第48話 悪意
「寝坊した!! ごめん!!」
監督の声が部屋に響く。ベッドの上で平謝りする監督。
それと同時に窓から見えていた移動用のバスが動き出した。
航大と中村はその様子を見て途方に暮れる。
「お、終わった……」
……話は二時間前に巻き戻る。
ホテルの人が用意した朝食を各自で食べ終えたとき、航大と中村は水原監督の姿が無いことに気付いた。
「そういえば、監督どこ行った?」
「あれ、そういえば姿が見えないな」
普段なら朝食をとる時間になれば食堂に降りて来て、部員と一緒に談笑したり時には一人で食べたり……。いずれにせよ、この時間には必ずいた。なのに今日は姿が見えない。
「おかしいよな」
「ああ」
試合開始まであと二時間。そろそろ移動用のバスに荷物を積んで、出発しなければならない時間だ。
「……まあ。考えすぎか。用事でもあって今はいないんじゃね?」
中村はそう言うが、航大は納得しない。
「にしても変じゃないか。他の部員に訊いてみたところ監督には会ってないらしい。俺らより先に朝食をとった先輩らも姿を見てないって言うし」
「ってことはまだ部屋に居る……?」
今日まだ誰も監督の姿を見ていないということは、自然とその考えに至る。
「部屋番号ってわかる?」
「たしか……」
航大と中村は部屋へと向かう。
「……鍵。開いてないな」
「ああ。係の人、呼んでみよう」
受付に戻る二人。万が一、外出中ならば知っているだろうからそれもついでに訊いておくことにした。
「水原温子さん。まだ在室ですね。当ホテルは外出時に鍵を必ず受け取るルールになってますので」
「やっぱり。部屋に居るのかな」
「あの。水原さんの部屋を開けていただけないでしょうか? 私たちこれから試合なんですけど、監督の姿が見当たらなくて……」
受付の人は電話して確認を取っているようだ。
少しして受付の人は受話器を置いた。
「わかりました。本来ならばプライバシー諸々ありますので、許可が降りずらいのですが、一刻を争うかもしれないので。やむ負えない事情ということになりますので……。行きましょう」
「ありがとうございます」
マスターキーを手に持った受付の人同伴で、監督の部屋を開けることになった。
「すいません! 受付のものですが!」
返事はない。物音ひとつ聞こえてこない。まさか不在なのだろうか。
「鍵、開けますよ!」
カチャっと音がし、開錠する。ドアノブを回し、航大と中村は室内に入った。
「監督!」
部屋に入る。部屋は荒らされたような形跡がなく、バスに積まれてない荷物が目に入る。
ベッドを見る。布団が膨らんでいるのがわかる。おそらくここに監督が居る。布団を被っているのだろうか。
「監督! 起きてください、監督!!」
中村は布団をはぎ取る。水原監督はそこに居た。静かな寝息を立てながら。
中村に何度も揺さぶられる水原監督はうーん、と言い目をゆっくりと開く。
「あ、あれ? ここ私の部屋だよね? 何で二人がここに……」
「監督、時間ですよ! 時間!!」
中村の必死な表情に寝起きの監督は眉をその言葉に眉をひそめる。
「……時間? えーと。時計時計っと」
監督が机に置いていたやや小型の目覚まし時計を自 身で手に取る。しばらく見つめていると、監督が動かない。
「あのー。監督?」
監督が固まった。
「うわああああ!! やっちゃった!!」
監督はことの重大性に気付いたのか、大声をあげた。
「お、おい中村。バスが……」
「バスがなんだって?」
「発車した……」
窓の近くから様子を伺っていた航大が言った。中村はその様子を見ようと部屋の窓に近寄る。
確かにバスは発車していた。無情にもホテルの駐車場から離れていく姿が中村の目に映る。
「終わった……」
そして、現在に戻る。
「ど、どうしよう!! バス行っちゃった!」
鍵を開けてくれた受付の人が帰ってから、監督はパニック状態に陥っていた。
「落ち着いてください監督……。とりあえず、タクシー呼びましょう」
