13-7 食堂にて
場所を変えた先の食堂はかなり広く、十人以上が並んで座れるほどの巨大なテーブルが二つ置かれていた。だが、使われているのは一つだけで、一番の上座にはナレシュとラドヤード卿が座り、他はラドヤード卿の息子のシグムンドとレビ商会のデズモンド、あとは、アルとケーンだけである。クレイグは従者ということで給仕の手伝いをしていた。
他にもっとたくさんの上の立場の人間がナレシュのサポートに来ていると予想していたのだが、レスター子爵家からナレシュに付けられている騎士はラドヤード卿だけで、内政官たちの身分も高くない者ばかりらしい。レビ商会の傭兵団や輸送の責任者は日によって参加したりはするが今日は居ないという事だった。アルにとっては気楽でよいが、ここがレイン辺境伯領として、そしてシルヴェスター王国としても内乱中のテンペスト王国と国境を接する最前線のはずだが、大丈夫なのだろうか。
不安そうにしているアルの顔をケーンはじっとみてにっこりと笑う。
「アルは心配そうな顔をしてるね。大丈夫だよ。僕らが戦うわけじゃない。ちゃんとレイン辺境伯家から騎士二個大隊、つまり騎士百二十騎と千人以上の従士たちがここより西にある実際の国境である砦に詰めているんだ。食料などの支援物資も最初の頃はナレシュ様やレビ商会がかなり肩代わりしたし、ある程度は国や辺境伯家から届くようになった。騎士向けはともかく、避難民たち向けはまだまだ不安定だけどね。今のナレシュ様の役割はテンペスト王国から避難してきた人たちとの調整なんだ。戦争が始まったら僕らはとっとと逃げ出せばいいんだよ」
「おいおい、ケーン自身はそうかもしれぬが、ちょっと違うぞ」
ケーンの言葉をシグムンドが遮る。ケーンは申し訳ありませんと謝りつつ、彼の見えないところでぺろりと舌を出す。なるほど、そういう感じか。もちろん、戦争ということになれば、テンペスト王国から逃れてきている騎士たちは武器をとるだろうし、それを見捨てるナレシュではないだろうというのも容易に想像がつく。
しかし、ナレシュの扱いが軽すぎるという気もした。先程の話でも予算はあまりないと言っていたし、次男だといってもさすがに辺境伯からの指示で派遣されているにも関わらず、補佐役が守役の騎士だけというのはどうなのだろう。
それぞれが席につき、食事は進んだ。ここでの数ヶ月の生活をナレシュとケーンは色々と話してくれた。この都市にナレシュたちが到着したときには、避難してきたテンペスト国民と国境都市パーカーに住む人々とはかなり険悪な関係となっていたらしい。食糧を含めた生活必需品の売り惜しみなどもあり、小さな諍いなどは毎日のように起こっていたようだ。そこに、ナレシュはレビ商会を通じて食料や物資の供給をし、避難民側の指導者とパーカー子爵の間を取り持って、井戸の掘削なども含めた居住地の調整などに尽力したらしい。もちろん、最初は彼の母がセネット伯爵の娘のタラであることが避難民に受け入れられるようになるきっかけではあっただろうが、その後の親身な対応が避難民たちの信頼を勝ち取ったのだと言える。
そのおかげで、ナレシュはテンペスト王国の避難民から“兄弟”と呼ばれるようになったらしい。その後、しばらくしてシルヴェスター王国やレイン辺境伯からの支援物資が届くようになったが、今でも、彼は避難民からは自分たちを救ってくれた者として尊敬と敬意をもって迎えられているようだった。
「僕はたぶんそのちょっと後ぐらいの時期にクラレンス村ってオーティスの街の西にある小さな村に行ったけど、そこでも“兄弟”ナレシュの話は聞こえてきていたよ。頑張っているんだなって嬉しくなった」
アルが頷きながら言うと、ナレシュだけでなくラドヤード卿やケーンたちも頬をゆるめて嬉しそうにした。
「クラレンス村というのは、たしかクラレンス砦のすぐ近くの村だな。あのあたりでも、テンペスト王国の連中が何度か姿を見せたという話を聞いているぜ。アルもその関係で行っていたのか?」
シグムンドが尋ねる。クラレンス砦というのは、以前、クラレンス村の湯治場で出会い、彼の祖父の事を教えてくれたデュラン・フェルディナンド卿が詰めているという砦の事だろう。クラレンス村の村長からも何度かナッシュ山脈の向こう側にテントが張られたと言う話を聞いたような気がする。いや、話は逆だっただろうか……。すこし記憶は曖昧だが、たしかそれ以上の動きはなかったはずだ。
「いえいえ、そんな仕事じゃなく、別件で通りかかったときに村の人に、増えてしまった鹿の間引きを頼まれただけです。ナッシュ山脈の裾野あたりは、管理されていない所も多いらしくて……」
「なるほどな。ナッシュ山脈もまだ蛮族も出るところだからな」
アルは頷いた。ナッシュ山脈もずっと南のほうに下っていくと人間の手の及んでいない未開地になる。その麓に広がり、アルの出身であるチャニング村があるシプリー山地は程度の差はあるがほぼ全域が辺境地域なのである。
