6-7 ナレシュ
パトリシアの部屋を出たアルは侍女に案内してもらってナレシュの執務室に向かった。先程、ラドヤード卿に聞いた話では守役である彼の部屋もすぐ隣にあるはずなので、ナレシュ本人が居なくても、なんとかなるだろう。
領主館はかなり広く、迷いそうなほどであった。中はアルが想像していたほど華美な装飾が施されているわけではなく、天井近くのところに透かし彫りがある程度でどちらかというとおちついた作りとなっていた。それとなく観察しながらアルが侍女の後ろを歩いていると、廊下の向こう側から黒いローブを身に纏った男性が2人歩いてきた。一人は40代、もう一人は30代といったところだろうか。
服装からしておそらく魔法使いだろう。子爵家のお抱え魔法使いに違いないと考えたアルの胸は高鳴った。彼ら2人は周囲を見回し、何か点検するかのようにしながら歩いている。エリックの話では、領主館には侵入防止用の検知魔道具が設置されているらしいが、それらの点検かもしれない。
「こんにちは」
アルは思わず声をかけた。2人はアルの事を怪訝そうな顔をして見る。
「そなたは誰だ? 知らぬ顔だな」
若い方の男が年上の男を庇うように前に出て尋ねてきた。
「アルと言います。少しの間ですがナレシュ様の従者として働くことになりました」
かつて自分の祖父は辺境伯に仕えて魔法使いとして働いていた。その頃の話を何度も聞き、想像していたアルにとっては貴族に仕えて働いている魔法使いというのは憧れであった。もちろん、自分自身が魔法を究極に極めるのがまず優先であるので、そこから先の話である。
「アル? どこかで聞いたな。ああ、たしかエリック殿が変な事を言っていたが、君がその話題の男か。まだ若いな。見習いか? それでナレシュ様の従者とは、訳の分からぬことをする」
年上の男のほうがそう呟いたが、その年上の男の横で若い方の男がその耳元で小さな声で囁いた。
「……ウォルド様の………貶め……」
何かよく聞き取れなかったが、言葉の響き的にはあまり良くない感じであった。讒言の類だろうか。年上の男は若いほうの男の話を聞いて顔を顰めたが、かるく首を振ってその若いほうの男の話を押しとどめるような仕草をした。
「よかろう、アル。従者として頑張るがよい。ただし、我々の邪魔にならぬように気を付けよ。それと、わかっていると思うが、領主館、政務館の中やその付近では緊急時以外では魔法を使わぬようにな」
おそらく検知用の魔道具があると言っているのだろう。アルはにっこりと笑って頷く。
「はい、大丈夫です。何か手伝えることがあったら言ってください」
アルの申し出に、年上の男はそっけなく首を振った。そして話は終わったとばかりに手振りをして、再び2人でなにか話をし始めた。その取り付く島もない様子にアルはがっかりしながら、その場を離れたのだった。
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「ああ、それはおそらくウォルド様とエマーソン様だな。年上のほうがウォルド様で、2人とも父に仕える魔法使いだ。エマーソン様は少し嫉妬心が強く、師であるウォルド様以外の魔法使いが活躍しようとするとそれを貶めるという噂がある。子爵家を辞した魔法使いが言っていた話らしいので本当のところはわからないがな」
ナレシュに先ほどの話をすると、彼は苦笑交じりにそのような事を説明してくれた。
「魔法使いについて、いろいろ話を聞きたかっただけなんだけどな」
すねるような顔をしたアルに、ナレシュは再び苦笑を浮かべる。
「アル君は魔法については貪欲だな。こんな面白い人だとは知らなかったよ。もっと中級学校で親しくしておけばよかった」
「そう言っても、ナレシュ様も勉強や武芸にとても忙しそうだったよ。僕も人のことは言えないけど、あまり遊んだりはしてなかったでしょ」
残念そうなナレシュの口調にアルはそう答えた。
「ところで、ナレシュ様のご予定は? 僕はどうしたらいいのかな? ラドヤード卿は、ナレシュ様と一緒に居れば良いっていう話だったけど、具体的にはどうすれば?」
アルが尋ねると、ナレシュはすぐ近くに居た濃紺のタバードを身に着けた20才前後の若い男に聞くと良いと言ってくれた。彼の名はクレイグと言い、ラドヤードの部下でナレシュの世話をするようにと指示されている従者であった。ナレシュからそう言われて、クレイグは頷いた。
「ラドヤード卿から話は伺っています。ナレシュ様、一つお願いがあります。先ほどから彼の事をアル君と呼んでいらっしゃいますが、彼は従者として働くことになりますので、できれば君を付けずにアルとお呼び頂いた方が周囲の者が戸惑わずに済みます」
少し考えて、ナレシュは頷いた。
「ああ、そうだな。気を付けよう」
その様子を見て、クレイグは軽く頷いてから今度はアルに向き直った。
