16-5 ノラン村
翌朝、アルは、ケーンとその部下、トールとテレサを運搬呪文の円盤に乗せ、避難民たちの村の一つ、ノラン村に向かった。最初、トールたち二人は空を飛ぶという体験に顔を強張らせていたが、すぐに慣れて眼を輝かせ、ケーンと川の位置や土地の高低など活発に意見を交わすようになった。
上空から見たノラン村は以前に来た時に比べて村の区画割りなども広がっており、活気があるように見えた。村の北側の広場には石材や丸太などの建材が山積みになっており、今も馬車が出入りしている。
「ノラン村では今、セネット男爵家の領主館を建築中なのさ。ナレシュ様の御屋敷というだけじゃなくて、内政館も兼ねるからそこそこ大きめの建物になって、結構時間がかかってる。でも、新しくセネット男爵領となった村々ではナレシュ様はこの半年、成立に尽力したことも有って、“兄弟”ナレシュとして人気は高く協力的なんだ。ノラン村の人々はもちろん、他の村の人たちもたくさん手伝いに来てくれているから、そのおかげできっとここからは早いと思う。ありがたい事さ」
ケーンはしみじみと言った。
「レビ商会の支店とか、領主館の近くにできるのかな?」
「うん、会頭には是非にとお願いしているから、そっちもたぶん春には開店できるだろうっていう話だね。あとは、宿屋とかが出来たら、町と言えるようになるかもしれない。もちろん、それぐらいは発展してもらわないと困るけどね」
アルが村のすぐ近くの道沿いに降下し、ケーンたちとノラン村に向かって歩いていると、村の入り口には二人の人影があった。そのうち一人には見覚えがある。パトリシアの護衛を務めていたジョアンナであった。
「ジョアンナさん! こんなところで……」
アルがそう言って近づいていこうとした。だが、そのアルの腰にいきなりケーンがしがみつく。
「アル! 落ち着いて!」
「ケーン? 何?」
アルは極めて落ち着いている。落ち着いていないのはケーンの方だ。
「パトリシア姫様の事はジョアンナ卿の所為じゃない!」
なるほど、ケーンはアルがジョアンナを責めるのではないかと考えて、それを止めようとしているのか。以前、ナレシュとはパトリシアとジョアンナと謎の魔法使いが辺境都市レスターで子爵の領主館から逃げ出し、帰って来たのはジョアンナだけだったということにすると話し合った事が有る。ケーンはきっと、その線で話をナレシュから知らされているのかもしれない。
「大丈夫だよ、ケーン。そこはもう判ってる……」
「え? 本当か? 無理していないか?」
ケーンは心配そうにアルの顔を見ている。その顔を見て、アルは罪悪感で胸がいっぱいになった。
「大丈夫だよ」
「それなら良いけど…って、アル? その反応、それはそれで冷たくないか? いくらタバサ男爵夫人が美人だからって……」
ケーンが今度は一転して怒りだした。パトリシアの事はすっかり忘れてタバサ男爵夫人に乗り換えたと責めたいのだろうか。だが、そっちはケーンの勘違いだ。アルは困った顔をして、まぁまぁとケーンを宥める。
「いいから、いいから、ケーンはちょっと落ち着いて。ジョアンナさん、大丈夫です。お元気でしたか?」
二人のやり取りに戸惑った様子のジョアンナは、不思議そうな顔をしつつもなんとか頷いた。
「今はこの村に仮住まいさせてもらい、ナレシュ様の従士として、衛兵隊のように領となる村々を巡視しつつ、レビ会頭がつれてきた見習いの訓練をしている。何者かわからない者が空を飛んでいると村の自警団の連中から私の所に知らせが来てな。急いでやってきたのだ。だが、ケーン殿やアル殿とわかって安心したところだ」
アルが頷いていると、ケーンがジョアンナに軽く頭を下げた。
「ジョアンナ卿、騒ぎを起こして申し訳ありません。アルが昨日の夕方、ようやくパーカーのレビ商会の屋敷にやってきたので、早速、空からの確認作業をしようと思ったのです。事前連絡をすればよかったのですが……」
「大丈夫だ。たまたま見張りをしていた人間が、気付いただけで、特別な騒ぎにはなっていない。それに、村の中まで飛んできたのではなく、村の手前で降りてここまで歩いてこられたのだから、特に問題視することでもないだろう」
ナレシュは今、新たに男爵位を叙爵されるため、ラドヤード卿とその息子のシグムンド卿、従者長であるクレイグ、そして、元々テンペスト王国のセネット伯爵家からの再仕官組であるサンフォード卿、ゾラ卿といった主だった家臣と共にレイン辺境伯の領都に行っているはずだ。ということは、彼らの留守の間、この新たなセネット男爵領に残り、差配をしているのはケーンとジョアンナの二人なのだろう。中級学校で同じクラスであったケーンも頑張っているのだなぁと思う反面、二人だけで大丈夫なのだろうかと不安に思う気もした。だが、それについては、それぞれの村には村長が居るし、自警団も居る。第一、ジョアンナは肉体強化呪文が使え、テンペスト王国の王弟の姫であるパトリシアの身辺護衛を任されるほどの騎士だったのだから問題は無いのかと思い直した。
ケーンたちは何度もこの村に来ているらしく、慣れた様子でアルを工事中の領主館の敷地に案内してくれた。ジョアンナも一緒だ。おそらく中庭となるのであろう建築資材が山積みになった横に、おおきなテーブルが中に置かれた天幕と、おそらく寝泊りする用のテントが六つ並んでいた。アルたちも、今日はそのテントの一つで泊りらしい。明日は新年の日なのだが、休みはないようだった。新年の日といっても、高位貴族は儀式などをするが、一般庶民は年を一つとるだけだ。生まれた子供が初めての新年を迎え一才になるときなど無事な成長を軽く祝うことはあるが、せいぜいその程度である。それほど残念に思うわけでもなかった。
「こっちでは、ずっとテントなのかい?」
アルは少し驚きながら言った。今は冬だ。さすがに寒いのではないのだろうか?
