第4話 投手を探せ
「俺は先発では投げない」
航大は中村に向かってそう言った。
「おいおい、冗談だろ? お前以外に誰がやるんだよ」
中村は言うが、航大は耳を貸さない。
「俺が投げて完璧に抑えるより、全く無名の選手が抑えた方がインパクトがあるだろ」
中村は呆れた。
「あのなあ。勝てなかったら意味がないんだぞ」
「お前はそれで満足なのか?」
そう言って航大は続けた。
「俺一人で公式戦全部を投げ切るわけにはいかない。俺一人の力じゃなく、みんなの力を合わせて勝つ。その基盤を紅白戦でつくるんだ」
それに対し、中村は返す。
「例えそうするとしても、お前より上の選手なんかいないだろ?」
「別に俺より強いやつである必要はない。弱ければ育てればいいだけの話だ。紅白戦までには使える投手にするさ」
「なんてことを言いやがるんだ。お前が投げなくてどうすんだよ」
中村は独り言を呟く。紅白戦に勝つためにみんなはやる気になっている。だが、二軍のグラウンドに航大の姿はない。
「おーい」
後ろから誰かの声がする。振り向くと制服姿の京子がいた。もちろん、航大に用があるようだ。
「ねえ、航大くん見なかった?」
「さあな。三軍のとこにでもいるんじゃないか」
「えっ、まさか航大くん三軍なの?」
いやいや、と中村は首を横に振り訂正する。
「あいつは俺達と同じ二軍さ。たぶん、自分以外の投手を育成するためだろう。」
「じゃあ、三軍の練習場所に連れて行ってよ」
「三軍に練習場所はないよ」
そう、三軍選手がやることは主に体力づくりと球拾い。昨夏ベスト8を勝ち取ったこともあり、部員数は増えた。現に二年生だけでも20人はいる。一年に至ってはそれ以上だ。
一軍、二軍に在籍できるのはそれぞれ25名ほどで、どちらにも入れない者はすべて三軍。だがあの監督は二年生のみを一軍。一年生は二軍以下に在籍させた。
「このままじゃ、俺たちがレギュラーとして試合に出られるのは三年からだ。それは我慢ならねえ。なんとしても俺は甲子園に行きたい。そう思っていたんだが、あいつ、早々に練習をさぼりやがった」
中村の話から航大は二番手投手を探しているようだ。とはいえチームの練習をさぼるのはよくないと京子は思う。
「で、紅白戦の監督は誰がやるの? 必要でしょ?」
「ああ、それならE組の担任の水原先生がやってくれるってさ」
京子は驚いた。野球はおろか、スポーツに興味なさそうなあの先生が。
「ああ見えてあの人のお姉さんは中学時代のシニアチームの監督だったんだぜ。先生のほうもリトルリーグで監督代行として指揮を執ったこともあるんだ」
京子は全く知らなかった。中村は続ける。
「明日から練習見にきてくれるってさ。まあ、嬉しい話だよな」
おそらく、すごい監督ということではなく目の保養か。水原先生は美人だ。にやける中村に京子ははぁ、とため息をつく。
「それにしても航大のやつ、何考えてるんだか。練習終わっちまうぞ」
時は同じくして――。
航大と中村が一打席勝負をしたあの公園。この場所は、どうやら大きな公園に当てはまるらしく、ボール遊びについては場所が決まっているためトラブルも少ない。何より壁当てができることは、野球少年にとっては嬉しい環境だ。
そんな場所に二つの人影。正体は航大ともう一人。彼は三軍の選手なのだろうか。
「あの、本当にいいんですか。球拾いの僕がこんなことしてて」
「問題ない。今日からお前は二軍に昇格するからな」
で、でもと彼は弱々しくつぶやく。
「ピッチャーやりたいんだろ? お前にはセンスがある。俺を信じろ」
そう言って航大はキャッチャーミットを構える。
「猿渡、来い!」
彼——猿渡はぎこちないフォームから右腕を振り下ろした。
「まあまあってところだな。初日にしてはよくやってるほうだ」
「す、すいません」
謝る猿渡に航大は言った。
「別にいいって。大したもんだよ。初日からいきなりできるならお前は三軍になんか振り分けられるはずがないからな」
すでに日は沈み、電灯の明かりが二人を照らしている。風は穏やかで心地いい。
