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マイ・プレイス  作者: 国木田エイジロウ
出会って、別れて、また会って
32/64

第31話 俺たちの時代

 捕手が中村に交代した北近畿シニアは味方の守備でピンチを脱する。

 五回裏。あと三イニングで、五点の差を跳ね返さなければ浜本ら三年の最後の大会は終わる。

 現状、あと一本が出ないチーム。水原監督はベンチメンバーを見る。

(中村くんを使ったとはいえ、期待の一年生は四人残っている。航大くんは次の回から投げさせるとして……)

 そう考え、水原監督は青木や鍵谷、今西に声をかける。

「いつでも出られるように準備しておきなさい」



 打線はなんとかチャンスを作り、ここまで好機で倒れている打者に打順が移る。浜本と同じく三年。最後の大会に懸ける思いは人一倍ある。だが気持ちだけではどうにもならない。

 技があってこそ心が活きる。水原監督はそのことに気付いていた。

 今日の打線には穴がある。監督は浜本のときと同じく、非情な采配を見せる。その目に迷いはなかった。

「選手交代! 代打青木くん!」

(待ってたぜ、この時を!)

 にっ、と笑い青木はヘルメットをかぶって打席に向かう。

 対照的に交代を宣言された三年は悔しそうに拳に力を込め、ベンチに座る。

 その様子を黙って見つめる航大。

 実力のあれば誰だって試合に出られる。その流れがチームに浸透しつつある今。三年生、本来最後の大会、区切りをつけるべき試合で途中交代を告げられるのは屈辱以外のなにものでもない。

 全く捉えられていないというわけではないが、打線が繋がらない。線ではなく点の集まりとなった打線を文字通り線にするべく、監督は動いた。それが非情と呼ばれようとも。

 青木はその期待にどう応えるか。技を買われて打席に立っていることを考えれば難しいことではあるが、それは単純だった。

 金属音が響く。打球は放物線を描き、球場のフェンスを越えた。

 

「よっしゃー!」

 青木の叫び声。ベンチからの歓声が響く。ようやく北近畿シニアは一点を返し、相手を攻め立てる。

 さらに連打でチャンスを作り、一、二塁のチャンス。

「二塁ランナー、代走に鍵谷くん入ります」

 簡単な準備体操を済ませ、塁上のランナーと交代する鍵谷。監督は揺さぶりをかけ、追加点を狙いにいくようだ。

「さて。中学陸上界最強の少年は代走でどんな結果を残すかねぇ」

「足が速いだけじゃ、盗塁は成功しない。試合に出てるってことはそれなりの練習積んだってことだろ。実力重視の水原監督が選んだわけだからな」

 チームメイトの会話が聞こえる。大会まであと僅かなところで北近畿シニアに入団し、いきなり一軍所属となった鍵谷。最初はその実力を疑問視する声が多かったが、彼の日に日に上手くなっていく走塁と上達速度を見れば文句を言う人間は少なくなっていた。

 監督がサインを送る。

(行ければいつでも行って良し!)

 ヘルメットのつばを右手で抑え、了解です、とひそかに合図を送る。

 鍵谷はふぅ、と息を軽く吐き目線を打者に目線を向ける。

 相手はこう思っているはずだ。

(単に足の速い選手に代えただけ。打席には左打者。三塁方向は捕手に丸見えだ。三盗はない)

