第八話 交渉
ツチグモ。
構成員が十人の小規模なクランだ。
そしてタスクはそのリーダーであり、設立者でもある。
その最初の目的は帰る方法を探す事だった。
タスクのようにこの世界に流されてきた人間はマレビトなどと呼ばれ、珍しいが皆無という程ではない。だが出身元の世界もばらばらな上に、帰る事に成功したという話はまるで聞かない。
だが此方へ来られたのだ。難しくとも帰る手法はある筈だ。
その思いを持って、タスクは仲間たちと共に秘境探索や魔物退治を繰り返してきた。そしてその過程と結果によって、タスクとクランの実力は磨き上げられてきた。
だが現在、タスクはその方針に限界を感じていた。
一言で云ってしまえば、伝手の不足と言えるのかも知れない。
幾らツチグモのメンバーが各々の領域でトップクラスだと云っても、それだけではどうにもならない事などこの世界には腐るほどある。単純な人手が必要な事態。ある勢力の助力が必要な事態。特定の血族の存在が必要な事態。そして種々の条件を組み合わせ何を手に入れられるのかの判断。更にはその為に必要な人材の育成。
その課題を打開する手法を、タスクは二つほど思いついた。
一つは強攻策――依頼を受けるなどしてメンバーの数は少ないままコネを作る方法だ。デメリット自体はそれほど無いが、いざという時どの程度こちらの都合が通せるかは未知数だ。
そしてもう一つは自らの組織を作る事。組織形態をどうするのかや、そのメンバーはどのように集めるのかなど課題やデメリットも大きいが、その分メリットも大きい筈だ。
現状タスクはこの二つのどちらを選ぶのか決めかねていた。
タスクがロニー・メルヴィルに手を貸しているのは、無論次代のオラルド国王との強いパイプを望んでのものだが、その背景にはこのような事情があった。
尤も現状では、ロニーは王位継承レースの第一候補とはとても言えない。実利的なものだけを考えれば、他の候補に味方した方がよかった筈だ。それでもタスクがロニーに味方したのは――。
……単なる成り行き。それだけだ。
タスクは内心で独りごちる。
その言葉が嘘か本当かはタスク自身にもよく判らなかった。
だがどちらにしろ手駒を増やしておいて損はない筈だ。
タスクの視線は倒れ伏している男――ゴドウィンの方を向いていた。仰向けになり倒れているその姿は完全に意識を失っているようにも見える。クロイヌによって中空へと弾き飛ばされた後、更に地面に叩き付けられたので、そうなっていても不思議ではない。だが死なないように手加減した攻撃で意識を失うとは思えないし、何よりもタスクのエレメンタラーとしての能力がその意識の覚醒を告げていた。
「よう。起きてるんだろ? ――ちょっとお話し合いしようぜ」
誤魔化しようが無い事はゴドウィンも十分に判っていたのだろう。下手に韜晦する事もなくゴドウィンはその身を起こした。その顔は苦痛の所為か微かに歪んでおり、身体には弾き飛ばされた時のものであろう細かい傷と汚れが付いている。だが話すのに支障は無さそうだ。
「……お前」
ゴドウィンはタスク達の方を改めて見ると、微かに驚いた様な仕草を見せた。タスクには心当たりが無い。何かあるのかと疑問に思っていると、タスクの横にいたギデオンが口を開いた。
「よう。ゴドウィンの旦那」
「知り合いか?」
「ええ。傭兵時代に少しね」
ギデオンは元傭兵だ。当然その手の伝手は豊富にある。それを考えれば知り合いが居てもまあ不思議ではないのだろう。
「……ギデオン・アッシュベリー」
ゴドウィンがどこか呻くようにその名前を口にする。
「おや、俺なんかの名前を覚えていてくれて光栄だね」
「はっ……あんだけ目立っておいてよく言うぜ」
