13-3 デズモンドとクレイグ
昼になって、アルが《兎の狩人》亭に帰ってくると、そこには二人の客人が待っていた。一人はレビ商会の傭兵団のデズモンド、こちらはわかるのだが、もう一人の客人はナレシュの従者を勤めるクレイグであった。以前、辺境へ騎士団が遠征するときに、アルも同行することになり、その時に従者としての心得や言葉遣いを厳しく指導してきた人だ。彼の言う事は大抵正しいのだが、そのきっぱりとした言い方に非常に緊張する相手なのである。
「えっ? わぁ、デズモンドさん。お久しぶりです。クレイグさんもお元気でしたか」
「よぉ、久しぶりだな。お前さんも元気にしてたか」
デズモンドは座っていた席から立ち上がりアルに歩み寄った。軽く握手をする。彼の身長は二メートル近くあるので、近寄るとすこし見上げるほどだ。その横でクレイグも立ち上がり微笑んでいた。
デズモンドがここに居るのはわかるが、何故クレイグまで一緒に居るのだろう。アルは不思議に思いながら、二人の座っていたテーブルに、向かい合うようにして座った。
「活躍はバーバラたちから聞いている。よく来てくれた。ナレシュ様も、お前の到着を楽しみにされていたよ。すぐに連絡がとれなくて悪かったな。ちょっと問題が起こっててよ」
「いえいえ、ナレシュ卿こそ、すごい活躍じゃないですか。“兄弟”ナレシュ卿の話はいろんなところから聞こえて来てますよ」
アルがそう言うと、デズモンドが少し困ったような表情をうかべ、クレイグは眉をしかめる。なにか変な事を言っただろうか。
「いやいや、まだナレシュ様は騎士爵を叙爵されてねぇんだ。卿というのは、このパーカーの人々がすこし勘違いをして言い出してくれたようでな。有難い話ではあるんだが、他の貴族や騎士たちからは、評判がよくない」
「そうだったんですね。気を付けます」
アルは思わず頭を掻いた。卿というのは、正式には騎士爵や準騎士爵を持っている騎士に対する敬称である。よく知らない一般の民衆がナレシュのようにまだ爵位をもっていない騎士に卿ということもあるが、身内がそれをつかうと媚びているかのように受け取られることもあるのだ。デズモンドが様をつけて呼んでいる事に気付くべきだった。
「ナレシュ様はそれほどの活躍をされているので、一般の人々がそのように呼ぶのはある程度仕方ないのでしょうが、アルはナレシュ様の親しいご友人という立場です。言葉には注意してください」
クレイグの言葉にアルも頷く。相変わらずだ。
「ナレシュ様とお会いしたいのですが、時間はとれそうですか? 何か問題が起こっているとか……」
アルの問いに、デズモンドはああと呟いた。
「避難してきた連中って言ってもな。全員が農夫とかじゃなくてよ、中にはテンペスト王国の貴族も居る。その中の一人、サンフォード男爵の父君であるジョン・サンフォード様が一週間程前に何者かに殺されると言う事件があってな……」
デズモンドの話だと、その殺されたジョン・サンフォードというのは、六十一才、息子のサンフォード男爵はセネット伯爵家の大隊長を務めていた経験もあり、現在、テンペストからの避難民たちをまとめている貴族の一人であるという話だった。彼は国境都市パーカーのパーカー子爵とは以前から親交があって、ナレシュとも友好関係にあるのだという。そのため、彼の父の死については、デズモンドたちも懸命に捜査をしている所らしい。
「犯人はクーデターを起こしたプレンティス侯爵家、或いはその協力者って事ですか?」
「その線があるから、ここの衛兵隊や俺たちも必死になっているのさ。この国境都市パーカーに避難民たちが逃げ込んできているのは、向こうでも知っているだろうし、逃げ込んできている連中の中には王国やセネット伯爵家の再興を声高に叫んでいる連中もいるんだ。我々の暮らすシルヴェスター王国と明確に戦争にはなっていないが、国境では何度も小さな諍いは発生している。その中で、サンフォード男爵というのは我々と親しい。プレンティス侯爵の密偵どもとすれば、見せしめにと考えても不思議ではない」
もちろん、そういった事になるのは判ってレイン辺境伯は避難民の受け入れをしているのだろうが、この間のパトリシアを巡っての辺境伯次男ストラウドの動きなどをみていると、本当に理解しているのか不安になってくる。ナレシュやレビ会頭の身辺も大丈夫なのだろうか。
しかし、殺人事件か。そういえば帰ってくる前に、丁度怪しい連中の話を聞いたばかりだ。
「トネリコ通りって知ってますか? 手掛かりになるかどうかはわかりませんけど……」
アルは早速、聞いたばかりの話をデズモンドに話した。彼はその話は初耳らしく、早速調べてみるという。国境都市パーカーは広く、全部には手が回らないのが現状らしい。手伝いたい気もあるが、土地鑑のないアルが闇雲に手伝える話でもないだろう。
「で、ナレシュ様との面会の件だが、とりあえずアルだけか?」
もちろん、パトリシアもナレシュとは会いたがっている。だが、ここで彼女が安全に会える場所というのは確保できるのだろうか。アルはちらりとクレイグを見た。彼はどこまで知っているのだろうか。
「気になさらずとも大丈夫ですよ。パトリシア様の件は存じ上げています。その事もあるので、デズモンド殿と一緒に来たのです」
アルはちらりとデズモンドを見た。アルと視線の合ったデズモンドは肩をすくめて軽く頷く。今回のパトリシアとの逃避行の話は、オーソンやリッピ、アルの家族を除けば、レビ会頭とバーバラ、そしてデズモンドとナレシュの四人だけのはずだった。どうしてクレイグが知っているのだろう。
