13-10 一番北の集落
アルはナレシュに念話呪文のハンドサインを試してみた。だが、距離があるようでつながらない。せいぜいつながる距離は一キロ圏内だ。それより遠くに居るのだろう。ラドヤード卿と共に用事があって出かけたという話だったが、どこに出かけたのだろうか。
シグムンドはここひと月の事件を洗い直すという話だったので、おそらく衛兵隊の詰め所に向かったのだろうが、辺境都市レスターならともかく、国境都市パーカーでは、アルの顔見知りはおらず話はなかなか通じないだろう。
そう考えたアルはひとまずレビ商会の屋敷に戻ることにした。出来るだけ早く伝えようと息せき切ってたどり着いた屋敷には、幸いナレシュの従者であるクレイグが残っていた。
「ただいま戻りました。すぐに報告したいことがあるのですけど、ナレシュ様かラドヤード卿と連絡がとれます?」
屋敷の廊下で屋敷の使用人たちに何か指示をしていたクレイグにアルがそう尋ねると、クレイグは何かに警戒しているのか、軽く周囲を確認した後、軽く首を振った。
「ナレシュ様とラドヤード卿は、デズモンド様や護衛の方たちを連れて避難民の集落に出かけられています。最初は何か騒ぎになっているので様子を見に行くという程度だったのですが、先ほど井戸に何か毒物が放り込まれたのではないかという事で大騒ぎになっていると連絡が来て、ケーン様と薬草に詳しい者が応援として集落に向かいました。向こうはかなり混乱している様子なので、ナレシュ様の手が空くかどうか……」
井戸に毒……。そんな酷い事まであるのか。しかし、アルの情報もテンペスト王国の間諜の関わる話だ。放って置くわけにもいかない。とりあえずクレイグにここまでに判った情報やアル自身の推測、懸念を伝え、シグムンドにも戻ってきたら伝えてもらえるようにお願いしておく。クレイグ自身もアルからの話には驚いたものの、自分では何も判断できないと言い、ナレシュ様に直ぐに伝えてもらいたいとお願いされた。
「わかりました。とりあえずその集落まで行ってみます。飛んでいくので、集落の位置を教えてください。あと、何かついでに運ぶものとかあります?」
その集落は国境都市パーカーのすぐ西側の川を渡った先に広がった荒野に複数作られている避難民たちの集落の一つで、一番北側のものらしい。道がある程度整備されているのでそれに沿って行けば迷わないだろうという話だった。そして、運ぶものは特にないが、いきなりここから飛んで都市を出るのは、見つかると衛兵隊がうるさいので、都市を出てからにしてくださいと注意された。そうかとアルは頭を掻く。
「了解です。じゃぁ、行ってきます」
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一番北側の集落につくと、集落の出入り口では武器をもった連中が集まって騒いでいた。その前にはナレシュが居て、懸命にその連中を宥めているように見える。ラドヤード卿とデズモンドがナレシュの左右に立って腕を振り回したりしている連中から守っている。
「隣の集落の長にこの償いをしてもらわねば」
「夜にあいつの姿を見た人間が何人も居るんだ」
「黒い服で変装していたが、あいつの顔は見間違えねぇぞ」
集まった連中はこの集落の者たちのようだった。口々にそんな事を言っている。ナレシュは隣の集落の長は井戸に毒を入れるような人間ではないと説明しているのだが、その言葉には誰も納得していない。アルはナレシュに話しかけるタイミングを窺ったが、そんな隙は見当たらない。どうしようかと考えていると、ケーンが複数の人間と何か相談しながら集落の井戸らしきところに居て、中を覗き込んでいるのに気が付いた。
「やぁ、ケーン、あれはどうなってるんだ?」
「お、アルも来たのかい。殺人事件の調査をしていたんじゃないのか?」
ケーンはアルを見て立ち上がり、手に着いた泥を掃いながらそう尋ねる。
「うん、それについて報告があってね。でも……」
アルはナレシュをちらりと見る。ケーンもそれで気が付いたらしく頷いた。
