5-4 狩り
※狩りの描写があります。苦手な人は途中の-----の後まで読み飛ばして頂ければと思います。
教えられたナッシュ山脈の一番端あたりに着いたアルは一度立ち止まって周囲を見回した。周囲は荒れ地に近く、土がむき出しの斜面に木々がところどころに生えているという感じである。かろうじて獣道レベルのルートはありそうだが、それも人間が簡単に登れるようなものではなかった。要望された鹿はもちろん動物の姿は全く見えない。
アルはひとまず道具や着替えなどが入っている背負い袋は邪魔にならないように運搬呪文で作った円盤に載せる。そして背負い袋にはさらに隠蔽呪文をかけた。最近気が付いたのだが、これによってかさばる背負い袋が生む細かい音や匂いまでも遮断でき、また移動の際に木の枝に引っかかったりするのも防いでくれるのである。
次に彼はまだほとんど傷がない真新しい革鎧の固定用のベルトを確かめた。オーソン探索に出かける直前に入手したが、まだ少し違和感があるのだ。
それは、今まで使っていた全身を固めた革で覆うタイプとはかなり違って、首筋や胸や腹などの重要部位はもちろんだが、肩や上腕部といった身体を守るためによく使う部位には鈍く黒光りする大口トカゲの背のごつごつとした固い部分がつかわれているからであった。
おそらく十全につかうことができればかなり防御力が上がりそうであるのだが、鎧を使って行う防御についてアルはあまり得意ではなかった。もちろん出来はさすがと思えるぐらいのものであるのでそういった点では満足していない訳ではないのだが、なんとなくしっくりきていないという感じは残っていてこの点についてはまたオーソンに相談しようと思っていた。
気になるところはありつつも、とりあえず準備を終えて身軽になったアルは次に知覚強化呪文で嗅覚を強化し、風向きを意識しながら改めて周囲を調べ始めた。夏の咽返るような草のかおりに紛れていろいろな臭いがした。他に多いのはもちろん昆虫の類。そういった中に地鼠、うさぎ、そしてもちろん鹿の臭いもあった。畑の害獣として意識されているぐらいであるからこのあたりも通っているはずである。かすかに狼、ゴブリンやオークなどの蛮族の臭いもしたが、それはかなり遠くだった。
痕跡を辿って鹿の臭いを追う。一番近い鹿はまだ若い雄のようであった。この時期の雄は秋の繁殖期に備えて脂がよく乗っているだろう。肩のあたりの肉をあぶって食べるとおいしそうだとアルは考えた。その鹿は起伏に富んだ斜面を木々の間を抜けて移動していた。普通の人間であれば移動するのも難しいような地形であったが、アルは肉体強化呪文を使って脚力を強化し、軽く跳ねるように追跡を続ける。
20分程したところで、ようやくアルは木の芽を食べている姿を捉えることが出来た。その鹿は体長2m、体重は150kg程だろうか。角は50㎝程で先は尖っている。まだ季節的に好戦的ではないはずだが、油断するわけにはいかない。
50mぐらい離れているにも関わらず鹿もすぐアルに気付いたようでじっと見つめてきた。視線が合う。アルも思わず息を止めじっと見返した。およそ3秒……次の瞬間、鹿は跳ねた。
『魔法の矢』 -収束 距離伸張
それを待っていたアルの右手から光り輝く矢のようなものが飛ぶ。幼いころから狩りを手伝っていたアルは鹿の行動パターンがある程度読めていた。魔法の矢呪文の矢はうまく鹿の首に深々と突き刺さる。
「やったっ!」
思わずアルは声を出した。首の傷跡から血を流しながらよろよろと逃げていく鹿に近づく。後ろからがっと角を掴むと腰のナイフを抜き、迷うことなく首の太い血管を切り裂いた。鹿の身体はビクビクと震え、血が一気にあふれ出してきた。心臓が動いているうちに血抜きをするのが一番楽なのである。痙攣している鹿の身体を斜面に横たえると、何かが近づいてこないか警戒しながらしばらく待つ。10分もするとその鹿は最後にぶるっと震え動かなくなった。
それを見届けたアルは隠蔽呪文を解除して背負い袋を運搬呪文の円盤の上から背負い直した。代わりにまだ温かい鹿の死骸を載せる。重量的にはかなりなものであるが、運搬呪文の熟練度はエリックを運ぶのに使った時からさらに上がっており、なんとか載せることができた。
空を見上げると日が沈むにはまだ少し時間が有りそうだった。アルはあらためて水を探す。暑い季節なので処理は早めにしたほうが良いのだ。幸い、近くに川を見つけることができた。幅は3mだが深さが1mほどあってそこそこの水量である。
