2-2 《赤顔の羊》亭にようこそ
ラスが営む《赤顔の羊》亭というのは、辺境都市レスターの東門前の広場から北西に歩いたところに建てられた3階建の建物であった。1階の通りに面した側は酒なども提供する食堂、2階と3階、屋根裏は宿泊者と家族、従業員のための部屋となっており、裏は庭があって、別棟で馬屋があるという造りになっていた。
2人組の男たちから逃れたアルが、その《赤顔の羊》亭に到着した時は既に東門で別れてから2時間程が経っていた。尾行などがないか改めて確認するのにしばらく時間がかかったのだ。1階の食堂らしい所には人が集まっている様子であった。アルは念のため周囲を2周ほどして怪しい人影がないかを確認したうえで、その食堂の扉を開けたのだった。
「アル、いったい何処に行っていたんだよ」
それに気づいたタリーが立ちあがり、アルに駆け寄ると彼の手を掴んだ。少し酒も入って上機嫌な様子である。そのまま、ようやく来たとか言いながら彼の手を引き店の大きな暖炉の前に連れていく。
近くのテーブルにはラスの他、都市の門で熱い抱擁を交わしていた彼の母親、ラスの妻であるローレインと妹のアイリスが座っており、その様子を嬉しそうに眺めていた。彼らの周囲のテーブルには冒険者らしい男女、他にも従業員らしい年配の男女も何人か座っていた。
「みんな、今ちょうど話してたアルだ。この人のおかげで俺たちは生きて帰ってくることができた。冒険者としてこの都市に来たっていうから、しばらくこの宿に泊まってもらおうと思っている。できればいろいろ便宜を図ってあげてほしい。アル、みんなに挨拶してやってくれ」
アルは少し戸惑いながらも食堂の中に居る面々の視線を感じ、彼らの方に向くと頭をかいた。そして挨拶をしようと口を開きかけたが、そこにローレインが走り寄ってきた。そして両手で彼の手をぎゅっと握った。
「アルさん、ありがとう。お礼をいうのが遅くなってごめんなさい。ほんとうちの人を助けてくれてありがとう」
彼女は軽く涙を浮かべていた。
「話は聞きました。パパと兄さんを助けてくれてほんとにありがとう」
ローレインの横でアイリスも深々と頭を下げる。おおよそアルと同じぐらいの年齢だろう。明るく元気そうな声をしていた。
「いや、本当に、盗賊団の連中をやっつけたのはバーバラさんで……、僕はその手助けを」
「ラスとタリーに温かいスープまで作ってくださって、この都市まで送ってくださったのでしょう。それに盗賊の親玉をやっつけたのはアルさんだったって聞きましたよ? それも凄い魔法使いだって……」
「えっと…それは―――」
そのまま、席を勧められるままにアルはテーブルについたのだが、彼がここに来る前の2時間ほどの間にラスとタリーが家族や他の連中にした話が、アルがかなり活躍したことになっていたようでそれとのギャップに彼自身が戸惑う羽目になった。彼としては懸命に自分の力ではなく、むしろナレシュやバーバラを手伝っていただけだと説明したが、皆はなかなか納得してくれない。
「とりあえずラスたちはそれぐらい感謝しているって事さ。まぁいいじゃないか」
戸惑うアルの肩をたたき、にっこりと微笑んで見せたのは、この宿で長期滞在をしているオーソンという男であった。年のころは30代中盤というところであろうか。背は170cmほどなのでそれほど高くない。黒髪を後ろに撫でつけた髪型をし、落ち着いた様子である。
「そうだな。親父さんとタリーが無事帰ってきてよかった」「うんうん。よかった」
そう言って頷き合っているのは彼の横に座っていたマドックとナイジェラ。19才と18才の男女のペアで幼馴染らしい。マドックは身長190cmを超えているだろう、大柄でしっかり筋肉のついた体つきをしていた。これほどの体格の男は領都でもなかなか居ない。ナイジェラも彼ほどではないが、ひきしまった体つきをしている。2人もここに長期滞在をしているということだった。3人とも冒険者ギルドに戦士として登録し、蛮族討伐の仕事を多く請け負って稼いでいるらしい。
