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あなた、いつ帰ってくるの?

作者: 柊梨

「――んじゃ、行ってくる」



 随分と重そうなバッグを肩にかけながら私の夫はギザに言った。

 その時、発車を知らせるベルがプルルル、と鳴る。


「……うん、待ってるね」


 実に心配そうにしながら、小さな女の子を抱えながら私は言った。


「ぱーぱ、じゃあね」


 最近喋れるようになった言葉を全力で使いながら、手をぶんぶん振り回した。

 娘とハイタッチしながら、彼は、


「――少なくとも、5日以内には帰るよ。櫻」


 と、私に耳打ちした。

 それに、チークキス。模範的な夫だ。


 新幹線のドアをくぐり、こちらを見て手を振りながら口パクで「またね」と言っている気がした。



 ――すると、迷彩服を着た車掌と思われる人が、


「――奥様方、それとその子供の皆さん。どうもお見送りありがとうございました! 我々は必ず生きて各家庭に帰ってきますので!」


 そう言って、彼も新幹線に飛び乗った。


 特別運行桜星、だったか。彼らが乗っている列車は国に仕える人だけが乗れるいわゆるお召列車だ。

 伝統ある菊の紋がつけられた青色の列車はまさしく晴れ舞台のように輝いていた。




 今回の任務は要人警護、と言っていた。

 彼らはSP、と呼ばれる要人警護のスペシャリストで、主に外国要人を警護する役職だ。


 そんなエリートの中のエリートである竹本綾斗(たけもとりょうと)が私の夫に当たる。

 実に光栄だ。




 そんなことを考えていたら、いつの間にか列車は発進していて、残るのは胡散臭い奥様方と何かを求めるようにこちらを向いている娘、奈海だけだった。


「まーま、なみ、おなかすいた」

「ああ、はいはい。じゃあ、帰りましょうか」

「ごはんはハンバーグがいい」

「いいわよ。……って、ひき肉あったかしら」


 小さい体を持ち上げて抱っこする。

 産まれたばかりはまるで風船でも持ってるのかぐらいに軽かったのに、2年でもう腰に来る重さになってしまった。


(子供って、本当に早いものね)


