第11話 それぞれの明日
紅白戦が終わり、六月。
季節は梅雨真っ只中。雨でグラウンドの状態は悪く、予定されていた練習は室内での基礎練習になる、と東から連絡があった。
甲子園の予選まで一ヶ月を切り、あまり練習も無駄にはできない時期になった。
が、紅白戦後のチームの状況はあまり良くなかった。
一年チームが勝ったことにより、監督が正式に水原先生になった。これで一年生がスタメンを連ねることとなり、その後の練習試合でも一年主体の打順が組まれることになった。
二年生のほとんどは、一年チームが勝った場合レギュラーを奪われることを冗談だと思っていたが、練習試合での出番が少なくなったことで実感した。
そしてある時、それは起きた。
二人の部員が日野を呼び止める。
「日野、ちょっといいか?」
「ん? 黒部と永山か。どうした?」
二人から発せられたそれは、日野にとって聞き捨てならない言葉だった。
「今日限りで、俺たち野球部辞めることにしたから」
「お、おい……。それってどういう――」
「レギュラーで試合出れないならつまんねえんだよ。俺たちは小学校から野球をやってきた。一年より実力が劣ってるなんて信じたくなかった」
二人は猿渡からヒットを打つことができなかった。そもそも紅白戦では無安打だった。
黒部と永山のポジションは外野。青木や鍵谷のいるポジションを奪うのは難しいだろう。それがこのような決断に至った原因だろう。
「俺たちはじっくり考えて、決めたんだ」
「だ、だが」
「夏の大会、残ったメンバーで頑張れよ」
「おい、待てよ、おい!」
叫ぶ日野の声に耳を傾けることなく二人は去って行った。
紅白戦が終わっていつもの教室。航大は大きなあくびをした。
昼休み。航大にとってこれほど暇な時間はない。
「……寝不足?」
隣に座る京子が訊いてくる。
「いいや。ちょっと退屈なだけさ」
事実、野球で全国の頂点に立つという目標をもった航大はそれ以外のことにあまり興味が湧かなくなった。
授業中はなんとかノートはとっているが、あまりにも退屈だ。
「野球、頑張ってるみたいね」
女子の声がした。藍野 岬だ。岬は学級委員に選ばれ、このクラスのリーダー的存在となった。生徒会長も狙っているようで応援演説をしてくれる人を探しているらしい。
「まあな」
航大はそう返す。
「二年チームを倒してからレギュラーで頑張ってるんだっけ? 今年の夏は期待できそうね」
「どうかな。そんなに甘くはないだろうが、自分のやれることをやるだけだ」
授業が終わり、部室へと向かう航大と京子。
「何なんだ、あいつは。新聞部か何かか?」
あのあと岬に根掘り葉掘り聞かれ、航大の昼休みは潰れた。ただでさえ授業が退屈なのに疲労はさらに増した。
「航大くんや野球に興味があるんじゃない?」
やれやれ、と航大はため息をつく。
部室に着いて、ドアを開ける。それなりに広く、ロッカーまであるあたりはさすが私立高校である。
部屋にはうなだれる日野と近くに日下部。それを遠目で見る中村。
「……何があった?」
「また辞めたんだとさ、二人」
部員の減少は今日に始まったことではない。日が経つにつれて練習に参加していた部員が来なくなっていた。特に二軍となったメンバーや紅白戦にすら出られなかったメンバー。
だが、こんなにもはっきりと部員が辞めるということになったのはこれが初めてである。
「何故だ。黒部、永山……」
そう呟き、日野はうつむいたまま。
黒部、永山といえば、紅白戦に出場していた二年チームの選手。航大の目から見て平凡な選手という以外には特に目につくようなところもない。
「しょうがないんじゃないですか。本人たちが辞めたいならこっちには止める権利はないですからね」
平然と言う航大を見て日野は睨みつける。
「あいつらは一年間共にやってきた仲間だ。お前にそんな気持ちがわかるか!」
「……わかりませんね。ライバルが減ってよかったんじゃないですか?」
「てめえ!」
心無い言葉が逆鱗に触れた。
日野が航大に殴りかかる。それを必死に抑える中村と日下部。
「俺は事実を言ったまでですよ。日野監督のぬるま湯に浸かっている年功序列の時代は終わったんだ。これからは完全実力主義のチーム。レギュラーにこだわりたいのなら他校に逃げればいい」
日野は部室を出る。
「おい、どこに行くんだ」
「今日の練習は出ない!」
日下部の制止を振り切って日野は走り去った。
「……だから負けたんだよ。春も、俺たちにも」
航大は呟く。それを聞いて日下部が言った。
「大村。日野が気にいらんのはわからなくもないが、冷静になってほしい。あいつはずっともがいていたんだ」
日下部は話し始めた。
日野は父が監督を務める龍山学院に進学した。幼い頃から父の期待に応えようと必死でいつかは父と共に甲子園の舞台に立ちたいと思っていた。野球以外取り柄のない彼はこの野球部こそが自分の居場所だった。それがいつの間にか、環境に甘んじていた。
そこに現れたのが監督に反発する航大、中村ら一年生。紅白戦で敗れて環境は激変した。
父が、チームメイトが離れていく。日野にとっての居場所だった野球部は崩壊した。それは父と甲子園に行く夢の終わりを意味していた。
「居場所を失った恐怖、不安ですか……。自分にも経験があります。確かにそれは辛いことですね」
航大は続けてこう言った。
「今日の練習は中止にしませんか?」
「水原先生に承諾されたからいいものの、時間は限られている。これでいいのか?」
「いいんだ。基礎練は個人で自主的にやればいいし、やらないなら自分に降りかかるだけさ」
練習が中止となり、帰路につく航大と中村、京子。
「夢とか約束ってさ。……ある意味呪いと同じなのかもね」
京子は言った。京子と航大が交わしたあの約束。航大はこれによって救われたが、京子にとってはある意味呪いだったのかもしれない。
約束のために京子は東京からわざわざ大阪にやって来た。
同じく、親子揃っての甲子園を目指した日野征治も。
「それにしてもよくお父さんを説得できたな」
「航大くんと一緒の学校に行くためなら説得なんて朝飯前。私は三年間も我慢したんだから、当然よ」
堂々とする京子を見て中村は言った。
「お前ら、いい加減に付き合えば?」
その言葉は航大と京子の頰を赤く染めた。
「……まあこの辺で。俺はこっちだから。寄り道せずに帰れよ」
そう言って中村と別れる。
「さ、さて。俺たちも帰るか」
「そ、そうね。そうしよ」
こうして航大と京子の距離はまたさらに縮まった。
「くそっ。あんな奴なんかに……」
「よう、三流投手」
雨の中、走り込む日野を見て日下部が声を掛ける。
「何だとこの野郎!」
相手が日下部であったことに気づき、日野が言った。
「何だお前か」
「……どうするつもりなんだ」
雨粒が降り注ぐ。傘を避けて肩にかかる雫が冷たい。
「負けたまま引き下がれるかよ。俺は辞めねえぞ。今度は自分の力でエースを勝ち取ってやる」
「振り出しだな。まあそれは俺も同じだが。中村から正捕手を取り返すために明日、いや今日からまた頑張ろうや」
二人は手を握る。雨粒でひんやりとした手だが、その手は暖かさがあった。
水原先生は一人、傘を差しながら墓前に立っていた。
「お姉ちゃん。私、上手くやれるかな」
濡れた手は甲子園予選の組み合わせの紙を握っている。
紙には『一日目、第一試合。龍山学院高校対淀河東高校』と記されていた。
甲子園予選まであと二週間。




