11-2 雲の平原
アルは研究塔がある高度だという地上からおよそ三千メートルあたりを飛びながら、眼下に広がる、夕日に照らされてすこしオレンジ色を帯びた雲の平原をゆったりと見回した。視界は開けており、周囲には何もない。マラキと共に廃墟の村を出発して今日で三日。アルの飛行の速度は時速およそ三十五キロ、これは、マラキが想定していた速度よりすこし速いといった程度らしい。
指示に沿ってまっすぐに南下し、初日の昼過ぎには海上に出た。途中、蛮族の居ない小さな離島を選んで二泊。これについては食料や水などがマジックバッグに入っていたので特に苦労はなかった。これを持たせてくれたレビ会頭には本当に感謝しなければいけない。
だが、ここに来て大きな問題が発生した。この視界であれば当然見えているはずのテンペストの研究塔の姿がないのだ。
「いったいどこにあるんだ?」
何度目かの空中停止。ゆっくりと、その場で回転しながら、アルは思わず呟いた。防寒のために運搬呪文の円盤の形を球形に変え、そこに無理やり三人が入っているので、パトリシアとジョアンナ、アルの距離はかなり近かった。球体の直径は二メートルほどしかないのだ。少し後ろを向くだけですぐ近くに顔が有る。
「そうですね。マラキ様もおかしい、おかしいと呟いておられます」
今、マラキのアシスタント・デバイスは人形ゴーレムをマジックバッグに格納し、パトリシアの首にかかっていた。最初はジョアンナという話であったのだが、彼女は高い空に上がると目を開けていられなかったので、こうなったのだ。
“以前、もらった座標からすると、とっくに行き過ぎてるよ。マラキ様の位置管理のモジュールに不具合でも出てるんじゃない?”
グリィに位置管理モジュールと言われてもアルはよく判らない。だが、とりあえず何かに問題があるのは確かだろう。そうだねと思いつつ、アルは自分の膝に指で丸を描いた。以前決めたグリィへの合図にはないが、なんとなくニュアンスは伝わるだろうか。
“マラキ様に現在位置の座標数値を教えてって言って”
アルがグリィに言われるままに伝えると、パトリシアが24.161530,4.014.2912,141.467008だそうですと呟いた。数字の羅列で意味はわからないが、グリィには通じているのだろうか。
“間違ってないみたい”
二人は、現在位置を正確に把握する手段があるのだろうか。アルはそちらが気になって聞いてみたが、地上なら大丈夫だが、地下や水中ではわからない事が多いらしい。それなら古代遺跡の中だと難しそうだ。アルはすこしがっかりした。
「どうする? 日も暮れ始めてきちゃったし、とりあえず、今日寝るところを確保したほうがいいんじゃない?」
アルがそう提案すると、パトリシアも頷いた。ジョアンナはずっと小さな声で早く降りましょうと呟いている。
“アリュ、南のほう、雲から何か出てきた”
『知覚強化』 -視覚強化 遠視
アルは視覚を強化してグリィの言う方向をじっと見た。距離は三キロ程離れているだろうか。体長はおよそ十メートル、色は濃い緑色で、大きな口をもつトカゲの頭、大きなコウモリの翼、ワシの脚、長い尾の先端には矢尻のようなトゲが付いている。翼の幅も体長と同じぐらいだろう。それが一体、翼を大きく広げてゆったりと北西方向に飛んでいる。
若いドラゴン? いや、胴体の太さからすると……。
「ワイバーンだと思う。雲の中に入るよ」
まだ気づかれていないと願いつつアルは急いで真下に向かって飛んだ。重力に従い速度はぐんぐんと上がる。だが、ワイバーンはこちらに方向を変えた。やがて雲には入ったものの、濃度はそれほど濃いわけではなく、ぼんやりとワイバーンの姿は見えていた。その飛ぶ速度はゆっくりに見えるが、それは空が広いからであって、距離はかなり縮まってきていた。ワイバーンの飛ぶ速度はアルのそれより少し速いようだ。
