13-8 調査開始
翌朝、レビ商会の屋敷を訪れ、応接室に通されたアルは、懸命にあくびを噛み殺していた。
“ねぇ、大丈夫? 眠いんでしょ?”
グリィは少し心配そうにアルの耳元で呟く。
「大丈夫……大丈夫だよ。今晩はちゃんと寝るから」
“本当? 絶対よ?”
昨晩、一気に六巻もの新しい呪文の書が手に入って興奮したアルは、パトリシアと念話も早めに切り上げ、結局、一睡もせずに呪文の習得作業をしていたのだ。
「たぶん、あとちょっとで発見シリーズの読み解きが終わるからさ。そうしたら一旦寝る」
“たしかに、三つの呪文の書に違いはあまりなかったけど……。でも、あんまり無茶するなら、手伝わないわ。終わらなくても、少しは寝るのっ、わかった?”
「うん……」
アルは仕方なく頷いた。今朝も約束の時間ギリギリで、いつもならあまり言わないグリィが何度も耳元で大声を上げたほどだった。
「今日からは、ここで部屋を貸してくれるはずだから、遅刻とかもないはず……」
“がんばって、殺人事件は早く片付けてね”
グリィがアルを急かすのは理由があった。昨日パトリシアが、マラキがゴーレムの修復作業などがある程度目途が付き、他の事にも手を出せそうだと言っている事を教えてくれたのだ。そうなれば、グリィが我慢していた人形ゴーレムの試作品の話に取り掛かれるし、他にも後回しになってしまっている二つのアシスタント・デバイス(パトリシアが持っていたものとゴブリンメイジから取り上げたもの)や正体不明の魔道具の調査にも入れるだろう。
“研究塔でパトリシアの安全と生活が確保できるのなら、古代遺跡の調査にも行けるようになるんでしょ”
グリィにそう言われて、アルは思わず微笑んだ。そうか、たしかにその通りだ。いろいろと問題があって、ずっと先延ばしになってしまっていたが、そうなれば飛行呪文を使って、古代遺跡を探し回ることができる……。トントンとアルは上機嫌に自分の膝を指で叩いた。
その時、ちょうど、扉をノックする音がした。
「どうぞー」
アルは急いで座っていたソファから立ち上がった。入ってきたのはラドヤード卿の息子、シグムンドと茶らしきものを載せたトレイを捧げ持った屋敷の女性の召使であった。
「待たせたな。まぁそんな畏まる必要はねぇよ。気楽にしてくれ」
「ありがとうございます。あれ、ラドヤード卿は?」
勧められるままに、ソファに座ったアルは思わず尋ねた。てっきり今日の調査にはラドヤード卿が一緒だと思っていたのだ。
「親父は急に用事ができちまってな。今日は俺と二人だ。荷物は預けておいてくれたら、あとで部屋に運んでおく。で、どこから回る?」
「そうなんだ。わかりました。えっと、その前に、これをタバサ男爵夫人にお渡しくださいませんか?」
そういって、アルは昨夜、羊皮紙を巻いて封をしたものと、ハンカチを取り出した。昨夜、パトリシアと相談して書いた手紙と以前、アルが彼女から贈られた刺繍入りのハンカチだ。
「これを? たぶんドリスとかいう小娘が中身を見たがると思うが、それは良いか?」
ドリスというのは、彼女の面倒を見ているという少女の事だろうか。手紙そのものは、いきなりアルが尋ねていくより、信用してもらう必要があるだろうと用意したものでしかない。元々見られても良いと思って封蝋はしていなかったものなので問題はない。アルは頷く。
「クリス、お願いしていいか?」
アルとシグムンドのお茶を用意していた女性の召使が顔を上げた。彼女はクリスという名前らしい。
「畏まりました」
彼女は、アルからその二つを恭しく受け取ると、軽くお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
アルも丁寧にお辞儀を返した。とりあえず、タバサ男爵夫人の件はこれで反応を待つとして、あとは殺人事件だ。
「じゃぁ、まずはドナルドさんの家を見たいです。案内していただけますか?」
アルの言葉にわかったとシグムンドは頷き、お茶をぐいっと飲み干すと立ち上がった。