ギデオンの名前を、ゴドウィンははっきりと覚えていた。嫌でも覚えざるを得なかった。
若くしてバトルマスタリーのクラスを名乗る事を許された天才的な傭兵。その実力はゴドウィンよりも上だろう。ブラッドカバーのスキルによる切り札を使えば何とか勝ち目が出てくる、といった所か。ここ最近は名前を聞かなくなっていたが、まさかこんな場所で会う事になるとはゴドウィンも思わなかった。
「……で、お前さんはどこのどなたさんで何用だい?」
ゴドウィンはタスクの方へ向かって問い掛ける。抵抗する気は既に消えていた。万全の状態ですら逃げ切れるかは賭けだった。ましてや今の状態では無事に逃げ切れる確率は零にも等しいだろう。
「ツチグモっていう小さなクランのリーダーでタスク・カツラギと云う。まあチンピラのリーダーみたいなもんだな」
「ツチグモ……ね」
聞いた事の無い名前だ。
だがここ最近は奇妙な噂を聞く事も多い。特にそれはロニー・メルヴィルの継承の儀の失敗から顕著だ。
そんな胡散臭い噂の中に、とあるクランの噂がある事をゴドウィンは思い出していた。
通常の依頼など全く受けず、特殊で往々にして難易度の非常に高い依頼を受けるハンタークラン。特にその戦闘力は非常に高く、狩れないものは無いとまで囁かれている。
……よくある与太話だと思っていたがな。
だがあのギデオンが付き従い、ゴドウィンがまるで歯が立たないレベルのマスターオーダーがクランを率いる。もしかしたらもしかするのかも知れない。
ゴドウィンの脳裏にそんな考えが思い浮かぶ。
「で、そのツチグモのリーダーさんが一体俺なんかに何の用だ? 拷問でもして情報でも搾り取ろうってか」
「情報が欲しいなら拷問なんてせずもっと手早く済ませるさ。男を苛めて悦ぶ趣味はないんでね」
外連味を含んだゴドウィンの問いに、タスクはあっさりと言葉を返した。その声音も内容も特におかしい所は無い。だがその意味するところを悟ったゴドウィンの背筋に冷たいものが走る。
――マスターオーダー。
それは異界の存在と契約し、使役する事の出来る唯一のクラスだ。
だが同時に、それはもう一つの顔を持っている。
強力無比な精神干渉と弱体化。
本来は異界の存在を縛り付ける為のものだが、それはそれだけでも十分な武器だ。他者の能力を減退させ、記憶を失わせ、精神をおかしくさせる。どこまで出来るか判らないが、少なくとも情報を吐かせる程度は朝飯前だろう。
「じゃ、何の用だい?」
湧き上がってきた薄ら寒さを隠し、ゴドウィンは再度問い掛けた。
返ってきた言葉は、少なくともゴドウィンにとっては意外なものだった。
「ああ。お前、俺の部下にならないか?」
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
勧誘を受けた事は何度となくあるが、勝手に襲撃を仕掛けてきて痛めつけた挙げ句の勧誘など初めての事だった。裏切りの強制かとゴドウィンが警戒を強める。
だがタスクは気にした様子も無く言葉を続けた。
「とはいっても、何も今やっているところを裏切れとかの話じゃない。そっちの都合の良い時に、これから俺たちが作る予定の組織に参加しないかというお誘いだ」
「……これから作る予定の組織ぃ?」
胡散臭い話が更に胡散臭くなった。
ゴドウィンはそんな考えを隠そうともしない。どこか投げやりな声音でタスクの言葉をそのまま返す。
「そう。いわば互助会みたいなもんだ。誰もが組織に何らかのものを差し出し、代わりに利益を受け取る。戦士は戦力を差し出し、情報を。商人は資金を差し出し、人材を。何もない者は忠誠を差し出し、教育と糧を。そんな単純明快な互助会だ。人種も前歴も人格も取り敢えずは棚上げ、差し当たっては問うつもりはない」