「話は戻りますけど、その先代のサンフォード男爵が殺された時に一緒に居て姿を消したドナルドに家族は居たんですか?」
アルが聞くと、ラドヤード卿が首を振る。
「殺された時に一緒に居た弟子と二人で暮らしていたらしいの。一応嫁さんと子供は居たようじゃが、ずっと嫁さんとは仲が悪く、五年以上前に嫁さんは子供を連れて実家のあるグラディスの街に戻っており、それ以来ずっとほぼ絶縁状態だという事じゃ。念のために衛兵隊に確認してもらったが、嫁さんと子供は元気にグラディスの街で暮らしておった。子供はさすがに父親が行方不明になったというので心配そうにしていたようじゃが、嫁さんはもう別れた亭主には興味がないって話らしいの」
「そうなんですね。じゃぁ、家族とかを人質に脅されたとかいう線は無しですか」
アルの呟きにラドヤード卿は頷いた。
「そうじゃな。騙されたか脅されたかわからぬが、儂らとしても、ドナルドが何らかの手引きをしたのだろうとにらんで、捜索したのだが、行方は杳としてわからん。どこかに逃げたか、殺されたか……」
「ドナルドの家は?」
「もちろん衛兵隊も儂らも捜索した。だが、怪しい物は出てこなかった。今もまだ、衛兵隊が押さえておる。調べたいのなら話はするぞ。とは言っても、今日はもう無理じゃな。明日の朝で良いか?」
「そうですね。是非お願いします」
これで、明日の朝からの予定は決まった。とはいえ、衛兵隊が調べたのであれば期待薄かもしれない。どちらかというとゾラ男爵から何か聞ければとよいと思う。あとはトネリコ通りか。どちらもドナルドの家を調べてから回ることにしよう。
一通り食事が終わり、皆がそれぞれ自室に帰ろうとするところで、アルはナレシュに小さな声で話しかけた。
「ナレシュ君……、君のお母さまのタラ子爵夫人やタバサ男爵夫人についてなのだけど」
ナレシュは周りを見回して、首を振った。あまり人の居るところでは話せないという様子である。
「後で、念話してもいいかい?」
ナレシュは頷いたのを見て、アルは彼の側から離れ、明日からお世話になりますと、レビ商会の責任者になっているのであろうデズモンドに声をかけて、一旦、レビ商会の屋敷を辞したのだった。
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アルは、屋敷を出た後、一度物陰に入り、例の手を振る仕草をしてナレシュに念話呪文をつないだ。泊っている《兎の狩人》亭の自室のほうが落ち着くのだが、そこまで移動してしまうと遠すぎるのだ。
“ごめんね。ナレシュ君”
“お? あっ ああ、ちょっと待って”
初めての念話呪文に戸惑った様子のナレシュであったが、しばらくすると、コツが掴めてきた様で返事が返ってきた。
“これでいいのかな?”
“うん。声には出さなくていいけど、慣れないうちは喋る感じのほうがいいかもしれない”
そういったやり取りを繰り返し、ナレシュも落ち着いてきた様子である。
“で、母の事だけど……、心配してくれてありがとう。あれから手紙のやり取りはしているが、その雰囲気からするとたぶん大丈夫だと思う。もちろんパトリシア姫を心配はしているけどね。それよりパトリシア姫はどうしているんだ? 近くに潜んでもらっているのか? 必要ならデズモンド殿と話をして部屋か、あるいは隠れ家を用意するようにするよ”
ナレシュの話にアルは一つ安心した。パトリシアもタラ子爵夫人に何も告げずに逃げ出した事は、気にしていたのだ。
“パトリシアは大丈夫、安全なところに居るよ。詳しい事は、また二人で会える時にでも説明するけど、とりあえず部屋を用意してもらう必要は今の所無い。後、タバサ男爵夫人という人についてクレイグさんから聞いたんだけど、どんな人なんだい?”
“そうだね。物静かで優しい雰囲気の方だよ。すこし気弱な印象は受けたかな。年はまだ二十代後半ぐらいだろうか。召使の女の子がいるんだが、その子がしっかりしていてね。懸命に励ましてここに逃げてきたらしいよ。身分のある女性だし、身寄りがほとんどおらず、体調が良くないということで、この屋敷に住んでもらって居るけど、少し男の人が怖いらしくてね。人の出入りが少ない一番端の部屋に籠っている。僕もしばらく召使の女の子にしか会っていないな”
“そうか、ありがとう”
アルは少し考えたが、これ以上の相談はまたパトリシアと相談してからにしようと心に決めた。
“じゃぁ、続きはまた明日。ゆっくり休んで”
“アル君もね。来てくれてありがとう”
“どういたしまして。無理しないでね”
アルとナレシュは念話を終わり、アルは《兎の狩人》亭に急いだのだった。
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