13-9 不審者
ゾラ男爵の屋敷の場所をシグムンドに聞いたアルは、事前に魔法感知呪文を使った上で、注意深く屋敷に近づいて行った。
可能性は低いかもしれないが、彼が犯人という可能性もあるからだ。
そして、彼は魔法が盛んなテンペスト王国で、セネット伯爵家の魔導士団の大隊長を務めていたという話だった。ということは、以前、パトリシアの件でかなり用心深い行動をしたヴェール卿と同じぐらいに腕が立つ魔法使いかもしれない。
ラドヤード卿から聞いていた通り、ゾラ男爵が借りているという屋敷はそれほど大きなものではなかった。屋敷の前の通りはそれほど人通りがなく、アルはまず単なる通行人を装って屋敷の前を通り過ぎた。
その屋敷は一応塀に囲まれ、馬車が停められる程の前庭はあるものの、建物そのものは先程訪れていたドナルドの家と同じぐらいであった。すこし成功した商人が使用人たちと共に暮らせるほどのこじんまりとしたものだろう。屋敷の窓の鎧戸はすべて閉じられていて、中を窺う事はできない。
“来た! この人も見てたのかな”
視界の端には透明の丸い球が宙に浮き、屋敷からアルのほうに移動して来ていた。おそらく浮遊眼の眼だろう。ずっと警戒態勢にあるということだろうが、アルはそちらより、前方で目立たぬ路地に停まっている馬車に注意を奪われていた。黒塗りで四人乗り程の標準サイズの馬車だ。ありふれた馬車なのだが、なんとなく以前レビ商会の近くに止まっていたあの馬車に雰囲気が似ている気がしたのだ。特徴がないのが特徴……なのだろうか。その時、アルは閃いた。そうか、馬車というのは大抵、並んで停まっているときに他のものと見分けがつくように一部に特徴的な色が付けられていたり、家の紋章なり、店のマークなりが刻印されているものだ。だが、この黒い馬車にはそういう類のものが全くないのだ。そして、あのずっと浮遊眼の眼で追跡したあの馬車も同じだった。
“立ち止まって、どうしたの?”
グリィの声にアルは慌てて歩き始めた。あの馬車にヴェール卿が乗っていたりするのだろうか。辺境地帯で彼らの乗ったボートに魔法の竜巻を放った時は、その場から逃げ出す事が優先で彼らの生死を確かめたりする余裕はなかった。おそらくヴェール卿の乗っていたボートまでは竜巻に巻き込めていなかっただろう。ということは、ヴェール卿は生き延びて、この国境都市パーカーに来ている可能性はある。
アルは足早に黒い馬車の停まっている路地の脇を通り抜けて距離を取った。何度か角を曲がり、その度に気付かれないように注意しながら後ろを見る。屋敷から追ってきていた浮遊眼の眼は百メートルほど距離をとったところで姿を消した。アルは大きく安堵のため息をついて、足を止めた。
「あの黒い馬車、気づいた?」
グリィはあまり意識していなかったのだろう。返事はしばらくして返って来た。
“レビ商会を見張っていた馬車とすごくよく似てるね。そのものかどうか断定できないけど……”
「だよね」
ゾラ男爵はあの馬車に見張られていると考えて屋敷に籠っているのだろうか? もし、そうなら、それをどうしてナレシュなり衛兵隊に告げないのだろう。もしかしたら、先代のサンフォード男爵が殺されたのを見てシルヴェスター王国に協力することを躊躇っているのかもしれない。
とはいえ、その考えはアルの想像に過ぎない。たまたま似ていた馬車があっただけだ。馬車の中を確かめたいところだが、呪文を使うと気づかれる恐れがある。以前、ヴェール卿の乗っていた馬車を追跡した時、浮遊眼の眼を近づけすぎて、相手に逃げられた経験があった。うかつに調べては同じことになってしまうかもしれない。だが、呪文を使わなければ、アル自身の戦闘能力はたかが知れている。
自分のペースでゾラ男爵の様子を見たいと考えてシグムンドと別れたが、それは失敗だったかもしれない。だが、事件からすでに一週間経っている。急ぐ必要はないだろう。あの馬車に手を出すのはナレシュたちに報告してからにしよう。アルはそう考えて、ゾラ男爵との接触は中断することにしたのだった。
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「あそこがトネリコ通り……だな。たぶん……」
青空市で買った、名物だという七面鳥の卵の蒸し焼きを食べながら、アルは教えてもらったトネリコ通りの入口の様子をすこし離れたところから窺った。
青空市は昨日と同じように活気に満ち溢れていたが、露店の店主から教わったトネリコ通りは少し暗い雰囲気で、入口近くにはぼろぼろでかなり汚れた服を着た老人が、路上に手足を投げ出すようにして座り込んでいる。眼はつぶっていて、起きているのか、それとも座ったまま寝ているのかはよくわからない。七面鳥の卵の蒸し焼きを買った露店の店主によると、以前はトネリコ通りは他の通りと同じように露店のならぶ活気のある通りだったらしい。だが、いつの間にか露天商たちがいなくなったということだった。
昨日、誰か同じような事を聞いて回らなかったかと尋ねると、衛兵らしい連中が来て、通りの前に寝そべっている老人や中の建物を訪ねていたらしい。もちろんラドヤード卿たちの事だろう。だが、彼らはトネリコ通りの外で話を聞いたりはしなかったようだ。逆にアルは土地鑑がなかったおかげで、この話を聞けたという事だろう。
東西に伸びた通りに面して木と日干し煉瓦でつくられた古びた建物が三十メートルほど並んでおり、その前には露店があったとおぼしき破れた天幕がところどころぶら下がっていた。だが、通りにはまるっきり人影はない。通りの反対側の入口にも回ってみたが、そちらにも同じような老人がこちらは地面に直接寝ころがっており、その前に、古びた椀が一つ転がっていた。
ただの寂れた通りにしかみえないが、やはり怪しい。寝転んでいる老人は偽装した見張り役だろう。
アルは少し躊躇していたが、それでは何も進まないと考えて浮遊眼呪文を使って、実際に通りの中を調べることにした。眼は入口で地面に座り込んでいる老人の目の前を通過して通りの中に入っていく。老人は眼に気付いた様子はなかった。
トネリコ通りに面した左右にある古びた建物は所々に煙突や開いたままの窓があり、全てではないものの、幾つかの建物には眼が潜り込む事もできた。観察してみると、それらの建物には、合わせて十人程の連中が暮らしているようだった。十人というのは建物の部屋数に比べてかなり少ない気がした。そして、その十人は揃って二十代~三十代であり、立ち振る舞いなどの様子を見ていると、動きはきびきびとしていて、ふざけた様子はまるでない。まるで衛兵隊の詰め所を覗いたような雰囲気であった。
“間諜とか?”
グリィの言葉にアルは静かに頷く。その可能性が高いような気がした。考えすぎだろうか。アルはそのまま眼を動かして彼らの様子を探る。そこで一人の女の顔を見て、見覚えがあることに気が付いた。ヴェール卿と一緒に居た女、たしか参と呼ばれていた女だ。
アルは急いで浮遊眼呪文の眼を消した。この連中はテンペスト王国の間諜だ。それに間違いない。幸い勘づかれた様子はない、魔法使いらしき姿はなかったが、すべての部屋を見たわけではない。
ナレシュたちに知らせなくては!
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月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
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