 写真いっぱい取っておけばよかったかな、と後悔しながら、帰路についた。







「――本当ですか!? 編集長!」

「うん、本当だよ。君の担当の漫画がこれのほか好評でね。アニメ化することになったんだ」

「っしゃぁっ!」


 思わず、飛び上がる。

 やっとだ。やっときた。

 私がこの業界に入ってからの一つの夢がついに叶ったのだ。


 しかも、その作品はひと月で7万部も売り上げる結構、というかかなりの人気作だ。

 消費者琴線を刺激したのか、はたまた、人気につられてほかの人もサクラのように買ったのかは分からないが、アニメ化はもう秒読みだと言われていたのだ。


 私はさっそく電話で作者に連絡を入れる。


「――あ、失礼します。先生。アニメ化ですよ! アニメ化!」

「ふぇえええええ!?」


 受話口から耳がつんのめるような音量が聞こえた。

 開口一番に聞いた言葉がアニメ化というなら私でもこの反応をするかもしれない。


 さっそく、編集部まで来るようにアポを取り、私は世の漫画がどのようにしてアニメに至ったかを改めて資料から総ざらいする。



「んー、まずスポンサーが必要なのね……」


 まぁ、この点は心配ないだろう。

 うちの会社は色んな大企業とスポンサー契約を結んでいる。

 たぶん、この話が持ち上がったということは大方決まっているのだろう。


 そして、次にアニメ制作会社の決定と、製作委員会の選定だ。

 ここは、各エンターテインメント関連会社の早い者勝ちと言ってもいいだろう。

 同一の会社の人間が大量にいると、その分だけ負債を抱えやすいという害はあるが。



 そんなこんなでいろいろと人を集めたり、資料を用意していたりすると、時間通りに作者がやってきた。



「――アニメ化、おめでとうございます。これから結構大変になりますが、一緒に頑張りましょう」

「あ、はい。よろしくおねがいします!」



 そして、人員配置を決めているところで、あっさりと日は落ち、


「――あ、もうこんな時間。奈海が待ってるよね……」


 壁に立てかけられた時計を見ると、すでに6時を回っていた。

 ここから退社したところで、帰るのは8時に近くなってしまう。

 ……食べさせられないよりは遅れる方がマシか。



「えーっと、今日はここまで! 明日から、本格的にやるんで! 今日はかいさ~ん!」



 そう宣言し、「はーい」という返事を聞きながら、デスクに戻り、帰る支度をしていると、


「……あ、あの、竹本さん……」


 遠慮がちに聞こえたのは、今さっき原作者となった、太田穂香さんだった。


「はい? どうしました?」

「えっと、その……」


 顔を真っ赤にして、重そうな眼鏡をくいっ、と押し込んで、


「これから、本当によろしくおねがいします」


 ああ、なんだ。そんなことか。

 てっきり、弱音を吐くものかと思っていたが。


「……はい。がんばって、盛り上がらせましょう! 目指すは2期放送決定、ですよっ!」

「ああ、ハハハ。そうだといいですね……」


 ちょっと内気なところを改善したほうがいいと思うのだ。




 ――会社を出たころにはすでに6時30分を超えていた。


 スマホで電車の時刻を調べると、なんと7時近くまで待つ必要があるようだった。


「こりゃ、おこられるなー」


 頭をぽりぽりと掻く。

 随分と前のことだが、ある作品の締め切りに間に合わせるために作者と一緒に会議室に閉じこまって強化執筆日にしたのだが、その日の帰宅時間が驚異の10時だったのだ。

 当然、奈海は怒るわ泣くわのオンパレードで大変だった。


