第7話 交差する現在
展示会が終わった夜、咲音は部屋に帰り、一人になった。参加する前は少し怖かった展示会だったが、実際に人々の前に絵を出す経験は予想以上に温かいものだった。見ず知らずの誰かが自分の絵を立ち止まって見てくれる。それは、自分の存在がほんの少し認められたような気分だった。
しかし、それでも彼女の心は完全には満たされなかった。どこかに空いた穴があって、それを埋めるための方法がわからない。それは長い間、自分を地元に縛りつけてきた感覚の延長だった。
そんな思いのまま、ふと机に置かれたスマホを見ると悠真からのメッセージがもう一通届いていた。
「次に会う時、もう一度話したいことがあるんだ」
その短い言葉は、咲音の心をざわつかせた。
その翌週、悠真は仕事で数日間の休みをとり、再び故郷に戻ってきた。カフェで約束を交わした咲音と悠真は、再び秘密基地跡地を訪れることにした。
夕暮れに染まり始めた空の下、草むらの中を歩きながら咲音は軽く笑った。
「なんだかここに来るの、あんまり久しぶりって感じがしないね」
悠真も苦笑いしながら頷いた。
「そうだな。ここには俺たち、どれだけの時間を費やしたんだろうな。全然変わってないのが逆にすごいよ」
彼らの足が止まったのは、昔の秘密基地の「入口」だった。木の幹に彫った二人のイニシャルもかすれてはいたが、確かにそのまま残っていた。悠真が木の幹に触れると、昔話がポツリと口をついた。
「小さかった頃、ここでいろんなことを話してたよな。学校のこととか、大人になったら何をしたいかとか……」
咲音も目を細めながら、彼を見つめた。
「そうだったね。どっちが夢を叶えるか、みたいな変な勝負もしてたし」
悠真は少しだけ照れたように笑いながら、「それでどう思う?」と問いかけた。
「咲音……お前は、今の自分で満足できてるか?」
咲音はその問いにすぐには答えられなかった。ただ、胸の内にふとした衝動が生まれる。
「悠真、正直に言うと……満足できてるかって言われたら、たぶん答えは『ノー』だと思う。でも、後悔してるかっていうと、それも違うんだよね。こうしてここにいる私が、自分で選んだ道だって思ってるから」
悠真はその言葉を受け止めるように、じっと咲音の顔を見ていた。
「でもね、これだけは最近思うの。昔は、自分の力が足りなかったから絵で何かを変えるなんてできないって諦めてた。でも今になって、その理由だけじゃなかったんじゃないかって。私、ずっと……怖かったんだと思うの。失敗するのが、誰かに否定されるのが」
その言葉に悠真は頷き、自分の話を続けた。
「俺も同じだよ。仕事なんて、毎日が挑戦と失敗の連続でさ。本当は怖いし、時々辞めたくもなる。でも、咲音には知っててほしい。お前の描く絵……あれは絶対、誰かに届くものだよ。俺も、あの展示会に行きたかったくらいだしな」
その言葉に咲音の胸がじんわりと温かくなった。自分でも気付かなかった痛みが和らいでいくような感覚があった。
「ありがとう、悠真。なんだか少し、勇気が湧いてきた」
その場には微かな沈黙が漂ったが、それは決して気まずいものではなかった。お互いが言葉にならない何かを確かめているような、そんな時間だった。
再び地元に戻り、咲音は新たな気持ちでスケッチブックを開いた。かつて夢見た「画家になる」という願いは、形を変えながらもまだ心の奥に息づいている。それを信じ、挑み続けることが大切なのだと、悠真の言葉が教えてくれた。
数週間後、咲音は地元の美術教室の代表者を通じて、新たな展示会への参加を提案される。それは全国から集まった若手アーティストが一堂に会するイベントだった。咲音は一度躊躇したが、最終的には前を向いてその挑戦を受けることに決めた。
一方、悠真もまた仕事の忙しさの中で、クローバーの鉢植えを見ながら密かに彼女の挑戦を応援していた。互いの人生が再び重なる日が来るのか。それはまだ分からない。ただ、どちらもその先の未来を諦めていなかった。