7-1 飛行呪文
アルはもらったお下がりの古着をしっかりと背負い袋にしまい込むとレビ商会を出た。そして、軽く周囲を見回すと、そのまますぐ隣の商店の扉をくぐった。以前、運搬の呪文の書を買ったことのある店だ。幸い、その時に対応してくれたのと同じ店員が出てきたので軽く会釈すると、向こうもアルの事を憶えていてくれたようで、にこやかに会釈を返してくれた。
「こんばんは。ここって魔道具の買取をしてますか?」
アルが尋ねると、店員は申し訳なさそうに首を振った。
「当店は、呪文の書もそうですが、魔道具も魔術師ギルドによる品質保証があることを特色としています。そのため、店頭での買取は行っておりません。冒険者ギルドに窓口がありますので、そちらにお持ち込みされることをお勧めします」
そっか……。アルは頷いた。おそらく冒険者ギルドに持ち込むと入手方法なども詳しく聞かれることになるだろう。ゴブリンメイジの話はあまりしたくない。釦型の魔道具はララのところに持ち込んだ方が面倒な事にはならなさそうだった。
「残念。じゃぁ、あと、飛行呪文ですが、値段はおいくら……」
以前聞いた時には40金貨だった。魔道具屋ララのところで、使用済みの呪文の書や釦の魔道具を売り払えば買えるかもしれない。だが、店員はまた申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「飛行の呪文の書は現在、在庫切れでして……」
「……えっ?」
聞くと、領都レインからわざわざ連絡があり、1週間ほど前に2つあった在庫を両方とも運んだのだという。呪文の書そのものはそれほど数があるわけではないので、次に入荷する予定は不明で、それも、値段はかなり上がるだろうという話だった。わざわざ値段の高いこちらから運んだということはそうなるだろうというのは容易に想像できる話である。
「戦争のせいですか?」
アルは思わず尋ねた。店員は最初怪訝な顔をしたが、説明をしていると途中からそうかもしれませんと言葉を合わせた。雰囲気からすると、アルのほうが詳しい情報を知っていた様子であった。レビ会頭から口止めなどはされなかったが、この話はしてはいけなかったかもしれない。念のため飛行の魔道具について聞いてみると、飛行の魔道具は取り扱いをしたことがなく、もし入荷したとしても値段も100金貨ではすまないだろうという話だった。
アルはがっかりして商店をでた。他の店でも尋ねてみたが、どこも飛行の呪文の書は置いていない。あとはララの店ぐらいしか思いつかなかった。あそこなら中古だが今の所不良品はない。とは言え、品ぞろえという点ではかなり劣っていて、以前聞いた時も飛行の呪文の書はなかった。聞いてみるしかないか……。
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「飛行の呪文? 一応あるはあるけど、保存状態がねぇ……」
アルは足を延ばして南門近くまで移動して、魔道具屋のララにきいてみた。だが、返答は微妙だった。ララとしてはあまり勧められる状態のものではないのだという。つまり習得しようとしても失敗する可能性が高いということだ。それでも良かったら10金貨で売るという。失敗する可能性が高いというのならもっと安くと交渉したが、これでも十分安くしていて、これ以上は安くならないらしい。
「正規の店に入荷するのってどれぐらいだと思います?」
アルの質問に、ララは首を傾げた。呪文の書を作る職人が居るはずだが、注文したらつくってくれないものなのだろうかとも聞いてみたが、私たちが頼んでも無理だろうねぇと笑われてしまった。
「1年ぐらいしたら入荷するんじゃないかね。気長に待ちなよ」
ララの言葉に、アルはうーんと唸る。
「そんなに空を飛びたいなら、あとはそうだねぇ……動物変身呪文はあるけど、私は勧めないよ。何か空を飛ぶ魔獣の変身呪文なら良いんだろうけど、生憎今は無いね」
動物変身呪文、哺乳類だけでなく鳥、魚、虫などにも変身できる呪文だ。鳥に変身すれば空を飛べるし、魚に変身すれば水に潜ることもできる。いろいろな事が出来そうな呪文であるが、変身中は新たに呪文が使えないし、変身した際に服や装備品がすべて脱げるなどデメリットも多い。
子供向けのおとぎ話の中で、悪い魔法使いが主人公に小さい虫に変身するように言葉で丸め込まれ、変身したとたんに指で潰されて退治されてしまうというのがあった。これは実話らしい。なんにせよその変身した対象の特性は良い所も悪い所も全て引き継いでしまうようで、リスクが高すぎてララは勧めないということだった。
そして、グリフィンやワイバーンといった魔獣はそれぞれ魔獣毎に変身呪文が存在するらしいが、ララもそれらの呪文の書は見たことがないらしい。
1年待つか、習得失敗の可能性が高いものにチャレンジするか、リスクを取るか……。アルは考え込んだ。
「それより、魔法解除の呪文の書が入荷したんだよ。あんたなら買うだろう?8金貨だよ」
魔法解除呪文! それはぜひ欲しい。それがあれば、ルエラが入っていた木箱の隠蔽呪文も自分が見つけた時に解除でき、簡単に解決できたかもしれない。だが、飛行呪文はおそらく値上がりするという話だった。お金を置いておかないといざというときに買えないかもしれない。
「明日にはもう無いかもしれないよ? それでも……」
「あら、また小さな子を騙してるの?」
以前聞いたことのある声がララの言葉を遮った。強い香水の匂いがして、女性がアルの背後に身体を寄せてきた。
「騙してるなんて人聞きが悪いね。それより女狐がこんなところに何の用だい?」
ララの声がトゲを帯びた。考え事をしていたアルの背後に近寄ってきていたのはカーミラであった。以前、彼女はアルに色仕掛けで財布を掏ろうとしたことがあった。慌ててアルは財布の上を軽く叩いて確かめる。
アルの様子を見て、カーミラは艶然と微笑む。
