第二話 開拓地の日常(下)
銃声が響いた。
軽くはない。寧ろ低くて重い。空気が震えたのが肌で直接わかるような、そんな音だった。
それが持つ暴威を否応なく想起させる重低音。それと共に、力が込められた弾丸が獲物を求めて向かっていく。
ガンナーの基本スキル <<マジックバレット>> は、射出物に自らの力を浸透させるスキルだ。その効果は幅広い。貫通力増大。弾道変更。炸裂能力付加等々。
コーデリアが使ったのは <<マジックバレット>> の上位スキルである <<ハンティングバレット>> 。その名の通り、敵を追跡する能力と、一つの敵を仕留めた後も、続けて新たな獲物へ向かっていく為の貫通性能を弾丸に付加するスキルになる。
コーデリアは、最初に放った弾丸がまだ新たな獲物を求めて中空にあるのにも関わらず、二度、三度と次々に引き金を引いていく。
すぐに幾つもの弾丸が、まるで舞うように飛び交い始めた。
それはさながら、弾丸の結界だ。
亜人達も対応しようとするが、それも叶わず次々と倒れていく。その弾丸は躱す事が出来ず、耐えたとしても手傷を負い、多少の負傷を覚悟で距離を詰めようとしても次々と新たな弾丸が飛んでくる。
四つしかない基本クラス。
ファイター。ガンナー。エレメンタラー。メイジ。
その内の一つをガンナーが占めているのは伊達ではない。
弓は廃れ、剣も槍も素手も同一の基本クラスであるファイターに纏められている。
だが銃は違う。
それは無論、銃が他の武器とは大きく異なると云う理由もある。だがそれだけならば、銃は単純に使われなくなっただけだろう。コストが高く、衝撃に弱く、複数相手は決して得意とはいえない。そんな銃という武器がそれでも広く使われるのは、それだけの利点があるからだ。
取り回しの容易さ。弾丸と銃、そして込める力によって様々な効果を発揮する事ができる汎用性。更には弾丸によっては一時的に自らの能力の限界を超える力を発揮する事も可能な応用性。
そんなガンナーとしての特質を遺憾なく発揮したコーデリアの攻勢に、亜人種達は悲鳴にも似た咆哮を上げ、攻めあぐねていた。
「……んじゃ、行ってくる」
そんな叫声を聞くともなく聞きながら、タスクは中空へと飛び出した。高さは二十メートルほど。決して低いとは云えない高さだ。だがタスクは気にした様子もなく、そこがまるで地面のように虚空を踏み、駆けていく。
その視線は元々監視していた森の一画を捉えていた。
結局のところ、今回の襲撃は威力偵察だ。
敵の第一の目的は此方の撃破ではなく、情報。そしてあわよくば戦力の消耗。
デザインドの一群による襲撃は少し意外だったが、これだけの戦力で此方が落とせるとは考えていない筈。ならばその経過を監視する為の部隊を配置しているのも当然と云える。タスクが捉えた敵の気配は、恐らくそのような意図で配置された部隊のものだろう。
問題はそれらについて此方が気が付くのを、敵もまた想定している筈だという事だ。
つまりはチキンレースのようなものかも知れない。
敵はタスクの命が欲しい。それ故に監視部隊を餌にして罠に掛ける。引っ掛からなければそのまま情報を持ち帰る。
タスクは敵の情報が欲しい。それ故に自らを餌にして罠に掛ける。引っ掛からなければ他の方面からの攻勢に頼る。
今回は、敵もタスクもそれぞれ相手の誘いに乗った形だ。
それ故にこれもまた自然の成り行きだったのだろう。
中空を駆けるタスクへと向かって複数の光線が向かってくる。燦々と差す陽の光、その下においてもなお煌めくその輝線は、微かに青みを帯び、破壊を意図して放たれたのが惜しいと思えるほど美しく見える。
「ちっ」
だがその威力と効果は本物だ。
メイジの基本スキル <<フォトンレイ>>。その応用であるブリーズレイ。凍結作用を付加した光線だ。メイジのフォトンレイ系のスキル全般に云える事だが、攻撃の威力自体はそれほど高くない。だが躱しにくく防ぎにくい。そしてそれに加え様々な特殊効果を備えている事が多い。
