23話 『吐血に入らずんば誇示を得ず』
「栗花落さんに恋人できたって!」
「えっ!? めぐみんに!?」
「でもつゆりーん、もう付き合っていなかったっけ?」
「めぐめぐのアレはまだウワサの段階だよ」
「うっそ!? マジで? でも、つゆつゆなら彼氏持ち普通っしょ」
「やっぱ、つゆめぐ可愛いもんね」
「めぐたそ、ギザカワユス」
「つーちゃん、イケメンキラー」
「めぐっち、さすが!」
「つゆピーならもっと良い人いると思うけど」
「確かに性格クソだもんね、めぐぽんの彼氏」
「栗ちゃんの意見尊重しようよ!」
いやお前ら、呼び方に統一性なさ過ぎだから……。あと、こっち見んな……。
校門をくぐったこの瞬間から、学園内の異様なザワつきを全身で感じる。
我がクラスに足を進めていくと、三年B組の教室の方からけたたましい爆声が廊下まで響いて我に聞こえてくる。
教室に入ろうと扉に手を掛け、少し開けたが……閉じた。今日は生徒会室でサボろう。今日はというか今日も、だけど。
隙間から少し見えただけでも、栗花落さんの周りには人だかりができていた。
基本ぼっちの俺はウワサという類いのものには疎いのだが、今回は当然理解できている。むしろ一番理解している。
いつも友達に囲まれている栗花落さんだが、生徒たちの群がりが常軌を逸していた。
「ごめんね……」
たった紙切れ一枚で踊らされるあんな野次馬のモブにはなりたくない……。
原因は一枚の記事が掲示板に貼られていたからだろう。先ほど教室に行くまでの道中の掲示板にて確認しようとしたが、騒ぎが大きかったのか、もう既に破棄されてしまったようである。掲示板の使用には生徒会の許可印がいるのだから、破棄されるのは当然といえば当然といえる。
昨日の今日でもう記事にできるとは、優秀なクラブだ。生徒会自体は掲載の許可を出した覚えはないので、後日にでもまたその優秀なクラブの部室に御礼参りに出向くとしよう。
「ふぅ~、網走の耳には届いたかな……あ~、顎が」
久しぶりにあれほど会話をしたので、顎の疲労が取れない。昨日は普段の十倍は口を動かした。昼休みから放課後までフルに活躍してくれたこの顎を称えたい。
自宅でも家族と多少なり会話はするが、学校ではそれほど話さないことが多いのだから仕方がない。
秋葉はあまり学校に来ないし、栗花落さんとも教室で会話なんてめったにしない。教室ではいつも友達に囲まれているのだから当たり前だ。
二日連続で学校に来ていた秋葉も今日は多分来ないだろう。さっき教室を覗いたときに姿がなかったし、今日はアイツが登校の目安にしている英語もないことだし。
キーンコーンカーンコーン。ホームルームが始まるチャイムが鳴る。
「もうそんな時間か……」
これで俺の遅刻は本決まりとなった。もしかしたらこのまま欠席になるかもしれない。欠席になりたくないのならば、ただ俺が教室に顔を出せばいいだけのことだが、今日は出せないと思う……。
好きと嫌いは変換可能。ギャップ。
この効果は普通、嫌いから好きのベクトルで使用するものだ。逆の好きから嫌いのベクトルでわざと使用するバカなんて、世界中探してもこの生徒会室にしかいない気がする。
だがベクトルが逆だろうが、別に効果は変わらない。ただ裏切られるより信じていた人に裏切られる方が、反動があってより一層憎いと感じてしまう。これである。
好きに向かっていくのは難しいが、嫌いに向かっていくのは簡単だ。
嫌われたければ、ただただ相手にバ~カ、あ~ほ、まぬけ、フンコロガシ、ぼっち、学園の嫌われ者、中二病患者とでも悪口を言い続けてればいい。勝手に嫌われることだろう。
さすがにそんなバ~カな真似はしないが、たいがい俺がしたこともすることも馬鹿な真似だ。
キーンコーンカーンコーン。二度目のチャイムが鳴る。腕時計を確認すると短針が九を指している。一限目の授業の開始だ。
さぁ、俺も始動しますか……
「……連絡でも入れるか」
ズボンのポケットから携帯を出し、スッカスッカのアドレス帳を開く。俺にとってはこれでも登録人数の多いあ行だ。
秋葉原行、天羽哀。よく見慣れた連絡先だ。網走善良……昨日入手した連絡先である。
俺なら使えるから週末の合コンに誘ってやるよ、と連絡先を渡されたのだ。いらねーと思ったが、こちらの好きなタイミング、好きな場所に呼び出すことが可能なのだからちょうどいい。
また後で連絡しとくと連絡先だけ受け取って結局返信などしていないので、俺からしか連絡が取れないアクセラレータだ。
今の網走ならば授業サボってでも俺のところに来るだろう。それどころか、俺を血眼になって探しているかもしれない。
こちらとしても授業中の方が何かと都合がいい。携帯の利便性を活用させてもらうことにしよう。
『俺なら生徒会室にいる』
これだけでも俺と伝わるだろう。
素早くメールを打ち、携帯を胸ポケットにしまう。
もう使用することもないだろう。最初で最後の連絡だ。
『1件削除しますか?』