「魔法を撃たないといけないかもだから、運搬呪文の円盤の形を変える。寒くなるよ」
『魔力制御』
アルは安全バーのついた椅子だけの形に円盤の形を変えた。一気に気温が下がり、強い風がアルたちの周りを吹き抜けてゆく。落ちているのか、飛んでいるのかわからないような速度でアルたちは降下を続ける。パトリシアとジョアンナは懸命に口を押さえて悲鳴を抑えていた。雲を抜け、視界一杯に海面が広がった。
“北、アルから見てすぐ左に小さな島があるわ”
「ワイバーン、すぐ後ろまで来ています」
「ありがと!」
グリィとパトリシアが周囲の情報をアルに伝えてくれた。島まで行けるか。だが、ワイバーンはすぐ後ろまで来ているらしい。それを見る余裕すらない。
『魔法の矢』 - 自動命中
十本の青白い矢のようなものが、後ろに伸ばしたアルの掌から飛び出した。狙う余裕などないので、自動命中のオプションを付ける。最近呪文の書を見返してわかった事だが、他の魔法使いたちが魔法の矢呪文を使うときに意識せずに使っているオプションがこれであった。呪文の書にはこれがついている形で記述されていたのだが、アルは無意識にオプションとして外して記憶していたのだった。これを使えば、弱点を狙う事は出来ないが、対象の身体の中心には命中するのだ。このオプションのおかげで、狙ってもいない魔法の矢は選んだ対象であるワイバーンに十本とも吸い込まれるように命中した。だが、命中したそこはワイバーンの胸部で一番革が厚い部分でもあり、ほとんどダメージを与えられずに光を失い消えてしまった。
「ワイバーン、全然効いてない」
パトリシアの悲鳴のような声にアルは思わず舌打ちをした。すぐに海面が近づいてくる。単純に飛んでも追いつかれるだけだ。水面ぎりぎりまで飛んで左にターン。
『閃光』
大きな水しぶきが上がった。アルのすぐ後ろを追いかけていたワイバーンは閃光に目が眩み、そのまま水に飛び込んだらしい。その隙にアルはグリィが教えてくれた島にまっすぐに飛ぶ。あっという間にグリィの言った小さな島の周囲にある岩礁にまでたどり着いた。岩がいくつか海面から突き出ているだけだが、一応アルたちよりは背が高い。とりあえず岩の後ろに飛び込んでワイバーンの方を見る。距離は二百メートル程だ。
「ギャォオオオオ」
ワイバーンが海上に飛び出してきた。それを横目に運搬呪文を解除する。
「ようやく地上に!」
ジョアンナが先程迄の様子とはうって変わって元気な声をだした。だが、まだ足は震えている。
「ジョアンナさん、パトリシアを守って」
アルはそう言って、足元を海水が洗う岩礁を走って、別の岩が突き出た影に向かう。
「わかった」
『肉体強化』
ジョアンナはパトリシアを庇いつつ、アルからもらった剣を抜く。ワイバーンは空中で周囲を見回したが、アルたちをすぐに見つけたようだった。幻覚呪文や隠蔽呪文で姿を隠せたかもしれない。アルは少し後悔した。だが、ワイバーンクラスの魔獣を相手にした場合、それだけに頼るのは不安だという気持ちもあった。アルは岩陰からワイバーンの接近を待つ。ワイバーンは息は吐かず、肉体攻撃だけのはずだ。落ち着いてタイミングさえ合わせれば……。
ギャオオオと唸り声を上げながらワイバーンが近づいてくる。飛行速度はどんどんと上がっていた。ワイバーンの今の飛行速度からすると十秒でおよそ八十メートルほどだ。三十メートルの距離まで待って呪文を撃っても間に合わない。アルは距離が百メートルぐらいのところでタイミングを合わせて呪文の詠唱を始めた。
『魔法の竜巻』
アルの手許から青白い光が飛んだ。糸を引くような光がワイバーンの胴体に命中したのは、アルから二十メートルほどの距離だ。ワイバーンが真っすぐ飛んできてくれて助かった。
青白い光の嵐がワイバーンを包み込む。
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