「ああ、僕も一緒さ。毒って話で呼ばれて、さっき着いたばかりだよ。この集落と隣の集落は畑の水源の問題でずっと仲が悪くてね。急造だし、元から良い土地でもないから如何ともしがたい話なんだ。今朝も隣の集落に押しかけようとしているという連絡があって、ナレシュ様とラドヤード卿たちはその仲裁をしに来たはずだったんだ」
ナレシュはそんな話にも関係しているのか。ケーンの話によると、辺境伯からの命を受けて避難民たちの生活のために土地を調整し、簡単な家や畑などを作れるように手配したのはナレシュらしい。避難民たちは元々の出身の村や地域ごとに集落をつくっているが、その調整役として、セネット伯の甥にあたるナレシュが丁度良かったのだろうという話だった。
「さっき、ナレシュ様の護衛として一緒に来たレビ商会の傭兵さんの話だと、今回の騒動は今朝早くに、この集落の井戸に獣の死骸が放り込まれているのが見つかった事が発端らしい。それも、夜中に隣の集落の長が数人の男たちと共に目撃されていたらしくてさ。元々仲が悪い集落同士だからかなりヒートアップしちゃってる」
毒ではなくて死骸か……。ナレシュたちと集落の者たちの押し問答は終わる気配がない。話かけたいが、少し落ち着くまでは無理だろうか。
「その死骸っていうのは?」
「ああ、羊が一頭丸々さ。勿体ない話だろ? かなりの重量だし、残った人間でどうしようか話をしてたところだよ」
アルはケーンに案内されて井戸を覗き込んだ。暗くてよく見えない。
『知覚強化』 -暗視
恨めしそうな羊の死骸の眼がまるでアルを睨んでいるようだ。大人の羊だ。重さは百キロを超えているだろう。
「どうするの?」
「死骸を取り除いた後、全部水を抜くのが基本かな。あとは状況に応じては井戸の中に入れた砂や土や石も取り換える事になる。どれも地下深いところでの作業だから大仕事さ。今回は死骸を取り除くのが一番大変そうだね。小動物ぐらいなら桶に入れて運び出すところだけど、これほどの大きさになるととても無理。縄で縛って、みんなで引っ張り上げるしかないかな」
そんなことをしたら、余計水が汚れて大変な事になりそうだ。
「僕がしようか?」
おそらく、運搬呪文を使えば運べるだろう。
「おっ?! レスターならエリック様かウォルド様に頼めるのにって話をしてたんだけど、アルも出来るのかい? 是非頼むっ」
今にも縋りつきそうなケーンの様子にアルはにっこりと笑い、少し照れながら頭を掻く。ケーンと一緒に居た者たちも少し驚いた表情でうんうんと頷いている。
『飛行』
アルはふわりと浮き上がって、井戸の中に入ってゆき、死骸に近づく。
『運搬』
一旦、今回は透明ではなく、白い枠だけの形の円盤を、死骸の下まで潜らせる。
『魔力制御』 -形状変更
運搬呪文の円盤を井戸に縁に沿った桶のような形に変更。
『魔力制御』 -形状変更
水も含めるとかなりの重量になるので、運べる重量に合わせて桶の縁の高さを調整し、飛行で自分自身も井戸の底から徐々に浮き上がりつつ、それに合わせて運搬の円盤を上げていく。
「すごいよ、アル!」
アルが井戸から顔を出したところで、ケーンが拍手をし始めた。見ていた者たちも一緒に思わず手を叩く。羊の死骸が姿を現したところで、ナレシュたちと言い争っていた集落の者たちも口論を止め、驚いた顔でアルと円盤に載った羊の死骸を交互に見比べている。
アルは、皆に注目され、落ち着かない様子で胸のペンダントを弄りつつ、羊の死骸を乗せた円盤とともに宙を浮かびながら井戸から離れる。
「ケーン、この汚れた水と死骸はどうしたら?」
ケーンは、ナレシュに詰め寄っていた集落の長の方を見る。そっちに尋ねてくれという表情だ。
「水は、こっちの排水路に、羊の死骸は、ここに置いてくれ」
驚きにじっと眼を見開いていた集落の長は、我に返った様子で、今まで騒いでいた集落の出入り口の辺りを指さす。排水路も横にあるのでアルは、はーいと気の抜けた返事をして水を処理し、死骸を地面に降ろした。
「アル! ありがとう」
おおきく安堵の息をついていたアルにナレシュはそう言ってほほ笑む。アルは軽く頷くと深々とお辞儀をした。
ナレシュはアルに頷き返すと改めて、集落の長の方を向き直った。
