27話 『そんなこと裏のまた裏話でしょう?』
栗花落さんのことに対し無関心でいられない俺は、栗花落さんのことが……なのだろうか?
ガチャガチャ。解錠~。
「ただいま……はい、中に誰もいませんよっと」
家に帰ると、人の気配はなかった。我が家では当然といえば当然だ。
まだ平日の昼前である。この時間に家にいたら、自宅警備員の称号を授与されることになるだろう。平和の象徴だけどね。
俺は今日、学校を早退した。早退だ。
だって学校には一応行ったもんということではなく、早退扱いになったということだ。出席日数は稼いでおいて損はない。
教室には一度も顔を出していないが、体調が優れないという理由付けで早退扱いにしてもらった。
栗花落さんにそう言っといて、と頼めばこれくらいは余裕なのである。
教師を手玉に取れるほどの栗花落さんの人徳がなせるワザだけどね。
今日はさすがに早退する方が無難であろう。
「腹減った」
たいがい起きてから十分以内には家を出てしまうので、朝食をとる生活スタイルではない。だからいつもこれくらいの昼前の時間には、少年漫画の書き出しばりに腹減ったと言うのである。
学生の朝に、食欲ごときが睡眠欲に勝るはずがない。布団の中でのあと五分は、人生の中でのあと五分と同じくらい重要な時間だ……多分。
ブレザーを椅子の背もたれにかけ、鞄から母さんが作ってくれた本来学校で食べるはずの弁当を食卓に取り出し、いただくことにする。
家で食べるならこの食べ物たち、弁当箱という檻に閉じ込められている意味ないよな……
モグモグ。モギュモギュ。モミモミ。
口の左側を使うと痛いので、右の歯を酷使せざるを得ない。自然と顔が右に傾く。
――バァン!
「――ん!?」
愛妻弁当ならぬ愛母弁当を食している最中、もっと詳しく言うと三つ目の卵焼きをほおばっている最中、激しくドアが開き何者かが家に侵入してきた。
……まだ昼前だ。誰も帰ってくるはずはないし、しかも鍵閉めるの忘れてたし……さぁて、どうしましょう。
あの~強盗さん? ここアパートですよ? 家賃六万代ですよ?
「襲うか……」
「やっぱり……襲うのね……」
「やっぱりってなんだよ。お前を襲うことなど後にも先にも訪れはしない。それより、なんでお前も帰ってきてんだよ」
姿を現したのはもちろん強盗ではなく、妹の哀だった。
一年生も今日は六限まで授業があるはずなので、帰宅はまだまだのはずだが?
「き、奇遇ね、ハァハァハァ……。私も体調不良で今日は早退したのよ、ハァハァ……。まさか蓮も帰っているとは……思わなかった……ハァ……」
「体調不良のやつは普通、全力疾走で帰宅しねーから」
哀は肩で大きく息をしていた。
栗花落さんとは違う意味で、顔だけでなく耳まで真っ赤になっている。コイツが恥ずかしがることなどない。
そこまで全力で帰ってこなくても……。どんだけ家が恋しいんだよ。だから皆、授業は出ようね。
「どうしたの、その顔?」
「あぁ、コレ?」
息を整え俺の隣の椅子に腰かけ、冷静にそう聞いてくる。気になるのも当たり前か。
顔面に湿布薬を貼った状態のこの俺の姿を見て何も聞かない家族がいたのなら、それはただの家庭崩壊でしかない。
我が家は正常で良かったよ。まだ、哀だけだが。
まぁでも、本当のことを言う必要もないだろう。コイツにも心配をかけるワケにもいかないしな。
秋葉のおかげで一年の哀は俺の情報操作の有効範囲外なのだから、経緯を知られる可能性は極めて低い。ナイス、秋葉。グッジョブ、秋葉。
よって俺は、ただ転んだ。それでいこう。
「転んだ」
「いつ?」
「……朝」
「どこで?」
「……運動場」
やけにグイグイ聞いてくるな。コイツ……
「どのように?」
「ヘッドスライティングばりに」
「何故?」
「だるまさんが転んだをしてたから」
「誰が?」
「そりゃ俺が一人で」
「何を?」
「――お前、5W1Hコンプリートしたいだけだろ!」
「よく気づいたわね?」
「気づくわ、それくらい。後半二つとか質問する意味絶対ないからな」
どのように? の時点で、もうある程度確信持ってたわ。質問が淡泊かつ端的過ぎんだよ。今日の朝の授業で習いでもしたのか?