――対策を取られているな。
ふとそんな事を思う。
実弾兵器ならば弾き返せるが、光線系の攻撃ではそれも出来ない。その布陣は恐らくタスクを強く意識したものだ。
無敵など有り得ない。
手札をばらしてしまえばそれに対する対策が取られるのは当然だ。だからこそ、タスクに限らず実力者たちは自らの能力を可能な限り隠す。特に敵対している存在にその能力を知られるのは、生死に関わるといっても過言ではなかった。
「しぃっ!」
タスクは軽い呼気と共に空中を駆ける。上下左右360度を無尽に使い、変則的な機動と急加速、そして急停止を繰り返し、着実に距離を詰めていく。
もっと手早く突破する方法もあった。だが此方を観測している部隊が他にいないとも限らない。
小型動物のゴーレム。支配されたモンスター。隠蔽専門の密偵。残留する魔力から状況を再現する調査魔術。
観測一つを取ってみてもその方法は様々で、全てを完全に潰す事など出来はしない。それならば此方が潰せていない観測者がいる事を前提に行動した方がベターだろう。ならば――。
「―― <<サモン・ファイアリード>> 」
タスクが小さく呟く。
その言葉と同時に、タスクの周りの空間が微かに歪んだ。それはそれ程大きな変化ではない。条件が揃えば自然環境でも起こりそうな変化だ。丁度蜃気楼を誘発する熱砂の中のように、景色が僅かに歪み有り得ない像を結ぶ。ただそれだけと云ってしまえば、それだけだ。
だがそれだけのその事象に、攻撃の手が一瞬緩まる。警戒。そしてほんの僅かの混乱。
だがその逡巡も、それほど長くは続かなかった。
作ってしまった間隙を取り戻そうとでも云うように、一層激しくなった青い輝線がタスクを狙う。だがそれまでと異なり、タスクは躱す様子すら見せなかった。ただ中空に立ち、凝と光線を見詰める。
――ま、フィリスやドクトと比べりゃ手妻に等しいが、取り敢えずは十分だろ。
タスクが胸中で呟くのとほぼ同時、タスクの周囲の空間で火花が散った。そしてぱちぱちと薪の弾けるような音が響く。だが燃えているものは見当たらない。ただ時折虚空に火花が散るだけだ。
そんな中、青い輝線がまるで虚空に吸い込まれたかのように掻き消えた。
エレメンタラーの上位クラス『ゲートキーパー』。そのスキルによって発現される事象は只の自然現象の延長ではない。味方を傷つけない焔。呼吸できる水。鉄を絶つ風。術者の意図に応じて召喚されるその力は、ある意味最も可変性と可能性に富むものだ。
タスクのスキルによって呼び出されたファイアリード――異界の火は、周囲の属性を変質させ術者の都合の良いように場を整える事を可能とする。
つまりこれは只の布石に過ぎない。それは相手も判っているのだろう。次の手を打たせまいと攻撃を激化させる。それまでの整然とした、何処か計算を感じさせるものから、数重視の乱雑なものへと。
「<<カレイドスコープ・オブ・ファイア>>」
だが、遅い。
後ほんの少し時間があればタスクが展開した間に合わせの防御層など貫いただろう。しかしそれは間に合わなかった。一瞬早く、タスクが次の手を展開させる。
カレイドスコープ・オブ・ファイア――不可視の焔を召喚し、内部外部に関わらず敵からの観測を防ぐゲートキーパーのスキル。それによって索敵、攻撃、逃亡など、敵のあらゆる行動を妨げる。
「っ!?」
その驚愕と混乱を表すように、攻撃の手が更に乱れた。それも当然だろう。中空には無数のタスクの姿が浮かんでいる。ただ、どれもが完全な像を結んでいると云う訳ではない。歪み、欠け、出来の悪い落書きのようになっている像も多い。だが逆にどれもがある程度は不自然な所為で、確実に本物だといえる像も存在しなかった。
後の事は予定調和に近い。
