1-1 襲撃現場 【付近地図あり】
― 真理魔法、シンプルに魔法とも呼ばれる。それは、呪文の書に書かれた一定の儀式にも似た手順に従い、魔力と呼ばれる特殊な方法で抽出された思念の力を積み上げて発生させる奇跡の力である。
4月のある日、シプリー山地の東側、海沿いの街道を歩く若い男性の姿があった。彼の名はアル。シプリー山地南西部にある貧しい村の領主の3男坊に生まれ、今年領都の中級学校を卒業したばかりで、レイン辺境伯爵領の最南端である辺境都市レスターに向かっていた。
彼の身長は150㎝程だろうか。ひょろりと細く、顔もまだ幼さを残していた。埃をかぶってごわついた鈍い金髪は伸びっぱなしで後ろで無造作に束ねられており、薄い茶色の服の上に濃い茶色の革の胴鎧を身につけている。腰には大振りのナイフやすこし膨らんだポーチがぶら下がっており、背中にはパンパンに膨らんだ背負い袋があった。
彼の今居るシプリー山地というのは、レイン辺境伯領の南西地域にあり、西側を夏でも雪が消えないナッシュ山脈、東側を海に挟まれた東西25キロほどに広がる高山地帯である。その南側は未だ蛮族や魔獣の多く住む未開地域で、この一帯に住む人々はつねにその脅威に晒されていた。だが、その反面、未開地域には人の手が入っていないので、様々な可能性があるとも言われていた。特に彼が向かっている辺境都市レスターの付近では数多くの古代遺跡が発見されており、そこからさまざまな古代の宝物や魔道具などを狙う者も増えていた。そして、アルもそういったものを夢見る1人であった。
彼がミルトンという大きな港街を通り過ぎたのは昼前の事であった。既に2時間程が経っている。空は今にも雨が降りそうな暗い曇天で春とは言ってもまだまだ肌寒い気温だったが、彼の額にはうっすらと汗がにじんでいた。
聞いた話ではあと1時間程歩けば大きな川に出るはずで、そこで渡し舟に乗れば、あとは辺境都市レスターまでもうすぐだということだった。だが、その手前にあるこのあたりは大きな岩だらけの悪路で見通しが利かず人を襲う魔獣や盗賊も多い難所だとも聞いていた。少しうんざりしながら、彼は一度立ち止まり周囲を見回した。そしてふとすこし遠くから聞こえる微かな戦いの音に気が付いた。しばらく耳を澄ましていたが、それが止む気配は全くない。在学中から冒険者として活動していた彼には一応蛮族や盗賊の討伐を行ったこともある。完全に無視するわけにもいかないかと彼は様子を見に行くことにした。
近づいていくと、戦いの音はだんだんと大きくなってきて人の声も混じり始めた。かなりの人数が戦っている様子である。とは言っても岩だらけで視界が遮られるので目視するにはもっと接近する必要がありそうだった。彼は物陰に身を寄せると膝をつき左手の革手袋を外して掌を地面につけた。
『知覚強化』 -触覚強化
知覚強化はあまり役には立たない呪文だと魔法使いの中では認識されていた。使用しても少し遠くが良く見え、少し臭いに敏感になるという程度の効果であったからだ。だが、このアルという少年が使うのは少し違っていた。彼は強化する対象の感覚を限定し、それによって効果を高めていた。動物によっては足の裏で地面を伝わる振動を感じ取り遠くの敵の存在を感じ取るものも居るが、彼は知覚強化を使うことによってそれと同じように地面を伝わる足の振動などを感知することができた。
それで得られた情報と聞こえてくる戦いの音や人の声などと併せて考えると襲っている側は盗賊のようだった。20人ちょっとといったところだろう。襲撃を受けている側は馬車等もあってはっきりしないが、抵抗して戦っているのが8人は居そうだった。人数比は2倍以上であるが、その8人が護衛だとすると彼らはしっかりとした戦闘のプロであるはずで、それならば襲っている盗賊側が勝てる確率は低いと思われた。
大丈夫だろう―――そう判断しかけたところで彼は違和感に気が付いた。このような相手を盗賊は襲撃したりするだろうか。奴らは正しく弱者を狙う。逆に言えば弱者しか襲わない。8人も護衛が居る相手を20人程度しかいない盗賊が襲うはずがないのだ。余程腕に自信がある、或いは盗賊たちはかなり切羽詰まった状況であるという可能性も無いわけではないが、不安を覚えた彼はさらに範囲を広げて周囲を確認することにした。
――やはり、居た。
別の20人程の集団が声を潜め静かに移動をしていた。かなりの人数ではあるのだが、護衛と盗賊たちが戦っているところと馬車を挟んで反対側、つまりアルに近い側に居り、戦っている場からまだ距離があったので気づけなかったのだ。