それより、俺が怪我してようが動じない妹可愛くない。
もっと、どうしたの!? 大丈夫!? 私が弁当食べさせてあげようか? くらい言ってほしいものである。
どうせ哀は俺が転んで怪我したくらいで詳しく聞いてこないだろうが、母さんに聞かれたとき用にシチュエーションをもっと詰めておかなければな、と思っていたのだが……
「転んだというのは嘘でしょう? 目を見れば分かるわ」
「そういう台詞はせめて俺の目を見て言え」
「蓮は目を見て話されるのとか嫌いでしょう?」
「まぁ、そうだけど」
哀もブレザーを自分の座っている椅子の背もたれにかけ、鞄から弁当を取り出している。
まったく兄妹揃ってどこで弁当食うんだよ……ということは些細なことで。
「本当のことを言いなさい」
「どうしたんだよ、哀? お前が俺にそんな興味津々なんて珍しい」
「そ、そ、そ、そんなコトないわよー。わ、わ、私は蓮にナンテ、きょ、きょ、興味ないんダカラねー」
「ヘタクソか」
二重人格者……じゃなくてツンデレは俺の方が技術は上のようだ。
そういえば俺はともかく、コイツはなんで家にいんだよ。今からバリバリ弁当食おうとしてる健康体にしか見えないんだけど。
「哀はなんで早く帰ってきたんだよ?」
「蓮、そんな転んだなんて見え透いた嘘が本気で通じると思っているのかしら? 私は今、頭がガンガンしているわ。だから全力疾走で帰ってきたのよ」
「その言い分、逆だから。全力疾走で帰ってきたから今、頭がガンガンしているだけだから。見え透いた嘘はお前の方だから」
「蓮の言い分も逆なのでしょう? 転んだから負傷したのではなく、負傷したから転んだのでしょう? いや、転んだことにしたのでしょう?」
四つ目の卵焼きを口の中に入れる。おいしいけども……
鋭い眼光の哀を横目に弁当を食べ進める。
お腹空いてるからというよりかは、弁当箱を食卓に出したまま開かずにこちらを睨みつけてくる妹に冷や汗が止まらないから、お兄ちゃん食べてます。
なんかバレてね……?
「私に嘘が通じると思っているのかしら? 本当のことを言いなさい。そう、栗花落先輩のために網走という輩に殴られ負傷したという本当のことを」
「本当も何も俺はただ転んだだけぇえぇ!? 本当のことがお前の口からもうこぼれ出ちゃってますけども!?」
「蓮がさっさと言わないからよ」
何故お前が知っている……? 最近てかここ数日、こんなことばかり思考している気がする。
どうなってそうなっているか、もうさすがに大体分かる。栗花落さんが連絡を入れたってとこだろう。
家が恋しかったのではなく、俺が恋しかったのね。まったく、可愛い妹。
「栗花落先輩から蓮が早退したと連絡をもらって……」
ほら、やっぱりね。
五つ目の卵焼きをいただく……ねぇ母さん、卵焼き入れ過ぎじゃね?