 夫はいつも出張でいないから、半シングルマザー状態で仕事も家事もしなくちゃいけない。

 その分、帰ってきたときにはたくさん愛してくれるから、特に不満はない。

 まさに円満夫婦ってやつだ。



 駅の構内で水を買う。

 ぷちっと景気のいいキャップの外れる音を弾ませながら一気に半分まで飲み干す。


「……あっ、そうだ。お母さんに来てくれるように頼もーっと」


 スマホを出すと同時に、それが振動する。

 通知を見てみれば、誰かからのラインが来ていた。


 十中八九仕事関連だろうなと思いながら開くと、


「えっ、今日って綾斗帰ってきてるのっ?!」


 ディスプレイに表示されていたのは『今、僕が奈海のご飯食べさせてあげてます』とのメッセージと共に、ハンバーグを無邪気に頬張る奈海とピースをした綾斗が写っていた。



「ふふっ、ほんっとうにハンバーグ好きだよねぇ」


 週に4回ぐらいはそれを要求してくる暴君姫なのだ。

 そこも可愛いんだけどね。


 ……にしても綾斗はいつも不定期に帰ってくる。

 前回だって5日ぐらいで帰る、とか言ってたくせに余裕で1週間こえてるし、

 帰ってくるのが随分と先だから、ちょっとゆっくりしてよー、と思えばその2日後とかに突然現れるのだ。

 連絡ぐらいよこせっての。



 でも、その分、国の為に頑張ってもらっているのだと思うと、なんだか誇らしいような虚しいような。

 そんなに外国の要人が来ているのか、と疑うほどだ。

 ………しかも、結構給料いいし。


 …………それよりも、私としては、無事に五体満足で帰ってきてくれるのが何よりの幸せなんだけどね。



 っと、そんな感傷に浸っていると、電車がやってきた。

 この時間帯は残業している人が多いのか、比較的空いていた。


 私は当然のように席の端っこを陣取り、スマホをぽちぽちし始める。


 すると、突然、ぴろんぴろん、と大量の通知であふれてきた。

 何か重大なことでも起こったかなと慌てて見れば、どうやら、奈海が綾斗のスマホを奪い取って手当たり次第にスタンプを連打しているようだった。

 途中で文字が挟まっているのはおそらく綾斗が奪い返したからだろう。


 次々と送られてくる、謎のスタンプ群。中には私も知らないようなスタンプが紛れ込んでいて知らない秘密を一つ知ったようなうれしい感覚を感じていた。



「……まったく、可愛いんだから。二人とも」


 ほかの人の視線を集めながらぼそっと独り言。


 ――ほんっとうに、この人と結婚してよかったと今更ながら思った。

 ほかの人とだったら、もしかしたら、こんなに幸福になれていないかもしれない。

 子供が生まれても、私を一人の女として見てくれたり、

 私が体調を崩した時には奈海と一緒におかゆ作ってくれたり。


 ………定期的にシてくれるから、レスにならずに済むし。



 ――つまるところ、完璧な男性なのだ。

 だからこそ、私だって出来る事は何でもするし、彼のことを精いっぱい愛しているつもりだ。

 1年の半分以上が出張でいないとしても。



 ……そう思って、電車内の路線図を見て、まだ10駅以上あることを確認して、すこしばかりのお昼寝に入った。


ーーー


「――ただいまぁ~」

「あっ! ままだ! ぱぱー? ままがかえってきたよ!」

「おっ、帰ってきた? お帰り、櫻」

「うん、ただいまー。つっかれた~」


 帰ってきてすぐに玄関で眠りに入ろうとした私を綾斗はさっと抱き上げてリビングのソファまで連れて行ってくれた。

 ……ってか今、お姫様抱っこしなかった?

 重くなかったかな?


