第28話 ようこそ
1回目の紅白戦。紅白戦とは言うが、実際は二軍対三軍の交流試合で、1軍メンバーには関係ない話である。航大は北近畿シニア所属が浅いことから、詳しい事情についてはよく知らない。
一軍メンバーは、新しく一軍に上がってくる選手にポジションを取られないように、と思っているはずである。
だが、試合を観て思う。それはないな、と。
一軍を脅かす選手はいない、ということだ。
「こりゃ昇格者ゼロだな」
一軍の試合が終わり、航大は紅白戦が行われている京都北部の練習場を訪れる。自販機で買った缶ジュースをかばんから手に取って、ため息をつく。
試合は終盤だったが、両者のスコアは酷いものであった。二軍の大量リードであったが、両者ともにミスが多い。
二軍は格下との練習試合は月に一、二度組まれているらしいが、それにしては練習したことが発揮されていないように感じる。そもそも航大は二軍以下の練習メニューの内容については全く知らないため何とも言えないのだが。
捕球送球のミスは当たり前。トンネル、後逸……。思いつくエラーは全部やっている感じで酷い有様だった。
「三軍はともかく、二軍は実戦経験あるだろ。何やってんだ」
航大は一人ぼやく。誰もそばにはおらず、この試合を静かに観戦している人は数人だが多くはない。選手の親御さんかもしれない。おそらく帰ったら激を飛ばされるだろうな、と航大は勝手に思う。
一人の選手に目線を移す。守備側の三軍で一人、奮闘する選手が目に映ったからだ。
中村剛志。航大を北近畿シニアに誘った少年である。野球経験は家庭の事情でなかったが、野球が誰よりも大好きである。それは航大が彼と入団テストまで一緒に練習していたときに何となく感じていた。
(意地を見せろ、中村!)
捕手の後方にフライが上がる。バックネットに近い。
捕れない、これは見送る。守っている捕手ならそう思うだろう。だが、中村の足は動いた。
「絶対捕る!」
フライ目がけて走る中村。ボールに飛びつくと同時に壁にぶつかる。気迫のプレーに球場内は騒然と歓喜が入り乱れる。
(見事だ! 中村!)
初心者からフライを捕れるようになるまではかなりの時間がかかる。実際のところ、航大はボールを難なく捕れるようになるまで一、二年かかった。とすると、中村はかなりの練習を重ねたに違いない。
どんな世界にも要領よくこなせる人はいる。それを才能で片づけるのは簡単だが、その裏で血のにじむ努力が必ずあるということを忘れてはいけない。練習を疎かにしていれば周りに追い抜かれる。継続こそが上達の近道。航大は中村がそのことをわかっているような気がした。
アウトが宣告され、攻守交代。三軍の最終回。
二軍の投手は淡々と投げている。決して速い球ではなく、一軍のレベルには遠く及ばない。だが、三軍の選手は面白いように空振りする。それほど実力の差があった。
あっという間に二アウト。中村が左打席に入る。
「俺は……負けない!」
初球。甘い真っすぐを引きつけてバットに当てる。
他の選手がかすりもしなかった直球を中村は振り遅れながらファールにしたのだ。それだけで三軍選手とは違うことがわかる。
二球目。今度は外角に投じられた真っすぐにタイミングを合わせバットを出す。速い打球が三塁方向へと飛ぶ。
が、残念ながら打球は左方向へ曲がりファールゾーンへと吸い込まれていく。
追い込まれた中村。だが、表情に不安や焦りはない。食らいつく。その一心で彼は打席に立っている。
三球目。徐々にタイミングが合ってきた真っすぐに、バットを振りぬく。
「当たれ!」
打球は外野、センター方向へ。バウンドした打球を外野手が捕球する。
中村は塁上で小さくガッツポーズ。その様子を見ていた航大の顔から笑みがこぼれる。
