15-6 タバサ男爵夫人の部屋で(ただし夫人不在) 後編
「それはだめだよ」
魔法使いギルドにというクレイグの言葉にナレシュは一言そう告げた。
「一体何故ですか? まず、特別な呪文や魔道具については、領主は魔法使いギルドに報告の義務がございます。この魔道具は、まさしくそれに該当するでしょう。もし報告しなければ、ナレシュ様の新しい男爵領は魔法使いギルドから非難されることになります」
ナレシュはクレイグの顔をじっと見る。
「どうされたのですか? ナレシュ様……」
ナレシュは悲しそうな顔をして首を振った。
「もし、それで非難されるというのなら、男爵位は返上してもかまわない」
「ナ、ナレシュ様?」
クレイグは悲鳴にも似た声を上げたが、ナレシュは言葉を続けた。
「今回の叙爵について、政治色、外交色がかなり強いものだというのはクレイグも認識しているだろう。ラドヤード卿などは、今まで苦労してきたことは何だったのかと未だに呟いている。一方、アル君は辺境地域の遠征や、今回のテンペスト王国プレンティス侯爵家、ヴェール卿への対応など全面的に協力をしてくれている。遠征の時のリザードマンの群れの話を聞いて、ラドヤード卿やシグムンドと一緒に三人で突撃するしかないかと思った時の事は今でも夢に見る程だよ。あの時、アル君が居なければ私は死んでいたにちがいない。その時の事は君も知っているだろう? その前の血みどろ盗賊団の時もそうだし、ルエラもアル君には命を助けられている。それを考えれば、男爵位や魔法使いギルドへの義務なんて、大したことじゃない」
クレイグは唇を噛み、じっと考え込んだ。
「ずっと、私は現実と戦ってきたよ。子爵家の次男として、セネット伯爵家の甥としての立場に甘えることなく、なんとか自らの努力で道を切り開こうとしてきた。その時、助けてくれたのはルエラであり、アル君、レビ会頭、ラドヤード卿、ケーン君たちだ。魔法使いギルドには何も助けてもらっていない。今回の叙爵は引き受けざるを得ないと判断していたけれど、それで彼らの信頼を裏切ることはできない。もちろん明らかな犯罪を身内びいきで許すつもりはないけれど、魔法使いギルドとの協定レベルの話だ。どちらを重視すべきか、クレイグも理解してくれていると思っていたのだけど……」
暫く間をおいて、クレイグは頭を下げた。
「……わかりました。申し訳ありません。私の友人で、長い間、努力し続けた末に、結局呪文の習得を諦めざるを得なかったものが居たのです。聞いたこともない魔道具の話で、その時の彼の苦悩を思い、他の事が考えられなくなっておりました」
「そういう者も沢山居るのだろうね。だが、魔法使いギルドに報告するという話は別の話だと思うよ」
ナレシュの言葉にクレイグは頷いた。少し涙を流しているように見える。本当に友人の話だったのだろうか。もしかしたらクレイグ自身の事なのではないだろうか。
「それでね、アル君にも話がある。非常にありがたい話だけど、こんな貴重な魔道具を私が借りて良いのだろうか? 申し訳ないけれど、君に報いる報酬を払う余裕が正直なところない。ケーン君が君に仕事をお願いしたという話も気になっていたのに、さらにこんな……」
いや、最終的には返してもらうつもりだし、今、特に使う予定もない。もし、先ほどの長い間努力していたというのがクレイグというのであれば、ナレシュとクレイグ、二人で順番に使ってもらっても良いぐらいだ。
「しばらく使う予定もないから大丈夫だよ。もし必要になれば返してもらうさ。それにまだナレシュ様が呪文を使えるようになるという保証があるわけでも無いんだ。あまり期待しすぎないようにしてね。とりあえず、しばらくの間、ナレシュ様はこれをつけて、記号の読み解きをやってみて欲しい。もし、効果が実感できないときにはクレイグさんにも確認してもらっても良いと思う。とりあえず、やってみる?」
クレイグがぴくりと反応した。やはりそうなのかもしれない。ナレシュはしばらく考え込んでいたがゆっくりと頷いた。
「わかった。とりあえずアル君の言葉に甘えることにしよう。しかし、ここではさすがに落ち着かないな。その魔道具というのがアル君の言うとおりだというのなら、自分の部屋でじっくりと落ち着いて試してみたい」
たしかにそうかとアルが頷く。ナレシュは言葉を続けた。
「ところで、アル君、ケーン君が依頼した件と、今回の魔道具の件の礼なのだけど、単純に土地というのはどうだろうか? そこに何を建てるのかは君に任せる。直ぐには無理だけど、少し待ってくれるのなら、建築家を回してもいい。君は自分の塔を作る気はないのかい? 物語に出てくる魔法使いには塔がつきものじゃないか。新たに男爵領として開拓が許されている範囲は結構広くてね。今、使っていない土地なら私から与えたという形をとることが出来る。今、私の館を作ろうと計画しているノラン村の近くでもいいし、人が煩わしいのであればもっと北、今は人が住んでいない山地の麓あたりでも構わない。ささやかな話かもしれないが、何も礼をしないというのは私の気持ちが収まらないんだ」
もし、何かしらの建物を作るのであれば、転移の魔道具で飛ぶ先としては利用できるかもしれない。小さな小屋ぐらいなら、アル一人でも、以前、プレンティス侯爵家第二魔導士団の連中が作っていた拠点と同じように石軟化と金属軟化が使える杖で作ることができるだろう。盗賊対策などを考える必要はあるかもしれないが、それはいろいろとやり方はある。貰えるものはもらっておくか。具体的にどう作るかは後から考えるとして、とりあえず人里からは離れたほうが良いだろう。
「わかったよ。じゃぁ、土地でお願いする。そこに住む訳じゃないから、盗賊対策を考えると人里離れたところの方が良いかな。もちろん建築家の手配は要らない」
「わかったよ。じゃぁ、ケーンに話しておくので場所は二人で相談して決めてほしい。でも、何か凄いね。自分の領地に魔法使いの塔が出来るんだ」
ナレシュは嬉しそうに微笑んだ。
「いやいや、大したものは作らないよ。だから話を広めないでね」
「ああ、わかったよ。土地の話なので、公けの文書にはせざるを得ないけど、極力人の口には上らないように配慮しておく。ふふふ、アル君の秘密の塔だね」