「井戸の回復作業はこの通りなんとかなると思う。とりあえず、おちついてすこし待ってくれないだろうか。隣の集落で僕が話を聞いてくる。もし、本当に村長が毒を入れたのなら、間違いなく償いをさせる。だから僕を信頼して欲しい」
アルの行動に見入っていた集落の者たちは、ナレシュの説得にお互い顔を見合わせ、渋々といった様子で応じたのだった。
「アル君。助かったよ」
ナレシュは笑みを浮かべつつ、アルに近づくと、握手をした。ラドヤード卿たちも一息ついた様子だ。
「ううん、これぐらいならなんとかね。それで今朝から分かった事をすこし話させてほしい。こっちの状況と関りがあるかもしれない」
アルはそう言って、今朝からの調査で分かった事として、ジョン・サンフォード事件の際に姿を消したままのドナルドは事件が起こるひと月ほど前からまるで人が変わったようだった事、ゾラ男爵の屋敷の近くに不審な馬車が停まっていた事、そしてトネリコ通りにある建物のなかに、以前辺境都市レスターに居た間諜の一人が居た事を順番に説明した。
「なるほどのぅ、隣の集落の長も人が変わったか、呪文で何者かが変装しているのではないかというのか。そして、それにはテンペスト王国の間諜が関わっているかもしれんと……?」
ラドヤード卿の言葉にアルはかすかに頷いた。
「全てが一つに繋がるのかどうかはわからないですし、馬車の件はまったく僕の勘違いかもしれません。でも……」
「たしかに可能性はあるかもしれない。避難民が大量に増えていて、国境都市パーカーの衛兵隊も手が回っていない状況でもある。テンペスト王国の間諜はやりたい放題なのだろうな。そして、こちらでも隣の集落の長、或いはそれに似た人物が羊の死骸を井戸に……」
アルの言葉に続けるようにナレシュがそう呟いた。そして、片手を剣に置いて大きく頷く。
「じい、じいはこの場に残って、集落の者が個別に隣の集落に向かったりせぬように説得を続けつつ、ケーンに指示して汚染された井戸の回復作業を頼む。あと、シグムンドに伝令を。トネリコ通りの件とゾラ男爵の屋敷の近くで止まっている馬車について、クレイグとも相談しながらパーカー子爵に対処をお願いせよと指示をしてくれ」
ラドヤード卿ははっと敬礼を返した。せっかくの手柄をパーカー子爵の衛兵隊に譲るのは少し勿体ない気もしたが、手が足りない現状ではどうしようもないのだろう。それに、アルの報酬は先に貰っているので関係のない話だ。
「僕はまず、隣の集落の長と会って人柄が変わっていないのか確認することにしよう。デズモンド、アル君、一緒に来てくれ」
アルが頷くと、ナレシュは従士らしい男を手で呼ぶ。クレイグの他にも従士は複数居るらしい。ナレシュは改めて周囲を見回すと声を張り上げた。
「隣の集落に向かう。馬を曳けっ。デズモンドの馬もだ。ラドヤード卿、井戸の回復作業は頼んだぞ」
ナレシュの叫び声に、従士たちは元気よく「ハッ」と声を出す。その様子に集落の者たちは先ほどまでの険しい顔が急に明るい顔になり、オオと歓声を上げた。
“すごいね、ナレシュって。あれだけで、集落の人たちもナレシュに任せておけば大丈夫って気になってるよ”
グリィの言葉に、アルはおもわずウンと呟く。ナレシュの従士らしい二人が馬を二頭ずつ曳いてきた。おそらくナレシュとデズモンドの馬、そしてそれぞれの馬だろう。
「アル君、僕……の馬は拙いな。デズモンド殿の馬に……」
「僕は飛ぶよ。とりあえず隣の集落に急ごう!」
アルは再びふわりと宙に浮かぶ。それを見て、周りの者たちはオオと感嘆の声を上げた。ナレシュとデズモンドは渡された馬にひらりと飛び乗った。その後ろでナレシュの従士の二人も急いで馬に乗る。
「よし、ラドヤード卿、ケーン、後は頼んだ」
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月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
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