「わ、私まだ寝巻のまんまなんだけど……」
焦りが抜けない監督の姿を見るのも内心面白いと思っていた航大だが、これではことが進まないと思ったのか、監督に準備を促す。
「なら、早く着替えて準備してください。その間、俺たちも準備しますんで」
恥ずかしながら、航大と中村も準備は終わっておらず、彼らの乗車を待たず、バスは発車してしまった。
「なあ。俺らいつまでもここに居たらまずくないか」
「それもそうか。タクシーはこっちで呼んどきますので、監督は準備を。なるはやでお願いします」
そう言って足早に部屋を出る航大。中村も続いて部屋を出る。
「なあ、航大」
「なんだ」
航大と中村は大きなカバンに野球道具など荷物を詰め込むため、自分たちの部屋へと向かう。
「なんで俺たち、置いていかれたのかな」
中村の問いに航大は即座に答えられない。しばし沈黙の後、たった一言を発した。
「……さあな」
「お前でもわかんねえよな。俺たち、一応エースと正捕手だぜ?! でも誰も俺たちや監督を待つ様子がなかった。これは明らかにおかしい」
「そんなこと、今考えてもしょうがないだろ。今は準備が先決だ」
あくまで冷静な航大に中村は動揺する。
「お、おう……」
確かに状況は良くない。いや、良くないどころかまずい。とにかく監督と航大に中村。三人が球場入りしなければ、試合の舵取り役がいないまま強豪との試合になってしまう。自室に戻り
「あと数分でタクシーが来る。準備は済ませたか?」
「もうちょっと、だな。すぐ終わる」
中村も航大も持っていく荷物の整理はほぼ済んでいる。
「なら先行くわ。あいつらのように置いてったりはしないから、忘れ物ないようにな。あと、鍵は受付にーー」
「わかってるよ。全く、抜け目がないというか……」
中村の余計な言葉には目もくれない航大はさっさと部屋を出て、自分の荷物を玄関へと運んで行った。
それから時間が経たないうちに中村も準備を完了させる。
「よし、行くか」
そう言って部屋に鍵をかける。中村は航大が先に向かった玄関へ行く前に、監督が泊まっている部屋に行ってみることにした。
ノックをしてみる。
「監督! 準備できてます?」
「あ、うん! すぐ行くから先に玄関に行ってて!」
それから航大と中村、水原監督の三人は、呼んでおいたタクシーのトランクに荷物を入れて乗り込む。
監督が運転席の真後ろで、隣に航大。助手席には中村が座る。
あれからそれなりの時間が経ち、あっという間にバスから三十分遅れでの移動となった。
「試合開始には……ギリギリ間に合わないか。高野先生、なんとかしてくれてるといいけど」
「高野先生ねぇ。影が薄くて何考えてるかよくわからない野球部の部長ですよね。水原監督が部長から監督に昇格したときに理事長が直々に部長を指名したとか」
うん。と監督は言って頷く。ほとんど練習、試合には顔を出さないおかげで、野球部員でその名を知るものはいても、顔と名前が一致しない。名前を貸しているだけかもしれないという噂まで立つほど。
そもそも現在の野球部とは無縁の三年生の科目担当なのだから仕方ない。うちの野球部にはそれなりの部員がいるが、不思議なことに三年が一人も居ない。だから野球部員にとっては知らない先生であっても不思議ではない。
「あの人は野球のこと何もわからないまま部長をやってるのよね。いくら理事長の指名とはいえ、この人選はちょっとね」
監督は愚痴をこぼす。部長が野球のやの字も知らない人だということにずっと不満があったようだ。
今回の夏の大会。引率は監督、部長以外の先生はいない。それはつまり。
「ということは、バスに乗っている大人は……」
「高野先生一人ね」
高速に入るタクシー。ETCの入口を抜け、加速車線から本線へ。速度が徐々に上がっていく。その間も会話は続けられる。
「ということは俺たちを置いていったのも……」
「高野先生ね」
水原監督の中である疑念が膨らみ始めていた。
