5-8 水晶
オーソンの悪戯かとアルはあわてて、近くで壁にもたれて座っている彼の方を見た。だが彼は目を瞑ったままであった。オーソンではないとするとどこから聞こえたのかと周りを見回していると再び声がした。
“私はテンペストのアシスタントだ”
「テンペスト? アシスタント?」
アルにとっては、何かわからない言葉が並んだ。警戒しながら会話を続ける。とりあえず話しかけてきているのは遺体が手に持っていた水晶らしかった。テンペストと聞いて、アルは隣国であるテンペスト王国を思い出したが、話を聞くとそうではなく、目の前の遺体の男の名前であり、アシスタントというのはその彼が生きていた頃に補助などをしてくれた、まるで知性のある水晶のことを言うらしい。
“これは水晶ではないし、この形だけとも限らぬのだがな”
首を傾げているアルに、アシスタントはそう付け足した。この呟きは不思議な事にアルにしか聞こえていないらしい。触れている者の耳の近くの骨に何かを伝導しているのだと彼は説明してくれた。耳には骨がないのにとさらに疑問が浮かぶが聞き始めると限りがなさそうである。
「とりあえず、細かいことは後でね。そのアシスタントさんは、ここで何をしていたの? もしかして遺体を守っていた?」
どんどん細かくなっていく説明に倦んだアルが尋ねた。彼の口調からすると怒っているというわけではなさそうだが、状況はよくわからない。
“私が遺体を守っていたのはその通りだ。本来であれば、遺体の尊厳を損なうような行為について非難すべきだが、そなたの様子には敬意が感じられた。それに、私自身の魔力はほぼ尽きており、守る事はおろかこうやって話すことすらできない状況であった。そなたのアシスタントが私に魔力を提供してくれたおかげでこのように話すことが出来ている”
彼が祖父からもらったペンダントにしている水晶も実はアシスタントとよばれるものであったらしい。どうして彼と同じように喋らないのかと尋ねると、まだ何も知らない赤ん坊のような状態であるので、人間と話す事すらまだできないのだと教えてくれた。
「僕たちはここに紛れ込んでしまっただけなんだよ。帰ろうとしても途中にゴーレムが居て邪魔をしてくる。なんとか見逃してくれない?」
また話が逸れてゆきそうだとアルは慌てて口をはさむ。
“私としてはこのままずっと静かにテンペスト様との時間をすごしたいだけだ。この墓については余人には秘密にしてほしい。それが守れるならばそなたのアシスタントに免じて帰してやろう”
このアシスタントだと名乗った水晶はどれぐらいの年月をここで過ごしていたのだろう。アルは頷いた。
“そなたのアシスタントは私から知識を受け取って急速に学習をしている。もうすぐそなたと話すことが出来るようになるだろう。今までそなたの想いを受け取りゆっくりと成長をしてきたようだ。そなたが悪い人間ではないというのは、彼女から魔力をわけてもらったときに十分に理解できた。うらやましいな。私も同じようにテンペスト様と過ごした日々があった”
アルはオーソンをちらりと見た。彼は力なく眠っていた。話を聞きたくもあるが、それより早く脱出してベッドに寝かせ、栄養のあるものを食べさせてやりたいと焦るような気持ちが強い。
「悪いけど早く脱出させてほしい。僕たちを魔法で簡単に麓の村まで送ってくれたりしない?」
アルの願いに水晶は無理だと即答した。彼はこの墓所を管理するためにいくつかの権限を与えられているだけで魔法を使う事はできないらしい。このように話しかけているのは魔法ではないのかと尋ねると、これはすこしちがうらしい。
“アシスタントが魔法を使えるようにという研究は進んでいたはずだが、その前に私はこの墓に入ったのでな。結果は知らぬ。逆にそなたらが持つアシスタントが何故こんなに幼いのか、いや、その前にそなたの口ぶりではアシスタントの存在すらよく知らないという風であった。どうしてなのだ?”
