第34話 躍動
合宿が始まった。
練習を進める北近畿シニアのメンバーは暑い日差しが照り付ける中、グラウンドに姿を現した。
「ここがグラウンドか。結構広いじゃん」
広い運動場。野球以外にもサッカーやラグビー、陸上と用途は様々。多目的に使えるグラウンドで、水はけはいつもの練習場より良さそうだ。おそらくしっかり管理されているということなのだろう。
また、合宿所は比較的綺麗で、よく手入れがなされているように見受けられる。こんなところを借りられるのも、それだけ期待されているということ。その期待に応えねばならない。
「二泊三日の合宿。初日の今日は練習。明日が和歌山南紀シニアとの練習試合みたいだな」
「ああ。俺は先発予定だからあとで二〇球、頼むな」
「おう」
中村と航大は言葉を交わす。明日の試合、一軍にいる一年はスタメンだという話を聞いている。中村も気を引き締め明日の試合に向けて調整に入る。
ひと通りのウォーミングアップを終え、内野外野の連携を確認する練習や実戦形式の練習に入る。青木や鍵谷がいい動きを見せた。
「鍵谷、速い! 足を活かして難しい打球に追いついたぞ!」
守備力自体はまだまだ未熟だが、陸上で鍛えた瞬発力、元短距離の選手だったことも幸いし打球を処理することができている。
(常にこの打球が飛んでくるならきついな……。これが野球なんだろうな)
「青木も安定しているな。難しい打球をこぼすことなく捕球している。外野の中心を任せてもこなせそうだ」
東が言う。自身は青木ほど守備が上手くないことを自覚しており、近いうちに左翼または右翼に回されることを理解していた。
(まさかキャプテンが一年に後れを取るなんてな。今年は凄いことになる。間違いない)
内野陣では今西の広い守備が目についた。鋭く二遊間、一二塁間に抜けそうな打球を処理し、他の選手との連携でミスなく併殺を完成させる。
また、内外野の間に落ちそうな打球も危なげなく捕球。内野の守備ではすでに先輩を越えているとコーチ陣も高い評価をしている。
「問題はやはり……」
打撃だ。上位と下位の差が目立つ。実戦練習でそれは明るみに出た。
打者役として入っている選手は打球を飛ばせていない。味方のいい守備を抜きにしても酷い。あまりに打てなさすぎる。
「どうした二年生! ゴロでもいいから打球を前に飛ばしなさい!」
監督の喝も効果なし。三振に倒れ、打者役の選手は落ち込む。
最近この光景を何度も見ている気がする。水原監督はため息をついた。
だが、そんな光景も少しずつ変わり始めていた。
「おい、ちょっと」
打者側として準備していた東が落ち込む打者役の選手に声をかけていた。バットの出し方、狙い球などなどアドバイスをしているようだ。
この合宿で少しでもチームが良くなればいい。
東は自分だけでなくチームメイトにも目を配っている。流石はキャプテン。
責任は人を潰すことも、成長を促すこともある。東は上に立つ人の重圧、上級生から受ける嫉妬など周りの環境に左右されながら乗り越えて来たのだろう。
当時一年ながら彼をキャプテンに指名した前任者は、人を見る目がある。
彼は、成長著しくまだ経験不足な一年たちを支えるキーマンであり、チームの支柱。その役は適任であった。
「上級生が居なくなり、発言に遠慮が無くなった。チームにいい風を吹かせてくれるなら、それも良し」
監督は独り言を小さく呟く。
明日はいよいよ新チーム初試合。いきなり強豪との試合だが、彼らならきっとやってくれる。
練習の光景を見て、水原監督は確信した。
翌日。ついに新チーム初試合の日。
対戦相手の和歌山南紀シニア。近畿ではかなりの強豪で、この間の夏の大会ではベスト四。新チームになってレギュラーの大半が抜けたという話だが、新しくスタメン入りしたメンバーは抜けた穴を感じさせないほどの実力を持つという。
そんな相手にどう戦っていくか。相手の先攻で試合が始まる。
「今日の調子はどうだ?」
「悪くない。いけるところまで投げられそうだ」
航大の調子を訊く中村。この日のために調整を続けてきた航大の状態は良好だ。
事実、今日の投球練習では航大の投げる球が構えたところに来る。さらに球の勢いや精度は夏の大会の時よりも増している。