 ……これがあるんだよな。鍵谷はベンチで先発投手の様子をずっと見て、クセを見抜いていた。

 投球動作を始めようとした左足が動いた瞬間、鍵谷は迷わずスタートを切った。

「ランナー走った!」

「な、何だと!!」

 投手も捕手も困惑している。

 投球は外角のボール球。虚を突かれた形になったようだが、捕手の体勢は決して悪いわけではなく、刺せなくもない状況だった。

「させるか!」

 捕手は三塁に送球。中村はわかっていた。鍵谷は刺せない。

 送球自体は悪くなかった。だが、鍵谷の足はほぼ正確な送球をもってしても、並の捕手では止めることはできない。

「セーフ!」

 三塁塁審の声が響く。歓声が聞こえる。流れは傾きつつあった。

 一、三塁。二死でない限り、投手にとっては嫌な状況である。

 なぜなら無安打でも一点が入るのだから。


 一塁ランナーがスタートを切る。スタートが遅れ、投げれば並の捕手でもアウトにできるタイミングだった。

「バカめ!」

 先程アウトに出来なかったリベンジと見たか、相手捕手は二塁に送球。この判断が軽率だった。

 捕手からボールが離れた瞬間、それを狙っていたかのように鍵谷は本塁に向けてスタートを切っていたのだ。

 捕手が二塁に送球したとき、鍵谷はホームベースまでの最短距離を走破すべく、猛ダッシュ。

「短距離なら負けんよ、俺は」

 二塁手が鍵谷の本塁突入に気づき、捕球後間もなく捕手に投げ返したがもう遅い。

 送球が捕手にたどり着く前に鍵谷は本塁を陥れる。遅れ気味に走った一塁ランナーも二塁到達でオールセーフ。なおも得点圏にランナーがいる状況。チャンスは続く。



 相手を攻める北近畿シニア。二死ながら打席には中村。2点を返した北近畿シニアだがここでまだ終わるわけにはいかない。中村は直球を狙い撃つ。

「来た!」

 だが、残念なことにフルスイングした打球はあと一歩伸びが足りず、外野手のグローブに収まった。

「ああ……」

 ため息が漏れるベンチ。練習では打撃もかなり向上している。だが実際の試合ではそう簡単にいかない。

 攻守交代。航大は投手用グローブを左手にはめる。

「行ってらっしゃい、航大くん」

「はい」

 下の名前で呼ばれることに対する少しの照れを隠しつつマウンドへと向かう。

「投手交代。大村くん入ります」


 

 航大の投球と中村のリード。合わさればまさに無敵であった。相手の打者は面白いように三振の山を献上してくれる。

「馬鹿な、なぜ打てない。相手は真っすぐだけだぞ!」

 迷い、焦りが相手のスイングスピードを鈍らせる。真っすぐだけ。その先入観は罠だ。

 航大自身も目には見えない成長を遂げていた。

 球速はそれほどないが、ほぼ同速で打者の手元で変化する魔球。

(本人曰くツーシームとか言ってたな……。これってそんなに空振り取れるもんなのか?)

 変化球とバレないように平然と捕球するのは極めて難しいがやるしかなかった。

 覚悟を決めた中村のミットはブレない。

(キャッチングだって相当練習したさ。最初は手がアザだらけになってたが、今では勲章だな)

 バッテリーは三球三振で相手に流れを渡さない。

 守備では途中交代で入った今西が、内外野の中間に落ちそうな打球を後ろ向きでダイビングキャッチ。守備範囲の広さに驚きの声が上がる。

 東は感じていた。

 次の世代は面白い。今年のメンバー以上に個性的で大化けする要素が十分にある。

 三者凡退で追加点を許さない。点差もじわりじわりと詰めていく……。



 最終回。一点差まで追い上げた北近畿シニアは二死ながらニ、三塁と最後のチャンスをつくる。ここで打てば逆転サヨナラだ。打席には中村。ここまで打撃でいいところ無し。

 粘る中村。ここはヒットでいい。だが中村はそれを望んではいなかったようだ。

「ここで決めなければ誰が決めるんだ!」

 甘い球だった。真ん中に来た球に狙いを定めた。

 迷うな! 振れ!