「まずは前進、だな」
中村の成長を見た航大はグラウンドから去る。
自身が控える春季杯。登板の可能性に備えて走り込みでもしておくか、と航大は思った。
「監督、居残り練習いいですか?」
「ああ、好きにして構わんが……。あまり無理しすぎるなよ」
「はい!」
たった一人のグラウンドで、中村は素振りを続ける。航大とのバッテリーを実現するために。
さすがに誘った人間が一度も一軍に上がれないのは嫌だった。
結局、一安打放っただけでは二軍昇格の話はなく、もう少しアピールが必要なのだと中村は自覚した。次に照準を合わせるのは夏季大会前の紅白戦。一軍は無理でもせめて二軍には上がりたい。その日は来週に近づいていた。
練習終わりに居残りをするのは相変わらず中村のみ。ガラガラのグラウンドで素振りをしたり、ときにはコーチに手を貸してもらいマシンを使っての打撃練習をこなす。
三軍の人数はかなり減った。原因は過酷な練習と試合に出られない不満。ただドロップアウトした連中は基礎の基礎ですら投げだすような連中だった。そんな彼らが上手くなるなんて到底不可能だった。
一人一人と減っていくメンバーをよそに中村は練習を続ける。三軍で毎週の練習の後に残ろうとする意志があるのは中村だけだ。
「よっ、3軍で残ってるのはお前だけか?」
唐突に現れ、声をかけて来たのは航大だった。1軍の練習を終え、これから帰るところらしい。
もう一人、背の高い女性が隣に居た。一軍の水原監督だった。
「な、なんで監督と……お前が?」
「いやまあ色々あってな。しっかり練習してんな。次の紅白戦、俺は観に行けないが頑張れよ」
その言葉に待ったをかけた水原監督。航大の脳裏に疑問符が浮かぶのだが、監督は言った。
「そうだ、あの捕手の件。"彼"が適任なんじゃない?」
航大は驚いた表情を見せ、監督に返す。
「いや、俺の一存で決める話じゃないと思うんですけどね。そもそも、実戦を見てみないと何もーー」
「じゃ、こうしよう。来週に2軍対3軍の紅白戦があるわよね? 私、観に行くことにするわ」
一軍と言えば来週は練習試合が組まれていたはず。無理な話だった。航大が監督に何か言おうとするが、それを遮って監督は続ける。
「試合の方は、コーチに任せるわ。それに、解説役として大村くんも来るのよ。これは監督命令ね」
「パワハラだ……」
「馬鹿なこと言うんじゃないの。ちゃんと理由はある。私を信じなさい」
航大にとっては練習試合がまたとない登板機会、アピールのチャンスであることは自覚していた。
「何、心配しなくてもあなたは背番号貰えるから。背番号の最終決定権は私にあるんだからね~」
やれやれ、と内心思った航大は苦笑い。中村は航大に小声でささやく。
「なあ、あの人ホントに一軍監督なのか? 俺、信じられないんだけど」
「凄いぜ、この人は。最初はちょっとお茶目なところがあって全然監督にはーー」
「聞こえてるわよ」
あれから何だかんだ、用事があるから帰ると中村に告げ、航大は水原監督と帰路についていた。
「監督……本気ですか?」
「私が冗談を言うとでも? 一軍の状況は貴方もわかっているでしょ?」
「まぁ、それは……そうですけど」
投手は春季杯で施した監督の荒療治が見事に吉と出て、復調した。だが、問題は他にあった。捕手だ。
一軍は今、捕手の代役が欲しい。控えの真鍋の長期離脱、スタメンの三年生、浜本は安泰かもしれないが併用された足立はパッとしない。おまけに二軍に目ぼしい選手がいない。
「怪我はするわ、不振だわ、うちの今の弱点は捕手の代役なのよね。中村くんでビビッと来たわ。ま、私の勘だけど」
監督は中村の練習の姿勢に心を動かされたらしい。
