった。
「ごめん、全然分かんない。降参。正解はなんだったの?」
「それは……」
「それは?」
「それは、ヘアピン変えたの」
「……ヘー、ニアッテルネ……」
……そもそも前のヘアピンが分からないのだが。それ以前に、栗花落さんってヘアピンなんかしてたっけ?
男はこれを口に出したらいけないんだろうなぁ。
「なんで棒読みなの?」
「コホン。えー、ちょーカワイイ。ホント可愛い。すごくかわいい。なんていうか……カワイイ」
「女子高生かっ!」
いや、リアル女子高生がそのツッコミはどうかと思うけど。
でも最近の女子高生のボキャブラリーの貧困さは、目を見張るものがなさすぎて逆に目を見張るものがある。
「かわいいと思ったんだけどなぁ……」
栗花落さんは髪の左サイドに付けている黄色のヘアピンを触りながら、ぼそっと呟いた。
ここで「可愛いよ」とサラッと言えれば良いのだろうが、言えない。いや、言わない。
だって、可愛いを簡単に発せるヤツには男女問わずロクなヤツがいない。そう思わないか?
「似合ってる。可愛いよ」
……ほら、ホントロクなヤツがいない。