「ずっと従者としてナレシュ様にお仕えしているのですよ。レビ会頭からの手紙で一喜一憂されている姿などを見ていれば状況を理解するのは当然です。アル、安心してください。私はラドヤード卿からはお暇を頂き、今では正式にナレシュ様の従者にしていただいています。ナレシュ様を裏切るようなことはありません」
ナレシュの守役であるラドヤード卿が、どのような立場なのかは知らないが、デズモンドが頷いたところをみると、とりあえずはその言葉を信用するしかないのだろう。それに、彼はナレシュの従者だ。さまざまな予定の管理を含めて、身の回りの事の采配はすべて彼が女官たちに指示しておこなっているのだろう。彼抜きでは様々な事がスムーズには進むまい。
「予定の調整が必要かもしれないと思い、今日は来させていただきました。それと、あともう一点、今回、アル……というより、パトリシア様に相談したいことがあるのです。おそらく彼女も気にされている事だと思うのですが……」
クレイグの言葉に、デズモンドが少し苦笑いを浮かべる。
「ナレシュ様が保護されている方の中で、タバサ男爵夫人という女性がいらっしゃいます。パトリシア様のお母上、セリーナ様に長く女官として仕えられ、パトリシア様の教育係も務められていた方なのですが、セネット伯爵領が攻められた時にこちらに逃れてこられたようで、避難民として暮らされていました」
パトリシアの母親や祖父、セネット伯爵である叔父たちはプレンティス侯爵家の騎士団と戦って命を落としたと聞いていたが、彼女に身近な人で生き残った人も居たのか。
「タバサ男爵夫人はこちらへ逃れてくるだけでも非常にご苦労をされたようで、ナレシュ様が保護された時には怪我などもされており、独りで歩くことすらおぼつかない状況でした。そのため、パトリシア様がいらっしゃった辺境都市レスターに早く向かいたいという気持ちを堪え、ナレシュ様の庇護の下、こちらで療養されていたのです。ところが、つい最近、何処からかわかりませんが、パトリシア様が辺境都市からさらに辺境に逃れられ、そこで亡くなられたという話を聞いてしまいました。今は食事も喉を通らない有様なのです」
それはまた、なんとも心苦しい話だ。アルとしても彼女に何をしてあげればよいのかわからない。パトリシアにこの事を話すと、彼女もまた罪悪感を抱き、自分を責めるだろう。
「タバサ男爵夫人に身寄りの方はいらっしゃるのですか?」
アルの問いに、クレイグは首を振った。彼女の夫である男爵はセネット伯爵領の防衛戦でパトリシアの母や叔父と同じように命を落としたらしい。こちらに逃れてきた者のなかでは身寄りはなく、彼女に仕えていた女官や従者もちりぢりになってしまっており、タバサ男爵夫人の領地出身のドリスという名の十才の少女のみが残って彼女の身の回りの世話をしているのだという。生きていることを教えてあげたいところだが、それを言うと、せっかく偽装したことが無駄になってしまう。
「パトリシア様が、ナレシュ様とお会いされるのなら、彼女ともお会いしていただくわけにはいきませんか?」
なるほど、相談したい事柄というのはこれか。生きているとこっそり告げたとしても、周りに聞けばそれを否定するだろうし、そうなれば彼女は信じまい。もちろん、生きている事を公けにすれば彼女も信じるかもしれないが、そういう訳にもいかない。
デズモンドやクレイグは、パトリシアはナレシュに会いに近くに身を潜めているとでも考えているのだろうか。レビ会頭はどこまで伝えているのだろう。転移の魔道具や古代遺跡の話は伏せてくれているという事か。それらの情報を知らなければ、パトリシアはアルと一緒に今も逃げていると考えるのが自然なのだろうか。
「とりあえず、ナレシュ様にお会いすることができますか? パトリシア、様については、その時に」
パトリシアを敬称を付けずに呼びそうになって、アルは懸命にごまかした。二人は違和感を感じたらしく怪訝そうな顔をしたもののそこは苦笑いを浮かべるだけで会話は続いた。
「わかった。あまり目立たないほうがよいだろうから、夕刻、ナレシュ様が暮らされている屋敷に来て欲しい。ナレシュ様もアルと一緒に夕食を摂るのは喜ばれるだろう。門番には話を通しておく。クレイグ殿、それでいいよな」
デズモンドはそう念を押しながら、ナレシュが暮らしている屋敷の場所を教えてくれた。表向きはレビ商会が借り上げて、デズモンドの他、レビ商会の連中が暮らしていることになっている屋敷で、レビ会頭やその家族用の区画でナレシュは寝泊まりしているらしい。パーカー子爵の領主館にも部屋を提供してもらっているらしいが、最近はこちらで過ごしていることが多いという事だった。
「確認ですけど、国境都市パーカーでパトリシア様の件を知っているのは誰ですか?」
「ああ、俺と、クレイグ殿、そしてナレシュ様だけだ。お前の顔見知りでいうと、ラドヤード卿やその息子のシグムンド様が来られているが、お二人ともパトリシア様は亡くなられたと思っているので注意してくれ」
アルはわかったと頷いた。ラドヤード卿たちもレビ商会の屋敷に居るのだろう。二人はアルとパトリシアの関係をある程度知っているはずだ。どのような顔をして会うべきだろう。ちゃんと考えて行かないと襤褸がでそうだ。アルは少し憂鬱になったのだった。
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