「…………」
タスクの言葉にゴドウィンは沈黙する。
ギデオンの方を見遣れば瞳に驚愕の色が浮かんでいる。だがそれが、タスクがゴドウィンに突然そんな事を話し出したからなのか、それとも話の内容自体が初耳だったのかまでは判らなかった。
ゴドウィンは探りを入れてみる事にした。
「……お前さん達はロニー殿下の下にいるんじゃないのか?」
「ま、余りはっきりとは言えないが、現在雇い主が居る事は確かだな」
「……その為の組織って訳か?」
「雇い主は雇い主だ。飼い主じゃない。仮に現在の俺の雇い主がロニー殿下だったとしよう。だとしても俺がロニー殿下に協力しているのであって、ロニー殿下が俺を従えている訳ではない」
「善意の協力者って事か?」
「そういう事だ」
「……じゃあ、これが最後の質問だ」
ゴドウィンの言葉にタスクは目線で話の続きを促す。
不気味な目だと、ゴドウィンは思った。どこか得体が知れない。感情が無い訳じゃない。だが様々な感情が入り交じっている所為で、どの方向性を向いているのか判らない。絵の具を適当にぶちまけて掻き混ぜたような、そんな混沌が眼窩に浮かんでいるような気がする。
だからこそゴドウィンは唾を飲み込み、剣を突き付けるような心持ちで次の問いを発した。
「――俺が協力した見返りに得られるものはなんだ?」
金か。技術か。女か。命か。
だがタスクが差し出した選択肢はそのどれでも無かった。
「さあ。生まれ故郷での、再びの貴族の地位とかはどうだ?」
「――っ!?」
余りにあっさりと出された言葉に、ゴドウィンは一瞬言葉を失う。
そんなゴドウィンを嘲ることもせず、そんな言葉を発した自らを得意がる事もせず、ただ淡々とタスクは言葉を続ける。その声音がゴドウィンには何処か恐ろしく響いた。
「ブラッドカバー……ベルセルクの上位職だが、メイジのスキルも必要とするいわゆる複合職だ。そして複合職にはままある事だが厳密にどちらのクラスをどの程度まで上げなくちゃ名乗れないなんて、そんな杓子定規の基準なんてない。まあ滅多になる人間もいない訳だし、それも当然だろうな。結局、ベルセルクのスキルをメイジで底上げしている人種を一緒くたにブラッドカバーなんて呼ぶ訳だが……」
タスクはそこまで口にすると、一旦言葉を切った。
そして一旦ゴドウィンの方を窺うように視線を向けると、再びその口を開いた。
「――お前、かなりメイジよりだな」
「…………」
ゴドウィンは答えない。
タスクは構わず言葉を続けた。
「それに加えて、剣術も傭兵稼業で学んできたっていうよりは防御重視の正統派だ。ついてに言ってしまえばその剣も随分と値打ち物っぽいじゃないか。ギデオンなんかと比べれば差は明らかだ。お前は剣の一番基本の部分、その根っ子に野蛮さが無い」
ブラッドカバーに限った事ではないが、複合職――つまり二つ以上のクラスのスキルを両方身に付けて初めて名乗れるクラスには、余り明確な基準が無いものも多い。例えばタスクのメインクラスであるマスターオーダーにしたところで、テイマーとゲートーキーパーの二つのクラスのスキルを修めていなくては名乗れないが、どのレベルまで二つを修めれば名乗れるかといえば、その基準は曖昧だ。
結局のところ複合職というのは、その前提となるクラスの力を組み合わせて一つの力としている、と云った程度の定義が最も実態を正しく反映しているのだろう。
これはベルセルクとメイジの複合職であるブラッドカバーについても当て嵌まる。
つまりメイジの力によってベルセルクの特徴を強化、補強しているクラスをブラッドカバーと呼ぶ訳で、結果としてそのタイプはかなり個人差が大きくなる。
