第9話 チームで掴む得点
140キロ並のボールがミットに届き、グラウンド全体が騒然とした。
それもそのはず。誰も「彼」のことを知らなかったのだから。
竹田信彦。それが、「彼」の名前である。
中学では軟式野球部に所属。すでに硬式の球に慣れているシニア出身の選手とは違い、軟式野球出身者はボールに慣れることから始めなければいけない。
確かに球は速い。だが、コントロールとスタミナは皆無だった。
先発で登板してみれば、初回は相手を驚愕させる球を投げる。しかし、回を跨ぐとストライクが入らなくなり自滅。被安打は少ないものの四死球の数ははるかに多い。
スタミナも極端にないため、二回を投げ切るのがやっと。
軟式とはいえ人数の多い部活で一、二年はベンチにも入れず、三年でも公式戦での登板は一、二試合程度。その内容もあまり良いものではなかった。
航大は龍山学院の野球部に入ったときに彼を見かけて、声をかけた。
「お前、面白いな」
「はっ、また俺を笑いに来たのか。俺は常に全力投球がベストスタイルだ。そのスタイルを崩してやるくらいなら辞めてやる」
そこまで言ってないのにな、と航大は思った。普段はおとなしく、少しおどおどしているように見えるが投球のことを言われると口調が荒くなる人物だった。
イライラしているのも無理はない。彼の周りに人はおらず、たった一人で壁当てをしていた。
「イラつくな。俺が付き合ってやろうか。それもただの練習じゃなく一軍への切符というおまけ付きで」
「何?」
「近いうちに一軍と二軍で紅白戦が行われる。そこで活躍すれば一軍決定だ」
一軍との戦いまで、航大は猿渡を教える傍ら、こっそりともう一人の指導もしていた。
「竹田の長所は速球。やるのはコントロールを身に着ける練習だけでいい」
「走り込みはいいのか?」
「投げてもらうのは1イニング限定だ。そこで打者を三人打ち取ればいい」
コントロールのある速球は三振を奪いやすく、四死球を出さない。
リリーフであればスタミナはほぼ関係ない。回を跨ぐ場合は別だが。
「まあストレートのスピードは申し分ない。紅白戦までストライクゾーンの四隅に投げられるよう特訓だ」
「まったく、大村は怪物だな」
竹田にとって一番驚愕したのは、航大の存在。三年かかっても解決しなかった竹田のコントロールを一、二ヶ月で解決してしまった。
「三人で抑えてやる。昔の俺とは違うんだよ!」
竹田の速球が二年生チームの打線を沈黙させる。これが1イニング限りというのが非常に惜しいところだ。
「さて、次は誰からだ?」
6番打者の不知火が打席に向かう。そこで水原先生が呼び止めて耳打ちする。
「……何を話したんですか?」
「出塁してって言っただけよ」
水原先生はみんなを集めて言った。
「みんなもよく聞いて。これから先、僅差の試合だってある。そういった試合を勝ち抜くためには個人だけじゃなくチームの力も必要なの」
個人としての力だけでなく、チームで力を合わせて点を取れるか。今後を見据えて水原先生は航大達一年生を試しているということだ。
不知火が打席に入る。日野は7イニング目ということもあり疲れが見え始めていた。
ボール球を見極め、四球を選ぶ。
次の打者、虎野が一球でバントを決め、一死二塁。
「ちぇ、バントかよ」
「まあまあ、こういうプレーは大事なのさ。次の一点を取りたいときは特にね」
8番打者の倉田。印象には残らないが、苦手がなくクセがない。
日野は限界に近かった。甘い球を逃さず、キレのない直球をレフト方向に飛ばす。
東がワンバウンドで捕球し、ヒットとなる。二塁ランナーは無理せず三塁でストップ。
一死一、三塁の場面で打席に代打宮崎を送る。
日野が投じた初球をフルスイングして外野に飛ばす。センターが数歩下がって取る。犠牲フライには十分な距離だ。
三塁ランナーがスタートを切る。ボールは内野に返球されるが、ホームまで返っては来なかった。
「宮崎くん、ナイスよ。こういうプレーができるかできないかでチームの勝敗が左右されることを忘れないでね」
水原先生はみんなに向かって言った。貴重な追加点が入り点差は三点に。
後続が打ち取られ7回が終わった。水原先生は投手交代を告げる。
「さて、大村くん、いけるわね?」
「ええ、もちろん」
大村航大が、ついにマウンドに上がる。
「さて、昔の左投げに戻してどこまでやれるかな?」
堀口は言う。
「元々は左だったんですか?」
「そうらしい。右投げは数か月練習するだけで全国の舞台に立った。並外れたセンスを持っていることは言うまでもないだろう」
堀口と多田はマウンドを見つめる。かつて苦しめられた強敵の今をじっくり観察する。
「スピードガンあるよな」
「ええ」
多田はカバンからスピードガンを取り出す。
「一応計っといてくれ」
「さて、この回は8番からだ。完璧に抑えても最終回は4番に回るが……」
「それがどうした?」
投球練習を終え、ボールを渡しに来た中村に対し航大は言った。
「相手には悪いが、この程度でつまづくようでは全国の舞台は遠いぞ?」
「自信は?」
「ある。投手は球速だけじゃないってことを見せてやる」
航大は第一球を投げた。直球が外角低めに決まりストライクを取る。
二球目。同じコースに同じ球。打てなくもない球速だが、打者のバットにはかすりもしない。
打者は首をかしげる。
三球目。今度は先ほどよりより厳しいコース。打者はボールだと思い見送るが、判定はストライク。
(なるほど。球のキレで勝負か。面白い)
「……なんだあの球」
二年チームのベンチが騒がしくなる。
九番打者も三振に打ち取られ、東が打席に入る。
「俺はそう簡単にはいかんぞ!」
中学時代の先輩だった彼と対峙する。
「ええ。わかってますよ。じゃあ全球ストレートで」
そう言って航大はボールを握った手を見せた。
「……舐めやがって」
紅白戦終盤。勝つのはどっちだ?