「何かあったのかと栗花落先輩にメールで聞いても、言葉を濁して詳しく教えてくれなかったから……」
さすが栗花落さん。そこらへんの女子高生の尻の軽さ……じゃなくて口の軽さとは大違い。俺の妹だろうがリークしないところに好感が持てる。
絶対、卵の賞味期限切れかけてただろ。弁当のおかず、八割卵焼きて。
「直接聞こうと思い蓮のクラスに行ったのだけれど、栗花落先輩には結局詳しく教えてもらえず……」
栗花落さんは俺と同じクラスだからね。
弁当のおかずの残り二割は、オムレツとポテトサラダ……
「秋葉とやらが何やら知っていたみたいだからしめ上げ……教えてもらったのよ」
――卵ぉ~! じゃなくて秋葉ぁ~!!
まさかの栗花落さん経由の秋葉。おい、秋葉。何してんだよ。
暗躍する大物感出しておきながら、めちゃくちゃ小物じゃねーか。口割るの早過ぎだろ。
というか、人の友達しめ上げてんじゃねー。ついでに、秋葉も先輩だから呼び捨てはやめようね。
「かくかくしかじか、色々あったんだよ」
「何がかくかくしこしこ、よ。真面目にしなさい」
不真面目な人がここにいます。
「哀は弁当食べねーのかよ?」
「食べるわよ……」
哀は手を合わせ、弁当箱を開く。
開かれた哀の弁当には卵焼きが……三つ。はい、適正量。しかも卵系統は他になし。
兄妹揃ってどこで弁当食うかは些細なことでも、兄妹間の弁当格差は些細なことじゃねー。
オムレツとポテトサラダでごまかそうとしたのかもしれないが、潰されたゆで卵のポテトサラダはともかく、オムレツは卵感まる出しだからね、母さん。
母さんが詐欺まがいの弁当作るから助けてください。これが本当の母さん助けて詐欺だよ。
「……蓮、弁当見つめてどうかしたのかしら?」
「いや、卵焼きが多いなと思っただけ」
「何を言っているのかしら? 蓮の弁当に残っているそれ、出し巻きよ」
「えっ? マジで? ……ホントだ」
母さんの細やかな優しさ。母の愛情を感じる……弁当のおかず、十割卵の事実は変わらないけどね。
……でも、弁当作ってくれてありがとう。
「……で、卵焼きが出し巻きだったってことがなんだって?」
「そんな話はしていないわ。ふざけているのかしら?」
「いや、ホントにしてたけどね。今、ついさっき」
「蓮の口からちゃんと聞かせなさい。……やっぱり弁当に卵焼きは三つくらいがちょうどいいわね」
秋葉がどこまで話したかは知らないが、別に絶対隠し通さなければならないものでもない。
どうせ哀が聞きたいことは、俺が何故怪我したのかということ……ではないだろう。
そんなことを聞きたがるミーハーな妹でないことくらい、俺が一番よく知っている。
言葉や仕草には出さないが心配してくれていることも、俺が一番よく知っている。
卵焼きは弁当に三つくらいがちょうどいいことも、俺が一番よく知っている。
「……分かったよ。話せばいいんだろ……」
睨みつけるほど真剣な目つきが哀の心情を感じさせる。
他人に対し無関心、我関せずの俺が誰かのために行動したということが、哀には不思議に見えるのだろう。
俺が栗花落さんのために一生懸命動いた事実に、違和感を感じているのだろう。
蓮が私以外の人のために……? と。
哀からそう思われていることに、なんの不思議も違和感もない。そう思われても仕方がない。
哀に近づく輩がいれば、今回のようにトータルで勝ち得たような勝利しかない。正々堂々守ってあげるカッコいい兄の姿など見せたことがない。
妹の前だからといっていい恰好をしたり、善人ヅラをした覚えは一度たりともない。
俺はそういう人間だ。今も、昔も。
哀だから行動する。哀だから動く。何故なら、妹という者に対し兄は無条件でいなければならないからだ。
栗花落さんは妹ではない。他人だ。
じゃあ、何故……? 俺の真意はどこにあると思う……?
「蓮、いつから……」
栗花落さんのことに対し無関心でいられない俺は、栗花落さんのことが『好き』なのだろうか?