虚像を見破る事も出来ず、闇雲に放たれる攻撃。大抵の場合は躱す必要もない。時たま虚像を見破ったかそれとも偶然か、タスクの方へ向かってくる攻撃もある。だが数が少なければどうという事もない。躱せばそれで済むし、実際それに苦労はなかった。
結果、タスクはさほど時間を掛ける事無く敵の一群の前に降り立った。
敵との距離は十五メートル程度。数は大体二十前後のようだ。隠蔽と移動を考えてだろう、それほど重武装の人間は見当たらなかった。
そんな彼らを見て、タスクは眉をしかめる。
装備が随分とバラバラだったからだ。思えば接近時からそんな気はしていた。個々の力量は兎も角として、どうも連携が拙い。
そもそもタスクが先程展開した幻惑は、外側からの観測の妨害に重点を置いたものだ。現に見破っているらしき者は、この敵の中にも存在した。
だがその後が上手くない。味方にその情報を伝え切れていなかった。
敵の情報を取得し、それを仲間に伝えるスポッターと呼ばれる役割のメンバーは、ある意味クランに欠かせないものだ。それなのに目の前の敵たちはそのスポッターが存在しない、もしくは機能していない。駆け出しではない。個々の力量は少なくともそれなりのレベルだ。近距離専門という訳ではない。人数が最低限度を超えて少ないと云う訳でもない。ならば――。
「……寄せ集めか」
タスクが小さく呟く。
スポッターはクランに一人いればチーム全体の戦力が底上げされるが、自衛能力という点ではかなり劣る。更に信用が大事な事もあり、フリーのスポッターはそれほど多くはない。よって普段からチームを組んでいない者同士が急場で集まった時など、スポッターを用意できない事も多い。
そしてそれが意味するのは、タスクの目の前にいる敵が急場のクランであり、高い可能性で捨て駒だという事だ。
使える手札を温存しておき、要らない手札で敵の内情を探る。古典的とも云える戦術だ。
上手く嵌められた。そうとも云える状況だ。
だが余り反省する気は湧いてこなかった。
ある程度予想していたと云う事もある。だからこそ外部からの観測を遮断するスキルを使用したのだ。
恐らく最善は、最初の観測所から動かずコーデリアのサポートに専念する事だったに違いない。そうした方が敵に与える情報は少なく済んだ。それは決して最初の時点で選びにくかった訳でも、ましてや選べなかった訳でも無かった。
「…………」
タスクは無言で腰の旋棍を引き抜く。右腰に差していたものを左手で、左腰に差していたものを右手で。敵が緊張を深める。
多分、焦れていたのだろう。もっとはっきり言ってしまえば、面倒になったのだ。
挑発されても首を低くして隙を待つ。成る程、それは全く以て正しい戦術だろう。その事にはタスクも異存はない。だがいつまで待てばいいのか。戦いは始まる前から決まっている? 勝てる戦いしかすべきではない? ――はっ。下らない。
そんな時間は何処にもない。そんな余裕は何処にもない。その程度で得られるものなんて求めちゃいない。
先へ。先へ。その先へ。
だからこそ、タスクは告げた。
目の前にいる相手に向けて、ではない。この場を見ているかも知れない敵、後にこの場を調べるかも知れない第三者へ向けてでもない。あえて云うならば、この世界、その意思、運命とでもいうべきものに向けて、告げた。
「殺れるもんなら――殺ってみな」
唇だけを歪ませ吊り上げる。それは笑みと云えば笑みと云えたかも知れない。その瞳から喜色を読み取る事も出来るかも知れない。だが何かが決定的に違っていた。戦闘を前にした高揚。挑戦を投げる稚気。そして命の危険に対する恐怖。そんなものを渾然一体にして眼窩に押し込めたような――黒い双眸。
その視線に操られるかのように、敵は動いた。
悲鳴にも似た叫声と共にタスクの方へと駆けてくる。その動きは十分に疾く、洗練されている。数は五名ほど。援護はない。やはり即席のチームではいざという時に無理が出るのだろう。
