18-9 男
金属の精錬場らしき所に動きがあったのは、それから二日経った日の正午すこし前だった。アルはその日も精錬場が望める山の山頂で、朝早くから一人で呪文の練習をしながら見張っていた。最近、呪文の数が増えたので、一つ当たりに割ける呪文の練習時間は減っており、熟練度の上がり具合もかなり鈍っていた。特に他にすることもなく山の中で監視だけをするというのは、熟練度を上げるにはいい時間であった。
“アリュ、誰か空を飛んで来たよ”
「え? 空を?」
アルは慌てて呪文で自分の視力を強化し、ラミアの小屋の辺りを見る。だが、そこには誰も居ない。
「あれ? どこ?」
“小屋から100メートル程右に着地したみたい。飛んで来たのは北からだったわ”
そこにはラミアと一緒に黒っぽいローブのようなものを着た人間が居た。四十才ぐらいの痩せた男だ。身長は170センチぐらいだろうか。ヴェール卿と似た雰囲気はあるが、本人ではない。ラミアはその男の前に頭を垂れているように見えた。蛮族と人族がどうして一緒に居れるのだろう。蛮族と人族が共存する方法があるとでも言うのか。アルは混乱しつつもその様子を記録再生呪文で記録し始めた。
男はなにか手を振ったりしてラミアに指図をしているようだった。そこにゴブリンが近寄って来た。男とラミアが居たあたりは金属を製錬するための石を積んだ小さな塔などからは少し離れており、近くにゴブリンは居なかったのだが、そのゴブリンは男の存在に気がついて近づいてきたようだった。音は聞こえないし、距離もあるので詳しい状況はよくわからないが、ゴブリンは男を襲おうとしているように見えた。
だが、ゴブリンが襲いかかろうとしたところで、男の掌から青白い矢のようなものが飛んだ。ゴブリンはそれを受けて仰向けに吹っ飛ぶ。魔法の矢らしきものだ。だが、その呪文の発動速度はアルから見ると普通の魔法の矢呪文よりかなり早い。ゴブリンは男からの呪文攻撃を受けて仰向けに倒れ、そのままピクリともしない。
「あれ、早くなかった? 痙攣呪文と同じような感じ?」
“早かったわ。だって、襲いかかろうとしてから掌をつきだしたもの。でも痙攣呪文ほどじゃないわね”
盾呪文に素早い盾呪文があるように、魔法の矢呪文にも発動が早い別の呪文があるのだろうか。いや、それも気になるが、ゴブリンの行動も気になる。あの男はラミアとは話をしている様子だが、ゴブリンは男を襲おうとし、男も襲ってきたゴブリンには容赦なく魔法を撃って倒した。ラミアとは話もできるがゴブリンとは相容れない、話はできないということなのだろうか。その違いはいったい何だ。
“ラミアは呪文が使えるぐらいだから賢いんでしょ。だから強い人間は襲わないとか。ゴブリンは頭が悪いから人間をみれば強くても襲おうとするってことじゃないのかな”
アルの呟きを耳にしたのか、グリィがそう言った。
「犬や猫ですら相手が自分より強いか弱いかぐらいは判断して行動するのに……。ゴブリンはそれすらもできない?」
“そうね、状況をゴブリンは理解できなかったのか、それとも相手が強いと憶えていられないのか……そのあたりはわからない。人間を襲うのは本能でそれに従っちゃうんじゃない?”