これは危険だ、そう判断した彼は背負い袋を岩陰に押し込んで隠した後、その集団に近づいた。少し高い岩の上に登りその集団を見ると、彼らは薄汚れた服の上に不揃いに防具を身に着けていて見るからに盗賊のようだった。再び知覚強化の呪文で聴力を高め彼らの会話に耳を澄ます。それによると隊商を襲っている盗賊はガイコツ盗賊団、そして彼ら自身は血みどろ盗賊団というらしかった。これら2つの盗賊団はお互い利用しあう程度の関係にあるようで、今回は協力して隊商を襲撃するつもりでいるようだった。
状況は把握したが、彼自身は中級学校を卒業したばかりの身であり、そんな多人数を一度に相手ができるはずもない。すこし迷ったものの、せめて奇襲攻撃となる前に警告した上で助力をすればマシだろうと判断した。もちろん、単純に大声をだしては彼自身の身が危ないのでそんなことはしないし、危なそうになればすぐに逃げだせるようにはしておく。その上で彼は呪文を唱えた。
『幻覚』 -音声幻覚
「こっちにも盗賊だ!」
アルは自分が居るところとは別の所で幻覚の叫び声を出した。これも彼が工夫して幻覚を音声のみに絞っていた。それにより音量の調整を可能としたのである。これぐらいの声であれば隊商にも十分届くであろうという大音量であった。
「みつかった?!」 「見張りはどこだ?」「お前がでかい音をたてるからだ」 「俺じゃねぇ、お前だろ」
血みどろ盗賊団の連中は口々にお互いの責任を大声で罵り合った後、頭目らしき男の指示もあって声のした方と隊商に手分けをして走り始めた。アルは声のした方に向かった連中を避けつつ隊商にむかった連中を追う。隊商がもう一つの盗賊団、ガイコツ盗賊団と戦っている場所とはそれほど離れているわけではないので、数分もすればそちらの戦いの音が聞こえる程の距離となった。目隠しとなっている岩を抜ければもうすぐといったところで、血みどろ盗賊団の連中の足が止まった。
「ここから先は通さないぞ!」
盗賊たちが立ち止まった先で発せられた叫び声にアルは驚いた。その声に聞き覚えがあったからだ。そのすこし高い声はほんの1ヶ月前に卒業したばかりの中級学校のクラスメイト、ナレシュのものによく似ていた。
アルはあわてて近くの岩によじ登り声のした方を覗き込む。そこには金髪を短めに刈り大人顔負けの大きな体をした若い男が左右に革鎧を身にまとった護衛らしい男を2人連れて立っていた。その若い男はナレシュで間違いなかった。
彼はたしかレスターを治める子爵家の次男であり、その出自にふさわしく学校の成績はクラスでも1番か2番といったところで、上級学校に進学予定だったはずである。今のタイミングで里帰りということなのだろう。学校を卒業した後旅を始めた彼と時期が重なったのはあまり不思議という訳でもなかった。
ナレシュは2人の護衛と共に岩で出来た狭路をうまく利用して盗賊20人を相手にするつもりらしい。3人と血みどろ盗賊団との闘いはすぐに始まった。ナレシュの護衛2人はかなり腕が立つようで、若いナレシュをサポートしながら上手に周囲の岩を利用しながら立ち回っている。戦いは拮抗しているようにみえた。ところが、手下の盗賊たちを戦わせていた頭目が何と呪文を唱えたのだ。
『魔法の矢』
血みどろ盗賊団の頭目がつきだした左手から光り輝く長さ30㎝程の矢のようなものが3本、ナレシュとその護衛2人の胸のあたりに向かって飛んだ。護衛2人は金属の胸部鎧のおかげで軽い衝撃で済んだようだったが、普通の服しか身につけていないナレシュの胸には光る矢が深く突き刺さった。その矢はその瞬間、一瞬だけ瞬いてから消え、刺さっていた傷口からは鮮血が零れる。彼はうめき声をあげその場に膝をついた。護衛の1人があわててナレシュの前に庇うように立ったが、盗賊たちはそれを見て3人を囲もうとし始めた。
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1話は7回を予定しています。その間は毎日、その後は毎週 月金、朝10時投稿を予定しています。よろしくお願いします。
つけたし:ゾウは足で振動を感じ取り異変を感じ取ることができるそうです。初めて聞いたときはびっくりしてしまいましたが、昔の漫画などで人間が地面に耳を付けて足音を聞いたりというのもあったので、それに近い事ができるかなぁ……と考えました。
2023.3.31 記述訂正 アルフレッドは自分が居る → アルは自分が居る
2023.4.14 改行追加 文章整形