16-7 死の川を越えて 前編
新年を迎えてから数日が経った。ケーンの手伝いからようやく解放されたアルはナレシュからもらう褒賞としてケーンに提案された土地を見に行く事にした。
“住めないような土地だったら、ケーンさんの仕事は二度と手伝わないわ”
グリィは未だに土地の状態については不安を持っているらしい。ノラン村から飛行呪文を使って十五分ほど飛行すると、ケーンから聞いた死の川と呼ばれるヨーク川に注ぎ込む支流が見つかった。空から見ると、川の水自体がほんのりと深い青に光っている。彼の話のようにその川に沿っての一帯はまったく木々が育っておらず、白っぽい岩ばかりが転がっている。その景色は少し不気味で幻想的であった。
「ここか……。一応この子も大丈夫そうだ」
アルはゆっくりと高度を下げつつ、右手にもった木のカゴを掲げた。その中には薄い黄色をベースに頭上半分と肩、羽根の先あたりがすこし黒い小鳥が一羽、呑気そうに籠の真ん中に置かれた枝に止まっている。
“あたりまえでしょ。念のためだもん。でも、何か綺麗……”
アルは籠を横に置き、死の川とよばれる青く光る川にゆっくりと手をつけた。特に異変は感じられない。
『知覚強化』 嗅覚
本当に何もないのかは慎重に確認したほうが良いだろう。嗅覚を強化した後、改めて川の水を嗅ぐ。普通では感じられないものの、知覚強化をするとすこしだけ、なにかが腐ったような異臭のようなものが感じられる。
『分析』
念のため、分析呪文を使ってみた。水筒の水とも比べてみる。だが、違いはよくわからなかった。
“精度を上げてみて”
「うん……」
『分析』 精度上昇
いつもの呪文の結果とは異なり、1パーセント以下の成分もずらずらと表示された。だが、その成分について、名前は判ってもどれもアルにとっては見覚えのないものばかりで、問題があるかどうかよくわからない。
「何かわかった?」
“うーん、わかんない。わかんないけど、記憶しておくわ。そのうち、何かわかることがあるかもしれない”
グリィにも聞いてみたが、分析結果から判断はできないらしい。とりあえず小鳥に影響は無さそうなので、アルは籠を手にして上流に進むことにした。原因はわからないものの、死の川を流れる水は透明ではなく青くなっており、角度によってはきらきらと光って見える。綺麗ではあるのだが、あきらかに何か違っているのだろう。原因を出来れば確認したい。
岩だらけの川岸沿いに死の川をさかのぼる。蛇行するので距離ははっきりしないが、およそ三キロは移動すると周囲の山肌はかなり険しく迫ってきた。水面の青色はすこし濃さを増しているような気がした。ほんのりと湯気があがっている。指先をいれると川の水の温度はほんのり暖かい程度にまで上がっていた。あたりはぼんやりともやがかかっている。小鳥に影響が出ているようには見えない。
「これは本当に温泉……とかいうやつなのかな?」
アルがつぶやく。だが、クラレンス村にあった奥の泉の水はこんな色を帯びてはいなかったし、周囲の草木が枯れるという事もなかった。同じように湯が湧いているというのは確かだが、こちらは毒の泉というべきものではないのだろうか。
そんな事を考えていると、アルの進もうとしている二十メートルほど先の河原でプシュッという音がした。身構えていると、音がしたと思われた辺りの地面から、急に勢いよく湯が真上に向かって噴き出した。
「えっ? 何?」
アルはあわてて後退しつつ、いそいで高度をとる。湯のしぶきが少しだけアルの身体にかかったが、その温度はかなり熱いものだった。その噴き上がった湯は高さ三メートルほどに及び、それも一分ほどの間、噴き上がり続けた。
“あれが足元から噴き上がってきたら、怖いよ。火傷しちゃう”
「そうだね。ここまで遡って来るのは危険だなぁ……。もし家を作るなら、もっと下流がいいかな」
“うん、それはそのほうが良いと思う。だけど、調査は必要かも?”