「今回の一件、高野先生が単純にやらかしたと見て、問題ないのかしら」
「どういうことですか?」
実は……。と、水原監督は昨日の夜に起きたことについて話し始めた。
「昨日の夜、珍しく高野先生から呼び出されてね。数分話したの。中身は他愛も無い世間話。でも話してる途中にウトウトし始めて……。そうしたらさ……」
『ああ、すみません。お疲れのところ眠いなら、私のことはお気になさらず……』
「高野先生は数分で話を切り上げ、私は自室に入ったんだけどそこからの記憶が曖昧で……多分寝ちゃったんだと思う」
「……その会話しているとき、水か何か、飲みました?」
航大が訊くと、監督は、少し考えて首を縦に振る。
「あらかじめ水を用意してくれていてね。今まで気の利いた人じゃない印象をもってたけど少しびっくりしたなぁ」
その言葉を聞いて、やっぱり、と声を漏らす航大。
「何がやっぱり、なんだ?」
中村が疑問を投げかける。
「多分、その水には睡眠薬が混ざっていた。水溶性。水に混ぜて入れておけばバレないタイプの、ね」
「ま、まさか。あの人がそこまで……。行動力のあるタイプには見えないんだけど」
冷や汗をかく水原監督。
「目的は多分。監督を試合に出させないため」
「え?!」
予想だにしない言葉に監督は驚き、反論する。
「いやいや。野球のこと知らない人が監督なんて難しいにも程があるわ。そんなことしたらチームは……」
タクシー内に沈黙が流れる。少しして航大は口を開く。
「……こんなこと、考えたくもなかった。でも、高野先生は俺たちがいないことを知ってなお、バスを発車させた。ということはーー」
航大の言葉を遮るように電話の鳴る音がした。
「あ、私のスマホからね……」
発信者は電話帳登録されていない相手からで不明。
「電話、出てみるね。もしもし、水原です」
「あ、良かった繋がった……龍山学院の鍵谷です」
「え、嘘?! うん……。そう、わかったわ。報告ありがとう。そっちも気をつけて」
しばし鍵谷と水原監督が電話越しに会話をしていたが、時折眉にしわをつくっていたところからするに、向こうでもただ事でないことが起きているらしい。
「……航大くん。さっき何を言おうとしていたんだっけ」
「チーム内に裏切り者がいる。高野先生がその人である可能性が高い。どんな理由があるかはわからないが」
普通の状況ならそんな馬鹿な、と反論するかもしれない。だが、先程の電話で何かを悟っていた水原監督は頷いて言った。
「……その予想、間違ってないかもしれない」
「さっきの電話なんだけど……。主力組、試合開始までに間に合わないかもしれない」
「何があったんですか」
監督は先程の電話の内容を話し始めた。
航大、中村、水原監督を欠いたまま発進したバスは高速道路に入った途端、絶望を迎えた。
事故による渋滞に運悪く引っかかってしまったのだ。前の車は小刻みに進むだけで、渋滞が改善される兆しは見えない。このままだと試合開始に間に合わない……。
高野先生は、次の出口で出るようにバス運転手に指示。その出口から一般道へ抜けてしばらく進むと、付近にはそれなりに大きな駅があり、タクシー乗り場もそこにある。
一般道は空いていたが、このままでは間に合わないという判断を高野先生は下した。背番号一桁台の主力組は一番速い手段として電車を選択。控え組はタクシーで球場へ向かうことを決めた。
それから電車に乗るまでは良かった。
だが、主力組の一人だった鍵谷が水原監督に電話をしてきた際には別の問題が発生していた。事故による電車遅延だ。
車掌によるアナウンスが聞こえたときは時すでに遅しといった状態。一時間遅れの予定という絶望的な言葉が主力組の心をえぐる。
一方のタクシーに乗り込んだ控え組は順調に球場へ進んでいるのだという。棄権という最悪の展開は回避された。だが、控え組だけでオーダーを組むと大変なことになるということを監督自身が理解していた。
