第39話 繋ぐ野球
「なんでですか、監督! 私はこのチームのエースなんですよ! なのに、どうしてーー」
ベンチで監督に詰め寄る千夏。あれだけ点を取られておいても納得がいかないようだ。
「スコアボードを見てみなさい。あなたが勝手に投げて、勝手に打たれた結果よ」
「でも私は、自分の持てる精一杯を出し切った。前の試合と同じくらい、球の調子は悪くなかった!」
確かに千夏の調子は悪くなかった。むしろ、投球練習だけを見れば、今日は投手戦になるだろう、と思うくらいの予想を立てていた監督。だが、完全に考えが甘かった。データのない相手に対し、こちらは研究しつくされている。特に春と夏のデータは向こうはほぼ全て頭に入っていると言っていい。そのデータを勝ち上がることで皮肉にも攻略のヒントを与えてしまっていたのだ。
もう今日の試合展開を考えると、航大に託す以外に無かった。向こうは春不出場、夏もここまで登板ゼロ。今年度発足のチームで、昨年のデータは抑えきれていないはずだ。
「あなたが四点取られた時点で代えるつもりだった。でもまだ投手の準備ができていないから続投させた。まさか、凌ぐどころか傷口をひろげてしまうなんてね……。少なくとも、エースナンバーを背負う人間がやることじゃないわ」
千夏は、監督からの口撃を食らい、消沈した。
そこに入れ替わりで航大がマウンドへ向かおうとする。千夏と航大。目が合う。
航大が言いたい言葉。今まで感じていたありったけの怒りを込めて言った。
「いい気味だ」
「……」
千夏は何も言わず、航大を身送る。
航大が戦うマウンドとは、まさに戦場。打たれるか、抑えるかの勝負の世界。
自分の認識が甘かった。千夏は、肩を落とし、涙を流す。
「監督、私もう帰ります。ここにいたくありません」
そう言ってベンチ裏へと下がろうとする千夏の腕を監督が掴む。
「だめよ。あなたはこの試合を最後まで観る義務がある。下がることはこの私が許しません」
「もう嫌です!! 嫌! 嫌! 嫌!!!」
監督が掴む手を振りほどこうとする千夏に監督はさらにぎゅっと力を入れて千夏を捕まえ、離さない。そして、容赦ない言葉を浴びせた。
「黙りなさい!!」
監督の声が響く。いつも以上に張り上げたその声は、ベンチだけでなく、グラウンドに立つ全員にも伝わった。
「あなたの勝手はもう許さない。せめて、あなたがぶち壊した試合の後始末。あなたの義弟の姿をその目に焼き付けておきなさい。それがきっと、あなたの今後のためになるわ」
「さて、まずは説教だ、中村」
「な、いきなり出てきてそれはないだろ、航大」
航大は色々と言った。データのない相手に不用意にストライクを取りすぎている。打たれるとわかってて勝てない相手と無理に勝負しに行くな。ギリギリを攻めず、打たせてとればよかった、など。
確かに中村のリードは速球主体で変化球はカウントを取りに行ったときだけ。相手のタイミングをずらすどころか、ジャストミートされていた。
「お前、まさか最初から観ていたのか?」
「まあな、ラジオ経由で」
「なんで最初からベンチに居てくれない。そしたらこの結果だってまだましにーー」
「中村、お前も天狗になってるんだよ。千夏と同じ。勝つことに慣れて、挑戦者の気持ちを忘れている」
夏の大会をコールドで勝ち進んできたチーム。春は全国三位に輝き、その結果は確かに自信になっただろう。
「あいつのボールは女子にしては確かに速い。だが、相手にとっては打ち頃の球なのさ。今の俺も同じだがな」
航大は冷静に対戦相手を分析していた。千夏のストレートは簡単に弾き返す。元々が単打でつなぎ、相手にまだ大丈夫と思わせてから長打で大量点を狙う。大方そんな戦術だろう。ならば。やるべきことはひとつ。
「真っすぐなんて投げなくていい。変化球勝負だ」
「……ほんとにサイン出して投げれるのか?」
「この日のために練習したんだ。もう一点もやらせはしない」
航大の策。それは打ち頃の直球に見せかけた変化球で打者を打ち取るというものだ。
(初球でホームゲッツ。これでまず状況を軽くしよう)
航大が投じた初球。若干甘いが、打者の手元で微妙に曲がる。カットボールだ。
「何?」
ストレートと思って振った打者は困惑する。快音はきかれず、ボールが投手前に転がる。
航大は冷静に打球を処理し、本塁に送球し、まずアウト一つ。そのまま中村は一塁へと投げた。
「アウト!」
併殺成立で、二三塁ながらアウトカウント二つ。これでだいぶ楽になった。
「今のは何だ?」
「わからん、だが曲げてきていることは確かだ」
「さて次は……」
ランナー二三塁の状況で航大は内野陣に指示を出す。
「今西はセカンドベース近くで待機。あ、一塁手はそのままで」
それは極端な守備シフト。一二塁間が広く空いている。まるで打ってくださいと言わんばかりに。
(航大、どういうことだ?)
