6-3 呪文習得 前編
北一番街のエリックの屋敷に行くと、だみ声の門番はアルの事を憶えていたようだった。そして、アルの顔を見るなり、エリック様がお待ちだと言ってすぐに中に案内された。通してくれた先は10m四方ほどの広い部屋であった。窓はなく、奥行きは1m程度だが、幅が5mほどはあろうかという長大な机が真ん中に鎮座している。
アルが待っているとしばらくしてエリックとフィッツ、そして見習い筆頭のレダの3人がやってきた。レダは巻かれた羊皮紙と小さな鍋のようなもの、細い木と布、糸が載ったトレーを手にしている。
「よく来たね、アル君、もう少し早く来ると思っていたが……」
アルはエリックにそう言われて頭を掻いた。その横で、レダが羊皮紙をテーブルの上に広げる。羊皮紙は<呪文の書>であった。上下30㎝、幅2.5m程ありそうだ。羊皮紙といってももちろんこれは羊ではなく大きな魔物の皮を使ったものだが、素材によっての差がほぼないので同じように羊皮紙と呼ばれていた。他の<呪文の書>と同様に複雑に絡み合う円と記号、そして文字がびっしりと描かれている。机自体がかなり大きいのでそこからはみ出すことは無かった。
「浮遊眼の呪文の書です」
レダの言葉にアルは思わず顔を紅潮させ、大きく頷いた。
「よくある工夫でしょうが、このように大きな机にのせてひとめで呪文の書が見渡せるようにしてあります。この部屋は君がこの呪文を習得する間使ってくれてかまいません。一応、私たちが使う道具を用意しました。フィッツ、説明してあげて下さい」
エリックに言われてフィッツがレダの持つトレーに置いてあるものを机の上に並べながら説明してくれた。痕跡が残りにくい特製の膠、細い木と布、糸、これらは魔法の記号や円の意味などを添え書きしたり強調したりして理解を深めるのに使うものらしい。
「読み解きする工夫として、私の弟子たちにはこの記号、私はシンボルと呼んでいますが、これから受け取ったイメージについて別の布に書き、それを呪文の書に貼り付けるという方法をしてもらっています」
エリックの言葉にアルは成程と感心した。習得呪文の書にある記号については、じっと見つめることによって意図が受け取れるようなインスピレーションを喚起する特別の効果を持っている。そこから得られたイメージに従って、順番に魔力を積み上げていくことによって呪文は使えるのだが、問題はその数だ。
呪文の習得には、大きく分けて呪文の書に書いてあることを理解するための<読み解き>と、それを基礎にして魔力を積み上げて効果を発生させる<呪文発動>の2つの段階があると言われているが、この<呪文発動>の際にはその記号を1つに統合して効果を得なければならない。だが、第三階層であれば50を超える数の記号があるのだ。
これら50を超える記号を積み上げ、効果を発生させるというのは簡単な事ではない。多くの場合、何百回も思念を積み上げ、失敗するたびにどこに間違いがあったのか、記号をじっと見つめてインスピレーションを取得しなおすことによって、ようやく発動に成功するのだ。なかなか成功できず、そのイメージをより補強するために呪文の書に直接何か印などを書き込む者も少なからず居る。実際、アルも最初のころはそうしていた。もちろんそれをすると修復の手間がかかることになるのだが、呪文を発動までこぎつけるためには皆必死なのである。
そして、エリックたちの方法は、自分が見たインスピレーションを思い出しやすくするという効果があるに違いない。そうすれば呪文の発動がたやすくなるだろうし、呪文の書の損傷が発生しにくくなるという効果もあるに違いない。これも誰かが習得に使ったものだろうが、きっと大丈夫だろう。
「僕の場合、エリック様は貼り付けているその記号……エリック様はシンボルとおっしゃっていましたね。その記号のメモを呪文の書に貼り付けるのではなく、まとめて束にしているんです。こんな感じに……」
アルはそう言って、自分の背負い袋から羊皮紙の束を取り出した。その羊皮紙には呪文の書に使われている記号について、アルが受け取ったイメージとどの呪文に使われていたのかといったことが詳細に書き込まれていた。
「ほう、1枚見せてもらってもいいかね?」
「いいですよ」
そう言って、アルは紐で閉じてある束から1枚を抜き取って渡した。丸があって、それを左右に広い楕円が囲み、その楕円の上側には5本の点が描かれている
「この記号は、知覚強化呪文と幻覚呪文にも出てきていて、おそらく〔僕が見たことを示す〕ものだとおもっています。きっと、浮遊眼呪文にもつかわれているんじゃないかと……」
レダはアルが渡したその羊皮紙に描かれた記号をしばらく見た後首を傾げる。
「どこかにあったような気もしますが……」
“真ん中から左に54㎝、下から11㎝の所にあるわ”
アルの耳にグリィの言葉が聞こえた。もちろんこの声はアルにしか聞こえていない。アルは改めてグリィの声が示すところを見た。そこにはアルの思っている記号がちゃんとあった。これは実は昨晩、アルが残った未習得の呪文の書の読み解きを行っていた時に判明した事柄であった。驚くべきことにグリィの記憶力と分析能力はすばらしく、アルが作っていた羊皮紙の束の内容を彼女はすべて憶えており、また、呪文の書に書かれている記号についてもすぐに分類照合を行う事が出来たのだ。