「確かにキャッチングだけなら上手いと思いますよ。俺の球、普通に捕れるんで。それ以外の部分はまだまだ。入団テストのときよりかは成長してるとは思いますが」
「すべては来週わかるわ。楽しみね」
「ええ」
一週間後、二軍と三軍の紅白戦が行われる日。
戦力差は明らかで三軍には早くも敗色濃厚の雰囲気が漂っており、諦めの言葉が次々に飛び交う。
「ま、気楽にやろうぜ。どうせ勝てやしないんだからさ」
瞳は燃え上がるどころか冷め切っており、ため息をつきながら、二軍選手を眺めている者が多数。へらへらしている選手もいる。
確かに対外試合の経験の有無、実力、練習量。全て相手が上なのだが、逆境を跳ね返さなければ二軍、一軍へとは進めない。彼らが三軍でくすぶる理由に全く気付いていない。
そんな中、目の輝きが失わず、静かに相手投手を観察している選手が一人。捕手としてスタメン出場の中村である。
まだ、一軍のレベルに達してはいないだろう。だが、姿勢の上では二軍には負けていない。
(頑張れよ、中村……)
試合は始まった。
「……うむ。リードは悪くない。それよりも、気になるのはあの投手のコントロール。練習に励んでいたのか疑問だわ」
水原監督は航大と試合を観る。その中で監督としては、色々と気になる点があったようだ。
「配球、コースは文句なし。でも、そのリードに投手がついていけてない。この試合の勝ち負けで昇降を判断するのはよくない」
監督はいいプレーをしている選手を三軍スタッフは見逃しているのでは、と疑ってかかっているようだ。
捕手に関してがその例だ、と監督は言う。投手が打たれたときは捕手の責任。評価されるのは試合に勝ったときだけなのだ、と。
だが野球には勝ち負け以上に大切なことがある。
「ダメなときはみんなで補う。チームは捕手という司令塔に支えられている。けれども、捕手だってチームメイトに支えられているから司令塔の仕事を全うできる」
自然と支え合い、補い合い、ときにはぶつかりながら大きな目標、日本一を目指すために戦う。
そのために全力を出し切ること。自分が持てる最大限の力で強敵に挑む。その意志があるものだけが、一軍のユニフォームを着る資格を持つのだと監督は言う。
「さて、どうしたものかな……」
最終回を残し、15点差がついたスコアボードを見て監督はつぶやいた。
誰がどう塁に出ようとも三軍の負けは確定していた。15点差を覆す力など三軍にはない。
それでも中村は、何とか結果を残したく、素振りを繰り返し、相手の投球のタイミングを計る。ここまでの打席での結果は全て、あとひと伸びが足りない外野フライ。
「もっと速く!鋭く!!」
両手にある無数の潰れたマメ。手が痛むが、この痛みもこれまでの努力の証。
真ん中高めに来た直球を金属音とともに打ち砕く。
白球は高々と舞い上がり、スタンドへ吸い込まれる。
笑顔はなかった。
「まだ三軍かな。すまん。来年までバッテリーはお預けかもな」
そうつぶやき、中村はダイアモンドを一周する。
「さて、中村くんと話をしますか」
水原監督と航大は試合後、三軍の監督コーチ控室に向かっていた。
「どうなんでしょう。あいつは」
航大は恐る恐る水原監督に尋ねる。
「一度、大村くんとバッテリーを組ませてみたくなった、かな」
大量失点は捕手ではなく、コントロールが壊滅的だった投手陣に責任がある。水原監督はそう考えていたようだが、三軍の監督、コーチ陣はその考えとは真逆だった。
コーチ控室に着くと、罵声が聞こえてきた。
「何だあの失点の数は! 居残り練習してそのザマか!」
「もう辞めるか、中村。これ以上努力してもこの結果では、仕方ないだろう」
罵声を浴びせる監督が欲しているのは勝てる捕手らしい。中村はうつむくことしかできない。