 でも、彼の表情を見るとやけに涼しげにしていた。


「ん……ありがと」

「いえいえ。……今日は、遅くまで起きてもらわないと、困るからねっ?」

「へっ?!」


 耳元で奈海にも聞こえないように囁くってことはつまりそういうことだ。

 ここ数日の欲を吐き出したいってことだ。


「あーい……わかったよー」

「ありがとっ!」


 頬に軽くキスをされる。

 えへへ。


 目を細めながら開けると、奈海は今絵本で遊んでいた。

 これからうるさくなるのに、寝なくていいんかな、と思っていた矢先、



「はーい、奈海ちゃーん。おねんねの時間ですよー。おねんね」

「やーだー」


 タイミングよく就寝に誘う夫と、軽々と断る娘。

 何かのコントかと思うほど、素早い返しだった。


 だが、綾斗は引かず、


「早くねんねしないと――」

「しないとー?」

「――鬼が来ちゃうぞっー!」


 がおーっと多分鬼の鳴き声ではない鳴き声を出して娘を怖がらせていた。


 んまあ、当然――




「びぇええええ!!」


 泣いてしまった。

 そうだよねと思っていると、綾斗はさっと奈海を抱きしめ、


「お布団はいれば鬼がきませんからねー。しっかり寝ようねー」

「うん! おにさんきらい!」


 2階に連れて行った。



 ……なんか一瞬で泣き止んだんだけど。

 私なんかは泣き止ませるのに10分以上かかるというのに。


 なんという扱いのうまさだ。



 私が、綾斗の手際に驚いていると、


「――じゃあ、始めようか? 美味しいお酒を用意しているんだ」


 こういう、女性に対する最低限のリスペクトがあるところも好きだよ。







 ――目が覚めると、隣には綾斗が落ち着いた寝息で寝ていた。


 むくり、と綾斗を起こさないように起き上がると、私は下着姿だった。


 ……あー、そうだった。昨日は散々やられたんだった。

 その代わり、頭はいつになく冴えている気がする。



 時刻は朝の6時。本当なら朝ご飯を作りに下に降りに行かないといけない時間だ。

 それと、メイクとか色々し始めないといけない時間だ。


「……っと。やりますか、今日も」



 ぐーっと腕を伸ばして伸びをする。

 腕には昨日綾斗がつけたキスマが2,3個あった。


 服に袖を通して、普段着に着替える。

 なにか、いかがわしい物体はないかと鏡を見て確認する。


 ………黒髪ショートカットに耳についたピアス。それに自慢の胸部。


 まあ、変わらない容姿だ。

 特に見受けられなかったから、私はスリッパをはいて下まで降りる。



「あっ、まーまー。おはよー」

「あら、奈海ちゃん。今日は早いのね」

「うん! なんかゴトゴトうるさかったから起きちゃった!」


 げっ。

 聞こえてたんかい。



 ちょっとそれにはノーコメントで台所に向かう。

 冷蔵庫を確認して、そう言えば綾斗が作ったハンバーグが残っていたなー、と思い返す。

 計画通りか、偶然か、ちょうどタッパーには3つ入っていた。


 フライパンに溶き卵を流し、ちょうど炊けていたご飯と、残ったそれを一緒にしてかき混ぜる。

 ハンバーグのソースで、いい感じに味付けできて来たら完成だ。



「――はい、どうぞ」

「わーい! ぱぱの残り物ご飯だー!」


 その感想しずらい命名にげっ、となっていると、後ろから誰かから抱き着かれた。

 そしてそのまま首元に口付けされる。


 どうやら昨日の興奮が治まっていないらしい。

 ったく、とんだ性欲モンスターだ。



「ぱーぱ、ごはんおいしーよ」


 幼児特有の語彙の少なさを実演しながら、無性にスプーンを振り回していた。


「そうでしょー? ままの作るごはんは世界一なんだから!」

「うん! せかいいち!」

「やめてよー。恥ずかしい」


 ぺしっ、と綾斗の背中を叩く。

 奈海のほっぺたをむにー、と触りながら綾斗は、


「………そうだ。今日からまた仕事に行くから」

「あっ、そうなんだ。今度はどこに?」

「ん。沖縄」

「遠いね」


 何をしたらこんなに多忙な仕事ができるのだろうか、と疑問を持つのも仕方ないだろう。

 約1600キロ離れた米軍最大規模の基地があるのだから、それ相応の国賓を相手にするのだろう、と勝手に予測していると、



「……あのー、その、悪いんだけど。今回ばかりは帰れるおおよその日程が掴めないんだ」

「そんなに長期出張なんだ……」

「ごめんなー? でも必ず帰ってくるから」

「うん……分かった。待ってる」


 まるで子供をあやすように私の頭を撫でた。

 次いで、奈海の頭も撫でた。


「……もし、本当に俺の身に何かあったら俺の机の上にある紙束を燃やしてほしいんだ」

「なにそのお別れみたいな言葉。……私、そんなの聞きたくないよ」

「いや、『もしかしたら』の話だから、話半分に聞いてくれるだけでいいんだけど……」

「分かったよ」

「ありがとう」



 そう言って、私の旦那は朝ご飯を摂りに台所へ向かった。

 私は彼のまるで、遺書のような発言を忘れなかった。



「――んじゃ、行ってくる。必ず夜にはラインするから」

「……分かった。頑張ってね!」

「ぱぱー! 元気でかえってきてねー!」


 奈海が私の手を取りジャンプしながら一時のお別れを告げていた。

 玄関前にはもうすでに、黒塗りの車と、旦那と同じ、迷彩服に身を包んだ5人ほどの屈強な男たちが待機していた。

 綾斗は手を振りながら、車に入ると、お別れを告げるように、腕に青色のバンダナを付けた一番偉そうな人が、



「――奥様。今回の出張、認めてくださり、感謝しています。この男は我々が責任をもって任務地まで連れて行きますので!」


 最後に敬礼をして、助手席に入った。

 ものすごい速度で走り去っていく車を見続けながら、


「ぱぱ、行っちゃったね……」

「うん。そうだね」



 いつになく悲しそうな声をしていた。

 子供には未来予知の感覚があるのだろうか?