「とりあえず無事生還できた祝いだ。特別なものは用意できなかったが量だけはある。アルさんもたっぷり食べて、飲んでくれ」
食堂のテーブルには少し固そうではあるものの大量の肉が調理され積まれていた。年配の従業員らしい女性がフォークと皿、ジョッキを渡してくる。ジョッキに入っているのは水で薄めたエールのようだ。彼が少し戸惑っていると、ローレインがこのあたりの生水は飲めないし、魔獣は多いので安い肉は大量に出回っているのだが、野菜や穀物、牛や羊、豚などの肉はまだまだ収穫高が少なくて入手できずこういう食事になってしまう事が多いのだと少し弁解気味の口調で説明してくれた。
「それで、ミルトンまで食材を仕入れに行ってたんだがなぁ。ほんと、参った」
ラスはそう言って苦笑いをした。ここから北にあるミルトンの街にはちゃんとした港があり、東部の街とも交易が盛んで穀物や野菜、果物、肉類なども良く入ってくるのだという。往復2日の距離であるが月に1度程度往復して仕入れを行い、食堂ではそれを提供していたという。
「次は俺たちが一緒に行きましょう。スープにはたっぷり芋が入ってる方がいいからなぁ」
マドックが真面目そうな顔をして言った。あんたはいつも食い気ねぇとナイジェラが呟き、ラスは遠慮していたものの、ローレインは是非お願いしますと頭を下げていた。
「ちょっと気になることがあったんですが、こんな2人組、見かけませんでした?」
話がひと段落したところで、アルは見つけた2人組の話を出した。尾行していったら、人通りのない所で斬りかかられたという話をすると、アイリスは目を見開いたが他の連中はあまり驚いた様子はなかった。
「あんた、4番街の南の方に入っていったんだろ。あのあたりは気を付けたほうがいい。よく知らねぇかもしれねえが、ここからだと東大通りを挟んで南側、南大通りまでの間はずっと治安がよくねぇんだ。喧嘩騒ぎは日常茶飯事だ。それにお前さんはあんまり強そうには見えねぇからな」
「うーん……」
オーソンの言葉にアルは再び頭をかいた。彼の癖なのだろう。治安はあまり良くないという噂は聞いていたが、彼もここまでとは考えていなかった。ということは盗賊団ではなくただの強盗だったのかもしれない。気にしすぎだったのだろうか。そして2人組についても今まで気付いたものは誰も居ないようだった。うーん、わからない。
「お、良い事を思いついた。アルさんは魔法を使えるんだろ? それなら魔法使いらしい恰好をしたらどうだ? 魔法使いだと判れば侮る相手も少なくなって、こういう事も起こりにくいと思うぜ」
得意げな顔をしているオーソンにアルは少し思案顔で首を振った。
「そうかもしれないけど、魔法使いらしい恰好ってことは、ローブに杖とかだよね。僕はずっと独りでやってきたからさ、そういう動きにくそうな恰好とかは苦手なんだよ。それに僕はまだそんなにすごい魔法使いってわけでもないからね。虚勢を張るのもあんまり好きじゃない」
アルの説明にオーソンは不思議そうな顔をした。彼の知る限り、魔法使いというのは皆威張っているものだった。だが、この目の前のアルという少年はそうではないらしい。そういうのも居るのか考えを改めると彼は軽く肩をすくめた。
「まぁ、そういうなら、自分で判断することだから、好きにすりゃいいさ」
「ありがとう。とりあえず、2人組については僕の気のせいかもしれないけど、まだ血みどろ盗賊団の生き残りはいるかもしれない。一応気を付けてあげてほしい」
アルの言葉に宿の連中は皆、もちろんと頷いたのだった。
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2023.4.14 改行追加 文章整形