「うちは外野の控えがキャプテンの東くんただ一人。外野がいない。もしそうなれば・・・・・・」
「外野に打球が飛べば、終わりですね」
言わずもがな、最悪の状況だった。
「球場まで、あと何分かかりますか?」
「三〇分やねぇ。そっちの事情はあるやろうが、道路が混んでいてはどうしょうもないんや」
関西弁混じりの運転手が答える。状況は最悪と言っていいほど悪い。
「もうそろそろ試合開始時刻。ワンセグつけたら高校野球中継をやってくれてる時間ですね」
「観てみましょう。控え組だけでも着いてくれていることを期待したいわ」
監督は自身のスマホからワンセグを起動する。
『第二試合、奈良の千里学園対大阪代表、龍山学院。まもなく試合開始となります』
画面に映し出された球場。本来この時間なら辿り着いていないといけない場所。そこに航大や中村、水原監督の姿はない。
実況を務めるアナウンサーが球場アナウンスに合わせて選手の簡単な紹介をする。案の定、オーダーは滅茶苦茶だった。確認できたのは控え組九人。少なくとも棄権は避けられたが、別の問題は言うまでもなく守備にあった。
『守ります、龍山学院ですが、一回戦とは全く異なる選手たちが守備についているといいますか……』
実況アナウンサーが困惑するのも無理はない。ベンチには高野先生以外誰も居らず、守っている選手たちは全員二桁の背番号を背負っている。
こんな光景はめったに見れないだろう。そもそもこれが仕組まれたことだと気づく観客は皆無だ。
「日野くん、日下部くん。なんとか最少失点で食い止めて……!」
監督の祈りも虚しく、日野は痛打を浴びる。
(くそっ、日野はよくやっているというのに。相手が一枚上手……いや、それよりもうちの守備が崩壊している……)
これで、まだ初回に関わらず四失点。ヒットを打たれているというよりも、本来なら捕れるフライが全部捕れない。不慣れな外野守備を強いられる竹田、猿渡が相手打線に狙い打ちされていた。
二人は外野の練習などしたことがないまま守らされ、悲惨な有様が全国に放送されていた。
「……酷い」
「そうですね。で、こんな中でも高野先生は表情一つ変えませんね」
球児たちが汗を流して白球を追いかける中、一人涼しい顔でベンチに座っている。試合にあまりにも無関心すぎる。
「何が目的なのかしら。一体、何の恨みがあってこんなことを……」
画面を見つめて、唇をかみしめる水原監督。
「多分、都合が悪いことでもあるんでしょうね。でも、いくら考えても真意は見えない。本人を問い詰めるしかないでしょうね」
なぜかは不明だが、高野先生は裏切り者である。球場に向かうタクシー内で三人の考えは一致した。
回は進んで四回。点差は七点まで広がり、なおも満塁のピンチ。投手は竹田に代わり、なんとか二死までこぎつけた。
(頼む、竹田!)
竹田は一イニングに限り、強い。彼の全力投球はたとえ強豪校であっても封じ込める力がある。
「ストライク、バッターアウト!」
『代わった竹田、なんとか抑えた! この回、初めて千里学園のスコアにゼロが点灯しました!』
「厳しい状況だけど、これで流れが傾くといいわね……」
監督は様子を見守りつつ、そう呟いた。
「ええ。……それにしても、まだ着かないんですか?」
航大は運転手に確認をとる。すでに三〇分どころか一時間が過ぎようとしていた。
「もうちょいだ。ほら、コウシエンが見えてきたろ?」
運転手が指差す先には目的地のコウシエン球場。高校野球の聖地だ。
「そろそろ降りる準備をしましょうか」
監督はそう言ってワンセグを終了させ、ポケットに突っ込む。
「ありがとうございました!」
タクシーに感謝の言葉を述べ、球場に着いた三人。
球場前。そこに居た一人の男性と目が合う。
「よう」
航大は立ち止まる。
航大に語りかけるその人物。かつて夢の中で出会った顔の見えない誰か。
だが、今度ははっきりと顔が見える。航大にとって懐かしく、ずっとどこかで生きていることを信じていた人。
「お父さん……」