グリィの言葉に、アルは頷いた。一応源流となるところまで行ってみたほうが良いだろう。十メートルほどの高度を保ちつつ慎重に川をさかのぼっていく。途中、再び湯が吹き上がったが、その高さは先程と同じく三メートルほどだ。
さらに二キロほどうねった川を進むと、目の前が少し開けた。そこは渓谷になっており周囲に山の稜線がぐるりと囲んでいた。渓谷の直径は長い所で五百メートル程だろうか。その谷の入口あたりにアルの魔法発見呪文の反応が一つあった。ゾラ男爵に指摘されて以降、魔法感知呪文の他に、発見系の三呪文もずっと維持するようにしていたのである。今回はそのうちの一つ、魔法発見に反応があったのだ。
“魔道具?”
魔法発見呪文は反応によって魔道具かそれとも呪文による反応かは区別することが可能である。この反応は魔道具であった。
「っぽいね」
アルはそう返事を返すと、ゆっくりとその魔法発見の反応があったところに降りていく。岩と岩との間に綺麗な装飾がされた短剣が一本落ちていた。おそらく保持呪文などで錆止めや劣化防止の効果がついていて、それが魔法発見呪文に反応したのだろう。
「短剣だけ? どうして?」
その短剣の近くには、おそらく湯が噴出したことがあると思われる穴があり、その穴の縁にはすこし黄味をおびた白い粉が大量に付着している。気を付けないと、いつその穴から湯が噴き出てくるかわからない。そして、短剣のまわりを慎重にさがすと、ぼろぼろに錆びた金属が縁についたままの小さなレンズのようなものが一つ落ちていた。形からするとおそらくメガネだろう。
“誰かが短剣とメガネをここに落とした?”
グリィが呟くがアルはそれに首を傾げた。装飾された短剣もそうだが、メガネも高価なものだ。落としたままというのはあまり考えられないと思ったのだ。それよりは何かの理由で所有者は死んでしまい、獣にたべられたり、土に還ったりして、短剣とメガネだけが残されていたという可能性のほうが高そうであった。だが、急に噴き出した熱湯で火傷を負っただけで死んでしまったりするだろうか。
アルは籠の小鳥をちらりと見た。小鳥はつぶらな瞳でアルをじっと見つめ返してくる。悪い空気のほうは今の所大丈夫そうだ。とりあえず短剣とメガネのレンズは釦型のマジックバッグ(アルは普段、容量の小さいほうのマジックバッグのみを持ち歩くことにしていた)にしまい込み、再び地上から十メートルほどの高度を取る。
「ケーンは誰も死んでないと言ってたけど、それはあくまで川下での話っぽいな。とは言っても、最近の事じゃなさそうだ」
アルは慎重に高度を保ったまま渓谷の底の様子を調べる事にした。いたるところに湯が溜まっている場所があり、先ほどあったような湯が噴出したと思われる穴もたくさんあった。渓谷全体に湯気なのか煙なのかはよくわからない、白く濃い霧のようなものに覆われており、視界は非常に悪い。知覚強化をしたアルにとってもそれは同じであった。
アルはかなり時間がかかって、ようやく魔法発見の反応を手掛かりに谷底のほぼ中央ぐらいに大きな岩を組み合わせ、四角い窓のようなものがある建物らしきものを見つけた。大きさは一辺五メートルほどでそれほど大きくはない。そして、その横には湯が溜まった岩で囲われたところがある。そして、そのすぐ近くの地面に亀裂のようなものがあって、ひときわ濃い白煙が上がっていた。
魔法発見の反応はいくつかあり、それらはその建物の中、そして横にある亀裂の中であった。建物の中の反応は魔道具であった。反応は三つ。こちらは大きな問題ではないだろう。だが、亀裂の中の反応は問題であった。その反応は魔道具ではなく、何者かが呪文を使ったような形跡なのだ。ということは、そこには人族、場合によっては呪文が使える蛮族か魔獣が居るということを示していた。
「話ができる相手なら良いんだけど……」