そうかもしれない。ということはやはり知能の高い一部の蛮族とは話ができるが、そうでない蛮族とはやはり相容れない相手ということか。それも、この男は蛮族の言葉をしゃべれるのだろうか。
男は自分の近くに樽を出し始めた。例の穀物を入れるのによく使う樽だ。ということは中に穀物がみっしり詰まっているのかもしれない。何もない所から樽をだしているのを見ると、この男はマジックバッグをもっているのだろうか。それともアルと同じように移送呪文を習得しているのかもしれない。
そして、あの男がここにゴブリンやラミアを誘導もしたのか。それとも、単に蛮族の集落に食料を提供しているだけなのだろうか。疑問は多く、誰何して目的も問いただしたいところだが、男に接触するのはさすがに危険だろう。
アルはしばらくその男とラミアのやりとりを見ていた。男は樽を10個並べると、再び空に浮かんだ。そして今度は北西に向かって飛び去っていこうとする。
『浮遊眼』
アルは急いで浮遊眼の眼で男を追跡し始めた。飛行呪文の飛行速度は眼の飛行速度と大きく変わらない。そして透明なので発見呪文の範囲に入らなければ大丈夫だろう。
男はしばらく北西に飛び、また別の蛮族の集落らしいところに到着した。ホブゴブリンとゴブリンが併せて百体ほど居る大きな集落だ。ゴブリンメイジの姿も有る。男は集落の端のほうに着陸した。こちらにもラミアが居て男の許にやってきた。こちらのラミアの上半身は豊満な胸をした女性だった。ここではゴブリンはラミアと男のところに近づいては来なかった。男は前の集落と同じようになにか身振り手振りを交えてラミアに説明をした後木の樽を並べると再びそこを飛び去ったのだった。
「ここでもラミア……。ゴブリンメイジも居るのにラミアなのか。ラミアだけが人族と交渉できる……? いや、辺境都市レスターを越えた開拓村で蛮族を増やすのに男と接触していたのはゴブリンメイジだった。ゴブリンメイジから取り上げたアシスタント・デバイスはその相手はヴェール卿っぽいという話だったけど、まさかこの男じゃないだろうな。どう違いがあるのかな」
“うーん、全然わかんないわね。言葉の話ももっと詳しく調べないといけないわね”
アルの浮遊眼による男の追跡は続いた。男はそこから北東にしばらく飛ぶ。そして、細い街道脇のちょっと開けたところまでくると、そこで降下した。そこには馬車が一台停まっている。その脇で4人程の男が焚火を囲むようにして座っていた。その馬車にアルは見覚えがあった。黒く装飾のない四頭立ての馬車。テンペストの密偵がよくつかっている馬車だ。ということは、やはりこの男はテンペスト王国、プレンティス侯爵家に仕える魔導士か。
男に、四人は礼をして出迎える。焚火を消し、皆馬車に乗り込んでいく。
「遠くてよく見えないな。グリィ、もしかして馬車の屋根の上に印書いてない?」
以前、北のマジックバッグの遺跡で、マジックバッグに割り当てられた倉庫の中に入っていた馬車にはアルが以前、星と数字を刻んだのだ。食料の樽を出したのはマジックバッグだろう。ということは、この馬車もあの倉庫で眠っていた馬車ということはないのだろうか。
“あるわ! でも下の数字はちょっと遠くて自信ない。2か3だと思うのだけど……”
もしかしたらと思っていたものがこんなところで役に立つとはとアルはその偶然に驚いた。しかしこれで、男がつかっていたのはマジックバッグであり、それもプレンティス侯爵家に仕える魔導士である可能性はかなり高くなった。ほぼ断定してもいいだろう。またプレンティス侯爵家の魔導士たちはこんな工作をしているのか。だが、いくら相手の正体がわかったとは言え、アル一人で馬車を襲撃するのは少々厳しい。馬車は街道を北に向かい始めた。おそらくマーローの街に向かうのだろう。そろそろ浮遊眼呪文は止めないとまた頭が痛くなってしまいそうだ。アルは仕方なく呪文を解除した。
「とりあえず、マーローの街に行って衛兵に伝えようか。でも、信じてくれるかな……。出せる証拠なんて何も」
マーローの街の衛兵に知り合いなどほとんど居ない。父やジャスパー兄さんを連れてきて掛け合えば彼らを拘束してくれるだろうか? ややこしい事になりそうな気もする。ただでさえ、今回鉄鉱山の件ではギュスターブ兄さんに迷惑をかけているのだ。だが、放って置くわけにもいかない。どちらかというとオズバートに相談したほうがいいかもしれない。
