不甲斐ないは二重否定?
めちゃくちゃ久しぶりの更新です^^;
「不甲斐ない」という言い回しがあります。
情けない、というのとほぼ同じ意味合いで使われていますね。
この表現に疑問を持たれたことはないでしょうか?
「甲斐」というのは、山梨県の旧国名……ではなく、「行動の結果として現れるしるし。努力した効果」、もしくは「期待できるだけの値うち」という意味の言葉です(デジタル大辞泉より)。
「遠くまでやって来た甲斐があった」とか、「頼り甲斐」、「生き甲斐」といった使い方ですね。
では、この「甲斐」に「不」と「ない」が付いたらどうなるでしょうか?
「何不自由ない」といえば、何も「不自由」では「ない」、つまり自由だ、という意味になります。
まあ実際の意味としては、自由であるというよりも、苦労や厄介事と無縁である、という意味合いですが。
同様に、「甲斐がない」あるいは「甲斐ではない」状態が「ない」ということで、つまり「甲斐がある」という意味になるはずです。
しかし実際には、「不甲斐ない」はマイナスの意味合いで用いられています。
これはどういうことなのでしょうか。
調べてみると、「ふがいない」の「ふ」は、元々「不」ではなく「腑」だったようです。
「腑」は内臓を意味し、「五臓六腑」とか、「腑に落ちる/落ちない」といった言い回しがありますね。
ちょっと脱線しますが、「五臓六腑」とは、心臓、肝臓、腎臓、肺、脾臓の五臓と、胃、胆嚢、小腸、大腸、膀胱、三焦(体温を司るとされる架空の臓器)の六腑を意味します。
まあそれはともかく、ここでは解剖学的な意味での内臓というよりも、肝っ玉だとかいったような象徴的な意味合いと解するべきでしょう。
つまり、「腑甲斐」とは肝っ玉とか意気地とかいった意味で、「腑甲斐ない」とはそれがない、つまり意気地がないとかだらしないとかいう意味になるわけです。
ただし、この「腑甲斐ない」も当て字説があり、元々は、「言ふ甲斐なし」の「い」が脱落したもの、という説もあるようです。
これも諸説あるうちの一つのようですが、わりと説得力はありますね。
いずれにせよ、「ふがいない」が二重否定の意味合いでないことだけは確かなようです。