川岸まで移動したアルは手慣れた様子で運搬呪文の円盤の形を変えて鹿の死骸を仰向けに固定するとその形で下半分を流水に漬けた。そのまま冷やしながら内臓処理、皮剥ぎ、さらに解体まで終わらせる。そうやってアルは日が暮れるまでに無事狩りを終えたのだった。
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「すげぇ、すげぇよっ。なんだよ、この肉を乗せてるトレーみたいなの、宙に浮かんでるぞ」
疑わし気にしていたガビーはアルが運搬呪文の円盤に解体済みの鹿肉を山積みにして帰ってくると目を丸くして大騒ぎをした。魔法が使えるのだと説明すると、最初に会った頃とは完全に態度を変え、まるで拝まんばかりの態度になった。エセルも出迎えてくれたので、泊まらせてくれる礼に一部手元に残して残りの部位を村の人々に分けてもらえるようにしたいがどうしたらよいかと相談する。初めての狩場で鹿を狩ってきたアルに驚いていた彼であったが、それならばと、村長の家に案内してくれたのだった。
先に鹿肉をどこに置けばよいかと尋ねると調理場らしいところに案内される。その頃には村の中で噂になっていたようで調理場には10人近くの女性が待ち構えていた。
「こんにちは。斥候職のアルです。エセルさんには話をしたんですが、知り合いを探してます」
女性たちの傍らに立っていた村長は40代前半の少し小太りの男だった。濃い茶色の髪は短めに刈りこまれ、上機嫌そうにニコニコとしていた。
「ああ、話は聞いた。足をひきずった男は確かにひと月ほど前にこの村に来ていたようだ。今はどうしているのかはわからんが、降りてきていないらしいからまだ湯治場に居るのだろう。今日はガビーのところに泊まるのだろう? 明日はあいつに案内させよう」
彼が言う湯治場というのは温泉が湧いているところの近くで雨露をしのげる洞窟のことらしい。オーソンがコーディに言っていた洞窟というのはそれの事かもしれない。結局のところ、アルナイトはオーソンが彼女に売り込んだ話らしく、その場所は行ってみないとわからないのだった。
「テンペスト王国の中で騒ぎが起こっていると耳にしたのですけど、このあたりでは何かありました?」
アルが気にしていたのはマドックたちが隣国で大きな戦争が起こったと言っていた話だった。国境都市パーカーに儲け仕事があると彼らは出かけて行ったが、ここも国境に近い。
「ああ、このあたりでは大丈夫じゃ。2月ほど前じゃったかな。たしかにそういう話があって、警戒せよという通達がきていたよ。儂も不安になって城塞に詳細を聞きに行った。山を越えた向こう、隣国のテンペスト王国では、王家と宰相をしていたプレンティス候爵家の間で争いになっているそうな。いろいろな噂が飛び交っていてどちらが正しいのかはよくわからんという話じゃった。北の国境都市パーカーでは避難してきた連中が多くて大変らしいが、こちらは今の所平和なモノじゃ。道が険しくよほど山道に慣れてないと越えてくるのは無理じゃからな。どちらにしてもこちらの国境で戦争ということにはならんだろうという話じゃった」
村長が言う城塞とはこの村からも見えた近くの山頂付近に見えたものだろう。オーソンが戦いに巻き込まれたのではないかとも心配していたのだが、そういうのは無さそうだ。ということは、結局温泉治療が長引いているのか。オーソンの性格からしてそれで約束から遅れるというのはなさそうな気もする。だが、いろいろと考えても仕方ない。明日の朝は早めに出発しようと心に決めた。
「情報ありがとうございます。じゃぁ一晩お世話になります」
アルはお辞儀をして立ち上がる。調理場では女性たちが受け取った鹿肉を分配し終えたようで、こちらも嬉しそうなガビーとその母親らしい人物が肉の塊が乗った板を抱えて待っていた。
「アル様。ありがとうございます。頂いた肉で今日はごちそうです」
「ありがとな、アル様」
ガビーの言葉に何故か村に居る家族のことを思い出したアルはにっこりと微笑んだのだった。
読んで頂いてありがとうございます。
月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
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2023.5.16 鎧に関して記述を少し変更しました(内容は基本変わっていないはず……です)