「全国に行くために、俺たちは今のレベルを知らなければならない。アレを試しておこう」
「ああ、リードは任せた」
初回、体格のいい打者が左打席に入る。相手チームの選手は背丈が高校生並。何を食べればそんなに体が大きくなるのか疑問だ。航大の体格は150センチほど。投手としては小柄だ。体全体を目一杯使わないと、球威のある球を投げられない。
「野球の上手さは、図体のデカさで決まるもんじゃねぇ!」
航大は、自分より恵まれた人間には容赦なかった。打者の内角を突く真っすぐが襲いかかる。
打者は寸前で避ける。初球でいきなりそんな球を投げる選手はいないと踏んでいたのか、反応が遅れているように感じる。
(初球、インハイ。球速は抑えた。これで変化球が効くはずだ)
二球目、先ほどと同じ球速で投げることを意識しつつ、ボールの握りを変える。
投じた球は先ほどとは逆のコースーー外角に。球は打者のバットが当たる少し前から沈むような変化を見せる。打者には直球にしか見えていないため、気づくことはない。
航大と中村の思惑通り、打者は空振りした。首を傾げる様子を見て航大は確信した。
(いける。この球なら……)
三球目。今度はもっと甘いコース。真ん中寄りを狙って投げる。
今度こそ、と打者は思ったかもしれない。だが、それは直球ではない。
ミットの音が響き、バットが空を切る。これが変化球であると気づかない限り、攻略は不可能である。
二番、三番もばっとにかすらせることなく三振に打ち取り、攻守交代。打者の図体がいかに良くてもそれを操り、使いこなす技術が未熟であればどうということはなかった。
「ほえー。まさかベスト四を三者三振に打ち取るとは。たまげた。どんな魔法使ったんだよ」
青木が冗談交じりに笑って、航大に訊いてくる。
「魔法……ねぇ。前、俺と対戦したときがあったろ。……お前にはわかるだろ?」
「普通は気づくもんだけどな。ちょっとタイミングずらせばジャストミートとはいかずとも、バットに当てられるもんだと思うけどな」
それをできなくさせるためには航大だけでなく、もう一人役者が必要だった。捕手の中村だ。
「そこで俺の出番というわけだ。これは投手と捕手の連携が肝なのさ」
打球が飛ぶ条件。それは簡単に言えば、ボールが来たコースにバットを当てること。空振りさせるにはバットが当たる寸前にずらしてしまえばいい。
「初球に速度を落とした直球を見せ、あとは同じ球速であらゆる方向に変化する球を混ぜる。捕手は打者のタイミングを素振りで計り、あとは捕手が変化量を指示する。そうすりゃ、相手は簡単に三振してくれる」
「そこまでとは。俺はあの日、航大だけでなく中村にも出し抜かれていたってことか……」
青木は前の対決で、ファールを打たされていたのだ、と理解した。
彼は思った。航大が味方でよかった、と。
いつかその球を打ってみせる、とも。
直球に見せた変化球の効果は抜群だった。打者は面白いように三振の山を築いていく。
試合が中盤から終盤に差し掛かった頃、相手の監督の怒号が聞こえてきた。
「初戦敗退のチーム相手に何やってる!! 何でもいい。とにかく塁に出ろ!」
未だヒットが出ない和歌山南紀シニア。相手監督は焦りの色を隠しきれない。
だが、何の策を講じようとも無駄だ。航大の球を変化球と見抜けない限り。
とはいえ、北近畿シニアも悠長に構えてはいられない。打線は繋がりを見せ始めていたが、あと一本が出ない。夏の大会と似た状況である。また、相手投手はピンチの場面でギアを上げてくるスタイルのようで、打ち崩すのに骨が折れる。
いまだ両者無得点。打順は三巡目に入る。
「そろそろ相手の速球にも目が慣れてきたんじゃない? この回、点取るよ!!」
水原監督がチームに気合を入れる。円陣を組み、その中心の東が声を上げる。
「まずは鍵谷たち一年だ。俺まで回せば何とかする。打順のいいこの回であの投手を打ち崩す。いくぞ!」
「「おおっ!!」」
打席に鍵谷が入る。バッティングが少しは向上したが、まだ速球を外野に飛ばすのは難しい。できることはひとつ。
当てることはなんとかできる。なら、粘って四球で塁に出る。
鍵谷はストライクゾーンに来る球をカットし、ボール球には手を出さない。
(なんとしても塁に出る!)
