24話 『漆黒の炎に抱かれて消えろっ!』
「……網走、残念ながらお前は退学だ」
「ハッ、一発殴ったくらいで退学になるワケねぇだろ!?」
「本当にそう思うか? ずいぶん俺もナメられたものだな……」
俺の言葉を鼻で笑った網走を尻目に、口元を拭った血のついた手を倒れている机につき立ち上がる。
一応言ってやりたいが、皇来学園で暴力事件を起こした生徒は本当に退学なんだけどね。
これらの倒れた机や椅子をあとで片づけるのは誰だと思ってんだ……
「何言ってやがる? テメェは友達もいねぇぼっちだろ! 皆見て見ぬふりするだけだ。テメェが俺に殴られたと言っても、誰も相手にしねぇよ。教師にチクったところで、孤独なテメェとは違って山ほどいる俺の友達が、俺がそんなことするヤツじゃないって口を揃えて言えば終わりなんだよぉ! お前を殴ったことなんか問題にはならねぇよぉ! ハハハハハ」
「そうだな。俺が負傷していることなど誰も問題にしないかもな。俺はお前と違ってぼっちだからな。孤独だからな。別に優等生でもないどころか授業サボる生徒の言葉など教師も聞いちゃくれないかもな。それにお前は特に素行を問題視されているヤンキーでもないしな」
「そういうことだ。残念だったなぁ!」
「でも……あまり俺をナメるなよ?」
「はぁ!? ……どういうことだ?」
網走の怒りで寄っていた眉がピクリと動く。
思い出してもみろ。網走、何故お前は俺のいるここに来た? メールで俺が呼び出したからか? そうだけど、そうじゃないだろう。
「バ~カには分からないか?」
「――テッ、テメェェェ! もう一回いかれてぇぇか!!」
「――おっと、アブね」
殴りかかってきた手を払いのけ少し距離を取り、間を安全地帯に保つ。
そう何から何まで、くらってられるかってんだ。サッカー部所属のお前と生徒会所属の俺との差でも、来ると分かっていれば避けられないことはない。
俺がくらってやるのは一撃だけだ。だって、痛てーもん。一撃でも左頬、アザになるだろうな……あ~俺の顔が。すりすり。
「お前はここをどこだと思っている? ここは俺のテリトリーだぞ? そんな場所に呼び出しておいて何も仕掛けがないと本気で思うのか?」
「なんだと……?」
俺はわざとらしく目線を左右に数回動かす。
「テメェ……盗聴器か! 隠しカメラか! どこに仕掛けている!? 言えぇ!!」
「――おっと、アブねー! 俺に向かってくるんじゃなくて、探そうとしろよ……」
今度は掴みかかってきた手を間一髪で払いのける。
まさか今は来るとは思っていなかったので、本気で掴まれるところだった。もしブレザー破れるようなことになったら、母さんに怒られるわ。
それに高校生が盗聴器とか隠しカメラとか、そうやすやすと用意できるか。せいぜい携帯のボイスレコーダーかビデオの機能ってとこだろ、普通。ドラマの見過ぎか。
網走は辺りを見回し、置いてあった書類などを払い飛ばす。
だから、あとで片づけるのは誰だと思ってんだよ……。でも意味ねーよ。だって盗撮なんかしてないもん。
「どこにあんだよ!」
「フッ……ウソに決まってんだろ。あんま散らかすな。もしそんなの撮ったって俺には使えないからな。俺が自分からこれが殴られた証拠です、って教師に出してみろ。何故お前が俺を殴ったのかの経緯を追及されて、俺が不利になるかもしれないからな」
「ハッ……なんだよ。ビビらせんなよ……」
暴力事件は証拠があればヤバいことの自覚はあるようだ。
網走はほっと息をつき、胸を撫で下ろす。こちらとしても、網走の攻撃をそう何度も何度も避けられる自信は俺自身にはないので胸を撫で下ろす。
……胸を撫で下ろしたのは、俺だ。
退学にさせることなど、可能だが可能でない。
もしそんな方法を使って網走が退学でもしたら、槍玉に挙がるのも責任を感じるのも……栗花落さんになるかもしれない。だいたいそんな方法、自分に絶対的な非がないときのみにしか使えない、俺には生涯使いどころのなさそうな策だ。だからそんな策はメインで用意してはいない。
「授業中に俺を呼び出したのが仇となったなぁ。こんなとこ誰も見ても聞いてもいないんだから、俺が殴ったなんて誰にも分からないんだよ。証拠! 証拠がなけりゃあ、俺が退学になんてなるワケねぇんだよぉ!!」
……お前は犯人か。俺は探偵じゃねーよ。barにいねーよ。
「誰にも相手にされない孤独でぼっちの自分を恨むんだな! そもそも今回俺を騙したテメェが悪いんだろ!」
「そうだな。お前は好きな子にただ告白しただけだもんな、ただ」