例えばベルセルクを極めていった先に、それだけでは限界を感じメイジの力を手に入れようとした者。
そもそもメイジの素養を持ち、それを戦闘に活かすためにブラッドカバーというクラスを選択した者。
メイジとベルセルクの二つの技能をほぼ均等に持つような者。
タスクの見立てでは、このようなタイプの中でゴドウィンは二番目。つまり元々メイジの素養を持っていたタイプに見えた。
これはゴドウィンが戦士として未熟という訳ではない。寧ろメイジよりは遥かにファイターとしての技量が高いだろう。
だがこれがベルセルクとしてはどうかと云えば、話は大分異なる。
はっきり云ってしまえば、タスクの目に、ゴドウィンはベルセルクとしては随分と未熟に見えた。元々ベルセルクは暴走の危険がある、扱いの難しいクラスだ。それも不思議ではない。だが正当な教育を受けた防御重視の剣術と合わさると、ゴドウィンの大体の背景が見えてくる。
――没落貴族。
一言で云ってしまえばそういう事になるだろう。
メイジと云う基礎クラスはどうしても正式な教育を必要とする。そしてそれには時間と金が掛かる。それ故にメイジのクラス技能を持っているのは富裕層が多い。それは貴族の場合も同じだ。だが、自らの身を守り魔物を倒すと云う点ではメイジの技能だけを学んでいればよい訳ではない。
結果として、貴族の人間はファイターとメイジのクラス技能を学ばされる者がかなり多い。尤も、祭事を司る家系ならばエレメンタラーの技能を学ばされるし、軍人の家系ならばその兵科によってはガンナーの技能を学ばされる事もあるが。
そんなところからのタスクの推測だったが、どうやらそう的外れのものでは無かったらしい。ゴドウィンはタスクの言葉を否定はしなかった。
だが肯定の返事を口にする事もなかった。
凝とタスクの顔を睨むように見詰める。言葉はなかった。またタスクも返事を急かすような真似はしなかった。重苦しい沈黙が辺りを包む。
その沈黙を破ったのは、ゴドウィンの方からだった。
「……で?」
簡潔すぎる問い。
だが様々な感情が込められた声だ。低く抑えられたその声音は、ややもすれば沈黙を強制する脅しのようにも聞こえた。だがタスクは頓着しない。
「お前さんの故郷がどうなったのかは知らないが、取り戻したいとは思わないのか? かつての土地を。かつての地位を。そしてかつての生き様を」
「…………」
「お前のそのブラッドカバーとしての力、その為に身に付けたものじゃないのか? 貴族階級では忌み嫌われるベルセルクとしての狂化技能。余程の覚悟が無ければ身に付けようとはしないだろう?」
「……はぁ」
ゴドウィンは重い溜め息を吐いた。
タスクの言葉に呆れた風では無い。何かを諦めるようなそんな溜め息だった。そしてその表情に一瞬だけ、深い絶望と瞋恚の色が浮かぶ。だがそれはすぐに消え、その後にはそれまでのどこか飄々とした雰囲気を取り戻していた。
「ま、隠している訳じゃないがな……お前さんの推理通り俺は元々は良いとこのボンボンだったよ。貴族どころか王族の直系、第一王位継承者。まごう事なき王子様ってやつだ。尤も吹けば飛ぶような小国だったがね。……で、何だって? 昔あった諸々を取り戻したくないかって?」
「ああ」
「……旦那」
ゴドウィンの言葉をタスクはあっさりと首肯する。一歩間違えればロニーとの関係が危うくなりかねない。ギデオンが注意を促す声を上げた。
そんなやりとりを気に掛ける事もなく、ゴドウィンは言葉を続ける。
「無理だよ」
全てを切り捨てるような声だった。
「壊れたものは直せない。無くしたものは戻らない。滅んだ国は蘇らない。それが道理ってもんさ。――違うか?」
