9-3 レビ商会を見張る眼
アルはバーバラの合図を待つ間に、浮遊眼呪文で作られた眼の高度を三十メートルほどに上げた。付近の建物ではこれ程の高さのものはない。少し離れたところにある領主館や太陽神ピロスの教会の鐘楼の屋根が良く見えた。今、眼がある位置はレビ商会の敷地内であるのでおそらく問題はないはずだが、周囲の別の店の敷地に侵入するとレビ商会と同じように魔法などを感知して衛兵隊に通報などされる可能性もあるだろう。特に隣の商店などは呪文の書などを売っていて魔術師ギルドとも関りが深いようなので、注意が必要だ。
都市を浮遊眼呪文でこのようにみるのは初めてだが、すごく良い眺めだった。おそらく領主館の最上階で見る景色と同じようなものだろう。この辺境都市レスターは丘の上に作られた都市で、このレビ商会のある一番街はそのなかでも元々すこし高い位置にある。付近を見回せば南は近くのホールデン川だけでなく、はるかグローバー川も見える。西はシプリー山地が迫っているので山ばかりであるが、北は渡し場のある川まで、東には海がきらきらと輝いて見えた。どれもぼんやりとはしているが、知覚強化呪文を使えば、もっと綺麗に見えるかもしれない。
「そろそろみんな配置についた頃だ。解除を試しておくれ。そしてうまく解除できたら合図を頼むよ」
隣でバーバラが囁くのを聞き、アルは浮遊眼呪文で作られた眼の位置を下げ、視界も下に向けた。周囲は特に変わった様子はない。本来のアルの視界に見える誰のものかわからない浮遊眼呪文の眼も先程の位置から変わっていなかった。
『魔法解除』
アルの呪文で、浮遊眼呪文の眼はあっけなくパチンと弾けて消えた。
「消えました」
アルはバーバラにそう告げた後、自らの浮遊眼からの景色に注意を向け直した。表情まではわからないが、アルが言った2人に変化は見られない。どちらも魔法使いではなかったのだろうか。そんなことを考えていると、レビ商会のある北大通り沿いに停まっていた黒い馬車が少し強引に動き出し、通行人を轢きそうになっていたのに気が付いた。
「少し変な動きをしている馬車があります。目の前の北大通で北に50メートルほど先に留まっていた黒い馬車……僕の眼はそちらを追いかけますね」
「頼むよ」
アルの眼は馬車を追って移動し始めた。馬車はおそらく4人乗りほどの標準的なサイズであった。御者はローブを着ていて上空からの視界からでは男か女すらわからない。北大通りを北に向かい、一番環路と交差した所で西に曲がる。そちらに行くと住宅街となる。尾行はないと考えたのか、馬車はそれほど速度を上げず、他の馬車や歩行者にまぎれて走っていた。
しばらく走った馬車は住宅街から中規模の商店が多い地域に入り、今度は一番環路が西大通りと交差したところで東に曲がった。このあたりが目的地なら北大通りを北上せず、逆に南下して西大通りに入った方が圧倒的に早かったはずだ。ということは、レビ商会の前を抜けるのを避け、わざと大回りをしたのかもしれない。そう考えると、この馬車はかなり怪しいような気がした。
馬車は西大通り沿いにある立派な建物の前に留まった。看板をみると《黄金の龍》亭とある。宿屋のようだ。アルは急いで浮遊眼の眼の高度を下げる。他の店の敷地に入らないように注意を払う必要もあり、距離もかなり長くなってきていた。気を付けないとまた頭が痛くなるかもしれない。馬車から降りてきたのはまず革鎧を着た大男、そして黒いローブに目深にフードを被った背の低い男性、さらに革鎧を着た男女が1人ずつであった。革鎧を身に纏った男女は皆腕が立ちそうで周囲に鋭く目を配っている。
「こっちは外れっぽいよ。そっちはどうだい?」
アルの横でバーバラが呟いた。アルは《黄金の龍》亭の前で怪しい馬車からは4人の男女が降りてきた事、一人はローブを目深にかぶっていて顔が見えないことを早口で告げつつ、ローブの男の顔を見てみようと浮遊眼の眼を徐々に近づけていく。だが、そこでローブの男が立ち止まった。そして、アルが操る浮遊眼の眼がある方向をちらりと見た。気付かれたかもしれない。アルは急いで眼を動かして顔を確認しようとした。すこしだけ顔が見えたが、ローブの男はすぐに何か呪文を唱え、浮遊眼の視界は真っ暗になった。