「そして、アル。君はもう少し口調に気を付けてください。今回、臨時雇いでしかありませんが、雇われている間、子爵家の従者は皆同じ色のタバードを身に着ける事になります。周りからは臨時なのか正規なのかは区別がつきません。等しく子爵家の従者です。わかりますよね」
クレイグはそこでことばを切った。アルが真剣な顔で頷くのを見てかるく微笑む。
「君の口調がぞんざいであると、ナレシュ様の威厳が損なわれることになるのです。騎士爵家の生まれというお話でしたのでもう少し上手に話せるかと期待していましたが、先ほどまでのナレシュ様とのやりとりを聞いているとかなり不安です」
アルは素直に頷くしかなかった。アル自身が心から望んで就いた仕事ではないが、こういった仕事をする以上、クレイグの指摘は当然である。
「もちろん、ナレシュ様とアルが中級学校でご学友だったことは理解していますので、その仲を裂こうというつもりはもちろんありませんし、お二人だけの時は自由にお話しください。ただ、他の者が居る場所では十分に気を付けてくださいますようにお願い申し上げます」
クレイグは改めてナレシュに向かいそう言って、深々と礼をした。きっとクレイグはナレシュの教育係でもあるのだろう。
「わかっているから気にしなくて良い。で、クレイグ、今後の1週間の予定と遠征について簡単にアルに説明してやってくれないか」
ナレシュの言葉にクレイグは頷き、アルに説明を始めた。遠征までのナレシュは毎日、午前中子爵家に仕えていた内政官から領地の話を聞き、午後は騎士団と合流して訓練、夜は関連のある団体と食事会などを行うというのが大まかな予定らしい。午前中、パトリシアとの茶会に参加するアルは、主に午後の訓練にクレイグとついてゆくという話になった。夜の食事会は大抵領主館で行われるので参加しなくても良いらしい。
そして遠征についてだが、一般的に言うと従者は戦いが始まると、後方に移動するようにしていれば良いらしい。戦場で後方はどこかというのは慣れないと判断が難しいが、補給部隊や治療担当の司祭などと一緒に居て、戦いが終われば仕える相手を探して合流するのだそうだ。だが、ラドヤード卿やタラ子爵夫人の期待しているようにナレシュが武功を上げるのに協力するには、後方に下がっていては無理だろう。もちろん大人数同士の戦いなど参加したこともないアルではあるが、魔法でなんらかの手助けぐらいは出来るかもしれない。
「危険ではなさそうだと思う時は、ナレシュ様の近くに居てもいいですか?」
アルの申し出に、ナレシュは最初不思議そうな顔をしたが、その後、大きく頷いた。彼には血みどろ盗賊団との闘いのときのアルの活躍の印象が強く残っていた。
「幻覚を出すのかい? それとも敵の上位種の首を魔法で刎ねる?」
アルは首を振った。今回は蛮族相手である。前回の時ほど切羽詰まった状況にはなるまい。
「どこまでできるかはやってみないと……。でも、なんとか上位種を見つけるところまではしたいですね」
そう聞いてナレシュは微笑み、軽く頷いた。
「蛮族相手ではなく、人間同士の戦争の場合、従者や治療を行う教会関係者など戦闘の場に参加する非戦闘員を襲撃対象にするのは不名誉な事とみなされている。でも、それはその従者が戦いに参加しないという前提があるからなんだ。だから、私たちはあまり従者が戦闘に参加するという意識はなかったし、僕もそう思ってはいなかった。でも、アルがそう言ってくれるのはうれしい。一応、後から従者なのに戦闘に参加するのは卑怯者だとか言われないように、私からオリバー男爵には言っておく」
アルは首を傾げた。そういうタブーがあるのであればなぜ自分を従者という立場で雇ったのだろうか。蛮族相手だから良いかとあまり深く考えなかったのか、それとも目立つほどの事は出来ないとおもっているのかもしれない。
その点ではナレシュはきっとアルを高く評価してくれ、後の評判まで考えてくれているのだろう。うれしいなと改めてアルは思ったのだった。
※今日のUP分では騎士には地の文で卿(具体的にはラドヤード→ラドヤード卿)と付けました。違和感がなさそうなら、追々遡って修正したいと思います。
(wikiより)
タバードは、中世後期から近世にかけてヨーロッパで男性が一般的に着用していたショートコートの一種です。
読んで頂いてありがとうございます。
月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
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誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
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