13-4 タバサ男爵夫人とグリィの新しい機能
二人が帰った後、アルは急いで自室に戻ると、契りの指輪を通じてパトリシアと念話で連絡をとった。
彼女とは毎晩のように念話をしているが、いつも中々話題は尽きない。昨日もパトリシアが植えた豆類が発芽した話を教えてくれたり、アルが国境都市パーカーで会った人を説明したりしているうちに、あっという間に時間が経ってしまった。そういう状況でお互いずっと話はしたいのだが、他の事ができなくなるので、最近は決まった時間だけにしようと二人で取り決めをしていたのだが、今回の確認は緊急事態だ。仕方あるまい。
本来、念話呪文には通話可能範囲が限定されており、知らない相手なら目視範囲、知っている相手でも、せいぜい一キロ範囲なのだが、この魔道具を経由すれば今の所通じなかった事がない。これは極めて凄い事であった。そのうち、その仕組みを調べたいとは思っているが、今は残念ながらその方法はわかっていない。
“急にごめんね。ちょっと聞きたいことがあって……”
"うん、でも昼間に珍しいね。どうしたの?"
“タバサ男爵夫人って、知ってる?”
タバサ男爵夫人の名前を伝えたとたん、パトリシアの様子は急に変わった。
“もちろん知ってるわ。私の母親みたいな人よ。もしかして生きているの?”
彼女の声はすこし震えている。泣いているのかもしれない。彼女の生存はよほど嬉しかったのだろうか。
“落城の際に国境都市パーカーに逃れて来て、今はナレシュの保護下にあるらしいんだ。脱出してきた際に負った怪我がひどくて、ここで療養していたらしいんだけど、パトリシアが辺境で死んだっていう話を耳にして、今は食事も喉を通らないぐらい弱ってるらしい。それも夫の男爵閣下は亡くなって彼女一人で身寄りもない状態らしいんだよ”
“そうなのね、旦那様はお爺様や叔父様と一緒に……。でも、夫人だけでも、生き延びておられたのね。本当によかった。是非会いたいわ。もし、おひとりだとすれば、こちらに引き取ることはできないかしら?”
アルとしては、本人と会ってその人柄を確認したいところであるが、パトリシアとしてもそれほどの関係なら問題ないかもしれない。
“夕方、ナレシュと話をするので、そこで話次第でそう言ってみるよ。身の回りの世話をする十歳ぐらいの子供がいるらしいので、彼女も一緒になるかもしれない”
“よろしくおねがいね。ジョアンナやマラキとも相談しておくわ”
タバサ男爵夫人の件はとりあえず、それで良いだろう。サンフォード男爵の父親の件は話が大きすぎて、アルにできることは無いような気がする。あとは夕方まで時間があるし、もう少し話をつづけたいところではある。タバサ男爵夫人というのはどんな人なのだろう。
“アル、ごめんなさい。これから、豚を一頭捌くという話になっていて……”
そういえば、それでドキドキすると言う話も昨夜パトリシアがしていた。
“そうだったね。じゃぁ、また夜に。ナレシュと夕食を食べるから少し遅くなるかもしれない”
“わかったわ”
アルはそういったやり取りをしてパトリシアとの念話を切る。
“パトリシアはタバサ夫人を知ってた?”
念話が終わったのがわかったのか、すぐにグリィが聞いてきた。彼女はアルと五感を共有しているが、念話だけは聞こえないので気になるらしい。
「うん、母親みたいな人なんだって。出来れば引き取りたいって言ってた。余程嬉しかったのか、すこし泣いてたよ」
“そうなのね。それはよかった”
一息ついたアルは、夕方まで入手したばかりの呪文の書を見る事にした。ベッドの上を片付け、そこに青空市場で手に入れた三巻の呪文の書を広げる。眠り呪文が二巻、そして念動呪文が一巻である。両方とも、以前からずっと欲しいと思っていた呪文なのだ。両方とも習得できたらかなり有用だろう。呪文の書をみると、思わずにやにやとしてしまう。
だが、露店の店頭でちらりとみたとおり、装丁からしてかなり損傷していた。中にかかれてある記号もところどころ剥がれていて、そのまま習得するのはとても無理そうである。だが、場所によってはなんとか読み解きできるところもありそうだった。きちんと保存状態のよいものを入手した時に備えて、一部だけでも読み解きをしておくことは出来そうである。
“眠り呪文は、組み合わせたら……いけるかも? 念動呪文は記号が足りないかな”
アルがどの手順で読み解き作業をしようか考え込んでいると、急にグリィがそう呟いた。組み合わせたらとは、どういう事だろう。思わずアルは胸元の青い水晶のペンダントを握りしめる。
「どういう事?」
“ほら、眠り呪文は二巻あるでしょ? 両方見比べたら、欠損してしまっている部分を補うことが出来そうだなって思って……”
そういうことか。しかし、そんな継ぎ接ぎしたような呪文の書で習得できるのだろうか。
“研究塔でいろんな機能を機能追加したの。そこには、呪文の書を読み解きするのに便利な機能もあった。もし、アリュが許してくれるなら、使ってみるけど……”
そこで、グリィは少し躊躇したように言葉を切った。
“でもね、その機能には、まだ試行段階の補助機能が含まれていて、完全に安全だという保証がとれていないものも含まれているの。もちろん、その危険度には段階付けがされていて、読み解きに使う分には、危険度はそれほどないとされているけれど、絶対ではないみたい”
「それは、どういう?」
何か、怖い事でも起こるのだろうか? なにか魔獣が召喚されるとか……? アルが不安そうに尋ねる。
“その補助機能の説明だと、アシスタントデバイス利用者の眼や神経に直接作用して、視覚の他、触覚、嗅覚などにも作用し、その者だけが知覚できる幻覚に似たものを与えるってなってる”
「それは、浮遊眼呪文を使った時に術者だけが見える視界内に現れる窓と同じようなもの?」
“たぶんね”
浮遊眼呪文は普通に使っているが、それで危険を感じたことは無い。敢えて言えば、使用中はその窓で視界が遮られる事があるぐらいか。
「なにが危険なのかはわからないけど、まぁ、ほぼ大丈夫ってことなんだよね。で、それを使ったらこの眠り呪文は習得できそうっていうのなら、僕の結論は決まってる。グリィ、使ってみて」
“うん、わかった。二巻の呪文の書を上下に並べて広げてくれる?”