(まあ、見てな。一球でチェンジだ)
航大は相手打者に投じる。低めにコントロールされた球は右打者の外角いっぱいに決まりかける。
案の定、打者は手を出してきた。勿論これも変化球。高速シュート。タイミングを外したが、当ててきた。キンという金属音が響き、打球が誰もいない一二塁間を駆ける、はずだった。
今西のグラブが打球を捉える。そのまま一塁送球でアウト。攻守交代だ。
「なるほど、今西の守備力を利用したか。ヒヤッとしたけどな」
「これくらいはやってくれないとな、一軍屈指の守備力を持つあいつにしかできない芸当だ」
無死満塁のピンチを切り抜け、追加点を許さなかった航大に拍手が送られる。
「……私のときとは大違い」
「無様な格好を晒したやつに拍手を送る奴があるかよ。これが実力主義のチームの本質。勝てばすべて肯定され、負ければ否定される世界だ」
千夏のつぶやきに航大が感情なく反応し、青木とキャッチボールをする。
「おい、なぜ俺なんだ。航大」
「中村の打席が終わるまで我慢しろ。どうせすぐ終わるからな」
「……何?」
青木は疑念を抱いた。自分より多く自主練に参加し、手には何度も潰れたマメの跡。バットの持ち手に血がにじむ箇所もある。それほど練習を繰り返してきた彼をあっさりとそんなことを言ってしまうのか。冷静というか非情だ。航大ってこんな奴だったか?
「ストライク、バッターアウト!」
三球三振。航大の予想通り、中村はなすすべなく倒れベンチに帰ってくる。
「中村、キャッチボールの続き。頼むな」
「ああ……」
中村は落ち込んでいた。四番がこれではチームの士気に関わるのだが、今日ばかりは仕方なかった。
「あの打者からヒットを打てる気がしないんだが」
「ああ、確かに無理だな。やつは青木の打席で本気を出した。あの直球は今誰も打てないだろう」
実力を隠していた多田。彼の速球は140キロは出ている。中学ではあまりお目にかかれない速さだろう。
「ま、まず一巡目は無理だろうな」
「じゃあ、どうするんだ」
「監督はなんか考えがあるみたいだぜ」
監督はあからさまなバントの構え。無論、読まれている。
「なんだ、ありゃ。セーフティでもする気か? でもバレバレじゃん。意味がない」
「いや、意味はあるんだ、この試合を長い目で見れば、な」
多田が140キロ並の速球主体の投球になってからは、北近畿シニアはまともにバットを振らず、全員がバントの構えで揺さぶってくる。構えの度に走りこんでくる多田。多田の積極的な守備。初回の鍵谷のセーフティバント処理から監督は多田がバント処理に動いてくるとみていた。この狙いはただ一つ。多田のスタミナを消耗させるためだ。
ただ、彼自身もそこまでへこたれない。ちょっとやそっとでは速球が緩むことはなく、得点に結びつかない。
一方の航大は打たせて取る投球。二巡目であってもデータがない航大の球に打ち損じ、スコアボードにゼロを重ねる。
両チームのスコアボードにゼロが並び、五回。航大はピンチを迎えていた。
(もう相手は三巡目。こちらのスタイルに気付き、対応してきたか。強いな)
変化球は見破られていた。だが、こちらも意地で抑えにかかる。
(追い込んでしまえば、こっちのもんだ)
二死ランナー無し。航大は迷いなく腕を振った。
バットが空を切る。
「まだ、手札を残していたか」
(シンカー。高速シュートにカットボールもそうだが、よく短期間でここまで……)
だが航大自身、力を抜いて投げているはずが、肩に疲労が感じられた。病み上がりの人間が延長を戦える気力はない。延長になる前に決着をつけねばならない。
五点のビハインドが重い。相手の多田を打ち崩せない。二巡目で未だノーヒットに打ち取られている。どう試合をひっくり返すのか。
航大の粘りが、一時はバラバラになりかけたチームを再び一つにするのは確か。もう一押しだ。
六回の攻撃も七番八番が倒れ、二死。航大が打席に入る。
(そろそろだ。効果が出始める頃合いだな)
航大はバットをぎゅっと握る。狙いを打てないはずの真っすぐに絞る。
初球。当然その真っすぐが来る。だが、先ほどまでの直球とは違う、キレが落ちた球だ。
何球か一度にくるその抜け球を振りぬいた。多田がいくらすごい選手であっても人間。体力が消耗していれば、抜け球はあり得る。
