第3話 忘れていた「風景」
約束の翌日、悠真は町の外れにある秘密基地跡地へ向かった。約束の時間は午後三時。咲音とはそこで待ち合わせることになっていた。
小学生の頃、放課後になると毎日のように通った道を辿って歩く。片側に川が流れる緩やかな坂道。錆びついたガードレール。どれも記憶にあるはずなのに、妙に遠い場所に感じるのは、時間のせいだろうか。それとも、自分が「ここを去った人間」であるせいなのだろうか。
「あ、この電柱!」
道の途中でふと足を止める。電柱に貼られている古びた黄色いステッカーが目に入った。「ゆうすけたちが『殴り合いの喧嘩』したんだっけな…ここで」。思わず呟いたその声に誰も反応する人はいない。
かすかな寂しさが胸を過ぎる。でも次の瞬間、それは少し温かさへと変わった。
約束の場所で待っていたのは、風に揺れる静かな木々と咲音だった。彼女はラフな格好にリュックを背負い、子供の頃の「冒険ごっこ」にでも行きそうな姿だった。
「早いね、待たせた?」悠真は足早に近づくと、照れ隠しに言葉を投げかけた。
「ううん、こっちこそ早く着いちゃった。でも良かった。ゆうくん、本当に来るのかなってちょっと心配してた」
咲音のその言葉に悠真は一瞬ドキリとする。久しぶりの友人関係は「曖昧な距離感」が付き物だからだ。しかし彼女の笑顔は、そんな緊張を和らげるように優しかった。
「で、ここが秘密基地の跡地ってわけだよな」
目の前に広がるのは草に覆われた空き地だった。所々に雑草が立ち上がり、かつて自分たちの手で作り上げた小さな「アジト」の面影は残っていなかった。
「結構、変わっちゃったよね。でもね……私、あの時の場所は覚えてるんだ」
咲音はそう言うと、草をかき分けるように歩き出した。その後を悠真が追う。「よく覚えてるな」なんて呟きながら。
やがて、彼女は地面を指さした。「たぶん、ここ」
手探りの「発掘作業」が始まった。
二人でしゃがみ込み、地面の草を抜き、土を掘り起こす。周囲には手頃な道具なんてなかったから、手元の石や木の枝を頼りに作業は続く。
「大人になって土を掘るなんて思わなかったな」悠真が苦笑する。
「うん、私も。……でもなんか、これ、楽しくない?」
楽しげに笑う咲音の横顔を見ながら、悠真は何か忘れていた感覚に気づき始めていた。無邪気に何かを「探す」ことそのものが楽しいという感覚。それはいつから消え失せてしまったのだろうか?
そう考えているうちに、咲音が「あ、見つけた!」と声を上げた。
土の中から出てきたのは小さなガラスの瓶だった。ひび割れていたが、中身はまだその形を保っているように見えた。悠真と咲音は顔を見合わせる。「これ、俺たちが埋めたやつだよな」と悠真がつぶやく。
瓶の中にあったのは、二人が子供の頃に拾い集めた小さな「宝物」だった――四葉のクローバー、ビーズの指輪、小さな紙に書かれた手紙。それはほとんど色あせていて、クローバーは土のように崩れ落ちてしまった。それでも、咲音は嬉しそうに微笑みを浮かべる。
「覚えてる?四葉のクローバー、私が初めて見つけたやつだったよね」
「ああ、覚えてる。でも俺、四葉のクローバーの意味とか気にしてなかったな」
「その時、私教えたよ?“幸運”だって。それと……忘れないで、って」
そう言って咲音は瓶の中の紙を広げた。そこにはぎこちない字で「ぜったいにわすれない」という約束が書かれていた。
その文字を見た瞬間、悠真の中で幼い記憶が鮮明に甦る。あの時の笑顔、宝探しごっこをして「宝物」を土に埋めた日の高揚感。それは、慌ただしい生活の中ですっかり忘れてしまった感覚だった。
その帰り道、悠真は言葉を発しなかった。代わりに咲音が口を開く。
「ねえ、私、思うんだ。大人になると何でも持っているようで、本当はすごく大事なことを失くしちゃうんだなって」
「……だな。でも、こうやって探せば見つかるのかもな」
空を見上げると、オレンジ色に染まる夕陽が広がっていた。
悠真はふと感じた。この景色が、子供の頃とは違うように見えても、確かに同じで、確かに大事なものがここにある。
「咲音、ありがとな」
咲音は少し驚いたように振り向いた。でもすぐに、優しい笑顔で頷くのだった。