だからかも知れない。男達が取った戦術はシンプルだった。囲い込み。それだけだ。
まず一人がタスクの正面に立ち時間を稼ぐ。その隙に残りの四人が二人ずつに別れて左右から後方に周りタスクを包囲する。有効な戦術だ。男達の動きにも慣れと、自信のようなものが感じられた。
だが、ぬるい。
タスクは無造作に正面の男へと距離を詰める。相手の武器の間合いに入ってしまう事にも構わずに、だ。
「っ?」
一瞬の困惑。
武器を持った手がその判断を迷うように震える。そしてその一瞬が命運を分けた。右の旋棍を縦方向に回転させた下からの突き上げ。音さえ置き去りにするような神速の一撃だ。顎を砕かれ、脳を揺さぶられた男が崩れるように倒れ込む。
「――は?」
余りにあっけなく包囲の一角が崩れた事に男達から困惑の声が上がった。その動作は止まっている。中途半端な体勢でタスクを取り囲もうとした状態のままだ。
タスクはそんな男達に構わず、倒れた男を踏み付け正面へと進んだ。
倒れた男はまだ死んではいないだろう。元々旋棍は疾さと連打性能においては優れた武器だが、殺傷力がそれほどある訳ではない。だがタスクは止めも刺さず進んでいく。
男達の視線がタスクに集中する。攻撃はなかった。ただ凝とタスクを見詰めているだけだ。物音もしない、張り詰めた沈黙が辺りを覆っている。
「来い――クロイヌ」
そんな中、タスクの呟きがやけに響いた。
***
ロンバルト大陸は広大だ。
そんなロンバルト大陸の開拓事業は当然大規模なものとなる。そして大規模な事業はなんであれ、その計画が大事となる。
ではロンバルト大陸の開拓についての計画がどうなっているかと云えば、まともなものは存在しないというのが実際の所だ。それには幾つか理由がある。そもそもこの開拓事業が入念に準備されたものではない事。政治的な思惑により誰がどの場所の開拓権を得るかで揉めた事。だが何より大きな理由は、そもそもこの大陸がどのようなものかと云う最も基本的な情報すら、開拓団は持っていなかったと云う事だ。
そんな状態でまともな計画など立てられる筈がない。
そういう訳で、ロンバルト大陸では現在複数の開拓団が何処を開拓するか、そんな基本的な事柄も明確に決められていない状態で各々勝手に開拓を行っている。これで揉めない方がおかしい。
それ故に、この大陸の開拓拠点には魔物の襲撃に対する防備だけでなく、他の開拓団からの妨害に対しての警戒も必要となる。
そんな中、タスクが所属している開拓団は上手くやっている。危険だが良い立地を確保した。北に本国へと繋がる港。南に内陸部へと続く草原。そして東西に森林と山脈。魔物の襲撃の危険は高いが、その分開拓に成功すれば得られるリターンも大きい。そんな場所に拠点を設置する事が出来た。尤もそのリスクは低くはない。他の開拓団よりも奥地へ拠点を構え、更にはその性質すら不明な魔物の生息域に囲まれる事になっているからだ。
そんなタスクたちの開拓団の人員数は約800。
その内訳は兵士が400人。開拓の調査などを行う人員が300人。ただしそのうち100程度はその家族になる。そしてその他が100。
少なくはないが、決して多いとは云えない数だった。特に複数の拠点に分散して開拓を進めようと思ったら、絶対的に足りない人数だと言っても良い。それどころか現状ですら十分とは云えない。
だが大方の予想に反して、現在の所なんとかうまく回っていた。
そもそも開拓団の半分が兵士というのは、場所にもよるが決して十分な数字とは限らない。理想を云えば兵士と調査員の割合が最低四対一程度は必要だと云われている。無論拠点防衛のような場合はその限りではないが、それを考えに入れても兵士数400は少ない。
それが成り立った理由は、兵士の質が高かった事もあるが、もう一つ大きな理由がある。
――クラン『ツチグモ』。