「そっそ、そうだよ。俺はただ告白しただけだ!」
俺の発言に網走は目を泳がせ、いたく動揺した。
取り乱し過ぎ……図星か。そんなに男のプライドが大事か? でもそれが網走お前にとっての誇り、誇示なのだろう。
別に俺はお前のそういう人間性は嫌ってはいない。場面さえ違えば本当に友達というやつになれたのかもしれないってのも案外本音だ。
ただ……
「今学園は誰の話題で持ちきりだと思っている? ……俺だ」
「だからどうした!?」
「分からないか? 今、この俺の頬にアザがある状況を全校生徒いや、教師含めこの学園内にいる全ての人間が俺を見るんだ。さあ、ソイツらは何を思う? 何を考える? それでも孤独でぼっちのただの俺の言葉なんて誰も聞いちゃくれないか? 問題にならないか? 孤独でぼっちのただの俺では」
「……でっ、でも、今回悪いのはどう考えてもテメェだろぉ!!」
網走の顔が恐怖に満ちてこわばっていくのが分かる。
フッ、理解したみたいだな。だから、あまり俺をナメるなと言ったんだ。
生徒がぼっちのこの俺に話しかけてくることはないだろう。でも教師は教育者だ。どう見ても殴られたであろう傷跡を大ぴっろげにした生徒がいて、声をかけない教師がはたしてどれくらいいるだろうか?
俺が自分で殴られたと言うのではない。自動的に向こうから聞いてくれるのだ。
これだけでも放つ言葉の信用度はぐんと上がるだろう。嘘もつきやすい。ここまでならば、ただのぼっちでも普通の一般生徒でも同じ条件だ。
でも、ここをどこだと思っている? 俺を誰だと思っている?
だから、倒れた机や椅子をあとで片づけるのは誰だと思っている?
孤独のぼっちでもただのぼっちではない。生徒の頂点に君臨する男だ。
俺が生徒会長だと認識はしていても、理解はしていなかったのだろう。それを理解させるために、ここ生徒会室を舞台に選んだんだ。
生徒会長とは、壇上に立つ存在だ。全校生徒の視線を浴びる存在だ。
しかも、今の俺は話題という鎧も身につけている存在なんだよ。
そんなこの俺の怪我を、この惨状を、学園にいる全人間が目の当たりにする。
問題にならないと本当に思えるか?
教師の信頼くらいこの俺が得られないと本当に思えるか? 昨日のお前ではなく、今日のお前は。
それに俺にとったら生徒会室なんてただの見慣れた日常の空間でも、一般生徒の網走には特別な空間であろう。慣れないピッチは反応を鈍らせる。
サッカーでもホームゲームは落とせないだろう? 条件を全て味方にするのは鉄則だろう?
「暴行事件なんて起こした生徒は即退学だ。校則も守れないゴミクズは学園から退場が基本だ。レッドカードだ、網走。試合でキーパーの退場は一大事だぞ?」
「でっ、でもそんなことになったら今回非のある天羽テメェもただでは済まないだろぉ!!」
「本当にそう思うか? ……なぁ網走、皇来学園校則16条って何か知ってるか?」
「しっ、知らねぇよ……」
「だろうな。じゃあ、生徒会長の俺が教えてやる。皇来学園の生徒でありたいならば、生徒手帳は胸ポケットに携帯しておくことだな」
「そんなもんとっくに失くしちまったよ……。大体いちいち持っているヤツなんて俺の周りに見たことねぇよ!」
「一言一句聞かせてやる。俺はいつも携帯してるからな。でも生徒会長たるもの、校則くらい全て頭に入ってんだよ」
俺は親指で自分の胸ポケットを指す、ちゃんと膨らみがある胸ポケットを。
「『皇来学園16条。生徒会長は生徒の代表であり長であり、一般生徒一人一人の停学退学を統べる権利を有する』、だ。どの道俺に……俺の女に手を出した時点で、お前の学園生活を真っ黒に染め上げることなど容易いのだよ。フハハハ」
「……そっ、そんな校則あるワケあるわけないだろ……あったとしてもさすがにそこまで天羽もしないよなっ? なっ? 俺たち友達だろ?」
「フハハハ、俺がお前の将来など気にかけると思うか? だからさっきも言ったろ? ずいぶん俺もナメられたものだなって。だったら……校則が一言一句間違っていないことを確認してみるか、自分の目で……?」
俺を友達だと言ってくれる網走。こんな近々で二人も友達ができるとはホント感激だわ~、ホント……。
俺は左手でブレザーを引き、右手を胸ポケットにおそるおそる手を伸ばす……
「孤独と孤高をはき違えるなよ」
この策は穴だらけだ。さっき自分でも言った通り、追及された時点で俺の不利になる可能性は否定できない。それに注目を浴びたのは俺一人じゃない。栗花落さんを今以上に巻き込んでしまうリスクまである欠陥だらけだ。