ーーー



「――どうしました? 竹本さん。ずっと上の空ですが」

「ん?! え、私上の空してましたか!?」

「ええ。出勤してからずっとそうですよ」


 奈海を幼稚園に送ってからというもの、私はずっと綾斗がちゃんと帰ってくるか考えていて、仕事に身が入っていなかった。

 現在絶賛大忙しだというのに。


「ごめんなさい……実はちょっと不安なことがあってずっと考え事してました」

「不安なこと……ですか」


 ちょっと咎めるような視線をするのは太田さんだ。

 それでも制作会社から依頼された追加原画を描く手は止めない。

 随分とストイックな性格だ。


「……不安で考え事しているのなら、私の脚本づくり少しでも手伝ってくれませんか?」

「あ、ああ。ごめんなさい。やりますやります」



 ……今回、脚本はその内容の難しさから私と太田さんの二人に一任されている。

 ここ3年ぐらいこの作品の制作現場に直に立ち会っているのだ、それぐらい任せてもらおう――。




 ――ところで、8時間労働と言うのは何か目標に向かって集中していると、案外早く終わってしまうものだ。



 ………そういう理由から、私と太田さんは定時に退社することに成功した。

 もちろん、今日の目標の1話から6話までの脚本執筆と追加の原画、この両方を達成しての退社である。



「……じゃあ、私こっちなんで」

「あっ、わかりました! 月曜もよろしくおねがいしまーす!」


 一礼して、彼女は道の角を曲がった。

 ――ふう、なんとか今日のノルマ達成だー。



「……っと、そうだ。綾斗から連絡来てるかなーっと」



 スマホをみると、見慣れたアイコンの右上に赤い通知マークがついていた。

 嬉々として見てみると、『今、沖縄につきました。これから米軍の結構偉い人と会食予定』と昼頃に連絡が来ていた。



「……よかった。ちゃんと着いたみたいね」


 口から出てくるのは安堵のため息。

 私は返信をタップして『既読遅くてごめーん。私はちょうど仕事が終わったところー』と打った。


 すると、ものの数秒で既読が付き、グッドマークをした可愛いパンダのスタンプが送られてきた。




 なんだか、氷塊が溶けたような感覚がした。

 これなら、いつものパターンだ。


 おそらく、ひと月ぐらいで帰ってくるやつだ。



 奈海はうちのお母さんに預けているから、今は家は誰もいない。

 つまり、今日はチートデイだ。


 久しぶりの一人の時間。

 綾斗と一緒にいるのもいいけど、少しぐらい一人の時間が欲しかった。



 ゆえに、私は最寄りに降りたらまず、コンビニに直行した。

 ジュースに、お菓子に、菓子パン。

 自分が今まで我慢していたものを欲しいだけ、手当たり次第にかごに詰め込んだ。



「……はい、3千425円でございます」

「………」



 ありゃっしたーという言葉を背に私は帰路につく。

 ちょうど、今日は金曜日で、土日出勤はないので、本当の意味でぐうたらできる。



 帰ったらなにしよっかなー。映画でも見ようかなー。


「あ、でもアニメもいいな。……うーん、迷っちゃう~」


 なんつってね。

 独身の頃はこんなに嗜好品を買うなんて考えられなかった。


 でも、結婚して、大好きな人が出来て、お金にもそこそこ余裕が出来て、私は本当に幸せを手に入れられたと思う。

 どれかが欠けていたら、たぶん、今の私はいない。


 そう思わせるほどに、私の旦那はすごいのだ。




 ――そううきうきしながら、家に帰る。

 そして、まず手を洗って、それから買ってきたものをテレビの目の前のテーブルに広げる。


 そして、テレビをリモコンで起動させる。




「――えっ?」



 画面が付くと、そこはいつものようなニュースが繰り広げられていた。

 問題はその、主題だった。

 速報が淡々とキャスターに読み上げられる。



『………えー、お伝えしています通り、今日午後5時頃、沖縄の沖縄市にある米軍の嘉手納基地周辺において震度5強の地震が発生いたしました。

 現在、負傷者等々は把握中でございますが、気象庁によるとこの地震による津波の心配はないということです。繰り返します。今日午後5時頃、沖縄の――」



 夫は大丈夫だろうか。

 それがまず一番に思い浮かんだ。


 そして、スマホを手に取り、心配のラインを送る。

 すると、待ってましたかのように、即既読がつき、『僕とその周囲は安全なところに避難できました。そっちはどうですか?』と、こちらをすごく心配していそうな返信が返ってきた。