戦闘行為に限って言えば、規格外と云っても良いクランだ。尤も、彼らの名が他の開拓団に広く知られている訳ではない。そもそもツチグモはその実力に反し、知っている人間の非常に限られたクランだった。ある意味都市伝説扱いされていたと云っても良い。故に他の開拓団はツチグモの名も知らなかったし、当然彼らの実力も知らなかった。またツチグモの人間もその実力をいたずらにひけらかす事は避けた。
だが人手が十二分にあった訳ではない。そのような状況ではツチグモの手を借りるような場面もそれなりに存在し、例えその過程を外部から隠蔽したとしても、結果としてその状況を乗り越えたと云う事実自体は隠しようもない。
そしてそれ故に、外部の人間たちは薄々と気付き始めていた。
――あそこにはナニカいる、と。
そんなツチグモのリーダーであるタスクは、現在そのサブリーダーの一人であるカル・ナイトと連れだって拠点としている開拓村への道のりをゆったりとしたペースで歩いていた。
カル・ナイトは中性的な顔をした青年だ。身長はタスクより僅かに低い。ローブを身に纏いメイジ然としているが、その足運びに隙はない。ファイターとしての経験も積んでいる証拠だ。そのようなファイターとしての経験も積んだメイジはフィジカルマギと呼ばれ、カルもその内の一人になる。
カルは戦闘能力という点においてはツチグモの中では下位に入るが、いざという時の判断力と調整能力を買われタスクの居ない時のリーダー代理を務めている。いわばツチグモの参謀役だ。
「――で、やっちゃった訳ですか」
今回の襲撃においての報告をタスクから全て聞き終えると、呆れたようにカルがそんな言葉を口にした。
「ついカッとなってやった。特に反省はしていない」
「まあそれはいいんですがね……」
「いいのかよ」
「ま、正直潮時という感じもしましたし、手札を隠しすぎて肝心要の勝負に負けたら馬鹿みたいですし……。クライアントもそろそろ次の手を打とうとは考えていたと思いますよ。ただ……少し先が見えなくなりますね」
「まあ人生そんなもんだろ」
「貴方は慣れてるでしょうけど、渦を巻いている濁流を見たら取り敢えず飛び込んでみようぜっ、みたいな事を言い出す人ばかりじゃないんですよ」
カルが歩きながら軽く肩を竦める。
「しっかし、こうなってくるとコーデリアさんの『暫く気楽にのんびりと』っていう行動プランも大分修正を余儀なくされますね」
「どっか湯治にでも行こうかっていうノリで、国家規模の陰謀渦巻く開拓事業に首を突っ込もうっていうんだから、あいつもよく判らんよな。それをどこまでも真面目に頭をオーバーヒートさせてまで考えつく辺りが特に」
「あの人なりに考えたんでしょうよ。特に貴方は下手な暇を与えると何処へ行って何をするのか判らない。それならある程度貴方が必要とされている状況であれば悪さも出来ないだろうと」
「俺は子供か」
「似たようなもんなんでしょうね。少なくともコーデリアさんにとっては。クーンとかにも聞いてみたらどうです? 興味深い意見を聞かせてくれるかも知れませんよ」
「遠慮しとく。見ざる聞かざる言わざるの人生訓を大事にしてるんだ」
「ははっ。ナイスジョーク」
「本当だ。好きな主義は事なかれ主義だしな。玉虫色の決着サイコー」
そんな事を話しながら歩いていると、視界に村を囲む柵が見えた。その入り口には警備のための兵が立っている。ある意味タスクたちは有名人だ。顔パスで中へと入る。
「しかし玉虫色の決着が好きなら、なんでわざわざ向こうを挑発するような事したんです? それで此方を警戒して上のレベルの敵が来たらどうするんですか?」
「その時はそいつを片付ければいいだろ」
「それによって更に上のレベルの人間が集団で来たら?」
「そいつも片付ければいい」
「どこまでそれ続けるんですか?」
「どこまでも」
「判りました。つまりは面倒くさがりなんですね」