そう尋ねられても彼もわからない話であった。中級学校で歴史の授業はあったが、それはアルの出身であるシルヴェスター王家が建国される少し前、200年ほど昔からの事しか聞いたことがなかった。そして水晶にシルヴェスター王国や隣国のテンペスト王国を知っているかと尋ねたが彼は全く知らなかった。彼の主であるテンペストという男は偉大な魔法使いではあったが、国王や貴族のようなものではなかったという。とりあえずお互いが知る期間にはかなりの隔たりがあるようだった。
“ふむ、とりあえず、そなたの持つアシスタントにこの墓所の守護者であるゴーレムからは攻撃されないような符丁を伝えることにしよう。それを身につけていれば攻撃されることは無いだろう。守護の部屋の天井から帰るとよい。あと、テンペスト王国については少し気になるな。わが主と同じ名を持つ国家とは……。もし何かわかれば誰にも知られぬようにつたえに来てほしい。頼めるか?”
アルは頷き、運搬呪文の円盤を変形させた椅子にオーソンを座らせた。ほとんど寝ているような状況なのでずり落ちないように枠もつける。
“なかなか良い工夫だな”
魔法使いテンペストのアシスタントである水晶は素直にそう言った。アルは嬉しそうに微笑んだ。
「では帰ります。えっと、テンペストさんのアシスタントさん」
“ああ、私にも一応名前がある。マラキというのだ。ではな”
アルは改めて水晶を遺体に持たせ直し、石棺の蓋を戻すと立ち上がった。名前を教えてくれたということは、親近感を持ってくれたという事だろうか。彼はいろいろと知っていそうだ。オーソンが元気になったらまたこっそり戻ってこよう。アルはそう思ったのだった。
-----
アルが洞窟の中の裂け目をロープに伝って上がっていくと、洞窟の中にほんのりと何か肉の焦げたような臭いが漂っていた。誰かいるのかとそっと覗き込む。洞窟の中には誰もおらず、その臭いはアルが入ってきた崩れた石の隙間から入ってきているようだった。
ガビーと別れたのは昼前で、今はまだ夕方にはなっていないぐらいの時間である。彼が戻ってくるにはまだ早いだろう。それとも帰るように言ったアルの言葉に従わなかったのかもしれない。
洞窟の中で比較的無事に残っているベッドにオーソンを寝かせると、アルは崩れた石の隙間から外の様子を伺った。かちゃかちゃと金属がこすれる音と話し声がする。洞窟の外には長逗留をする人間のための簡単な炊事場のようなものが設けられていたが、そのあたりに人が居るようだった。それも声からすると2人、共に若い女性のように思われた。
「ありがとう、ジョアンナ。でもいいわ、食欲がないの。おさゆだけもらえる?」
「姫、申し訳ありません。でも何か食べないと……」
アルは首を傾げた。姫? どこの姫だろう? それともあだ名だろうか。少なくとも盗賊などではなさそうなのは確かでアルは胸をなでおろした。ゆっくりと隙間から抜け出すと、岩陰から炊事場を覗き込む。
そこには一目でどこかの戦場からにげだしてきたのだと思われるような汚れて破損だらけの金属鎧を身につけ、乱暴に短く切ったのであろう茶色の髪の20代前半であろうと思われる女性と、こちらも元は素敵なドレスだったのだろうと思われるぼろ布を身にまとったアルより少し年下ぐらいの少女が居た。汚れてくすんだ金色の髪はじゃまにならないようにだろうか後ろで束ねられている。そして調理場の台の上には何か焼こうとしてうまくできなかったのであろう炭の塊が転がっていた。
読んで頂いてありがとうございます。
月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
いいね、評価ポイント、感想などもいただけるとうれしいです。是非よろしくお願いします。
2023.6.3 水晶の話す言葉(骨伝導でアルにしか聞こえていない言葉)はふつうのかぎかっこ(「」)ではなく、ダブルクォーテーション(“”)で括るようにしました。
2023.6.9 レビという名前がアシスタントと商会で2度出てきているというご指摘がありました。私の誤りです。 アシスタントのほうの名前をレビからマラキに変更させていただきます。混乱させてしまい申し訳ありません。