「これですね」
グリィが教えてくれたところをアルが指さすと、レダは驚いたような顔をした。エリックがアルから預かった羊皮紙をその部分につき合わせると、たしかにアルの手書きであるため全く同じとは言えないものの似たような記号がそこには描かれていた。
「ふむ、なるほどな。思いだす手助けにはなるのか。だが、記号はじっと見ていれば意味が解る。それほど時間短縮になるのかな」
エリックやフィッツの反応はあまり芳しいものではなかった。
「なります。結局、これでかなり記号の意味を憶えたので、何度も思い出す作業をしなくて済むようになりました」
ああ、とフィッツは納得したような声を出したが、エリックは首を傾げる。
「たしかに呪文を習得する際、見たことのある記号だと思ったことは何度もあります。ですが、私はインスピレーションを受け取る際に誤った先入観になるのではないかとその記憶を排除しようとしていました。君は積極的にそれを利用しているという訳なんですね……。でも、それは大丈夫でしたか?」
大丈夫というのは、理解を誤ってうまく呪文が発動できないことにならなかったかという意味だろう。アルはかるく首をひねり、少し考えた。しばらくして、はっと何か気付いたような顔をした。
「僕が閃光呪文を憶えようとしたときです。ご存じだと思いますが、閃光呪文は光呪文とよく似ています」
アルは、その時に閃光呪文での〔光〕を示す記号を最初光呪文での〔光〕を示す記号の形で誤って積み重ねてしまい、本来、目くらましをするほどのまばゆい明るさが一瞬だけ放たれるはずが、太陽の明るさの光がしばらく掌から消えなかった話をした。
「当時、僕は2つめの呪文習得だったので、オプションに関する理解も不十分だったんです。光呪文では明るさを変えることができるのは判っていたのに、閃光呪文では、それをうまく扱えなかった。この失敗で余計オプションというのを意識したのかも」
「同じ記号に見えても、効果が違うときがあるということですね。そして、それがオプションであると……」
エリックはそう言って少し考えこんだ。
「少し話が逸れてしまいましたが、かなり有意義な話でした。非常に興味深い。しばらくそのやり方で進めてみてください。帰る前にはレダに声をかけて、その日に進んだ内容を彼女に説明してほしいです。あと、オプションだと思われるところが見つかったらそれも教えてください。おねがいできますか?」
「わかりました。しばらく部屋をお借りします」
アルが答えると、エリックたち3人は頷き部屋を出て行ったのだった。
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「さて、じゃぁ、はじめよう」
3人が出て行ったあと、アルはまるで独り言のようにそう呟いた。
“そうね、アリュ。遊ぼ♪ 私すぐ見つけるよ”
グリィが嬉しそうにそう答える。アルが作った羊皮紙の束にかかれた記号を呪文の書から探すというのは、アルにとっても手間のかかることなのだが、彼女にとっては遊びのようなものらしい。
「じゃぁ、順番に教えてくれる?」
グリィが教えてくれた呪文の書の記号をアルは幻覚呪文でつぎつぎと薄い緑色で塗りつぶし、その上にアルが羊皮紙の束に書いていたメモ書きも、今度は赤い文字で写していく。もちろん幻覚なので呪文が解ければ消える一時的なものだ。30分も経たないうちに呪文の書のほとんどは薄い緑色で塗りつぶされて、残った記号は10個にも満たない数になった。
アルが呪文の書の記号に直接何か印などを書き込んでいたのはあくまで最初のころだけだ。幻覚呪文を使えるようになってからは、痕跡がのこることを気にせずこのような事を行っていたのである。
「これが、僕の知らない記号か……、順番に見ていくね」
アルは残った記号を新しい羊皮紙に噴射呪文を使って書き写し始めた。噴射呪文は最近習得したばかりの呪文である。なにもオプションをつけなければ、ぼんやりとした10cmぐらいの丸が用意したインクを使って描かれるだけの呪文であったが、オプションによって描かれるイメージは指定することができた。これによって見た内容を別のものに描くことができ、また、インクの濃さも自由に選ぶことができる。これで、呪文の書に書いてあるものとそっくりの記号を羊皮紙に写す事は可能になった。
「これって便利だよね。丸だけだとたしかにあまり使えないけどさ、見たことがあるものなら大抵描けるんだ」
アルは思わずそう呟いた。
“今度、グリィも描いてみて”
グリィの言葉にアルはもちろん良いよとにっこりと頷く。
写し終わった羊皮紙をアルはじっと見つめた。見た目はそっくりに出来上がったのだが、残念ながらこちらからは呪文の書にあるものとは違ってじっとみるだけでインスピレーションが得られない。
「何か、違うところがあるのかな、今度時間が有る時に呪文の書を作成する手順を誰かに聞かないとな」
アル自身、修復作業をしたことはあっても、複写作業をしたことはなかった。何か特別なやり方があるのかもしれない。
「とりあえずはこれを先に習得しないとだね」
アルはそう呟いて呪文の書にある方の記号をじっと見つめ、どのような意味を持っているのか、読み解きを始めたのだった。
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