10-8 カニ
「熱いから気を付けてね」
パキッ 茹で上がったカニの足の関節を力任せに反対に折ると殻は割れ、真っ白な身が解れた。まだ湯気の上がるそれを、アルはパトリシアに手渡す。
「ありがとうございます」
嬉しそうに彼女は受け取ると、そのままカニの身にかぶりついた。んんっと声を上げて彼女は笑顔になる。アルはそうやっていくつか足を割ると、石軟化呪文を使って即席につくった石の皿の上に並べていく。魔獣かもしれないと考えて魔法の矢を使って倒したこともあり、味はどうなのかなと不安ではあったが、それでも十分に美味しかった。アルのその様子をみながら、ジョアンナも真似をして同じようにカニの足をもぎ、自分の口にもっていく。
「ほう、すごく味が濃いな……これはいくらでも食べられそうだ」
「そうだね、大きいから大味かなとか、酷く泥臭かったり、味が抜けちゃってないか心配してたんだけど……」
“おいしい! おいしい!”
アルの不安そうな言葉をかき消すようにグリィがアルの耳元で声を上げた。味覚は共有していても、感じ方はそれぞれなのだろう。少し失敗したかもと感じていたアルだったが、パトリシアとジョアンナの反応は悪くなかった。これは是非、明日ももう一匹捕まえよう……。アルはそんなことを思いながらカニの胴体部分の甲羅をナイフで割る。甲羅の中もサイズは違うものの、川ガニとそう大きく変わってはいないようだった。魔法の矢が刺さった部分は身が爆ぜている感じではあるが、形は留めている。灰色のおいしくない部分を取り除くと、真ん中にうす緑色のとろっとしたペースト状の塊は少しだけ残っていた。指で舐める。濃厚な味が口の中に広がった。
「ここ、食べてみて」
アルの勧めに従って、そのペーストをカニの身に乗せて二人は口に運んだ。二人はお互いの顔をみながら笑顔になる。
三人は夢中になってカニを食べ、気が付いた時にはもう建造物の外は真っ暗であった。
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「その鍋の片付けなどは手伝おう。料理は全部やってもらったからな。どうすればよい?」
ジョアンナの問いにアルは笑顔を浮かべて首を振る。
「ありがとう、でも……洗い物は落ち着いてからにしよう。今日茹でるのに使った鍋も石で作った臨時のものだから大丈夫」
普段なら煮汁は川に流し、藁束でも使って鍋を洗うという事になるのだろうが、ここは辺境なのだ。そんなことをすればいろんなものが寄ってきてしまうだろう。幸いマジックバッグがあるので、それに一時的に収納しておいたほうが安全だと説明して、夕食に使った鍋や石で作った皿などは続けて放り込んでしまう。
「それより、悪いけど、見張りをもう少し続けてもらっていいです?」
「わかった。魔法をかけ直してもらって、また出入口に行っていよう」
ジョアンナは立ちあがろうとしたが、パトリシアがそれを止めた。
「アル様、その前にこれのやり方を教えてください」
パトリシアはそう言って、左手の薬指につけた指輪を見せ、右手を軽く握る仕草をした。契りの指輪の念話の事だろう。アルからは通じるようになっていたが、パトリシアには契りの指輪という魔道具を通じて念話呪文を使うためのハンドサインを一度説明はしたものの、自分から発信するのはうまく行ってなかったのだろう。
「うん、もちろん。まずは見本を見せるね」
アルはゆっくりと右手を動かした。まず掌を広げ、指を一本ずつ上下に動かしてから、手首を返してぎゅっと握る。つながった感じがした。
“こうだよ”
アルが念話でそう伝えると、パトリシアは身体をすこし揺すり、頬を赤らめて頷く。
“この感じ、好きです。アル様と……”
アルはその様子に少し照れて頭を掻いた。
“念話を終わる時も、同じようなハンドサインだよ。動かす指の順序がちがうだけ……”
アルはすこし慌てた様子でまた掌を広げ、指を一本ずつ上下に動かしてから、手首を返してぎゅっと握る。つながった感じが切れる。
「あっ」
パトリシアは小さく声を上げた。一瞬少し悲しそうな顔をしたが、アルを見て、微かに微笑む。
「わかりました」
パトリシアは、自分でも見様見真似でハンドサインを繰り返す。最初はうまく行かなかったが、アルがパトリシアの指をとって丁寧に指導する。やがて、念話はつながった。
“アル様とつながりました”
パトリシアは眼を見開き、じっとアルを見た。アルの手を取り、とてもうれしそうな顔を浮かべる。アルも思わず微笑んだ。見つめ合う二人の横で、ジョアンナがコホン……とわざとらしく咳をする。
「うまく成功したのであれば、姫、見張りに行きましょう」
「えっ?」
パトリシアは切なそうな顔でジョアンナを見た。
「あと、もう少し離れても練習はできるでしょう」