「私は大丈夫です、っと。はぁ~~よかったー」


 またまた、安堵のため息。



 このようなニュースを目にしてしまったものだから、私は映画なんぞを見るより、情報収集に勤しむことにした。




 ……調べるごとに段々と、これは自然現象なのか?と思うようになってきた。


 例えば、沖縄市に住んでいる人のSNSを見てみると、本来観測されるはずの初期微動が観測されなかったり、別の人は米軍基地で不審な火柱が上がっているのを見たり。時間が経つにつれ、陰謀論らしき意見が増えるのが見て取れた。


「んー? どうなってんだー?」



 私はとりあえず、寝ることにした。


 疲れていたからね。







 それからというもの。

 私は頻繁に綾斗に連絡を入れるようにした。


 電話も頻繁にしているから、間違いなく彼は生きている。

 つまり、私が今できることは、生きて帰ってくることを願うばかりだ。


 仕事に行く前に連絡して、

 昼休憩にも連絡して、

 帰ってからも連絡して。


 スマホを肩身離さず持ってんのかぐらい綾斗も返信をたくさん送ってきてくれた。




 そして――



「――えーと、ではこれより放送日の決定を行います」

「わーい」

「ぱちぱーち」



 私が全面的なプロデュースをした作品のアニメ映像がついに完成した。


 この作品に携わってくれた人はのべ20人以上。

 スポンサー料を払っていただいた会社はおよそ10社以上。

 合計で億単位の金額が動いている。


 それほどの期待の新星ってことだ。

 太田さんも最初は内気な性格だったが、この委員会を通じてだんだんと心の壁を壊していた。


(やっとここまできたのね)


 最初は2期製作決定、なんて夢みたいなことを言っていた私だが、案外やれるかもしれないと思い始めている。


「なにやってんですか、竹本さん! あなたがいないとここ回らないんですからね!」

「へへ、ごめんなさいーい」



 みんな、笑っている。満面の笑みだ。

 ああ、やっててよかった。


 すると、一人の男性が、


「よーし、このまま劇場版製作決定までもっていくぞー!」

「お、おーー!!」


 随分と、大口を叩いたな。

 ――でも、案外そこまで行けるかもしれない。


 そう思わせるほどに今回の作画は神っていた。

 豪華すぎるほどの声優陣。

 製作には某有名監督が付きっ切り。



 んまあ、いけないわけないよね。




 そんなこんなでその日は終了し、お祝いにどこか飲みに行こうと話が持ち上がった時だった。


 時刻が7時を過ぎようとしたところで事件は起こった。



「ん? 揺れてる?」



 発端は誰かが発したその言葉だった。

 たしかに、照明も振り子のように揺れている。

 なんなら、食事が大量に置かれているテーブルも食べ物を落とさんとばかりに揺れていた。


 つまり…………



「地震だ!」




 その叫び声は店内にひどく響き渡った。

 そして、それに答えるかのように、悲鳴が所々から返ってきた。


 うちのテーブルはまだ料理がまだそんなに運ばれていなかったから良かったものの、他のテーブルはビールはこぼすわ、枝豆は散らばっているわの盛大にいろんなものをぶちまけていた。