航大はバッティングが苦手だ。だが、この打席だけは、とバットを振り抜いた。
北近畿シニアの攻撃で初めて聞かれた快音は打球をスタンドまで運んだ。
「ホームラン?! まじか!」
チームメイトから歓声が聞こえる。航大が続け、と背中で語る。
俺たちは一つになることで、チームとして戦える。航大は何も言わないが、行動で示しているようだった。
次打者の鍵谷。できることは一つしかない。
「またバントか、しつこい!」
三塁方向へ転がった球を多田は捕球に向かう。が、足が疲労に耐えられなくなっていた。
「ぐっ!」
動きは以前より鈍くなっており、転がるボールを捕球し損ねる。三塁手が捕りに行くが間に合わない。内野安打だ。
今西もバントの構え。確実にアウトにしようと、投手だけでなく、一塁手も前に来る。
「ここだ!」
「プッシュバント?! しまった!」
二塁手は一塁のベースカバーに行っており、一二塁間はがら空き。バントで転がした打球が外野へと抜ける。
これで二死ながら一、二塁とチャンスを広げる。次の打者はここまで二打席三振を喫した青木だ。
多田は直球中心のスタイルを止めない。誇りを持っているのだろうが、それは疲労した彼に追い打ちをかける。
「これなら、打てる!」
打球が外野の頭を越える。二者生還でさらに二点を返す北近畿シニア。長打を放った青木はぐっと拳を握りしめる。
(……やっと打てた!)
チームが盛り上がりを見せる中、不調なのはこの男。中村である。
一度、間を取った逢坂シニア。本当の勝負はここから。多田は真っすぐを投じる。だが、決して球威がない抜け球ではない。
空振る中村。一ストライク。
「立ち直ったか?!」
「そう簡単に流れを渡してたまるか」
四番対エース。できれば打って点差を更に詰めたい。あと二点だ。だが中村としては当てるのも難しい。
相手の全力投球。間違いなく、この打席に力を入れているのは中村でも解る。粘るしかない。
中村は打球を前に飛ばせないが、一〇球粘る。フルカウントになり、投じた球。かなりきわどいコースに来た。中村は振らない。
「……ボール、フォア!」
中村は四球を選んだ。望みは繋がった。多田ががっくりとしている。ここで切るつもりだったらしい。気落ちした彼に対し、主将の東が打席に入る。
(航大から始まった流れ。中村は打てないながらも繋いでくれた。……ここまで主将らしいこと、できてないな)
東は三年。これが泣くも笑うも中学最後の大会。
「俺たちの夏は、まだ終わらせない!」
初球、中村との勝負で全力投球をし過ぎた多田は力が落ちていた。
「……直球は得意なんだよ」
打球はスタンドに運ばれた。
「逆転だ!!」
歓声が沸き上がる。難攻不落の相手を打ち砕いたのはチーム全員の執念と東の一振りだった。
超人も疲労には勝てない。全力を出し切ったあとの勝負では、どうしてもパワーが落ちる。その一球を狙い打った。
抱き合う選手たち。航大の粘投を考えれば追加点は欲しいが、そうそう望めない。
この一点を守るしか勝つ方法方はない。
攻撃終了後、円陣を組みなおす北近畿シニア。
「あと二イニング。アウト六つ。しっかりとって、全国へ行くぞ!」
「「おおっ!!」」
だが、そう簡単にはいかないのが決勝戦の相手、逢坂シニアである。航大のシンカーにもたった近くで見ただけで対応された。
空振りを奪えずカットされ、粘られる。決め球で相手を打ち取ることができない以上、もう最後の手段しかない。
(ここまで厄介な相手ははじめてだ。繋ぐ野球ってのは敵に回ると面倒だな)
航大は腕を思いっきり振り上げた。
「全力投球、解禁だ!」
繰り出した球はズドン、と重く、鋭い。相手打線のバットを湿らせ、空振りを奪う。
電光掲示板には130キロ代後半の数値が記録されていた。これまでの自己最速だ。
「すげえ、三者連続三振!」
「よくやったな、航大。ここまで仕上げたか」
チームメイトの反応は良好。いよいよ最終回だ。
「この速球まで使わせるとは、逢坂シニアはやはり未知数。この投げ方ができるのもあと一イニングだ。持ってくれよ……」
航大の肩は、まだ完全に回復してはいなかった。
いよいよ次話で過去編は最終回! お楽しみに。




