妹の信念
「――兄貴、醤油取って」
朝、妹と二人で取る食事の中で、妹は俺にそう頼んできた。
昨日はけっきょく、大きな動きは無かった。というのも、巧が別の女子に誘われて、放課後は別々になったからだった。
「兄貴、聞いているの?」
「……妹よ、前から言いたかったんだが、俺のことは昔みたいに『おにいちゃん』と呼んでくれないか?」
ぼーっとした状態を脱し、俺は紗音へ、コーヒーを飲みながら、自分じゃかなりかっこ良いと思える声でそう頼んだ。
「……病院に電話しようか?」
「いや、冗談だ……というか、あんま生暖かい目で見ないで!」
だが、本気で心配する紗音の顔に、俺はキャラ作りをやめ、素に戻った。優しくされることで、辛い気持ちが生まれるということを、初めて知った。
「良かった、本当に妄想と現実の区別がつかなくなったのかと思った」
紗音はほっとして、開いた携帯を閉じた。ま、マジでかけるつもりだったのかよ……! ――だが、紗音がそう思うのも仕方ないのかもしれない。普段の俺なら、紗音にそういったことは言ったことは無かった。
朝で寝ぼけているということを除いても、ここ数日の俺は、やはりどうかしていた。
「ごちそうさま」
俺より少し早く、紗音が朝食を食べ終わる。そうだ……。
「なあ紗音」
食器を下げに、流しへ向かった紗音に、俺は声をかけた。
「――なに、『オニイ・チャン』……?」
「いやそういうことじゃねえから、そういうの求めてねえから!」
なんだ、その外国人を呼ぶような言い方は! 嫌そうな、呆れた顔をする紗音。そんなカタコトで言ってもらうくらいなら、やはりいつも通りでいい。
「……で、兄貴は何なの?」
「人間だよ! それでお前の兄だよ! というより『何なの兄貴?』だろ! つか、いい加減ツッコませるのやめて! 疲れるから!」
ハアハア……。何度も叫ぶようなツッコミをしていたせいで、俺は激しく息切れを起こした。だが、大分いつもの調子が戻ってきた。俺は本題を切り出した。
「いやさ……お前って巧のことが好きだろ? それでちょっと訊きたいことが……ん、どうした?」
まだ変なことを言ったつもりはなかったが、紗音の顔は信じられないものを見たかのようなものに変わっていた。
「な、ななな何言ってんのよ!」
持っていた食器を落としそうになる紗音。まさか――
「紗音、お前もしかして……気づかれていないとでも思っていたのか?」
「な、何がよっ!?」
「……いや、悪い。さっきの言葉は忘れてくれ」
その反応を見れば十分だ。なんだかいじめているような気分になってきたので俺はそれ以上追求しないことにした。ううむ、どうやら本当に我が妹はその感情が、自分の内に秘められた、誰にも知られていないものだと思っていたようだった。
「そ、それは巧さんは素敵な人で、兄貴なんかが友達なのがすごく勿体無いくらい良い人だけど、べ、別に好きってわけじゃないし!」
もういいと言ったのに、わざわざ喋り出す紗音。実の妹からノロケを聞くのは、なんだか奇妙な感じだ。
「……オーケーわかった。百歩譲って、お前が巧に対してを抱いているイメージ像が、誰彼かまわず女の子とフラグを立てまくる、優柔不断を絵に描いたような男だとしよう」
「巧さんを悪く言うな!」
「あぎゃっ! 目が……目がぁ……!」
紗音は俺の顔に水……ではなく、洗剤をぴゅっと飛ばしてきた。俺は両目をおさえ悶絶する。
「――わかったわよ! アタシは巧さんのことが好きよ! どう、これで満足!?」
「サティスファクションというより、サディスティックだよ!」
「上手くないわよ!」
ほとんどやけくそに、紗音は叫ぶように俺に言った。
涙で、洗剤が目から流れていき、俺は紗音の顔を見た。悔しそうに、恥ずかしそうにしながら俺を睨みつけていた。これじゃまるで、俺が悪役みたいじゃねえか……。
「それで、それが何なのよ!」
「いちいち叫ぶな! ――いやそれならさ、お前あいつに……その、告白とかしねえの?」
声のトーンを落とし、少しシリアスな雰囲気を醸し出しながら、俺はゆっくりと紗音に尋ねた。
「…………」
しばらく無言となる紗音。うーわ、絶対こいつ怒ってんよ……。月草に「巧に好意を抱く女子」をそれとなくそそのかすようにと言われて、訊いてみたが失敗だった。分かっていたが、やはりこの手のことをするのは無理があった。
「――しない」
てっきり今度は食器でも投げつけてくるものかと思い、俺はぎゅっと目を閉じたが、何も飛んで来なかった。
『関係性が崩れるかもしれないから』
普通ならそんな類――今まで築き上げてきた関係を守りたい的なことを言って、告白しないだろうが、我が妹にはそれは無いと断言しても良かった。
昔から、こいつは自分が好きだと思った相手には、「恥ずかしさ」を持ちながらも、積極的にアピールし、告白してきた。こいつは気づいていないようだが、俺が知る限りでは、十人近くは告白してきた。
なので、俺は絶対にその内、紗音は巧に告白するものだと思っていた。ゆえに、紗音のしないという言葉は、衝撃だった。
「……なんでだよ?」
「うっさいわね! アタシは別に断られるのが怖いわけじゃないわ」
「(それは知っている)それじゃあ何で……」
「……何か、『嘘』になりそうだからよ」
そう意味深なことを述べ、紗音は台所から移動し、玄関へ向かう。
「このこと、巧さんに言ったら……『落とす』から」
「何を!? どこから!?」
ありとあらゆる意味に取れる言葉で、紗音は俺に念押しし、そのまま家を出た。単純に「殺す」とか言わないところ、紗音は本当に脅し方が上手い(一応褒めてるつもり)。
「嘘……」
紗音の言葉を自分なりに考えてみるも、よくわからない。だが、かなり重要な言葉だとも思った。
「……まあ、いいか」
あの調子じゃ、紗音が巧に告白することはないだろう。月草には悪いが、これ以上そそのかすつもりもない。というか、俺の命にかかわる。
「妹の彼氏が友達ってのも、キツイしな」
そう自分に言い訳をし、俺は『女子に巧を告白させる』という初ミッションを、自ら取り下げることにした。
この時の俺にはまだ、「あんなに好かれているから大丈夫だろう」という、楽観的な思いがあった。だが、それは大きな間違いだった。
俺は忘れていた。あれだけ多くの女の子に好意を抱かれていながら、巧が今までが告白を受けたところを、見たことも聞いたことも無いということを――。