 中村の心は躍る。ここで決まる。俺が決める。強い気持ちが前面に押し出される。

 相手投手の顔が一瞬見えた。彼は笑みをこちらに向けていた。

 ……どういうことだ。その意味が分かる前に手元でボールが減速した。

「チェンジアップ……」

 タイミングがずれ、体制を崩された中村。辛うじてバットに当てるが、打球は二塁手の正面だった。

 中村は走る。アウトがコールされるまで、まだ終わりじゃない。

 結果は明らかだった。それでも諦めたくはなかった。



 中村のヘッドスライディングも空しく、試合終了。北近畿シニアの初戦敗退が決まった。

 ベンチは静まり返り、勝利を信じたベンチ外の選手からは落胆やため息が漏れる。

「整列だ」

 その声には心がこもっていない。一塁ランナーコーチとして入っていた浜本だった。

 中村は起き上がらない。それを浜本は冷めた目で見つめる。

 体が重い。自分が最後の打者になったこと事実を突きつけられたのか、ベース上でうずくまったままだ。

「早く立て、ガキ」

 今までにない口調で、かと言って叫ぶわけではなく静かに告げる声。それはまるで鋭利な刃物のようだった。

 無理やり起こされ、中村は整列のために歩を進めた。



 以降の記憶は抜けている。監督が何を話していたのか覚えていない。

 元々、どうしようもなかった。ほぼ負けな試合を接戦での負けに戻しただけで、実際は試合そのものは一度もひっくり返してはいない。そう思うので精一杯。気持ちはまだ落ち着かない。

 


 気がつけば、中村は北近畿シニアの練習グラウンドにいた。

 何もせず、時間だけが過ぎていく。

 周りが暗くなっていく。ベンチに座ったまま、バットを握らず、自分がなぜここにいるのかもわからない。

 足音が近づいてくる。

「あとは監督だけだ。自主練するなら言っとけ」

 中村は何も言わない。

 突然、胸倉をつかんできた浜本は言う。

「副キャプテンの俺を押しのけて試合に途中から出て、最後の打者になって敗北」

 中村のユニフォームを握る手はぶつけようのない怒りに震えているようだった。しばらくして彼は手を放し、軽くてのひらで突き飛ばす。

「とんだ恥さらしだ。初戦敗退はチーム発足以来だとよ」

 言葉が出ない。

「まあ今のお前に何ぶつけても憂さ晴らしにはならねえ。俺の野球はもう終わったんだから」

 中村はただ歯を食いしばる。それが自分の実力不足に対する苛立ちなのか、三年のあまりにも早く引退させてしまった後悔なのか。それは本人にしかわからない。

「悔しいか。なら、死に物狂いでバットを振れ。両手が血まみれになるまで振り続けろ」

 


 タイヤを勢いよく蹴るような音がする。

 水原監督が今日の采配の振り返りを終え、スタッフ室を後にしたとき、凄い音が聞こえていた。

 何事かと思い、グラウンドに目を向けると中村がたった一人で練習をしている。

『もう俺は二度と野球はやらん。俺は今のお前に実力で劣ってるとは微塵にも思わないが、最後の最後で屈辱味わって、また野球やりたくなるわけないね。まあ頑張れや。お前は、俺みたいな可哀想な目に遭わないといいな』

 浜本が去ったグラウンドで一人。中村は考えながらバットを振った。

 自分はなぜここにいるのか。監督がチームを陰ながら支えてきた浜本を退かせたのは何故だ。

 自分は何を期待されて、浜本と代わったのだ。

 二年生ではなく、なぜ自分なのだ。

 わからない。わからない。わからない。

 

 自分が終わらせたのだ。三年生の夏を。あまりに早い終わり。その幕を引いたのは中村自身だった。

「あああああああっ!」

 重い十字架を振り払う絶叫がグラウンドに響く。

 力いっぱい振りぬいたバットがタイヤに直撃したそのとき、タイヤを縛っていた紐が切れた。

 ナイターの明かりに照らされた黒い物体は、宙を舞った。それは外野をゆうゆう越え、スタンドに届く。

 その様子を静かに見守っていた水原監督は口をポカンと開けたまま固まっていた。中村自身も何が起こったのか理解が追い付かない。



 負けはときに人を強くするらしい。立ち止まらずに進み続ければ、必ず昨日までの自分を越えられる。

 もう、俺たちの時代だ。自分が、チームを引っ張る番だ。

 風向きは変わった。

 中村は血の付いたボロボロの手をズボンで雑に吹いて、雲一つない夜空を見上げた。

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