「さあな? それは悲観が過ぎるんじゃないか。万が一そうであったとしても新たに手に入れる事は出来るだろ?」
「はっ。お前さんだってそこまで楽観的には見えないがな」
どこか嘲るような口調でゴドウィンは答える。
その目線はタスクの方を向いていたが、まともにタスクの事を見ていた訳ではなかった。その心象にはかつての故郷が映っていた。
忘れた事はない。
生まれて、育って、戦って、結果守りきれなかった我が祖国だ。
珍しい話ではない。
オラルドによるピースエイトの統一。それは歴史的偉業であったが、そうであるが故にその犠牲もまた大きかった。その全体から見ればゴドウィンの祖国の滅亡など瑣末な事柄に過ぎないだろう。
「悲観的だから誘いには乗らないのか?」
「そういう訳じゃないが……いや、やっぱりそうなのかね」
タスクの誘いに惹かれる部分もあるのは確かだった。
そしてその実現可能性も、それなりにあるとゴドウィンは考えていた。ほぼ確実に目の前の男たちのバックにいるのはロニー・メルヴィルだ。自分たちのバックにいるのがセレスティア・メルヴィルであるのと同様に。
そしてロニー・メルヴィルは、現在自分に味方してくれる存在がどうしても欲しい筈だ。ましてや暗闘という事になったら集団よりも個人の能力が重要になる。このレベルの人間を味方に付けられるのなら大抵のものは惜しくない筈だ。ましてやその為の代償が、吹けば飛ぶような小国だった場所の利権だなんていえば尚更だ。それが例え褒美の一部分であったとしても、安いものだろう。
だが同時にゴドウィンは一つの事に気付いてもいた。
それはゴドウィンがタスクの手を借りて祖国を取り戻したとしても、恐らくそれは国という形態にはならないという事だ。
――オラルドによるピースエイトの統一。
それはまだ道半ばだが、表向き確かに成し遂げられた事なのだ。そしてそれは多分に象徴的な意味合いを持っている。このような状態で国内から新たな独立国を認める等という事は、どんな愚かな指導者でもしようとはしないだろう。
ならば後は妥協が必要になる。
表向き貴族という形になり、ある程度の自治権を認めるといったのが妥当な所か。だがそれは――。
「新しい酒は新しい器で飲むべきだ。古い人間がしゃしゃり出るなんて罪悪に近しいよ」
「其処にいる人間が望んでもか?」
「……ああ」
オラルドに滅ぼされ、オラルドの支配下に置かれ、オラルドに許され、返り咲く。
それが悪いとは云わないし、オラルドに恨みを持っている訳でもない。だがゴドウィンにはとても出来そうになかった。それがゴドウィンのどんな資質が過剰、または欠失している故のものなのかはゴドウィン自身にも判らない。だが自分の感情に逆らって理想を追求しようとするほどゴドウィンは若くなかった。
そんなゴドウィンの内心を把握したのだろう。
「そりゃ残念」
タスクはそんな言葉と共に随分とあっさりと引き下がった。
そんなタスクを見て、ゴドウィンは力ない笑みを浮かべる。そしてどうでもよさそうな口調で言葉を掛ける。
「……で、どうする?」
「どうする、とは?」
「俺たちの処遇だよ。殺すのか?」
ゴドウィンが明け透けに尋ねた。
だが内心それは無いだろうと考えていた。殺すのならここまで手間を掛ける事は無いし、それ以上に開拓村への補給路に護衛を皆殺しするような凶賊が出たとなったら不利な介入を招きかねない。
まあ物事に絶対は無いが、今度は妥当なところに落ち着いたらしい。タスクはゴドウィンの言葉をあっさりと否定した。
「そんな必要は無いだろう?」
「……そうかい」
「ああ」
「……じゃあ俺はこのまま無罪放免かい」