「おばばには用はないよ。話をしたかったのはそっちのアルくん。ねぇ、お姉さんとこれからおいしいごはん食べに行かない? もちろんおごってあげる。ねっ?」
こういう話は碌な事がなさそうだ。だが、カーミラはいつの間にかアルの背中に自らの豊かな胸を押し付けるようにして後ろから抱きついてきている。アルはドギマギしてしまった。
「いや、え、えっと 困ります」
「何も取って食おうなんてことは無いわよ。ちょっと、アルくんの遠征での活躍の話を聞きたいだけ……」
遠征での活躍? 以前もそうだったが、この女性はどこで話を聞いてきたのだろうか。
「いい加減にしておきな。嫌がってるじゃないか。それに、商売の邪魔をして、客を目の前から連れて行くつもりかい?」
ララが何やら指をひらひらとさせると、カーミラはあわててアルの陰に隠れるようにした。
「わかったよ。でも、アル、あんたおかしいね。普通の男は私が軽く微笑むだけで、すぐニヤニヤするのにさ……」
「女狐の色香も衰えたんだろうさ」
ララの言葉にカーミラがキーッと反応した。
「仕方ない、今日は出直すよ。アル、またね」
カーミラはそう言って、アルにはにっこりと笑って去っていく。アルは首を傾げた。彼女は一体どういうつもりなんだろう。
「アル、あんたは何かで活躍したんだね。あの女狐はそれを確かめに来たのさ」
ララが小さな声で言った。怪訝そうな顔をしてアルはララの顔を見る。彼女の話によるとカーミラはこの都市でも指折りの情報屋なのだそうだ。いろんな人間が彼女に情報を買いに行く。おそらく、彼女はどこかでアルが活躍したという噂を聞き、それが本当なのか確かめに来たのだろうということだった。わざわざ“遠征での活躍の話”と言って反応を観察したということだろうか。以前会った時に財布を掏ろうとしてみせたのも、アルの実力を測ろうとしての事だったのかもしれない。
「僕なんかにわざわざ?」
「レビ商会の会頭がすごくあんたを買ってるっていう話は私でも聞くよ。女狐のところにはもっと情報が集まっているんじゃないかねぇ」
アルは苦笑した。情報屋が得て特別な情報というのは特にはないだろうにと思ったのだ。隠していることといえば、アシスタントの話か隠蔽呪文の事ぐらいだ。
「まぁ、いいや、ララさんのところで魔道具の買取はしてもらえるのかな?」
「しても良いけど、鑑定が先だね。鑑定料を貰う事になるよ。1つにつき10銀貨。買取値は鑑定後の話だね。買い取れないガラクタの可能性もあるし、わたしにも鑑定できないものがあるっていうのは先に言っておくよ。腕のいい魔法使いなら、魔道具の事を勉強して自分で鑑定するという手もある。あんたならそっちのほうがいいんじゃないかね」
アルは中級学校の頃に魔道具についても興味があって調べてみたことがあった。とはいっても、動かない魔道具を安い値段で買ってきて、自己流で解体してみたりしただけだ。以前、フィッツに言われて魔道具を解体して見せる事ができたのもそのおかげだった。結局、そのときは魔法記述がある場所がわかっただけで、内容については全く分からなかった。
「魔道具の事を教えてくれるの?」
「もし、興味があるのならね。あんたは魔法使いとして腕がよさそうだからさ。ただし、条件があるよ。授業料として1金貨払う事。そして、商売の話はわたしに回してほしい」
商売の話、つまり、買取を希望する客や入手した魔道具で売却するものがあれば優先的にララに回してほしいということか。まぁ、商売として鑑定をするつもりはないのでその条件はアルにとって大した事ではない。
「適正な値段で扱ってくれるのなら、是非お願いします」
「もちろん。うちはいつも適正値段だよ」
ララは頷いた。これで言質はとった。適正値段でなければ他に売ればよいということだ。
「で、呪文の書はどうする? 魔法解除の呪文の書だけでいいかい?」
とんでもないとばかりにアルは首を振る。
「もちろん全部買います。でもお金が足りるかな? 動物変身呪文は幾らですか?」
「え、全部? 本気かい?」
この半年でかなりの金を稼ぐことができた。1年待つのなら、飛行の呪文の書が値上がりするとしてもそれぐらいの金は貯められるだろう。それより、品質の安定した安い呪文の書が入手できるのだ。それを我慢するという選択肢はアルにはなかったのだった。
「動物変身呪文なら、3金貨でいいけど……。でもそんなにガツガツしなくてもいいんじゃないかねぇ」
アルはにっこりと笑って、レビ会頭からもらった金貨17枚に、自らの財布から金貨を5枚足した。
「飛行の呪文の書の保存状態は悪いよ。私は言ったからね」
「でも、安くはしてもらえないんですよね」
「まったく……、わかった。わかったよ。買うという選択肢以外はないってことかい。8金貨でいいよ。他の連中には内緒だよ」
ということは、合計20金貨だ。アルはにっこりと笑って、金貨を2枚抜いて、ララに手渡した。
「魔道具については、まずこれを読んできな。それを読み終わったら、夕方においで。いつもこれぐらいの時間に店じまいをするから、その後教えてやろう」
「よろしくお願いします」
ララから、呪文の書を3本、そしてそれによく似た羊皮紙を丸めた束を1つ受け取り、アルは元気に返事をしたのだった。
書籍化が決まりました! 詳しいことは決まり次第活動報告に書かせていただきます。
これも全て皆様が応援してくださったおかげです。
今後ともよろしくお願いします。
いつも読んで頂いてありがとうございます。
月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
そして、誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
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