アルとパトリシアはお互いいつの間にか身体を寄せるようにして座っているのに気付き、慌てて少し距離を取る。
「わ、わかったわ、ジョアンナ。見張りに行きましょう」
「う、うん、僕もちょっと急いで魔法のかかったアイテムの回収をしてくるよ」
アルは二人に改めて知覚強化呪文や魔法感知呪文といった援護魔法をかけ、見張りをお願いした。そして、アル自身はまずは剣らしいものがあった場所の上にあたる部屋に向かったのだった。
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「大体このあたりかな」
アルは記憶を頼りに今居る三階の斜めに傾いた床の上に立った。
“あと、北に九十三センチ、東に二十七センチが二つの剣の間の中心ね”
「ありがと、グリィ」
アルはグリィの話を聞いて位置を調整し、そこから北に二メートルほど距離を置いた場所に噴射呪文で目印をつけた。そこから離れると、腰に下げていた魔法の杖を抜く。スライドバーを石軟化呪文に合わせ、目印をめがけて杖のボタンを押した。すると目印の中心から半径一メートルほどの石の色がすこし白くなってぼんやりと光を放ち始めた。
この少し色が変わって光を放っている所が石軟化呪文で柔らかく軽くなった石なのである。効果時間はおよそ五分。効果時間の間、その石の柔らかさは押した指が軽く入っていくほどで、綿のように軽い。だが、その特性の変化は術者に対してのみのようで、自重で崩れたり、上に乗っているものの重さで形が歪んだりということは起こらない。
アルは腰の短剣を抜いて、それを使って自分が潜るための穴を四角くくりぬいた。くりぬいた部分を持ち上げて横に除けると水面が見えた。水中に沈んだ二階の部屋の中も見える。計算通りの位置に半ば泥に埋もれた剣が二本、水の中に沈んでいるのが見えた。
アルは急いで除けた石の板を粘土のように捏ねて加工して、ハシゴのような形にした。開けた穴の縁にその片端をとりつけ、それを伝って水の中に出入りできるようにする。
“痕跡は後で消さないとね”
「あー、そうだね。後で床の形に戻さないとだね。綺麗に表面を磨いてあるようにはできないけど……、汚しておけば目立たないか」
アルはグリィの言葉に頷いた。石軟化呪文なんてアルはあまり聞いたことがなかった。きっとそれほど有名な魔法ではないはずだ。手札を隠すために、明らかに使ったと判る痕跡は消しておくべきだろう。だが、まずは剣を拾ってからだ。
「さて、中は安全かな……」
『浮遊眼』
アルは浮遊眼の眼を使って今、開けた口から部屋の中にウミヘビが居ない事を確認した。小さいウミヘビでも毒があるかもしれないので噛まれれば危険かもしれない。物陰なども慎重に覗き込む。
「じゃぁ、行こう」
石軟化呪文の効果は切れ、石は元の色に戻っていた。手で触れて揺すってみるが、作ったハシゴは固まっていてびくともしない。
『隠蔽』
アルの姿はすっと消えた。今、開けたばかりの穴から水の中に入っていく。隠蔽呪文の効果で、水の中にアルが入って行っても、その痕跡は見えず、波も立たない。はしごを伝って床に着いたが、床も泥が舞い上がったりはしなかった。だが、姿は消えていても水中で呼吸ができるわけではない。そして、激しい動きをすれば隠蔽呪文の効果は解除されてしまう。少し気持ちが焦る。
部屋は完全に水没しているので深さは三メートル近い。はしごから手を離せば浮いてしまいそうだった。剣ははしごからおよそ一メートル、すぐ手が届きそうなところに落ちている。二本とも、両手でももつことのできる片手剣、いわゆるバスタードソードであった。アルははしごから手を放すと同時に、水中で手を勢いよく動かした。その瞬間に隠蔽呪文の効果は切れた。アルは手を伸ばして二本の剣を掴む。そして、急いで床を蹴って開いた穴に向かった。剣は左手に持ったまま、右手ではしごを掴み、急いで水から上がる。
「ふぅ……」
“大丈夫、全然、まだウミヘビは来てないわ”
床に両手足を投げ出し、あおむけで荒い呼吸をしているアルに浮遊眼の眼で水中を監視していたグリィが告げた。
「一階の呪文の書も同じように行けるかな?」
魔法の杖はボタンで行使できるタイプなので水中でも使える。穴をあけてはしごを作るところまでは問題ないだろう。だが、一階は水深五メートル近くになる。隠蔽呪文の効果を泳ぐことによって無理やり解除し、呪文の書を手に入れた後、水の上まで行けるだろうか。
“今見ていた様子だと、水の中で泳ぐものが居たとしても、そこに一目散にやってくるという感じではなさそうよ。全然大丈夫だと思うわ”
アルは身体を起こし、拳を軽く握ると、よしっと声を上げた。濡れた顔を布で軽く拭う。
「じゃぁ、一階もこのペースで行っちゃおう」
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