10-1 追手?
アルはフードを目深にかぶり、顔見知りの衛兵に気付かれぬように、南門を通り抜けた。朝一番の鐘は既に鳴っており、ちらほらと蛮族討伐に出かける冒険者の姿も有る。キノコ祭りが今日行われるためだろうか、その人数は普段よりかなり少なかった。衛兵はちらちらとパトリシアの顔を見ている。彼女の存在はずっと秘密にされていたのでパトリシアだとは判らないはずだが、彼女の顔立ちとそのプラチナブロンドはかなり目を惹いてしまうようだ。その分、側にいるアルやジョアンナの姿にはあまり注意を払ってはいないようだ。
「ついに出発ですね。アル様、この三日間、私はずっとわくわくしていました」
衛兵の姿が見えなくなると、パトリシアはすこし息の上がった様子でそう言った。意識はしていなかったが、緊張からかアルの歩調は少し早くなってしまっていたようだ。
「ああ、ごめんね。もう少しゆっくり歩くよ」
「大丈夫ですよ。私、これぐらいの速度でも全然……」
パトリシアは嬉しそうに軽くスキップを踏みながら、アルの顔を見る。ジョアンナはその様子を少し呆れた様子で見ていた。
彼女はかなり浮かれた様子である。聞くと、警備と存在の秘匿という理由から、ルエラが連れ出した以外はずっと領主館から外に出ることは許されておらず、こうやって周りの目をあまり気にせずに外を歩けるのは久しぶりらしい。ルエラが彼女の事をよく心配したのも判る気がする。盗聴の魔道具を気にして、話すのも抑えざるを得ない状況であったが、レビ会頭からマジックバッグのベルトポーチを貰い、それをその中に入れることによって、常に盗聴されているという緊張から解放されたのも大きな要素ではないだろうか。
「これから向かう所は危険も多いから、僕かジョアンナ様からは離れないようにしてね」
「はい。もうアル様から離れません」
パトリシアの明るい返事に、その横で歩いているジョアンナもすこし苦笑いをしつつも軽く頷いた。領主館の警備の連中は今頃、パトリシアの部屋の魔道具の反応が消えた事で大騒ぎしているに違いない。
アルはジョアンナにお願いして、パトリシアに渡されていた盗聴の魔道具の髪飾りの身代わりとして、朝一番の鐘が鳴る頃に丁度光呪文の効果時間が切れるように調節した小石を彼女のベッドの下に仕掛けておいた。呪文の対象物と普通の魔道具では警備用の魔法発見の魔道具から見ると反応は一緒である。それを利用したトリックであった。光呪文の効果が消える事で、魔道具で監視している連中にはまるで魔道具の髪飾りが急に反応がなくなったように錯覚するはずだ。そうなれば、急にパトリシアが姿を消したように錯覚するだろう。
「これが、辺境都市レスターの南、本当の辺境なのですね」
パトリシアはすこし背伸びして周囲を見回す。南にはホールデン川が流れ、湿地帯が広がっている。冒険者の姿はみえなくなったがまだ近くに居るはずで、飛行呪文をつかうと、飛ぶ姿が見られてしまうだろう。追われる身としては、まだ飛行呪文が使えることは隠しておきたい。
「本当の……。まぁ、そうだね。ここから南は蛮族や魔獣がかなり増える。辺境と言うより未開の地と言ってもいいかもしれない」
アル自身も日帰りで行ける所までは何度も行っているが、それ以上離れるのは、隊商や騎士団と一緒に来た時だけだ。このあたりで注意すべきことなどを説明しながらしばらく歩いていると、急にアルの耳にグリィの声が聞こえた。
“アリュ、透明の丸い球がとんできたよ”
念のために浮遊眼呪文と魔法感知呪文を組み合わせて後方を警戒していたのだが、グリィのほうが先に気が付いたようだ。浮遊眼の眼を通して後方を見ると小さい球が百メートルあたり後方で浮かんでおりアルたちの居る方向にかなりな速度で移動して来ていた。
