6-8 行軍
アルが従者として雇われてから1週間が経った、容赦なく日差しが降り注ぐ中、オリバー男爵に率いられたレスター子爵家騎士団は辺境都市レスターに所属する開拓村の中では最南端であるローランド村を出、およそ3時間、ぬかるんだ荒地をホールデン川に沿って南下していた。
皆、暑さに無言で耐えながら移動を続けている。その軍勢の中には、金属鎧を身につけて馬に乗るナレシュたち、そのすぐ近くで従者を示すタバードを着ず、いつもの革鎧姿で冒険者然とした恰好で歩くアルの姿もあった。
パーーーッ、パッ
不意にラッパの音がした。行軍停止の音である。
「む、またか、これで3度目だな」
「ですな、10分ほど行軍を再開したばかりですが……」
ナレシュと彼の守役であるラドヤード卿が馬を止め、周囲を見回した。その横でラドヤード卿の息子のシグムンドが馬の上で背伸びをして前の方を見ている。
アルは目立たぬように小さな声で浮遊眼呪文を唱えた。アルの頭上に現れた透明の目はかろやかに上空に舞い上がった。騎士団の列は長く伸び、ナレシュやアルが居るのはその最後尾あたりであった。
隊列の真ん中あたりには冒険者らしい連中に守られた馬車が10台ほど、その前にも騎士と従士が居たが、その一番先頭で従士たちが前方に向かってクロスボウを構えていた。その先には大きな岩があり、その陰には10体ほどのリザードマンが身を隠している。
「リザードマン10体ほどと遭遇したみたいだよ」
アルがナレシュの耳元に幻覚呪文の音を使って今見た内容を言葉で伝えた。騎士団の行軍は以前、アルが参加した開拓村を巡る隊商のやり方とよく似ていた。真ん中あたりにいる魔法使い、今回はエリックではなくウォルドが浮遊眼呪文を使って周囲を警戒し、騎士団長であるオリバー男爵に状況をつたえているようだった。アルはそれに似たことをナレシュにおこなったのだ。
アルは、今回、ナレシュと相談して、呪文の使用について極力目立たないようにしようと決めていた。アル自身が子爵家内部での魔法使いの戦功争いには巻き込まれたくないというのが一番の理由である。
折角活躍できる機会なのにとナレシュは言ってくれたが、アルとしては面倒な事は御免だったのだ。ナレシュが戦功を上げ、その結果を報酬に上積みしてくれたらよいというアルの提案に、ナレシュと、直接の雇い主であるラドヤード卿は仕方ないなと了承してくれた。
服装はまた別の事情があった。従者が戦闘時に騎士の傍に居るという話は子爵家の騎士団長であるオリバー男爵が渋い顔をしたのだ。オリバー男爵とナレシュは相談して従者ではなく、冒険者と同じような服装であれば良いだろうという結論になったのだった。
アルの声の幻聴を聞いて、ナレシュは軽く頷いた。リザードマン程度なら騎士が出ることもない。ナレシュは愛馬の首を軽く撫でる。
「前方に敵が出たのだろう。おそらく30分程止まることになるだろう。ここは蛮族の支配地域だ。油断せぬようにしながら、汗をぬぐい、水を補給せよ」
ナレシュは従士たちにそう指示をし、自分も馬を降りた。ラドヤード卿もその横で大きく頷いている。理由のわからない行軍停止は軍勢の意気を削ぐ。ナレシュはそのことを良く分っていた。アルはその様子を横目でみながら浮遊眼呪文を使って周囲の警戒を続けていた。
パーーーッ、パッパッ
ナレシュの見込み通り、30分ほどして行軍再開のラッパの音がした。
「よし、行くぞっ」
ナレシュたち騎士は再び馬にまたがった。アルは浮遊眼呪文を解除する。浮遊眼呪文の空中に浮く目はある程度集中をしないとコントロールができない。常足で進む馬に並走して早足で歩きながらではそれは無理なのである。
「アル、大丈夫かい? クレイグたちと一緒に馬車に乗っていても良いんだよ」
馬の上からナレシュはアルに心配そうに尋ねたが、アルは軽く首を振る。
「気にしなくても……あっ、お気にされる必要はありません。他の従士の方々も歩いていらっしゃいます……し、僕も狩人として幼い頃から山を歩いていて体力には自信があ……ります。それに、離れていては折角訓練した成果が得られません」
アルとナレシュはこの一週間の間、通常の訓練の合間に2人で連携して戦う訓練を積んでいた。エリックに頼み込んで、夜に浮遊眼呪文の習得も済ませた。今回、ナレシュが討伐を目的としているのは通常の蛮族ではなく上位種なのだ。騎士であればなんとか倒せる相手だというが、ナレシュもアルも戦ったことはない相手である。やれそうなことは準備しておこうという話になっていた。
「たしかにそうだが……。アルの話し方を聞いていると距離を感じて寂しいな」
アルはまだ詰まってしまう事があるものの、クレイグの指導を受けて幼い頃に叩き込まれた言葉遣いを思い出しつつあった。だが、ナレシュとしてはアルがいままでの言葉遣いから変わってしまったことにかなり違和感を感じていた。
「それは、仕方のない事です。前が進み始めました。行きましょう」
ナレシュたちの前の馬車が動き始めた。ラドヤード卿が従士たちに指示をし、隊列が進み始めた。
「行くぞ。このペースだと蛮族の集落を襲撃するのは明日になるだろうが、気を抜くな」
ナレシュの指揮に付近の騎士や従士たちはオウと大きな声で応えたのだった。
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「行軍はかなり遅れているな。どうしてこうも襲ってくるのか……」
ナレシュやアルたちが進む行軍列の前の方では、騎士団長を務めるオリバー男爵が、副官で女騎士のフェリシア卿と馬を並べ、苛立たしそうに呟いていた。
「そうですね、普段であれば騎士団に向かってくる蛮族などいません。理由はわかりませんが、これでは、明暁の討伐予定は無理そうです」
「食料や物資などは?」
心配するオリバー男爵に、フェリシア卿は女性らしい優しい口調で食料はかなり余裕をもって大丈夫ですが、この調子で戦っているとクロスボウの矢が心配になるかもしれませんと答えた。
「それほど使っているのか?」
「すでに3回の襲撃を受けています。今はまだ余裕がありますが、あとどれぐらいの襲撃を受けるか……。それと士気も心配です。荷物を運ぶ連中やその護衛である冒険者たちは、度々止まる行軍に不満を言っています」
フェリシア卿の言葉にオリバー男爵は忌々しそうに鞍を軽く叩く。
「殿のナレシュ様はどうだ?」
「そちらは、初陣にも関わらず上手く士気を保たれているようです。ラドヤード卿もおられますし、安心できそうです」
「ふむ、ナレシュ様は軍勢を率いる才能もお持ちだということか……」
オリバー男爵は大きく深呼吸をして、前を見つめ直したのだった。
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