網走善良という名をアドレス帳から……抹殺する。
……。
……。
……。
……。
「――オイ、天羽ぉぉ!! テメェェェ!!」
「授業中だ。静かにしろ、網走。あと、扉を閉めろ」
メール送信してからまだ一分もしていないのにもかかわらず、怒声とともに勢いよく扉が開いた。俺は椅子から立ち上がり、人差し指を前後させ自分の方に誘導し、距離を詰めさせる。
「どういうことだぁぁ!! テメェ、騙したのか!?」
「見たのか、記事? 渾身の出来だろう? 約束通り、お前のために用意したんだ」
般若の形相で近づいてくる網走に、俺は毅然とした態度で受ける。
この間は、もう危険地帯だ。
あとはただ……
本日掲載されていた記事はもちろん、俺が新聞部に用意させたものだ。
頼んだのではなく用意させた、のだ。ただのぼっちの俺が頼んだからといって、面識のないヤツのために誰がそんな面倒な仕事を受ける? しかも、昨日の放課後に聞いて今日朝までに作って貼りだしておいてくださいね、ってどんなブラック企業だよって話だ。
人脈が全くないぼっちだしても俺は……生徒会役員なのだ。その中でも生徒会の長なのだ。そんな俺が一クラブに対価として提示するといえばアレしかない。
自分で用意する手もあったが、作り慣れていない俺では時間もかかるし、何より記事の作り方なんてよく分からない。そこはプロに任せ……アマに任せておけばいい。新聞部の名を使って勝手に巻き込むのはさすがに悪い。
それに、網走の怒りの矛先は俺だけに向いていなければならない。
「悪いな網走。俺には今彼女がいるんだ」
0を1にすることは難しいが、1を10にすることはさほど難しくはない。
だから網走も学園の連中も、この記事の内容を疑いもしないのだろう。
ウワサってのは、良くも悪くも知名度の証だ。人気者だけが保持しているワケではない。好きも嫌いも人気者も嫌われ者も、紙一重だからこそ一瞬で変換されるのだろう。
網走お前もウワサホルダーなのかもしれないが、俺だってウワサホルダーだ。
俺はただ、自分のウワサを増幅させただけだ……その紙切れ一枚で。
『生徒会長と学園のアイドル栗花落さんの熱愛は本当だった!』
記事のサブタイトルだ。タイトルら以外は新聞部の方にお任せしたが、皆の反応を見る限り多分よくできているのだろう。俺も後で完成品を見てみたいものだ。
新聞部の部室に感謝の御礼参りに出向いたときにでも見せてもらおう。
俺は網走に対し肯定するだけで、網を張り終えたこととなる。
好きと嫌いは変換可能。ギャップ。俺が増幅させたのはウワサだけではない。網走の怒りも、だ。
あとはただ……避けないだけ。
「俺が純潔もらっちゃおうかなぁ、フハハハ――」
序盤から……いや最初から、この展開を望んでいる自分がいた……。
黒の人間は白の人間に惹かれる。同じ時を刻むことで、自分自身もまるで白の人間になっている、なっていくのだと錯覚するからだ。
でも、ホコリって色々な色合いのゴミが落ちているというのに、何故どのホコリも全てグレーに見えるか知ってるか?
それは……どんな真っ白なものでもどんな真っ黒なクズゴミでも、他のどんな色が混ざり合ったとしても、ホコリという集合体は絵具を全色混ぜ合わしたようにグレーに見えるからだ。
ゴミに光が差したからといって、白にはならない。グレーだ。目の錯覚なのだ。
大事なのは俺の気持ちではなく栗花落さんの気持ちだからと、それが栗花落さんの選択だからと、どんなに頭で部外者を装おうが心はいつだって同じだった。矛盾だらけだった。
俺は……栗花落さんが恋人を掴む幸せより、栗花落さんが遠い存在になって俺から離れていってしまう恐怖を選択したのだ。
栗花落さんの選択より自分の選択を選択したのだ。
そして、網走が黒の人間であってほしいと……そう願っていたんだ、網走という人間に会う前の昨日から。
何か理由を求めている自分がいた。言い訳が欲しかった。正当性が欲しかった。クズであってほしい、ゲスであってほしい……黒の人間であってほしい、と。正義を振りかざす悪が欲しい、と。
栗花落さんを守るためだと、それが自分の白だと言い張りたいから。
黒の人間は、未来に今までと変わらない日常を……学園生活を……望むんだ。
俺にとっての隣、栗花落さんにとっての隣。この生徒会室でのいつもお決まりの椅子配置。
別に特別な椅子に座りたかったワケじゃない。
――それでもこの日常こそが、俺の誇り。これが俺が歩んでゆく灰色の学園生活だ。
謝罪は口に出さないと意味を成さない。あとでちゃんと謝ろう。でも今、頭ではなく心で謝らせて。
ごめんね、栗花落さん……
栗花落さんは渡せない、いや……
「栗花落さんは渡さない」
――鈍い音がした。
顔面に鋭い衝撃が走り、視界が大きく揺れる。
吹き飛ばされた俺の体は、普段お世話になっている机や椅子をも巻き込む。
「痛っ……」
口内が鉄の味でいっぱいだ……。
口元を拭った手は真っ赤に染まっていた……。
……これで俺の勝利は確定した。