もう、こちらの位置を突き止めて浮遊眼の眼を飛ばしてきたのだろうか。浮遊眼呪文を使った魔法使いは、テンペスト王国の間諜の魔法使いか、或いはレスター子爵の指示を受けたエリック、他にも、子爵家にはウォルドという魔法使いも仕えていたし、他にアルが知らない使い手も居るかもしれない。
アルはあわててフードを被り、そちらを見ていると気付かれないように注意しながら浮遊眼呪文の眼が近づいてくるのを待つ。
浮遊眼の眼はアルたちの上空で少し速度を落とした。パトリシアに気付いたのかはっきりしない。まだ、歩いている人間が居るので顔を見ようとしていたぐらいだろう。
『魔法解除』
効果範囲に近づくのを待って、アルは誰が使ったかわからない浮遊眼の眼を消す。
「何があった?」
状況がわかっていないジョアンナが不思議そうに尋ねた。 パトリシアも不思議そうな顔をしている。
「浮遊眼の眼だよ。やり過ごそうかとも思ったけど、一旦はこちらに引き付けたいからね。魔法解除で消したよ。とりあえずこちらに移動しているのを気付いた誰かが居る。この反応の速さからしてテンペスト王国の間諜だと思う。この距離で浮遊眼を飛ばしたらかなり疲労するはずだけど、予定していたレビ商会の襲撃のための増援が来ていたのかもしれない」
「もう追っ手が?」
アルの話に、二人は顔を見合わせた。信じられないのだろう。アルも信じたくはなかった。アルも以前、浮遊眼呪文を使い過ぎて、しんどくなった事がある。今の様に頭の上に置いておくならまだマシだが、このように長距離の索敵に使うのはアルにも難しい事だ。ただ、どちらにせよ、警戒するに越したことは無いだろう。
「この先に、以前隊商護衛の時に野営地にした丘がある。そこだと、地理もわかっているから、周囲の警戒もしやすい。歩いたらまだ四、五時間はかかる距離だけど、空を飛べばあっという間に着く。そろそろ付近に冒険者は居ないだろうから飛行呪文を使っても誰にも気づかれないだろう」
アルは、二人が頷くのを見て、運搬呪文で二人が並んで座れる椅子を作った。
「領主館から逃げ出すときと違って、今回は椅子なのですね」
「うん、あの時は監視の目が有ったからね。深く座って、しっかりと肘置きを握っていてね」
「はい」「はい」
パトリシアは嬉しそうだが、ジョアンナの声は少し震えていた。彼女たちとクラレンス村の湯治場で出会い、その後辺境都市レスターまで移動してきたときも似たようなことをしているのだが、今回は飛行呪文だからか。
『飛行』
アルの身体がふわりと浮かぶ。それと同時にパトリシアとジョアンナが座る椅子もふわりと浮いた。
「わぁ」「きゃっ」
「大丈夫?」
二人は肘置きを片手で握り、もう片方の手でぎゅっとお互いの手を握っている。ジョアンナはぎゅっと目を瞑っていた。
「はい、アル様。ジョアンナ……大丈夫よ。アル様がされている事だから、何も心配することは無いわ」
パトリシアがジョアンナを力づけるように手をぎゅっと握り直した。薄目を開けてジョアンナはパトリシアを見る。パトリシアの言い方は少しおかしいが、その訂正は後回しで仕方あるまい。ジョアンナが青白い顔で頷くのを見て、彼女はゆっくりと頷き返した。
「ジョアンナは高い所が少し苦手らしいのです。でも大丈夫です」
「どうしようかな……」
今は椅子の形は左右に肘置きがある形になっているが、それにつかまっていたとしても、空中で急な方向転換や停止は危険だろう。何か身体を支えられるような形にしたほうがよいかもしれない。
『魔力制御』
二人の椅子の位置は呪文を使わなくても動かせるが、椅子の形まで変えるには魔力制御呪文を使う必要があるのだ。アルは二人が座る椅子を変形させ、膝の上あたりに丸い棒を付けた。これで急に立ち上がることはできなくなったが、振り落とされたりは無いだろう。
「じゃぁ、しっかりその棒を握っていてくださいね。ゆっくり行きます」
アルはそう告げるとすぅーっと高度を上げた。
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