「お前には野球の才能はないんだろう。これ以上続けても、2軍昇格すら厳しい。心苦しいが、私は退団を勧める。どうするかはお前の自由だ」
言いたい放題な三軍の監督。航大は怒りに震えていた。ドアを殴ろうとしたそのとき、監督に止められる。
「私が何とかするわ」
そう言って水原監督はノックしてドアを開けた。
「おっと、お取り込み中でしたか」
「な、水原監督?! 今日は練習試合があると聞いてましたが……」
三軍監督の慌てっぷりを見ると、実に滑稽であった。そばにいる航大が先ほどの怒りを忘れたように笑っている。
「……今日の試合観させてもらったわ。15対1。投打共に3軍は振るわなかったわね」
「そ、そうなんですよ。何と言ってもうちの中村のリードが今日の大量失点をーー」
「中村くん。よく、15点で抑えられたわね。並の捕手なら軽く30点以上は取られていたかしら。集中力を切らさず最後にホームランを打ったあたりは称賛に値するわ」
今日の試合、打撃はともかく、大量失点した自分のリードをほめる人などいないはずだった。中村は驚いて目を見開き、水原監督に目線を移す。
「な……何を言って。こいつは二軍に昇格する資格などーー」
「わかってないわね」
やれやれと息を吐き、三軍監督を冷たい目で睨み付ける。
「投手も野手も練習を積んでいるようにはとても見えなかった。三軍の噂は耳に入れていたけれどここまで酷いものだとは思わなかった。貴方も貴方で最低の監督ね」
水原監督は、15点取られながらも集中力を切らさず、最後の最後で結果を出した中村を評価していた。
「突然だけど、中村くん。貴方を1軍に招待します。故障で長期離脱になった真鍋くんと入れ替わりということで、一軍の戦力として、期待しているわ」
最期に一つ、と水原監督は三軍監督に向かって言った。
「選手を動かし、勝利に導くのは監督の役目。勝てば選手の手柄、負ければ監督の責任。心に留めておくことね」
一軍の練習場に向かう、中村と水原監督。おそらく練習試合は終わっており、希望者が自主練習をしている時間帯だ。
「中村くん、貴方には一つ覚えていて欲しいことがある」
水原監督はその道中、中村と話をしていた。
「な、何でしょう?」
「野球は確かに結果が全て。でもそこに至るまでの過程が大事なのよ」
水原監督が求めている選手。それは、たとえ何十点取られようと、諦めない選手。彼の両手の無数のマメを見て監督は確信したのだという。彼ならチームに良い風を吹かせられる、と。
「忘れないで。貴方のことをちゃんと評価する人、支えてくれる仲間も居るってことを」
「ええ、特にあいつとは約束してますから」
「バッテリー、ね。勝ち取ってごらんなさい。大村くんとの一年生バッテリー。私は楽しみにしてるから」
一軍には最高の環境がある。野球に熱心な選手たちと切磋琢磨してもっとレベルアップしたい。
中村はこれから始まる戦いに胸を躍らせていた。
一軍のグラウンドに着く。自主練習中の数人から今日の試合がどうだったのか、簡単に理解できた。
「12対ゼロか。終始退屈だったよなー」
「あ〜不完全燃焼って感じ」
二軍の選手とは比べものにならないくらいの迫力。それぞれが異質で凄まじいオーラを放っており、付け入る隙がないように感じた。
一軍選手の様子に驚いている中村に、主将の東が近寄って声をかける。
「ようこそ、北近畿シニア一軍へ。今日からお前は、本当の意味で北近畿シニアの一員だ。共に日本一を目指そうや」
「宜しくお願いします」
痺れるような感覚を背中に感じつつ、中村は東と握手を交わす。
夏季大会を前に、中村は思わぬ形で背番号を手にした。
"伝説の五人"が集うまで、あと二人。
伝説の五人
大村航大、中村剛志、青木竜二、???、???