-----
ドナルドという飾り職人の自宅は、三階建てのかなり立派な建物であった。
衛兵隊にはすでにラドヤード卿が連絡をしてくれていたようで、二人が到着した時には、その建物の入口にこの職人に雇われて食事の他、掃除、洗濯などの家事を通いで行っていたという老婦人が待っていた。彼女の案内で中に入る。建物の一階が工房、二階と三階は生活区画になっているようだった。アルは魔法感知呪文を自分にかけた上で、入念に調べて回る。
「どうだ? 気になるものはあったか?」
「うーん……」
一階の工房にあった商品や細工に使う道具、居間や寝室らしいところにあった品物も特別なものは何もないようだった。だが、アルは一つ気になる事があった。
「こっちの工具類にちょっとだけど錆びが浮いてますね。こっちのはそれほどでもないけど、何か違う……」
細工作業などをする作業台は二つあり、そこに置かれてある道具はよく見ると状態がすこし違っていた。両方とも事件から一週間程経っているので、埃がついているのは同じだが、その付き具合に差があるのだ。
「こっちの作業台のほうは一週間どころじゃなく、もっと使われていなかったんじゃないかな……」
シグムンドはそうかな……とよくわからない様子であった。
「この作業台を使っていたのはドナルドさんだったのか弟子さんだったのか、わかります?」
アルは屋敷のカギを管理していた老婦人に尋ねる。
「えっと、ドナルド様がいつも座られていたのはこちらです。最近、ドナルド様は調子が悪いと仰って、飾り職としての仕事はほとんどされず、依頼は、断り切れないものだけ弟子の方が代わりにされておられたようです」
彼女が指さしたのはしばらく使われていなかったであろう作業台の方であった。
「へぇ、それはどれぐらい前から?」
「ひと月ほど前からでしょうか」
アルは首を傾げる。ひと月も碌に仕事もせずに、一体なにをしていたのだろう。
「そのひと月前から他に変わった事とかあった?」
「そうですね。料理の好みなども変わられましたし、それまではあまりお出かけされることは無かったのですが、毎日のようにお出かけされるようになりました。お弟子さんはまるで人が変わったようだと仰っておられましたよ」
アルとシグムンドは顔を見合わせた。シグムンドの反応からすると、この話は初めて聞いたようだ。
「誰か違う人間が、ドナルドに変装してたなんてことはねえよな?」
シグムンドが老婦人に尋ねると、彼女は首を振る。
「不審に思われたお弟子さんが酔って寝ているドナルド様を色々調べたそうでございます。ですが、誰かがドナルド様に成りすましているという事はなく、本人に間違いなかったと仰っておられました」
可能性があるとすれば、魔法を使って変装したということだろうか。見た目だけなら、アルも幻覚呪文をつかってある程度似せる事は出来そうだが、さすがにそうやって調べられたら見破られてしまうだろう。だが、アルが知らないだけで、触られてもわからないような変装の呪文があるのかもしれない。そう思ってシグムンドを見たが、彼も首をひねっていた。ラドヤード卿は知らないだろうか。エリックに聞くことが出来れば良いのだが、彼の居る辺境都市レスターは遠い。
「とりあえず、ひと月ほど前から何か異変がなかったか、再度洗い直してもらえませんか?」
アルの言葉にシグムンドは頷く。
「わかった、まかせとけ。それで、お前さんは?」
「僕は、ゾラ男爵のお家に行ってみようと思います。ご自宅の場所を教えてくださいませんか」
その人がどのような人か知らないが、怯えているというのなら、シグムンドが居ると逆効果かもしれない。まずは一人で会えないか試してみよう。アルはそう考えたのだった。
読んで頂いてありがとうございます。
月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
いいね、評価ポイント、感想などもいただけるとうれしいです。是非よろしくお願いします。