カルが訳知り顔に納得しながら歩を進める。
タスクたちが拠点にしている開拓村――ニアフォレスは幾つかの区画に分けられている。兵士達が寝起きする兵舎。調査員などが暮らす住宅。また開拓に必要な設備が並んでいる区画。そしてそれらを管理する為の区画。
ツチグモのメンバーが暮らしている屋敷はその最後の区画にある。
開拓村なので、当然それほど時間を掛けた訳ではないが、それでもその外形は十分に立派なものだった。都市などで貴族が暮らしていてもおかしくないだろう。それもそれほど不思議ではない。そもそも魔法を使えば建物を造る事自体はそれほど時間が掛かる事ではないのだ。無論建てる建物にもよるが、外形だけを整える事はそれほど難しくはない。
そんな屋敷の扉を開けると、帰宅を察知していたメイド服の女性がタスク達を迎えた。
屋敷の管理を頼んでいる女中ではない。
彼女の名前はクーン・ヴァス。ツチグモの古参のメンバーの一人だ。
黒い艶やかな髪を綺麗に切り揃えたボブカットで整え、女性らしい起伏に富んだ肢体をエプロンドレスに包んでいる。身長は女性にしては高い。タスクより少し低い程度、カルと同じくらいはある。
「お帰りなさいませ」
「はい。ただいま帰りました」
クーンが深々と腰を折り曲げて挨拶するのに、カルは慣れた様子で応えた。タスクはどうもこのようなやりとりが慣れずに、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。そもそも自分たちは一介のクランだ。しかも仲間同士だ。こんなやりとり等する必要はどこにもないのだ。
そんな事をタスクは思うが、クーンは頑なにこのごっこ遊びにも似た立ち位置を崩そうとはしなかった。
「…………」
気が付けば腰を元に戻したクーンがじっと此方を見詰めている。その顔には特に目立った感情が見られる訳ではない。いつものようにどこかとぼけた様子の無表情が浮かんでいるだけだ。タスクはそんなクーンを見て、賢く物静かな、けれどそれなりに自己主張する大型犬を連想した。
「…………」
タスクが助けを求めるように辺りに視線を滑らせる。だがカルがにやぁと嫌な笑みを浮かべているのが映るだけだった。この男は肝心要のところで底意地が悪い。わざと此方に見せるようにやっている辺り尚更だ。
「……はぁ。いま帰った」
諦めたような溜め息と共に言葉を零す。その溜め息はこのようなやりとりに対するタスクの不満、そのささやかな表明方法だった。だが恐らくそれに気付いたであろうクーンは、それを聞いて無表情ながらも満足げな雰囲気を醸し出している。カルが嫌な笑みを濃くしたのが、視界の端に映る。
諦めて意識を切り替えると、タスクは屋敷の内部へと歩を進めた。
屋敷の内部は殆どクーンが単独で管理しているとは思えないほどに綺麗に片付けられていた。尤もそうは云ってもこの屋敷はニアフォレスの行政施設のような側面もある。どちらかと云えば実用性を重んじている所為もあって、華美な雰囲気はそれほど無い。
「おうっ。帰ってきたか」
歩を進めて暫くすると、屋敷の入り口近くのリビング。そのソファーに腰を掛けていた男がタスク達に向けて声を掛けてきた。
男はツチグモのメンバーではない。だが知らない人間ではなかった。
金髪碧眼の長髪。痩せ形の整った顔立ちをした男だ。尤も、目の縁の隈に血色の悪い肌、そして充血した瞳。そんなものの所為で生来の魅力は大分減じられている。だからだろうか、男は全身から何処か退廃的な雰囲気を漂わせていた。
だが、それだけでは無い事をタスクは知っている。
卑屈さと狡猾さ。カリスマと愛嬌。そして狂気に近い酔狂とよく判らないナニカ。
単純な様でいてよく判らない人間だとタスクは感じていた。
男の名前はロニー・メルヴィル。
この開拓を行っている国オラルドの――第一王位継承者である。