 だが、地震はすでにおさまっていた。


 余震が来るかもしれない、と警戒していると、ブッブッ、とスマホが揺れたので落ち着く意味も込めてそれを見る。


「……最大震度6弱……!?」


 いつもは地震が来る直前に配信されるはずの緊急地震速報が今ようやく流れていた。

 人間が嫌がる短調気味の警告音を消して、他の通知も見る。

 すると、綾斗からの心配するメッセージが来ていた。


 とりあえず、こちらは大丈夫と連絡を打つ。すると、今日中にもう一回連絡すると返ってきた。


 そして、偶然生き残った私のお冷を一杯飲む。


「――逃げましょう」


 その場の全員が首を縦に振った。



 ――まず、私は災害の三法則を思い返す。

 たしか、自助、共助、公助だったはずだ。


 まずは自助のために、お母さんの家に連絡した。

 だが、やはり、災害特有の通信障害が発生しており、繋がりはしたものの、いくらか掠れ声だった。


「……あっ、お母さん?! そっちは大丈夫?!」

『うん、元気だよ。奈海もちょっと怖がってるけど、みんな無事よー』

「はぁあああ、よかったぁあああ!」


 ちょっと大きな声を出す。

 うるさいと言われようが関係ない。


「それより、いいのかい? 綾斗さんに連絡しなくても」

「あ、そのことね、なんか今日中にまた連絡するって言ってた」

「そうなのかい。じゃあ安心だねぇ」

「どうしたの? なんかあったの?」


 どこか心配そうな声色をしていた。

 そして、電話の奥からはキャッキャッという奈海の声がうすーく聞こえる。




「――”沖縄が燃えとるんよ”」



 一瞬、言葉が右から左へと通り抜けていく感覚がした。

 急いで言葉を脳内に連れ戻し、それを再生する。


 沖縄が、燃えてる…………?


