9-13 忍び寄る影
翌日、昼に近い時間になって、アルが眠い目をこすりながらやってきたのは領主館だった。ジョアンナに会えればと思っていたが、二日続いてきていたはずの彼女は彼の宿には現れず、なんとか会えないかと思ってやってきたのだ。来てみてから気が付いたのだがジョアンナにしてもパトリシアにしてもアルには呼び出す手段などもないのだった。知り合いが出てこないか少しうろうろしてみたが、そんな幸運は訪れなかった。自分の考えのなさに情けなくなりながらアルは帰路に就こうとして、館の通用口に近い路地に見たことのある顔を見つけたのだった。
それは、以前レビ商会を見張っていた魔法使い、スノーデンと名乗っていた男の護衛らしい四人のうちの一人、革鎧を着ていた男だった。もう一人、小柄な男と一緒だ。小柄と言っても若い男でスノーデンではない。もしかしたらアルが顔を見られなかった御者を務めていた男かもしれない。
二人は領主館の正門が見える路地で何をするわけでもなくじっとしている。スノーデンたちは《黄金の龍》亭を引き払った後、この都市からは去ったのだと思っていた。バーバラたちが足取りを追ったはずだが、見つけられなかったはずである。こんなところで会うとは思わなかったが、何をしているのだろう。バーバラの話ではテンペスト王国から来た連中かもしれないという事だった。放置しておくのは危険だし、何をしているのかなんとかして調べたいところだった。レビ商会に雇われている連中に連絡もしたいところだが、往復している間にまた見失うかもしれない。
アルは二人が潜む路地から離れ、別の路地に入ると、遠くからその二人が見えるような位置を探した。以前は浮遊眼を不用意に近づけて相手に見つかってしまった。あれは魔法発見か透明発見呪文だったのだろう。今日は魔法使いが居ないので大丈夫だとは思うが、そういったものを見つける魔道具を所持している可能性もないわけではない。発見系の魔法の有効範囲は以前エリックに確認したところでは50mであった。ということはそれ以上の距離を置けば大丈夫だろう。
『知覚強化』 -視覚強化 遠視
『魔法感知』
知覚を強化して遠くから二人をじっくりと観察する。身長は百八十と百七十ぐらいだろうか。身長が高い方は年のころは三十代前半ぐらい、ダークブラウンの髪は短めに切りそろえられている。腰には長剣と幅広の短剣の二本が下がっていた。ナレシュ程ではないが褐色の肌にはかなりの筋肉がついており、腕も立ちそうだった。もう一人のほうは二十代前半ぐらい。すこし濃い目の金髪はすこし額にかかるぐらい。腰には刃渡り七十センチほどの小剣を差しているが、身のこなしからみて戦士という訳ではなさそうだった。こちらは斥候か。魔法感知に反応するものは今の所何もなかった。ということは魔道具も持っていない可能性は高い。二人は魔法使いには見えないし、これなら少しぐらい近づいても見つかる可能性は低そうである。
アルは人気のない所を探して路地の奥まで行き、自分に知覚強化呪文のかけ直しと肉体強化呪文を使った上で、隠蔽呪文を使った。隠蔽呪文を使った後で呪文を使うと隠蔽呪文が解けてしまうが、その逆は大丈夫なのだ。そして、細心の注意を払いながら二人に近づいていく。このあたりは都市の中心部であるので、他の建物にも侵入者を警戒するための魔道具が設置されている可能性もあるのだ。時間をかけてアルは二人の声がようやく聞こえるところにまで近づくことが出来た。
「早く交代の時間にならねぇかなぁ。ちょっと他の連中の様子見てきていいか?」
若い方の男がため息交じりに呟いている。普通ではごく近くにまで行かないと聞こえない程の小さな声だが、知覚強化をしたアルにはきちんと聞こえた。他にも仲間が近くに居るのだろうか。魔法使いらしき男がいると見つかってしまう可能性もある。アルは周囲を見回した。路地を出た通りでは、人はそこそこ通っているが、衛兵、内政官、商人といった連中ばかりで怪しそうな者は居ない。
「お前も堪え性がねぇなぁ。夕方までは、まだまだだぜ。それまではここにじっとしてな。そういえば、護衛の女、今日は出て来ねぇな。ここ2日程は出て来てたのによ」
三十代前半の男が窘めるようにいう。護衛の女とは誰の事だろう。
「レビの娘が朝から来てたから、そのせいじゃねぇのか?」
「あいつか。あいつはパーカーで調子乗ってるやつの女らしいぜ」
レビの娘というとルエラの事か。それなら国境都市パーカーで調子乗ってるやつとはナレシュだろうか。ルエラは今朝領主館に来ていたのか。パトリシアやジョアンナとどんな話をしたのだろう。王家として敬われる資格などないと悲しそうに言っていた彼女の泣きそうな顔を思いだし、アルの胸が痛んだ。
「女に貢がせた金で、パーカーの難民連中に良い顔をしてるってわけか。いい身分だなぁ」
「まぁ、それもあと1週間さ。吹き飛ばされたら、もう金も貢げなくなるだろうぜ。そうすりゃ、あいつも首が回らなくなってお終いだ。“兄弟”も“貧乏兄弟”になっちまうってわけだ」
二人はそう言って視線を合わせ、ニヤリと笑う。一週間後といえばキノコ祭り当日だ。その日に誰かを吹き飛ばす?