「そ、その、実は、野球は初心者なんですけど、運動は初心者じゃないんです」
猿渡が言ったことにへえ、と軽く航大は返す。
「僕は5人兄弟の末っ子で、兄たちはみんなサッカーをやってました。家庭の都合上、僕もサッカーをやらされました」
はあ、とため息をつき猿渡は話し始める。
「正直やる気はなくて、でも気づいたらレギュラーになってて。高校でもサッカー名門に行くのか、とか聞かれたり。本当は野球がしたいのに」
猿渡は両手を握りしめる。野球に関してだけではなかった。飲み込みは常人より速い。
「なんで、そんなにも野球がしたいんだ?」
「テレビで見るプロの選手の投球に目を奪われました。僕にもあんな球が投げられるようになりたい。そう思ったんです」
プロ野球選手への憧れだろう。航大も野球を始めたきっかけはそれに近い。「最初の父」
が社会人野球で活躍する選手だったからだ。だが……。
「あの、どうかしました?」
「いや、なんでもない。こんな遅くまで付き合わせて悪かった。明日も頑張れよ」
そう言って二人は別れた。
航大が家のドアの前に立つ。何やらおいしそうなにおいがする。
まさかと思い、ドアを開ける。やっぱり、鍵はかかっていない。
玄関に置いてある靴に見覚えがある。言うまでもなく、来ているのだろう。
「あ、航大くんお帰りー」
「お帰りーじゃない! うちで何やってんだ」
そういう航大を、首をかしげて見る京子。
「何、って晩御飯に決まってるじゃない。変なこと言わないでよ」
「いやいや、あのな。ここは俺の家なんだが」
航大は正論を言ったつもりだったが、京子に返される。
「いけないのは航大くんだよ。鍵、開いてた。泥棒に入られても知らないよ」
そう言えば、航大は鍵を掛け忘れることがたまにある。まあ泥棒に入られても盗られるものなんて特にはないんだが。
「これからは気をつけてよ?」
「すまん」
なぜか航大が謝ることで場が収まった。
航大は風呂を済ませ、京子と二人で夕食をとる。
「で、どうなの。二番手投手見つかった? みんな心配してたよ」
「ああ、見つかったよ。順調だ」
その淡泊な返答に不満なのか、むっとした表情を見せる京子。
「みんなが心配してるのは航大くんが練習に来ないことだよ。教えている子も連れて一緒に練習すればいいのに」
「今はまだ、二年生たちにばれるわけにはいかない。二番手投手の猿渡。あいつはジョーカー。切り札なのさ」
猿渡は飲み込みが早い。コントロールの他に変化球も覚えさせることで、試合で使えるほどまでに出来るかもしれない。
紅白戦まで二か月を切り、それぞれが本格的な練習を始めている。もちろん、航大も調整を続けている。
「それにな、京子。俺は、まだ投球の感覚は戻っていない。左で投げるのは久しぶりなもんでな。時々変な方向にボールを投げてしまう。俺なりの調整じゃないとうまくいかないんだ」
京子は黙って航大の話を聞く。
「だから丁度いいんだよ。猿渡と練習をするのはな。奴には素質がある。特に飲み込みの早さに関してはズバ抜けている。まだ発展途上の投手だが、面白い奴でもある」
「そこまで航大くんが言うなら、私も見てみようかな」
「全然構わない。が、誰にも言うなよ?」
「うん!」
その頃。
「父さん、二か月後の紅白戦。一年対二年で戦うって本当か? 去年はレギュラーと一番手と控えをごちゃ混ぜにして実力を均等にしていたのに」
「ああ。キャプテンの意向だ。まあ私が監督である限りレギュラーは春のメンバーそのままだ。特に変わりはない」
東から来た話を日野は監督に伝えた。
「なるほど。一年の中には私が監督をやることに不満を持つ奴がいる、と。面白いな」
「笑ってる場合かよ。負けたら監督辞めさされるぞ」
「心配いらん。昨夏ベスト8までいった私の手腕があるのだ。入りたての一年生チームに負けるわけがないだろう」
「それもそうだよな。一年のガキ共め。この俺をなめやがって。絶対に叩き潰してやる」
日野監督とその息子、日野 征治。監督とエースの座を守れるか、否か。
時は一刻一刻と迫っていった。