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アルは急いでチャニング村に飛んで帰った。すぐにメアリーがアルの帰宅に気が付いてどうだったと声をかけてくれる。アルは色々と報告したいがみんなは居るかと尋ねる。母パメラは家に居るが、父ネルソンと次兄ジャスパー、姉のルーシーは畑で作業を、オズバートはおそらく自宅、ネヴィルとネヴィルの父、マイロンは判らないという答えだった。
「蛮族の精錬場らしきところでおそらくテンペスト王国、プレンティス侯爵家の魔法使いを見つけたんだ。どうすべきか相談したいから父さんたちを呼んできてもらえる? でも大きな声で言っちゃだめだよ。確証はないからね。僕はまずオズバートさんと話をしてくる」
アルがそう言うとメアリーは大きく目を開き、いってくると急いで走っていった。アルもオズバートの家に向かう。彼はメアリーの言う通り自宅に居てアルの兄ギュスターブとマーロー男爵に出す報告書の作成作業をしていた。
「オズバートさん。ちょっと大変な事が判ったよ」
彼の妻に居間に通されたアルは、オズバートの顔を見るとあわててそう言った。
「なにが判りました?」
「これを見て」
アルは記録してきた映像をオズバートに見せた。男がラミアと何か話しているところと、ゴブリンを倒すところ、別の所でまた男がラミアと話しているところ、馬車に戻って部下らしき男たちと合流したところの四点だ。
「この男は?」
「この馬車はプレンティス侯爵家の魔導士が潜入工作をするときによく使っている馬車なんだ。ああ、テンペスト王国は魔法が盛んで、能力の高い魔法使いを魔導士と呼んで騎士と同等に扱っているんだ。この男はおそらく、テンペスト王国、プレンティス侯爵家の魔導士だと思う」
「なんですと……」
オズバートは勢いよく立ち上がった。ガタンと音を立てて椅子が転がる。
「それほどまでに魔法が盛んなのですか」
オズバートはテーブルに手をついた。じっと頭を垂れて考え込む。
「なんとか、この男を拘束して蛮族に食べ物を与えるなんて事を止めさせたいんだけど」
アルはそのオズバートの顔を覗き込むようにして言った。オズバートは頭をゆっくりと振った。
「マーロー男爵閣下の衛兵隊では捕まえることは叶いますまい。部下の四人はおそらく従士ということなのでしょう? そちらは犠牲を払えばなんとかなるかもしれませんが、この魔導士が空を飛んで逃げられた場合、追いかける方法を衛兵隊では持っていません。というより、辺境伯騎士団の魔法使いでも飛行呪文を使えるものはほとんどいないのです。さらに、捕縛を試みるとしてもこの魔導士が集団攻撃の呪文をもし使うとなれば多くの殉職者がでることでしょう」
アルは落胆した。エリックと同じぐらいの魔法使いがマーロー男爵家や辺境伯騎士団にもたくさん仕えているのだと思っていたのだ。だから、この男を捕まえるのは衛兵隊……は苦しいにしてもマーロー男爵家の騎士団が出動すれば簡単な事だと考えていた。デュラン卿が祖父ほど魔法の使える人間がいれば楽なのにと言っていたのはお世辞ではなく事実だったのか。
「そんなに……。まさか? あのじゃあ、どうすれば?」
オズバートは再びゆっくりと頭を振った。
「ギュスターブ様がいらっしゃれば、最近、騎士団長になられたユージン子爵閣下に直接お話できるのですが……。そうですね、辺境伯騎士団にデュラン・フェルディナンド卿という方がおられます。あの方ならば話を聞いていただけるやも」
デュラン卿?
「その人って、かなり年配の?」
オズバートがなぜ知っているのかという顔をする。
「ちょっとね、別の所で会ったことがあってね。最初は騎士様って知らなくて気楽に話をしたんだけど、後からそうだって知ったんだ。そのときはびっくりしたよ。デュラン卿なら爺ちゃんと面識があるって言ってたし、話を聞いてもらえそうだけど、辺境伯騎士団の中でも偉い人なの?」
「今は第四隊の副隊長を務めていらっしゃいます。騎士団長や各隊の隊長は子爵閣下か男爵閣下、或いはその嫡男の方しかなれませんので騎士爵としてはほぼ最高位と言えるでしょうね」
「わかったよ。じゃぁ、領都でデュラン卿と相談してみよう」
しかし、いま行われている行為に対して、何か出来ることはないのだろうか……。
読んで頂いてありがとうございます。
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誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
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