「へぇ、決まったのか?」
「ああ、ヴェール様とバカ子爵の間で話が付いたらしい。最初は渋ってたらしいがな、ヴェール様がちょいと脅したら呑んだらしいぜ。小鳥ちゃんは一週間後レビ商会にお出かけだとよ」
ヴェールとバカ子爵とは誰の事だ? この二人が様をつけているということは、上役かなにか……、あのアルの浮遊眼呪文を解除した魔法使いの事か。ではバカ子爵とは? この都市に今居る子爵となるとレスター子爵とユージン子爵の二人だけだろう。テンペスト王国からの工作員らしい男たちのリーダーとその二人のうちどちらかとはつながりがあるという事か。それもリーダーは子爵を脅せる立場にあり、その結果小鳥はレビ商会に行く……。小鳥とはパトリシアの事だろうか。彼女は一週間後のキノコ祭りでレビ商会に来るようにその子爵が仕向けるのか。そして、そこで……。
アルは少し混乱しつつそういった推測を巡らせた。果たしてそれで正しいのか。ルエラに確認を取りたい。
「最初っから、力ずくで行きゃぁ良かったんだ。蛮族を利用して混乱させるとか、ヴェール様はいっつも訳わからねぇことをするから時間がかかる。壱の兄貴もそう思うでしょう?」
「もう、無駄口は止めだ。俺は正門のほうのガキに話を聞いてくる。お前は静かにしてるんだぜ」
壱の兄貴と呼ばれた年嵩の男は若い男の肩を軽く叩くと、アルの居る路地の裏手のほうに歩き始めた。アルのすぐ前を通り過ぎていくが特に気付いた様子はない。アルはそれをやり過ごすとどうするか考えた。腕に自信があるのなら、一人になった若い男を捕まえて尋問するという手もあるだろう。だが、アルに出来るとすれば魔法の矢で殺す事ぐらいだ。不意をつけばもちろんそれは可能だが、領主館の近くで不意を打って魔法で人を殺したとなれば、大騒ぎになるし身の潔白を証明するのは難しい事になってしまう。
幸い、交代は夕方のような事を言っていた。ルエラやバーバラと相談するぐらいの時間、こいつはここに居るに違いない。アルは再び慎重にこの場を離れると、レビ商会に向かう事にした。
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「アル、パトリシア様は一週間後のキノコ祭り当日、ここに来られる事になったらしいよ。よかったね」
レビ商会の裏の詰め所に行くとバーバラが居て、アルにそう声をかけてきた。やはりそういう事か。アルは少し苦笑を浮かべながら、内密で話をしたいことがあるので、レビ会頭とルエラを呼んでもらえないかとお願いした。バーバラはいつにないアルの様子にわかったよと答えて、店の奥の会議室に場所を移す。アルは早速、今聞いてきたばかりの話を三人に伝えた。
その話を聞いたレビ会頭、ルエラ、バーバラはお互い顔を見合わせ、蒼白になった。アルの想像はおよそ当たっているという事だろうか。レビ会頭は信じられないとばかりに首を振る。
「どちらかの子爵閣下が既にテンペスト王国に内通しているという事……か。レスター子爵閣下とは懇意にして頂いているし、ルエラの事もかわいがってくださっている。ナレシュ様が国境都市パーカーで頑張っておられるときにこのような事をされるとは考えたくない。そうなると、ユージン子爵閣下という事になるが、彼は辺境伯閣下に最も信頼の厚い方。辺境伯を裏切るとはとても……」
バーバラが真剣な顔をしてアルをじっと見た。
「今の話はどんな状況で聞こえてきたんだい? わざと聞かせるような様子はなかったかい?」
バーバラの問いにアルは首を振った。隠蔽呪文を習得しているとは言えないのでこっそり近づいたとしか言えないが、それでも知覚強化呪文の効果は彼女も知っている。それを説明すると彼女も頷かざるを得なかった。
「だから、ストラウド様の求婚は取りやめになったのかしら。一応、パトリシア様には婚約者が居られると頑なに断られたためという話になっていたけれど……。ストラウド様やセレナ様はこれに気付いてはおられないのかしら。キノコ祭りにはセレナ様はこちらに来られる予定なのよ。彼女まで巻き込まれてしまうわ」
自分自身の危機でもあるのにルエラはまだ他人の心配をしている。
「不味いね。パトリシア様が来られるのは辺境伯の第二子であるストラウド様が辺境伯の弟君、ヘンリー様の遺骨の前で人々に向かって演説をされる時と同じ時間なんだよ。他で人が集まるからそれが一番目立たないだろうという話だったけど、衛兵隊はそちらにかかり切りになる。信頼できる冒険者もそっちの警備に集められているから、こっちの警備に人を集めるってのは難しいよ」
バーバラはそう呟き、大きくため息をついた。
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2023.12.1 11:46
日付計算間違えていました。 キノコ祭り 明後日と書きましたが1週間後の誤りです。 訂正しました。