一〇球粘り、鍵谷はボールを見送る。
「ボールフォア!」
鍵谷は出塁。この試合初めて、無死で塁に出た。
次は今西だ。バントで走者を二塁に進める。
「さーて、俺の時間だ!」
青木が構える。得点圏にランナーがいる状況で、投手はギアを上げてきた。だが、青木には関係ない。
初球の速い真っすぐが真ん中に来る。球威はありそうだが、コースが甘い。青木は迷わず振り切った。
「回れ回れ!」
強烈な打球が外野手の頭を越え、鍵谷は三塁を蹴ってホームベースを踏んだ。打った青木は二塁到達。
相手投手はおそらく和歌山南紀のエースになる選手だろう。それほどいい直球を投げてくる。事実、北近畿シニアの打線はここまで無得点に抑えられていた。勝負所でギアを上げてくる手強い相手に対応するのは他の上級生であっても難しい。青木は一番難しい仕事をやってのけ、均衡を破ったのだ。
全力投球を跳ね返された相手投手。ずっとギアを入れっぱなしにはできないはずだ。球威が若干落ちるだろう。
それを叩くのは中村にとって容易かった。
「青木が先制打を打ってくれて助かったぜ。おかげで楽に打席に入れる」
独り言をつぶやき、中村が打席に入る。狙いは初球だ。
(……ご苦労さん。また秋の大会で会おうぜ)
中村は、初球の球威が落ちた直球を振り抜き、場外に放り込んだ。
試合はそこから東がとどめを刺す長打を放ち、打線が繋がるとここぞとばかりに集中砲火。打ちに打って先発投手をノックアウト。
打者一巡の猛攻で一挙七点。その時点で大勢は決した。
守りの方は最後まで航大が投げ抜き、完封。終盤コントロールが乱れ二つの四球を出したが、それ以外は完璧な内容だった。ノーヒットノーランはおまけである。
試合後、合宿場内の広場で北近畿シニアはミーティングに入る。
「序盤は速球に苦しんだけど、中盤から終盤にかけての攻撃はお見事。一見打ち崩すのが難しい相手でもスタミナは無尽蔵ではない。その機会を見逃さない、いい攻撃だったわ」
監督が総評を語る。選手たちはその話を黙って聞いている。
「守備は……。おめでとう、航大くん。練習試合とはいえノーヒットノーラン。現状で航大くんを上回る投手は練習を見る限り、居ない。秋の大会のエースナンバーは彼に託します」
沈黙していた二年生からはどよめきが上がる。特に一軍の投手からだ。航大がさらに力をつけていけば秋の大会はおろか、最後の大会でもエースナンバーを着ることはないということになるだろう。
危惧しても遅い。監督が水原監督に変わってから、すでに歯車は動き始めていたのだから。
実力主義のチームは強くなる。強い選手がスタメンに名を連ね、上級下級関係なく選手全員がレギュラーを掴むチャンスがあり、それを目指して汗を流し切磋琢磨する。今日の試合の結果を見れば、それが良い結果に繋がることは明らかである。
「前々から決めていたことなのだけれど、今日試合に出た一年生。航大くん以外のあなたたちもレギュラー当確。秋の大会、たくさん暴れてくれることを期待しているわ」
それも当然のこと。夏の大会ベスト四、秋の大会でおそらくエースとして出てくるであろう相手を打ち砕いたのは一年生。レギュラーを手にするのに相応しい実力を見せつけた。目立ったミスもなく、安心して任せられるということも理由だ、とも監督は言った。
「……さて、反省はこの辺にしときましょう。ここからは自由時間よ。自由とは言え、他の方に迷惑をかける行為だけは慎むように。以上、解散!」
すでに日は落ち、もうすっかり夜となった合宿場。ナイター照明に照らされたグラウンドで練習する者、星を眺める者、談笑する者……。
航大もその例に漏れず、一人合宿所内の窓から星を眺めていた。
「よう、隣良いか?」
「中村か……。練習はいいのか?」
尋ねる航大に中村はふぅと息を吐き、グラウンドに目を向ける。
「さすがに今日は疲れた。フル出場なんて紅白戦以来だ。今日くらいは休ませてくれよ」
「俺もな。今日はもう休みたい気分だ」
さすがの航大も百球近い球数を投じている。肩を冷やしたり、軽めのキャッチボールなどでクールダウンはしていたが、疲労がないわけではない。
「なあ、航大。あっという間だな」
「何が?」
中村は笑みを浮かべ、夜空を見る。
「最初はどうなるかと思った。三軍のまま野球をただやって中学を終えるのか、それとも一度くらいは何かのきっかけで試合に出れたりするのかな、とか。お前には感謝してる」
再び、グラウンドに目を向ける。鍵谷、今西ら打撃に課題のある選手が主将の東のレクチャーを受けつつ練習に励んでいる姿が目に映る。青木は黙々と素振りを繰り返している。
「このチームは凄いな、航大。ここには真剣に野球に取り組んでいる連中がいる。ああいう地道な努力が実を結ぶんだよな」
「……それはお前も同じだ、中村。お前だって努力したからここに居る。俺の球を捕っているのが上級生じゃなくお前だというのはそういうことだ」
そうだな、と中村はうなずく。
「一か月後だな、大会。今度は行きたいな、全国」
「行けるさ。俺たちなら」
「おーいお前ら、花火やるぞ!」
「ああ、今行く! 航大も行くぞ!」
中村に無理やり引っ張られ、航大はやれやれと思いつつ外に出る。
思えば、中村が航大に押しの強い誘いがあったから、航大は北近畿シニアにいる。感謝しないといけないのは航大の方だ。
それはいつか言おう。まずは秋の大会で結果を残さないと始まらない。
上級生がロケット花火を打ち上げる。散らばる色とりどりの光は鮮やかで、チームメイトは歓声を上げる。いつの間にか練習を終えたらしい青木たちも混ざり、花火を楽しんでいる。
水原監督はその様子をじっと眺める。子供を見守る母親のような温かい目で、笑みを浮かべていた。
(チームは確実に強くなっている。秋の大会、楽しみね)
そして、北近畿シニアは充実した合宿の勢いそのままに、秋の大会を勝ち進んでいくこととなる……。