でも、そうだとしてもそうはならない。そんなことは分かりきっていた。俺の勝利は殴られた時点で既に確定しているのだから。
どんな経緯があろうがどんなに喧嘩を売られようが、暴力を振るってしまえば相手より不利になることは免れない。学園とはそういうものだ。社会とはそういうものだ。
自分は退学になるというのに、相手はせいぜい停学で済むのでは割に合わないだろう。もし相手も退学させられたとして、自分も退学になる事態を誰が望む? そんな事態を誰も、コイツも望まない。
だって俺たちは一年でも二年でもない。将来を決めなければならない最高学年、高校三年だ。保身に走るのは当然のことだ。
それに……救いの手を差し伸べる俺の手を誰しも、お前も拒否はしない。できやしない。
「――まっ、待ってくれ! 退学は勘弁してくれ! 俺が悪かった!」
……所詮、この程度の小物だったか。
俺は胸ポケットに手を突っ込み、うろたえ懇願してくる網走に謝罪など不要だと伝える。
「そうか。じゃあ退学はしなくてもいい。俺に悪びれる必要もない。だが……」
「……おいテメェ、生徒手帳は?」
「そんなもん俺も持ってねーよ。ついでにその校則も嘘だ」
「あん! テメェ――」
……感情がコロコロ忙しいヤツだな。哀もこれくらい感情豊かになってもらいたいものだ、とちょっと兄心。
胸ポケットに手を突っ込んでも、俺が携帯している物はもちろん先ほどしまった携帯だ。
昨日家のどっかにあるはずと思っていた生徒手帳を探したが、見当たらなかった。哀のをパクってもよかったが、正直あってもなくても大差はない。
我が皇来学園は男子生徒が一人だったり、生徒会に絶対的権限が与えられていたりはしない、普通の学校だ。暴力事件に退学という罰が課せられる特に驚きもない普通の学校だ。
お前の言ういちいち持っている人は俺の周りには、いるんだよ……。
本当の皇来学園校則16条は『アクセサリー類は全般禁止である。髪留めに関しては黒や茶色など暗い色の物を使用すること』である。生徒会長だから頭に入っている……ワケではなく、以前栗花落さんの胸ポケットから出てきた生徒手帳から、この校則を見せてもらったから記憶に残っていただけだ。
こんな嘘に騙されることなく皇来学園の生徒でありたいならば、生徒手帳は胸ポケットに携帯しておくことだな。
「――でも……盗聴していないってのも嘘だ」
俺は胸ポケットから取り出した携帯の画面を網走に見せる。網走が歯向かってこない意思を見せると、ボイスレコーダー機能を目の前で停止させ、ズボンのポケットになおす。
策を次から次へと用意していないワケがないだろう。策に穴があるならば、メイン以外のサブも充実させておかなくてはならない。
携帯の利便性を活用させてもらうことは、ごくごく自然なことだ。
「網走、考えてみろよ。今は授業中だぞ? 生徒は教室にいることが普通、当たり前な状況だ。そこに俺とお前がいないことだけでも証明になるとは思わないのか?」
「……」
「でも今が運よく授業中でよかったな。休み時間だと誰に見聞きされているか分からないからな。暴力事件になりかねない。よかったな~網走」
「あ……あり――」
「――礼には及ばない」
退学など所詮ブラフだ。俺の目的は網走、お前の退学ではない。お前程度が学園にいようがいまいが別に俺には対して影響などない。
ただ……俺の者に手を出しさえしなければ、な。
俺は危険地帯に飛び込む……ってもう、こんな間は危険地帯でもない。相手の牙はもう抜け落ちているのだから。
「なっ、なんだよ……」
俺より身長あるのに、ずいぶん小さくなったものだなぁ、おい。
俺は学園二のイケメンの顔を見下げ、いや見下し、吐き捨てる。
「校則16条が嘘だとしても、お前を退学にできることくらい分かるよな? 盗聴、アザ、アリバイ、ちなみに俺はただのぼっち。それとも、俺と共に学園生活を真っ黒に染めてみるか?」
「……悪かった」
「その謝罪は誰に言っている? 俺にか? それとも……」
最後くらい円満に終わるためにも、可愛らしく言おう。
網走にとって昨日の俺と今日の俺では、ただの二重人格者に見えているのかもしれない。
「かっ、勘違いしないでよねっ! ただ、俺の女を見るのも聞くのも匂うのも食べるのも触るのもダメだからねっ? もちろん……告白することも」
網走がこの場を後にした数秒後、まだ授業中にもかかわらず生徒会室の扉が再度開かれる。
扉を開けたのは、網走ではなかった……