「見つかって、魔法解除されました。ちらとしか見えませんでしたが、白髪交じりで皺の多い年配の男性だと思います」
「魔法解除してきたってことは、そいつが犯人だろうね。さすがだよ。《黄金の龍》亭だね。アル、悪いけどそっちに向かってくれないかい? レジナルド、アルと一緒に《黄金の龍》亭に行っとくれ。お前さんなら顔が利くだろう。いざという時はアルの指示を優先と考えな。それと、くれぐれもアルに怪我をさせるんじゃない」
バーバラと一緒に居た体格のいい男が真剣な顔で頷いた。年のころは二十代後半といったところか。茶色の髪を綺麗に撫でつけたいい男だ。彼がそのレジナルドらしい。その顔にアルは見覚えがあった。たしか、以前ナレシュが血みどろ盗賊団の頭目に呪文でやられた時にその側にいた男である。
「悪いね。私が行きたいところなんだけど、うちの護衛の半分以上がナレシュ様について行っててさ、こっちは手薄なんだよ。警備を薄くするわけにもいかないから私はここから離れられない。できれば誰かというのを突き止めたいけど、無理はしないでいい」
「大丈夫です。レジナルドさん、行きましょう」
アルはそう言って、《黄金の龍》亭に向かって走り始めた。
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アルとレジナルドは《黄金の龍》亭に到着し、店の前にアルが見た馬車が停まっていないことを確認すると、すぐに中に入った。建物は豪華な造りでアルとすればすこし気おくれがするほどである。ここには受付があるようで、そこに2人の男女が立っていた。
「いらっしゃいませ。こんにちはレジナルド様」
その男女はレジナルドに気が付くと丁寧にお辞儀をした。バーバラの言った通り顔見知りらしい。アルたちは受付に近づくと、小さめの声で男たちの特徴を言い、それに該当する宿泊客が居ないかと尋ねた。最初、受付の男は答えることを渋ったが、レビ商会としてどうしても教えてほしいのだとレジナルドが説得すると、彼は仕方ないとばかりの表情をして、口を開いたのだった。
「王都の方から来られた商人で、スノーデン様と名乗られておりました。金払いも良く、4人も護衛を連れていらっしゃいましたので、私どもとしては、商人というより身分の高い方かもしれないと考えておりました。とは言え、きちんと宿泊費を頂いておりましたし、それ以上の詮索はしておりません。先程前に馬車を停められたようでしたが、すぐに馬車に戻られて出かけられました」
アルとレジナルドは顔を見合わせた。逃げられたということか。先程から10分も経っていないはずだったが、かなり用心深い連中なのだろう。もちろんスノーデンというのは偽名に違いない。行く先を知らないかと尋ねたが、受付の男女は揃って首を振った。アルたちは受付にさらに質問をして、スノーデンたちは3日前に予約なしでこの宿にやってきて、一週間の宿代を前払いしている事、馬車は彼らが乗ってきたものであり、一番若い護衛の男が御者も務めている事などを聞き出した。
「ここには初めて来た様子でしたか?」
レジナルドが丁寧な口調で質問している横でアルは受付カウンターの中をこっそり覗き込んだ。受付の男が質問に答える時に開いていた宿帳らしきものがあった。スノーデンが借りていた部屋を一応確認しておく。
「そうですね。皆さんここは初めてだとおっしゃっておりました。都市の作りや見どころ、特産品といった事を興味深そうに尋ねられましたよ」
留守だというので部屋の中を見たいところではあったが、犯罪の証拠があるわけでもない相手である。賄賂を渡して相手の部屋を見せてもらうといった事もレビ商会の立場としては難しい話だった。二人はとりあえずわかった事をバーバラに報告すべくレビ商会に戻ることにしたのだった。
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