「そうなるな。他の奴らには少し記憶を混濁してもらうが―― <<カースワード>>」
タスクはあっさりとスキルを発動させる。
マスターオーダーの精神干渉系スキルだ。催眠暗示や記憶喪失など、様々な効果を術者の任意で与える事が出来る。だが細かい調整などは非常に難易度が高く、使い勝手という意味では今一つな部分もある。
タスクの評価としてはそんな所だが、ゴドウィンとしては逆に空恐ろしいものを感じていた。抵抗力を失っているとはいえ、数十人の人間にここまであっさりと精神干渉を成功させるとは、厄介と云ったレベルでは無い。
「……っと、じゃあ俺はこのまま逃げ帰るとするか。荷物はしょうがないとして、チャリオット位はこっちに残してくれるのか?」
「好きにしろ」
「へぇ、寛大なこって」
ゴドウィンは起き上がると、チャリオットの方へと向かって歩き出す。右手は力なくだらりと垂れ下がっていたが、その足取りに危ないところは無い。
タスクは去っていくゴドウィンの姿を暫く見守っていた。ゴドウィンは傭兵仲間たちを一人一人見て回り、比較的軽傷の人間を乱雑にたたき起こしている。重体の人間は軽傷の人間に任せてチャリオットに乗せる。同時にタスクが使った <<カースワード>> の情報も、問診などによって得ようとしているようだ。
そんな事をしつつ、ゴドウィンは撤退の準備を進めている。
「なあ、あんた――」
その準備が一段落した後、ゴドウィンはタスクへ向かって肩越しに言葉を投げた。タスクは目線で言葉の続きを促す。
「本当に俺を逃がしていいのか?」
「……どういう事だ?」
「お前が強いのは骨身に沁みたさ。だが足を掬われんとも限らんのだぜ」
格上を格下が仕留めるなんて、実戦ではよくある事だ。地の利、時の利、人の利。それらを組み合わせれば余程の実力差でなければ覆せる。ましてや銃をはじめとする魔具がある。
「まあ足を掬えなかった俺が言えた義理じゃないのかも知れないが……」
「それを望んでいるんだよ」
「……は?」
思いの外強い言葉でタスクがゴドウィンの言葉を遮った。そのような反応が返ってくると思わなかったゴドウィンが呆気にとられた表情を浮かべる。だがタスクは気にしない。
「お前が強い敵なら無論の事、懸命に策を練り命を賭けて挑んでくる弱者であっても、結局は同じ事だ」
一拍の沈黙。
「――俺の糧になる」
それは酷く傲慢な言葉だった。
強者も弱者も等しく踏み台としか見ていない。そんな事を宣言したにも等しい。
正気のものなら素面では口に出す事は出来ないだろう。だがタスクの声はどこまでも本気だった。
「…………」
呑まれ、思わず言葉を失うゴドウィン。
そんなゴドウィンに対して斟酌を見せたのか、タスクは雰囲気を少し軽いものへと変えた。
「だからそのうち挑んでこい。お前なら歓迎するよ」
「……バトルジャンキーかよ」
何とか、といった感じでゴドウィンが言葉を返す。その声は僅かに掠れていた。
もはや意地にも近かった。唾を飲み込み喉を湿らすと、ゴドウィンは余裕のある態度を取り繕う。
「失敬な。向上心が豊かなだけだ」
「そりゃ結構な事だ。それでその向上心の行く先は一体何処だ?」
「無論、全知全能」
「…………」
ゴドウィンは処置無しといった感じで肩を竦める。他にどういう反応を示せばよいのか判らなかった。本気なら頭がおかしいし、冗談なら詰まらない。何も思い浮かばない頭を無視して身体が取った行動が、肩を竦めると云うものだった。
そんなゴドウィンの行動に合わせたのか、タスクもわざとらしく肩を竦めて見せる。
それがどういった意味を持つのか、ゴドウィンは今一つ掴みきる事が出来なかった。