「うーん、でも、ノラン村では住む者たちの家が辛うじて確保できたという状態でね。空いている家はないんだ。それも、今は領主館のために優先的に建材を回して貰っていて、最近こちらに逃れてきた者たちは家を建てるのにも調整をしている状態なのさ」
ケーンが仕方ないという感じで答える。
「それは大変だなぁ。僕が居る間だけでも、温かくして良い?」
アルは最近、温度調節呪文の熟練度も上がり、テントや天幕のようにきちんとした壁は無いところでも、オプションを調節して、効果範囲を限定して気温の調節もできるようになっていた。
「そんなことが出来るのなら是非頼むよ」
「私たちのほうも是非頼む。正直なところ、夜は少しな」
ジョアンナも同じように言ってきた。彼女の配下の見習いは五人居て、この六つのテントのうち、三つで分散して生活しているらしい。テント一つに二人の計算である。トールが持っていた大きな荷物を、見習いの一人が受け取っていた。二ヶ月ほどすれば、一部住めるようになるので、それまでの辛抱ということらしかった。
“うまくナレシュの配下の人たちに馴染めたみたいですね”
アルは念話呪文を使い、ケーンたちの目を盗んで、ジョアンナにこっそりと話しかける。ジョアンナは少し驚いた様子だったが、ちらりとアルを見るにとどめて、視線は元に戻して軽く頷く。
“ああ、うむ。父にも会えた。最初は、パトリシア様を死なせたと思い込んでいて大変だったが、無事に生きておられると知って、大いに感謝し、誇りだとまで言ってくれた。ありがとう。どちらもアル殿のおかげだ”
“ナッシュ山脈を無事越えられたのは、本当に奇跡でしたからね。ジョアンナさんの功績です。騎士団の方は、ナレシュ様たちと相談した筋書き通りに?”
パトリシアが生存していることは、彼女の安全のために、表向きは公表したくないという話は了承してもらえたのだろうか。
“当面はそれが良いだろうというのは、パウエル子爵閣下も父も同意見のようだ。ただ、状況次第でその判断がいつ変わるかは何とも言えない。あと、それの代償として、ナレシュ様にこちらに逃れてきている騎士団への協力をシルヴェスター王国に継続して働きかける事を申し入れられておられた”
パウエル子爵というのは、テンペスト王国第一騎士団の生き残りを率いている元大隊長だ。ジョアンナの父のクウェンネル男爵も行動を共にしていて、たしか、その生き残りの騎士たちは国境の砦近くに今も野営をしているはずである。
“パトリシア様はお元気にされているか?”
ジョアンナが心配そうに聞いてきた。
“うん、研究塔でタバサさんと一緒にいろいろと勉強されているよ。今日はおそらく泊りになるみたいだし、後で契りの指輪を貸すから、直接話をするといい。パトリシアも心配していたしね”
“ありがとう。それは嬉しい”
よかった。そのあたりはおおよそ予定通りだ。だが、騎士たちはいつパトリシアを旗頭として立てようとするかは予想できない所である。とはいっても、研究塔にいるパトリシアの身は当面安全だろう。
アルは少し安心して念話を切った。
「ケーン、今日の調査は夕方まであるの?」
ケーンは到着して早速、天幕の大テーブルに羊皮紙を広げ、会議をしていた。アルはそこに近づいて尋ねてみる。
「うーん、そうだな。まずは空から大まかな確認はしたい。でも、その後は情報整理も有るから、今日のアルの出番は昼過ぎには終わると思う。頑張って働いてもらうのは明日からかな」
「じゃぁ、その後はちょっと蛮族や魔獣が付近に居ないか見て回って来ても良い? ついでに何か居たら狩っても良いかな?」
このあたりの領主はナレシュになるはずだ。まだ狩猟権の整理などは出来ていないかもしれないが、内政官であるケーンに了承を得ていれば問題ないだろう。ケーンは少し考えてにっこりと微笑んだ。
「そうか、今日は年越しか。できれば、その獲物を村の人たちにも振舞えないかな」
以前、テンペストの魔導士団の連中が拠点を作っていた時に付近を飛び回ったが、付近はアカシアっぽい木がぽつぽつと立っている程度の荒れ地が広がっているだけだった。ウサギぐらいなら見つかるかなと思って言ってみたのだが、ケーンたちにしてみれば、自分たちだけで何かを焼いて食べるわけにもいかない気持ちなのだろう。
村人に振舞うとなると大きな獲物が必要になる。とは言え、この村から北西はずっと領地のはずなので、山のあたりまで足を延ばせばなんとかなるだろう。
「わかった。探してくる。じゃぁ、夕方からは年越しの祝いをしよう」
2024.10.18 生まれた後、新年の日を迎えて一才となるといった事をつけ足しました。
なんと、2巻の発売日が確定しました。11月20日です。
TOブックス オンラインストア さん での予約も始まっています。
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月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
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