アルは言われるがまま、二巻の呪文の書を平行になるようにベッドの上に広げた。ベッドの上では狭すぎて全部は無理だが、ある程度の位置をあわせる。その状態でしばらく待っていると、二巻ある呪文の書の表面が一瞬ぼやけ、その後、上下の呪文の書が二つとも綺麗になった。
「えっ? 何これ?」
“状態の良い部分だけを合成して見せてるの。同じのが二巻見えているのは、両方ともそこに存在しているからよ。ややこしければ、そこに置く前の映像記憶やシーツのしわなどの情報を利用して、一巻しか置いてないように見せる事もできるけど、どうする?”
アルはグリィの説明に戸惑い、いくつか質問を繰り返したが、結局細かいところまではよくわからず終いであった。わかったのは、このグリィの機能を使えば、損傷のある呪文の書であっても、複数あれば、利用できる場所を組み合わせて習得できる可能性があるということである。
「とりあえず、これで眠り呪文は習得できるかもって事だよね。じゃぁ、詳しい事は後回しでいいや。早速、記号の読み解きを……」
そういって、アルはいつも大事に持っている記号を記録した羊皮紙の束を、バックパックから取り出そうとした。
“それも、大丈夫! 判ってるのを下の呪文の書の上に展開するね”
グリィがそう言った途端、下側にある呪文の書のかなりの部分が薄い緑色で塗りつぶされ、記号を記録した羊皮紙の束に書いている説明が、そのままの字体で表記された。いつもなら、アルとグリィが羊皮紙の束と見比べながら幻覚呪文をつかってやっている事である。グリィはそれも瞬く間にやってのけた。塗りつぶされずに残った記号は六個だけである。
「そうか、僕が幻覚呪文をつかわなくても、僕の視えてる部分だけならグリィの記憶している事を見せれるってことか」
“そうなの。さっきの補助機能を使えばね。完全に安全じゃないって話だったから、使えずにいたけど、アリュの許可が貰えたから使ってみたわ”
少々の危険ぐらいなら、新たな呪文を習得するのに、何の障害にもならない。アルはウンウンと頷いた。
「ねぇ、もしかして、他にも新たな機能ってあるの?」
他にも呪文習得や冒険に役に立つ事があるのではないだろうか。
“他に、呪文を習得するのに便利なのは無いかなぁ……。どちらかというと、私自身が便利になる機能ばかり。アルを通して見たことや感じたことを記憶して、その情報を今までよりうまく利用できるようになったわ。あとは、マラキさんとも相談しながら機能追加したんだけど、私には使えるけど、マラキさんには使えない機能が多いのよ。特に、テンペスト様が亡くなられた後に新しく届いてた大きな機能群があるんだけど、結局、それは私だけしか使えなさそうなの”
そういえば、グリィはマラキより後期に作られたアシスタントデバイスだという話があった気がする。何か決定的な差があるのだろうか。
「その新しい大きなのはどんなことが出来るの?」
“そっちは、機能追加するのに、丸一日とかかかるってあったので、まだ試してないの。それに、書いてある説明に、画期的な新たな人格の取得とかあったから、怖くて……。 でも、それをしたら呪文が使えるようになるかもしれないって……”
グリィは今でも十分人間のような感じだと思う。だが、グリィが呪文を使えるとすればすごい気がする。アル自身とグリィとが攻撃魔法を使えるのなら、単純に火力は二倍になる。
「呪文が使えるのはすごいなぁ」
“でも、怖いよ。新たな人格って何?”
言われてみれば確かにそれはそうだ。もう少し考えてからでも良いだろう。マラキが使えないというものは慎重にしたほうが良いかもしれない。すでにグリィの存在はアルにとって欠かせないものだ。変わってしまうのは怖い。
「わかったよ。とりあえず今回許可を出した機能追加だけでも十分すごい気がするしね。もし、なにか気付いたことがあれば、今まで通りに囁いてくれてもいいし、僕の視界に表示してくれてもいい。よろしくね」
“うん。わかった。他にも工夫すればもっといろんな事ができそうな気がしてるの。何か思いついたらまた相談するね”
グリィを通して新しい事は何ができるのだろう。アルは、すこしわくわくしながら、とりあえずグリィにみせてもらった呪文の書を見ながら眠り呪文の習得を始めたのだった。
今回、読み解きにフリガナを振ってみました。問題なさそうなら、遡って振ることにします。
読んで頂いてありがとうございます。
月金の週2回10時投稿を予定しています。よろしくお願いいたします。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
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