「――えっ? それって、どういう……」


 たぶん、至極真っ当な言葉だっただろう。



「アメリカの基地が大爆発を起こしてね、辺りが真っ赤っかなんよ」



 大、爆発。

 その言葉にすこし違和感があった。



 そう、あのニュースだ。

 あの時も米軍基地が燃え上がっていた。


「――ちょ、ちょっと電話切るね? 奈海のことは任せるから」

「うん、わかったよ」



 ぷつん、と電話が途切れる。


 私は急いで綾斗に電話をかける、

 でも、出ない。


 3回ぐらい折り返しても、出ない。



 しかたなく、トーク画面に切り替える。

 そして、心配しているスタンプを送る。


 ……よかった。既読はついた。たぶん、上の人と話したりしているから電話が出来ないのだろう。

 まだ、生きてくれている。



「あっ、見てください。これ」


 編集部の一人が、みんなにスマホを見せた。


 そこには、どこかのライブ中継がつながっていた。

 だが、その様子が少し、変だ。やけに燃えているような……。


「これ、沖縄本島じゃないですか?」


 誰が言ったのだろうか。


「盛大に、爆発しとるがな……」


 盛大と言う言葉にはまだまだ足りないほど、燃え上がっていた。

 そこはもう、火が構成していると言っても遜色ないほどに燃えた、まさに火の楽園だった。



「火の楽園じゃないですか。これじゃ、もう」


 そう呟いたのは太田さんだった。



ーーー



 家に帰ると、まずほっとした。

 いろいろ散乱しているけど、食器とか、テレビとかは倒れていない。

 その代わり、服とか、本とかの小物類は全部落っこちてしまっていた。


 私は電気がかろうじてまだ生きていることを確認してテレビをつける。


「えっ……」


 その反応は多分、妥当な反応だろう。

 文字通り、島全体が火炙りにされていたのだ。


 これでは生きている人はほとんどいないだろう。


 何をすべきか立ち尽くしていると、視界の隅にこの間写真館で撮ってもらった家族写真が目に映った。

 ――助けに行かなくちゃ。


 なぜそう思ったかは分からないが、私はとにかく、助ける事だけを考え始めた。

 当然だが、飛行機は飛んでいない。

 鹿児島からの連絡船もしばらくは出港しないだろう。


 空はダメ、海もダメ。

 陸でつながっていないから全部ダメだ。


 ……となると、私が出来る事は、彼がいつ帰ってきてもいいように準備することだけ。

 なんとも無力な妻なのだろうか。

 落胆されるだろうか。

 嫌われちゃうのだろうか。


 ……嫌だな。

 彼にはずっと私だけを見ていてほしいな。


 そんな、諦めムードに入りかけたその時、


「――はっ、はいっ!」


 スマホが、鳴った。

 慌てて件名を確認すると、綾斗だった。


 私は手が震えながら、受話ボタンをタップした。


『…………あ、櫻か……?』

「うん……そうだよ……綾斗…………あなたの妻よ」

『そうだったな……俺の可愛い奥さんだったな……』

「いま、どこにいるの?」


 スマホの向こうから聞こえてくるのは、ハァハァ、と荒い息。

 それに、ぱちぱち、と火が燃える音。


『………ば、爆心地だ』

「爆心地……!?」

『ああ。沖縄の、米軍地下施設でっ、新型の兵器の実験をっしたんだが、それが失敗した』

「し、失敗って……もしかして、大地震が来た時?」

『ああ、そうだ。しかも、その地震はこの兵器から出た地震だ』


 ごほっごほっ、と液体が混じったような咳をする。


『よりにもよって、それが火薬庫に引火したんだ。……それで各施設に分散していた火薬も誘爆してこのざまだ』

「そっ、そうなの……」

『あ、そうだ。二つ伝えなきゃいけないことがある。真剣にっ、聞いてくれないか?』

「う、うん」


 とっても嫌な予感がしながら私は話を聞いた。


『一つは、前言った、俺の部屋の机に置いてある紙類を全部燃やしてくれ。……あれには、俺が今までこなしてきた全ての記録が書いてある。あれが流出したら、結構まずいことになる』

「わ、わかったわ。あなたが帰ってくるまでには確実に燃やしておくわ」

『それと、もう一つ』


 その言葉だけは言わないでくれ……お願いだから。




『すまん……俺、帰れないかもしれねぇ』




 …………。


「な、なに言ってんのよ。そんなこと、言わないでよ……!」

『いや、多分、もう無理だ。火がそこまで来てしまっている。大使はなんとか逃がせたが、俺と俺の同僚はもう脱出できない』


 半分、あきらめの付いたような口調。

 私はもう、涙が頬を伝っている。



「私、ずーっと、待ってるからっ! 綾斗が帰ってくるまで、ずーっと綾斗の分のご飯を作り続けるし、朝になったら起こしに行くし……!」

『櫻…………』

「あなたが、ただいまって言って帰ってくるまで私、ずっと玄関前で待ってるからっ!」




 それは多分、心からの叫びだっただろう。


 すると、ガサっと動く音がして、




『……わかったよ。俺、絶対帰って、櫻のハンバーグ食べるよ』



 いつぞや、綾斗が私のハンバーグを食べておいしいって言ってくれたのを思い出す。

 うちの家はどうやら、ハンバーグが起爆剤のようだ。



「……うん、ぜったいだよ………帰ってきたら、3人で大きいハンバーグ食べましょ?」

『おう。分かった。――ほら、起きろ、ジャン。うちのワイフがご帰宅をお望みだ』



『――ったく、無事に帰れたら俺にもそのハンバーグとやらをご馳走して欲しいぜ』

『いいぜ。うちの櫻の作るやつは世界でいっちばん美味しいんだぜ?』

『ああ、期待しとく』

『――じゃあ、櫻、俺たちは今から東京まで何とかして帰ってくる。そのときには……』

「……うん、4人前用意しておくね……!」



 よく分かった奥さんだな、と同僚に褒められながら歩き出す音が聞こえた。



『――愛してるよ、櫻』




 ――それが、私が電話で聞いた綾斗の最後の言葉でした。







 ――それから、5か月とちょっとが過ぎた。



 政府は、沖縄での大規模火災を不慮の事故、として処理してしまった。

 現在発表されている死者リストには未だ綾斗の名前はない。


 まだどこかで生きているのか、はたまた骨も残らないほどに燃え尽きてしまったのか。

 いまだに綾斗とその同僚は帰ってきていない。



 いくら我慢強い私でもそろそろ、イライラしてきた。


 私は、無事に生きていた奈海を抱え、涙を流す。





「――あなた、いつ帰ってくるの?」




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